初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

アメリカ製「リバティ船」

2020年04月07日 19時10分50秒 | Weblog


小学生だった私が通りかかった

船員さんに「この信濃丸は敵艦見ユ…の

電信を打った、日本海海戦で

有名な船か?」と聞いたばっかりに…
… … …

私はその船員さんに機関室ピストンエンジン

や、ブリッジまで見せてもらいました。

そして船員さんの部屋まで案内してもらいました。

… … …

引き揚げ船「信濃丸」での食事は

おかずなしで、薄い味噌汁と、

ご飯だけで三度、スゴイ食事でした。

… … …

「信濃丸」の後方に、同じ引き揚げ船の

アメリカ製リバティ船が小さく見えていました。

やがてその日は暮れました

翌日朝、甲板に出ると

水平線の彼方に小さくリバティ船が見えます

この「信濃丸」より早いリバティ船は

一夜にして追い越していたのでした。






「信濃丸」の船橋

2020年04月05日 18時08分23秒 | Weblog


私は船舶のブリッジを見るのは

初めてでした。

明治の軍艦「信濃丸」では

ブリッジというより船橋というのが

相応しいかも知れません…。



ブリッジには艦長、航海士、機関士

などがおられたのでしょう…

私には羅針盤、コンパスが目につきました

それと、船橋と船底の機関室の連絡に使用する

伝声管(でんせいかん)を初めて見ました。

… … …

私は船底のピストン・エンジンから

ブリッジ(船橋)を見学するうちに

満州からの引き揚げ日本人(難民?)と

という立場をすっかり忘れていました。






「信濃丸」の船員さんと

2020年04月02日 22時16分35秒 | Weblog


船員さんは、油を注している人を

指さして

「あのように何時も油を注していかなくては

明治時代の船が、元気で働いていない」と

しみじみと、云いました。

明治、大正、昭和時代を生き抜いた強運な

信濃丸には、素晴らしい船員さんたちが

守っていたからだと、その時、

私も感動しました…

… … …

私は、葫蘆島(ころとう)の港で

信濃丸と引き揚げ船として一緒に

停泊していたアメリカ製リバティ船に

乗って見たいと、思っていましたが…

この歴史的な「信濃丸」に乗船できて

幸せだったとあらためて思いました。

… … …

ピストンがドカン、ドカンと激しく

上下している機関室をあとにして

船員さんと、次にブリッジへ連れて行って

くれました。





「信濃丸」の機関室へ

2020年04月01日 20時27分18秒 | Weblog


私は船員さんのあとについて

階段を下りていきました。

階段の途中には鉄格子が

張られていて、谷底のような船底が

丸見えです

… … …

怖々と、わくわくする不思議な

気持ちで船底にたどりつきました

巨大なレシプロ・エンジンが並んで

います。巨大なシリンダーが、そして

ピストンがドスンドスンと上下しています。

… … …

この巨大なエンジンを目の前に

して、すっかり圧倒されてしまいました。

エンジンの後の方にボイラーが見えます

真っ赤に見える焚き口に

石炭が投入されていきます。

… … …

エンジンの構造は蒸気機関車と

同じです。その蒸気機関車が

縦に並んだような構造でした。

… … …

この圧倒的な景色にだんだん馴れて

きました。エンジンを見ていると

ピストンの軸受けや、可動部分に

油差しで、油を注いでいます。

それも、30分おきくらいです。

「どうして、何度も何度も油を

注しているのか?…」と

隣の船員さんに聞きますと…。