麻紙 F10
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今日は鎮魂の日です。
この画は少々前に描いていたもので、この度裏打ちしました。
拙い画ながら犠牲になられた方々に捧げ、心より哀悼の意を表します。
東日本大震災から12年の歳月が流れました。
忘れもしない2011年3月11日午後2時46分。
当県だけで犠牲者は1万人を超え、多くの方が今年13回忌を迎えます。
我が家の菩提寺でも本日追悼の法要が執り行われます。
当地、昨年の3月16日深夜にも大きな地震に見舞われたのでした。
奇しくも過日トルコで巨大地震があり、犠牲者は5万人を越えると言います。
彼の地の地震は直下型で阪神淡路大震災と同じですが、東日本大震災で亡くなった方の殆どは大津波によるものでした。
内陸部に位置する我が家では家族や親族で亡くなった者はいません。
しかし、かつての同級生や同僚で亡くなった方がいます。また、かつての同僚の家族や知人も犠牲になりました。ただ、それを知ったのは大分日が経ってからです。
我が家も人的被害は免れたものの無傷というわけにはいかず、家屋には方々亀裂や破損が生じました。
水道、電気などのライフラインもしばらく回復できず、特に困ったのは下水、我が家は合併浄化槽ですが再建まで1ヵ月。
墓地はすべて倒壊、農地は地盤沈下と崩落。作付けも迫り応急措置も容易でありませんでした。
そして、原発事故による放射能汚染は当地方まで及び、対応を強いられました。
我々内陸部の住人とは比較にならないほど甚大な被害を受けた海岸地帯では沢山の支援が必要で、著名人も多数支援に入られたと報道されました。
小生は自らのことに精一杯で数人の知人を訪ねただけでした。大したことも出来ず未だ忸怩たる思いです。
そんな中、当県在住の人気の歌人はいち早く地元を脱出し南方へと逃避、対極の行動で話題となりました。
我が子可愛さなのか恋の歌に瓦礫や放射能は無縁とお考えになったのか。その方が最近再び当県に舞い戻ったとNHKの番組で放映され知りました。
番組での姿からは大震災には興味も関心もなさそうに見えました。興味があるのは短歌に詠む何気ない日常と恋人のこと。あるいは敢えてそのように振る舞っていたのか。
大震災後節目のこの時期に当県人の拒否反応はかなり大きかったのではないでしょうか。少なくともリスペクトは出来そうにありません。
最後につまらないことを記してしまいました。
午後2時46分には改めて黙祷を捧げます。合掌。
コメントありがとうございます。
おっしゃるとおりですね。
想定外などと言って済まされるものではないでしょうね。
あと少しでその時間がまいります。静かに哀悼の誠を捧げるのみです。
利用者さんと、一体何が起きたのか?どこの事かと食い入るように観ていました。
津波だけなら、地震であるなら・・・
原発の安全神話の崩壊でした。
そこからの日々は壮絶でした。
我が施設からも支援にと数人が行きましたが報告に戦慄しました。
あってはならない?
いえいえ、第五福龍丸や東海の臨界事故、更には広島と長崎への原爆投下です。
その恐ろしさをひた隠しにしての、原発設置です。
再稼働など赦せません。
人が裁けることではありません。
自然は無情で有、正直でもあります。
神の領域には足を踏み込んではならないのだと心底想えてなりません。
日本がというよりも、地球上の核を埋めても宙に持って行っても汚染は停まらないと背筋が凍り付きます。
まさに鎮魂日ですね。