室温は、14.6度(6:00)。
志田弘子さんは、長い間加賀友禅作家として活動していたが、地元の志賀原発から10キロの近さに住んでいたことから、子ども達を守るために「志賀原発差し止め訴訟」の活動にのめり込んでいきました。
どの友禅染絵の子ども達の表情が志田さんの愛情が注がれているものばかりで、心温まる作品ばかりでした。
天気予報では寒くなると報道しているので、しっかりと着込んで、集会所でチューリップの球根が貰えるというので、近所の人達と出掛けると、結構たくさんの人たちが出掛けていて、最後の球根を頂いて友人に公園に植えてもらうことにしました。
名古屋で行われている「志田弘子友禅染絵展」を見に行くので、白の大島を着て、サムエルパンツをはいて、自転車に乗って出掛けました。
意外にスムースに自転車をこぐことが出来た。
永和駅でサムエルパンツを脱いで、八田駅で地下鉄に乗り換えて栄まで行く。
でも結構風が思ったよりも北風が冷たくて、ショールを持ってくればよかったと反省。
友人が受付で人を案内していたので、声をかけると、志田弘子さんを紹介してもらう。
最初に蓮の花の色使いが優しく、幻想的でとても素敵でした。
愛西市の花が蓮なので、市の公共施設に飾って貰えるといいのになあ。
友禅染絵の行程も展示されていた。
志田弘子さんは、長い間加賀友禅作家として活動していたが、地元の志賀原発から10キロの近さに住んでいたことから、子ども達を守るために「志賀原発差し止め訴訟」の活動にのめり込んでいきました。
そして2011年3月11日東日本大地震で福島原発の事故が起きて、何かしなければと思い立ち、大事な子ども達を守るための「友禅染絵」を描き、子ども達の命を描くようになったとのことです。
どの友禅染絵の子ども達の表情が志田さんの愛情が注がれているものばかりで、心温まる作品ばかりでした。
必ず私の好きな紫色が入っているのも素敵です。
友禅染絵のデザインの着物は難しいけれど、ショール等があるといいのになあ。
画集「きっと きっとーつぶらな瞳たちへー」と絵ハガキを購入して帰ってきました。
姉危篤の連絡
地下鉄に乗って帰るとき、珍しく姪から携帯が入ったが、出ることが出来なくて、メールをすると、「母が、敗血症ショックで救急車で病院に搬送されました。先生から、もっても、今日、明日ぐらいと言われ、親族には連絡して下さいと言われました。何かあれば連絡します。今からは、電話は難しいので、すみません」「今、先生から話があり、いつどうなるかわからない状態です。週末までは厳しそうと言われました。ICUの病棟に移り、父は、今日は自宅に戻り、私と弟と交代で病室にいる事になりました。とりあえず、現在の状態です」と連絡が入る。
飛んでいきたいが、何処の病院なのかも連絡がなく、そのまま帰って来て、兄弟に連絡して、電話が掛かって来るのを待つことにした。
姉は何年も股関節を痛めて、歩けず、寝たきり状態でデイサービスに通いながら、義兄が介護をする生活を続けていたが、施設に入所したことも初めて知りました。
じっと待っているのも辛いものです。
幸せな気持ちと不幸が一度に襲ってきたような1日でした。
今日の万歩計は、8,146歩でした。