初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

白黒銀塩写真は水仕事

2009年03月11日 18時23分52秒 | Weblog
 銀塩の黒白写真では、35㍉フィルムを100フィート缶(33メートル)で購入して、詰め替え用のパトローネに入れて使いました。ダークバッグ(チェンジバッグ)でフィルムを詰めます。パトローネに巻き戻された撮影済みのフィルムを現像タンクに入れるのにダークバックを使います。ダークパックとは首周りのないシャツのような遮光の黒い袋で両手を袖口から突っ込んで、手探りでフィルムを現像タンクの中枠に巻き込みます。少しコツがいりました。うまくいくときは良いのですが、袋の中で手違いが生じると時間がかかります。冬は良いのですが、夏は、袋の中で手が汗をかいてフィルムに汗をつけないように手こずりました。

 フィルム現像は一定の時間で打ち切る方法にしていましたから、冬でも夏でも温度を保つのが大変でした。現像→中間浴→定着処理のあと、流水で20分ほどフィルムの薬品を洗い落とします。

次に、乾かしたフィルムを印画紙に焼き付けなくてはなりません。
 引伸機と現像バット、中間浴バット、定着バットを三枚並べて、薬液の温度を管理しながら、引伸ばしを始めます。押入れの上段を暗室代りに使っていました。

 ネガのトリミングは引伸機のアームの上げ下げで調節します。覆い焼き、焼き込み。たまにイーゼルを持ち上げて歪みを直したりしました。

 引伸ばしの上手な人がいまして、同じ黒白写真の仕上がりでも、艶のある黒を出す人かいました。その人のプリントを見るのが楽しみで勉強になりました。私は暗室がうまくありませんでした。

 引伸機で焼き付けた印画紙は、現像→中間浴→定着の処理の後、流水で30分ほど印画紙の薬品を洗い落とします。

 銀塩写真の処理は半分が水仕事でした。

 デジタル写真になって、完全に水仕事から解放されました。
  

カメラオブスキュラ

2009年03月10日 21時14分04秒 | Weblog
  カメラの起源は、カメラオブスキュラにたどり着きます。
暗箱という意味で、適当な部屋の一方の壁に小さな穴を開けて、外の光を入れて、その穴の反対側の壁に外のけしきを映し出して、それに紙をあてがって、遠近感のある下絵をスケッチするという装置です。レオナルド・ダ・ヴィンチもこれを使ったとあります。その後、改良されてミラー付きの小さな箱にしたオブスキュラも出来ました。

 葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」のワイドレンズで撮影したようです。手前の大きな波の奥に小さな富士山。安藤広重の「名所江戸百景・大はしあたりの夕立ち」は、画面の水平線を斜めにかまえて、夕立のなかの橋も斜めにした不安定な構図。東海道五十三次の「台之景」の坂道の家が望遠レンズで距離を圧縮したような構図。題名は忘れましたが、手前の二本の脚の奥に店が描かれている版画はまるで、カメラで撮影したように見えます。

 日本に秘かにカメラオブスキュラが輸入されていて、この二人の大画家は好奇心をもって、この装置を覗いたのではないでしょうか。そして、それぞれ天才ですから「一を見て十を知る」で、なにかヒントを得たのではないでしょうか。

 これは、まったく根拠のない私の想像で、夢です。

 カメラオブスキュラに映る映像をなんとか定着させたいと研究して成功させたのはフランスの画家で興行師のダゲールでした。
 それからいろいろ研究されて、感光材料が濡れたままで使用する湿板から乾板になり、やがてフィルムが発明されました。

 現在は、全く別の感光材料のCCD、CMOSとなりました。

 

ビスタビジョン

2009年03月09日 18時26分40秒 | Weblog
  テレビに対抗するためにアメリカで、シネマスコープという横長のスクリーンの映画が作られました。
 画面の横方向だけ半分に縮める「アナモフィック」レンズを装着して撮影し、映画館で、画面の横方向を2倍に戻すレンズをつけて映写します。そうすると画面の横が2倍になる横長の大きな画面になりました。

