大阪で民間テレビとして、大阪テレビ(OTV)が、大阪キタ新地の、北区堂島一丁目にできました。四階建のビルでテレビスタジオは三つでした。
その大阪テレビの横の道を西に五分ほど歩きますと、四ツ橋筋に出ます。その角に毎日大阪会館南館の上の階に毎日テレビがありました。
毎日テレビはスタジオが非常に狭くて使い勝手が悪く番組制作に苦労したようです。スタジオが狭いのを逆手にとって、公開番組『番頭さんと丁稚どん』をはじめ、生中継に力を注いだようです。
大阪テレビからキタ新地を抜けますと、梅新の交差点に出ます。その交差点を渡ったところに、「お初天神」の境内があります。
その「お初天神」を過ぎると関西テレビ(北区西天満)に行けます。
大阪テレビから歩いて約二十分くらいでした。
また、大阪テレビから国道一号線を東に行ったところに読売テレビ(北区東天満・空心町)がありました。
大阪の北にテレビ局が集中していましたので、CMを扱う広告代理店が喜んでいました。
広告代理店のテレビ担当者はコマーシャルのフィルムや広告文を書いたテロップなどを各テレビ局の営業部に届けますから、テレビ局が集まっているのは便利でした。
テレビ局が互いに近いので、テレビ局の生番組をハシゴをするすごい出演者がいました。
大阪テレビで生番組を終わると、急いで、毎日テレビの生番組に行けます。
また、関西テレビに行けました。
手狭な毎日テレビが千里丘に新社屋を建てました。
あまり、遠いのでしばらく、大阪駅前から時間を決めて毎日テレビ行きのバスが出ていました。私も乗せてもらいました。
毎日テレビに出演する俳優さんは
、
「毎日テレビの仕事は一日がかりです…」
とぼやいていました。
次に、読売テレビが大阪城の近くの大阪市中央区城見に新社屋を建てました。
千里丘の毎日テレビが大阪駅の近くの茶屋町の新社屋に帰ってきました。
最初の「大阪テレビ」の社屋は、世間から見れば特殊な造りでしたから、いろんな噂がありましたが、結局、更地にして、後に「新日空ホテル」が建ちました。
この界隈はすっかりイメージチェンジしました…。
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