今日は夫の「第70回解放運動無名戦士合葬追悼会」に娘と次男の3人で参加。
娘と私は、早く目が覚めて、5時半には朝食し、早目に準備して、8時20分に長男が迎えに来て、永和駅まで送ってくれた。
名古屋駅の集合場所にはまだ誰も来ていないので、しばらく待っていると、赤い旗を持った日本国民救援会愛知県本部の人がくると、だんだん人が集まってきた。
愛知から出発する人は引率者も含め、16人が青山葬儀場まで行くことになりました。
今回の会に参加する人は、1家族1人分の交通費と食事代が出て、至れり尽せりのお世話に驚きでした。
列車の途中で、雪をかぶった富士山が見えたのは感動的だった。
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なんとか無事に青山葬儀場に到着したが、次男は仕事で東京に来ていたのて、会場で待ち合わせたが、墓地の方に行っていたので、大きなリュックを持って、少し遅れてやってきた。
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今回の追悼者は20歳から107歳までの1,111人で、北海道から順番にあういえお順に、全員の名前が読み上げられた。
愛知県は34人の名前が読み上げられて、夫の名前が呼ばれた時は、涙が溢れてきました。娘はスマホで録画してくれました。
追悼の歌「いのちのかぎり」を中央合唱団が「命のあるかぎり あなたは歩き続けた 貧しさや孤独に たじろくことなく 自由と平和の 花々を咲かせた」とまるで、夫のことを歌い上げているようでした。
日本共産党、全労連、婦団蓮の方から挨拶があり、さいごに遺族代表して、2人の方から挨拶があったが、同じ気持ちを共有しているせいか、涙が止まりませんでした。
特に長崎県の方は、三菱重工で組合の執行委員をしていた人だった方でしたので、夫の友人達のことが思い出されました。
今年は初めて、青山葬儀場で行われたのは、東京オリンピックのために、あちらこちらの会場が工事のために大きな会場が利用出来なかったので、東京都の方は別室でモニターでの参加となりました。
高齢の女性の方が、「年寄りをこんな寒い部屋に入れるなんて!」と怒っておられましたが、こんなところにも東京オリンピックの影響で、迷惑している人がいることに、怒りを覚えました。
1,111人の名前が刻まれた銅板が、「解放運動無名戦士墓」に飾られ、記念写真を撮った県から、順番にお参りして、解散となりました。
今回の追悼者会に、全国から2,000万円ちかくの募金と120人を超える人たちの支えで行われたことに感謝いたします。
第1回の追悼会から、合奏された方は、45,132になりました。夫の名前も刻まれることになりました。東京に来た時は、夫の名前が刻まれた銅板に、手を合わせに来たいものです。
愛知県でも、5月14日に追悼会があるので、みんなでお参りにいきます。
次男に宿を探してもらい、上野のアメ横の肉屋の居酒屋で、乾杯して焼き鳥、海鮮サラダなどお腹いっぱい食べて飲んで、次男とは早く娘に会いたいと、上野でわかれました。
しばらくアメ横を散策していたが、すぐにホテルに戻って、お風呂に入って、早々と眠ってしまいました。おやすみさい。
ヤッパリ私も夫や同士たちと一緒に「無名戦士の墓」に眠りたいと思った今日一日でした。
今日の万歩計は、