 西欧では、企画が困ると、キリスト関係の映画が作られます。「聖衣」が作られました。
 画面が横方向に2倍になりますと、俳優さんのクローズアップのワンショットの切り返し画面よりツーショットの画面が落ち着いて見えました。
 
 邦画のシネマスコープ映画「忠臣蔵」で浅野が吉良に刃傷沙汰におよぶ松の廊下の場面で、廊下の床が直線にならず、歪んで描写されたり、なんとなく甘い画面が気になりました。

 横長の映画の尖鋭度を上げるために、ネガフィルムを2倍の広さを使う、「ビスタビジョン」が現れました。

  標準の映画は35ミリのハーフサイズ、ペンサイズです。
 ビスタビジョンのネガサイズは、ライカ判です。ネガ面積が倍になったのですから尖鋭な画面が得られました。
 撮影カメラのフィルム走行は今まで縦方向に走らせていました。ビスタビジョンはライカ判ですから、横方向にフィルムを走らせます。しかも、フィルムは倍使いますから、ミッチェルNCカメラでは1000フィートのマガジンでしたが、ビスタビジョンではさらに大きな2000フィートのマガジンが使われました。

日本の映画フィルムの現像所は容量が1000フィートまででしたから、コダックから輸入された2000フィートのフィルムを半分の1000フィートに切って使っていました。

 ニコンFのモータードライブに250コマ撮影できる大きなマガジンがありました。、
このニコンFモータードライブに1000フィートのマガジンをつけて撮影するような構造です。

 この撮影キャメラは、フィルムを倍のスピードで走りますから、予備スイッチで半分のスピードで助走させて、次に本番のスイッチを入れるたいそうな構造で、220ボルト、三相交流のシンクロナスモーター駆動です。

 この「ビスタビジョン」で「ホワイトクリスマス」など作られました。横方向に走るネガフィルムを縦方向に走る映画館ポジフィルムの仕上げが大変で、いつの間にかなくなりました。

 日本のハイビジョンやワイドのテレビの画面の比率がビスタビジョンサイズになっています。




ステレオ映画

2009年03月08日 17時50分18秒 | Weblog
 ママが、自分の子供の声がよく聞こえたり、立ち話や雑談の多いパーティ会場で、雑音の中から話し相手の声がよく聞こえることを「カクテルパーティ効果」と言います。 
 これは、視覚でもあるのではないでしょうか?。運動会ですばやくわが子を見つけるママ、街中で見かける梅の花など、周りの雑踏からくっきりと花だけ見えます。

 私は展覧会用の写真は一眼レフを使います。一眼レフのファインダーは撮影レンズを覗いています。そのときのレンズの状態はレンズの開放絞りで見ていますから、主要な被写体にはピントが合っています。はっきり見えています。それ以外の景色はピントが少し甘く見えます。それと、耳のカクテルパーティ効果のように、主要な被写体以外は見ていないのかもしれません。
 出来上がった写真をみて、あまりにもバックが煩雑なのに驚きます。
撮影時のレンズは絞り込まれますから、前後にピントが合ってきます。撮影時の絞りの値を確認するには、絞り込みボタンがあります。それを使用するとファインダー画面が暗くなってしまいます。静物撮影など三脚を使うゆっくりした撮影のとき以外は、絞り込みボタンを使いません。

 それに人間は二つの眼でステレオとして周りを眺めますから、関心のある主要な被写体に目線を合わせています。余計周りの景色の印象は弱くなります。

 写真を撮るときは、景色を平板的に前景から後景までよく見るように訓練はしていますが…。

 写真も映画もステレオを昔から考えられてきました。

 写真の方はドイツのローライフレックスが最初ステレオカメラから出発していますが、ステレオが下火になって横に並べたステレオ用の二つのレンズを縦に並べて二眼レフになりました。アメリカでも「ステレオ・リアリスト」など種類も多かったのですが、いつのまにか、下火なりました。

 映画も飛び出す映画とかで、赤と青の眼鏡をかける方式、偏光フィルターを左右で角度をつける方式などありましたが、映画館の入口で眼鏡を受け取り、済んだら返さなくてはとか、何かとわずらわしいです。

 ヒチコックの映画「ダイアルMを回せ」はアメリカでは、会社の方針で、いやいやステレオで撮影されたと雑誌の記事で読みました。
 監督とコンビのロバート・バークスの撮影でした。日本ではモノラルで公開されました。二人の俳優さんを斜めからのツーショットなど不思議なカットがありました。

 人間の眼は本当にすごい器官です…。

人間の眼はプレ防止

2009年03月07日 20時30分03秒 | Weblog
  学生のころ、国産のカラーフィルムが初めて現れ、併せて「現像キット」も発売されました。期待に胸を膨らませて、説明書通りの手順で処理を行いました。
 仕上がったカラーを見て、唖然としました。風景の影の部分が紫色で、陽の当たる部分が少し赤っぽくあがりました。目で見たような景色と違っていました。

 このフィルムの感色性が人間の感色性より青と赤に広く伸びていて風景の色温度に敏感に反応した結果と思われます。やがて、色々と改良されてゆきますが…。人間の目の感色性は青と赤が意外に低いのです。

 昼間の風景の色温度は6000K、5900Kで、夜の居間の電灯の下で3200K位でしょうか。目はそのときの光景にホワイトバランスを無意識に合わせてしまいますから、色の偏りが分かりません。また、瞳孔を閉じたり開いたりして明るさを調節します。

 カラーフィルムもカラーテレビの映像もそれを見る人にとっていいかわるいかです。カラー放送の色配分は、目の特性に合わせて赤30%、緑59%、青11%で合計100%としています。

 人間の目が融通が利くということは、暗くなれば、瞳孔を開き、明るければ瞳孔を絞ります。人間の目がそのときの適正露出に合わせてしまいますから、露出を計算するの露出計が必要になり、色温度を測るのに目で見て分かりませんから、色温度計が必要になります。

 人間の目のすごいことは、全力疾走しても見える景色がぶれないということです。デジタルカメラのCCDシフト方式のプレ防止より高級な視神経切り替えを脳のなかでやっているのでしょうか。

 この人間の目に対抗するようにマラソン中継では、大型中継車にジャイロの防震雲台で行いますし、フィールド競技ではステディカムという装置を使います。

 あるときテレビを見ながら硬いおかきを食べました。おかきをバリッと噛んだときに、テレビの画面がグラッとプレました。一度お試しください…。








カクテルパーティ効果

2009年03月06日 17時58分37秒 | Weblog
  テープレコーダーで自分の声を録音するとびっくりします。日頃、自分の声は分かっているつもりですが、口の中や骨伝導の響きなど複雑な経路で耳に聞こえているのでしょう。それが、いったん自分の口から声が出て、レコーダーのマイクで録音されるとあんな声になるのでしょう。それと、自分の録音テープを聞きますと、周りの雑音も大きく録音されていて驚きます。録音スタジオは、できるだけ外部の雑音を拾わないような設計になっています。

 立食パーティなど、大勢の集まりのなかで、遠くから自分の名前を呼ばれると聞き取れますし、親しい人との立ち話も支障なく語り合えます。病院の待合室で自分の名前を呼ばれると、大勢の話声の中から自分の名前が浮かび上がります。若いママがわが子の泣き声や話し声が聞こえます。

 これらは、カクテルパーティ効果といわれて、自分が関心のある音は聞こえますが、関心がない音は聞こえないのです。

 しかし、機械はこのカクテルパーティ効果はありません。雑音の多いところで、技術者は苦労します。
 野球場のキャッチャーの後ろに半円形の集音器(パラボラ)が見えます。ピッチャーの投球を受けるキャッチミットの音、返球のピッチャーのグローブの音など。
 テレビの公開番組「笑っていいとも」では舞台の前面に棒のようなものがときどき写ります。あれは指向性の強い「ガンマイク」と呼ばれるマイクで、向けられた狭い場所の音を拾います。もちろん、司会者のタモリにはピンマイクがつけられています。生番組ですから補助的に用意されているのでしょう。

 人間の耳もマイクも、雑音の多い周りを音を同じように捕えているのでしょう。耳にはいった音は、脳で必要な音だけを選択しているのでしょう。すごい構造です。

 余談ですが、インタビューの訪問番組で、

 「はじめてお目にかかります…」

と言います。訪問先のゲストの胸を見ますと、すでにピンマイクがついています。
あれは、なんとか写らないようにできなのでしょうか。

続・運動会とカメラ

2009年03月05日 18時27分05秒 | Weblog
  運動会の8㍉映画もW8の場合は、ゼンマイ駆動でしたが、スーパー8、シングル8は電池駆動になりました。テレビニュースの取材の16ミリ、スクーピックも電池駆動です。

 やがて、ニュースはENG取材方式になりました。カメラもVTRも完全に電池駆動です。取材に出発するとき、担当者は満タン充電の電池を用意します。取材から帰ってくるとすぐに充電器につなぎます。

 こうすると、どうしても、過充電になります。電池をあまり使わないうちに充電を繰り返すとメモリー効果で充電ができなくなります。取材現場で使い始めてすぐに電池が上がってしまうことがありました。電池は一つでも充分重いのですからあまり予備電池を持っていきたくありません。

 純抵抗の代わりに電球を直並列につないで、取材から帰ってきた電池をつないで放電させることにしました。直並列の電球が消えかけると放電が充分と判断して、それから充電することにしました。

 やがて、電池メーカー側が新製品として、電池を充電器につなぐと、赤色のLEDが点灯します。放電をしているのです。そのうち、青色LEDが点灯して充電が始まります。この1台の充電器は4個の電池をつなぐことができました。

 運動会を取材するパパは、カメラを持って、後ろにかさばるVHSのVTRを持ったママがついてゆきます。私の次男の運動会では、若いパパ、ママはVHSテープもVHS-Cと小型の製品で軽そうに取材していました。次の三男のときは8㍉ビデオになって、8㍉テープがカメラに内蔵されて、しかも、シャープのビューカムは液晶のモニターが搭載された一体型カメラでした。このシャープのビューカムは大ヒット商品で、以後、デジタルカメラにまで液晶が搭載され、デジタルカメラのスタイルを決定づけました。

 プロ用の機械も、池上製のHL-××にソニーのベータカムが搭載された一体型カメラになります。


運動会とカメラ

2009年03月04日 20時42分49秒 | Weblog
  子供たちが小さかった頃、運動会のたびに写真を撮りに小学校へ行きました。
子供の徒競争も楽しみですが、運動会によそのパパ、ママはどんなカメラを持ってくるか興味がありました。

 銀塩のコンパクトカメラや望遠レンズをつけたカメラで撮影しているパパや8㍉映画を熱心にやっている人もいます。

 当時、W8(ダブルエイト)と名付けられたフィルムを使うカメラで、16ミリ幅のフィルムを往復で使います。2分ほど撮影すると片道のフィルムが終わります。そしてフィルムを反転してカメラにかけなおします。2分ほど撮影するとそのフィルムは終わりで現像に出します。16ミリ幅のW8フィルムを半分に切って往復をつないで8㍉になって帰ってきます。

 この8㍉フィルムは16ミリフィルムを流用したものですから、パーフォレーションの穴が大きくて、画面が少し小さかったのです。
 次に、出てきたのがコダックのスーパーエイト、富士のシングルエイトです。これらの方式は、最初から8㍉幅のフィルムでパーフォレーションの穴が小さくて画面がW8に比べて大きくなりました。それと、往復でフィルムをかけ直さなくても4分ほど連続して撮れました。

フジフィルムのシングルエイトは扇千景嬢の

 「わたしにも写せます」
 のコマーシャルで有名になりました。

 運動会に出掛ける子供たちがどんな靴下で登校するか覚えておきます。
運動場で徒競争の順番で並んでいる時に、息子を靴下で探すのですがわかりません。横にいる女房は前から2番目の左から××番目と見つけます。私にはさっぱりわかりません。母親は動物的な感覚があるのでしょうか…。

ニュース 下

2009年03月03日 17時38分41秒 | Weblog
  テレビニュースもやがて、カラーになります。カラーフィルムのラチチュードは白黒フィルムに比べて狭いので担当カメラマンはスポット露出計を持たされました。

 やがて、米国からテレビのシステムを変えたENG(Electronic News Gathering)直訳すれば「電子的ニュース取材」とフィルムを使わないですべてVTRで取材する方式が伝わってきました。

 米国からENG機材の注文で、池上通信機、ソニー、ビクターなどがハンディカメラと、Uマチックという3/4インチのテープを使用するVTRの機械を製造しました。

 VTRの機械はカメラと細い同軸ケーブルで繋がっています。マイクを持ちながらVTRを肩に担いだ音声技術者はカメラマンと二人で一緒に行動します。

  少し遅れて日本もこのENG方式になりました。
1/2インチのテープを使った「ベータカム」が登場します。これで、VTRとカメラが一体化されました。 取材が終われば、映像と同時録音のテープがカメラで出来上がります。これは夢のようです。

 タレントの婚約、離婚発表の記者会見が市内のホテルなどで開かれます。ホテルの会議室には、机の前にマスコミ(新聞記者)の数だけ椅子が並べられます。座席の後に取材のカメラの三脚が並びます。各社が機材をセッティングして会見を待っている間に、取材スタッフはお互いの機材を見て、珍しい新しい機材は会場で注目を浴びます。

 それは便利ですか…、
 値段はいくらですか…、
 とてもその値段ではうちでは買ってもらえない…、

各社の担当者で雑談が交わされました。

 やがて、時間が来て、司会者の導入でインタビューが始まります。

 机の上には各社のマイクスタンドが林立しています。あのマイクを一本にすれば画面がすっきりするのに思われるでしょう。

 取材の代表幹事社が一本のマイクをミキシングアンプで各社にコネクターで分配すればよいのですが、もし、音声事故が発生したら、話は面倒です。
 従って、各社の使いなれたマイクで行っているのです。音声事故が出てもその担当局ですみますから…。
 画面に写っているマイクを勘定すれば、取材陣の規模がわかります。

ニュース 中

2009年03月02日 18時45分12秒 | Weblog
 35ミリニュース映画は、ベル&ハウエル社の「アイモ」でした。
 テレビニュースの取材カメラも、実績のあるベル&ハウエル社の16ミリカメラ「フィルモ」でした。従ってレンズも外国製の「クック」や「アンジェニュー」です。

 テレビジョンも、始まったころは1日中生番組でした。自局の生番組に加えて、キー局からのネット番組、他局の生番組をマイクロ回線で購入して放送しました。

 映画製作会社や映画プロダクションの数は少ないのですが、除夜の鐘の煩悩の数ほどあると揶揄されるほど新しいテレビジョン局の開局が相次ぎました。

 テレビのニュース番組の取材のフィルム処理に報道局に現像場が設けられました。ネガ現像してポジフィルムに焼きつけて、編集してプロジェクターにかけて放送しますが、緊急で間に合わないときには、ネガフィルムのまま放送します。
プロジェクターの映像アンプを偶数段にするか奇数段にするかの切り替えで、ネガが反転してポジになります。

 テレビ局が多く開局したので、取材機材の需要もありました。放送機材もどんどん国産化されていきました。
 キャノンから16ミリカメラ「スクーピック」という国産のカメラが誕生しました。きっと開発費を吸収できるほど需要が多かったのでしょう。外国にも輸出されたようです。

 テレビも含めてカメラマンは取材したフィルムを現像するまで結果は分かりませんから、故障の少ない、フィルムに傷がつかない実績を踏まえて今まで使ってきたカメラに固執します。どうしても保守的になります。この「スクーピック」導入がきっかけで、だんだん国産の機材が使われるようになりました。