経営コンサルタントへの道

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【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺2 中国的七堂伽藍の門と回廊

2023-05-25 14:10:27 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺2 中国的七堂伽藍の門と回廊

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺2 中国的七堂伽藍の門と回廊

 

 京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院「萬福寺」、山号は黄檗山は、1661年に、中国明朝時代の臨済宗を代表する僧である「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。中国福建省にある黄檗山萬福寺の住職をしていましたが、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝しました。当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗(おうばくしゅう)と改称し、現在に至っています。
 「禅宗」は、日本では、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残していることです。江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の大本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。
 萬福寺の建造物は、中国明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例がありません。代表的禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されています。

 

■ 隠元隆琦(いんげん りゅうき)
 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師
 勅賜として真空大師、華光大師、

 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 明末清初の禅宗の僧で、日本黄檗宗の祖です。隠元自身は、「臨済正宗」と称していたそうです。
 独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる、当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えました。
 また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をしました。
 明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝えています。隠元豆の名称に名を残していることは広く知られています。
 日本における煎茶道の開祖ともいわれていますし、能書家としても知られ、木庵性とう、即非如一とともに「黄檗の三筆」といわれるほどです。
 承応年には江戸で将軍家綱に拝謁し、後に宇治に地を与えられ万福寺を建てました。

 

■ 伽藍
 萬福寺の伽藍は左右対称に配置されており、全体は西側を向いて乱れなく建てられています。
 一番西側にある「総門」をくぐり、右手に「放生池」を見ながら進むと、巨大な三間三戸の「三門」、そしてその奥には萬福寺の玄関にあたる「天王殿」があります。
 天王殿の奥には「大雄宝殿」、さらに奥には「法堂」が一直線になるように建てられています。
 萬福寺の伽藍は、そのすべてが屋根つきの回廊で結ばれており、雨天の際でも問題なく法式を執り行うことができるようになっています。回廊沿いにはそのほかにも、南側に鐘楼、伽藍堂、斎堂、東方丈が、北側には対称となる位置に鼓楼、祖師堂、禅堂、西方丈が、並んでいます。
 これら萬福寺内の建物は、一般的な日本の寺院建築とは異なっています。宗祖隠元禅師が日本に渡ってきた中国の明時代末期頃の様式で造られています。建築材も南アジア、東南アジア原産のチーク材を使用しています。各所に見られる「卍くずし」と呼ばれるデザインや、円い形をした窓、伽藍の扉に施された桃の実の形をした「桃符」という飾り、アーチ状に造られた「黄檗天井」など、ほかの日本の寺院では見かけることのないような建築手法、デザインが用いられています。
 また、三門から天王殿へと向かう参道を北側に折れたところには宗祖隠元禅師を祀る開山堂が建てられています。(【公式サイト】をもとに作成)

 

■ アクセス

 JR黄檗駅から徒歩5分、京阪宇治線黄檗駅から徒歩8分
 私は、JR黄檗駅下車し、改札正面辺りにある小径(わかりにくい)を入って行きました。
 京阪の駅は、JRより西側(萬福寺の反対側)にありますので、JR踏切を横切ってから小径に入ります。こちらも入り口が解りにくいので、地元の人に聞かれるとよろしいでしょう。

 

 

同寺サイトのコンテンツは充実していて

以下の説明は、公式サイトを基に作成しました。

当寺には、七堂伽藍以外のユニークな門があります。

 

総門 (重要文化財)
屋根が二重になっていて、中央の屋根を高くし、

左右を一段低くした中国風の門である

「牌楼(ぱいろう)式」の門で、漢門とも呼ばれます。

中央上部裏面には、風水的モチーフの

「白虎鏡」という円相が型取られています。

中国風の総門

扁額は「第一義」で、第5代高泉の書と伝わっています。

この額字は、高泉和尚が何度も書き改められたという

逸話が残っています。

 

三門 (重要文化財)
三間三戸、重層の楼門造りの門です。

左右に裳階(もこし)をつけ、山廊もついています。

大棟中央に火焰付宝珠があります。

正面の扁額「萬福寺」は隠元禅師による書

正面には2つの扁額があり「黄檗山」も隠元禅師による書です

山門は、三門とも書きます。

三門とは、三つの界の分かれ目ですので、

ここからは世俗を離れた清浄域です。

境内にある、円柱を用いた建物は、

三門・天王門・通玄門・舎利殿・寿蔵だけです。

 

通玄門 (重要文化財)
開山堂にはいるための正門で

三門を入ると左手に位置しています。

中央は、石條が直線に連なり

左右に状砂が配されています。

通玄門は、重要な結界の一つであるため、

三門等と同様に円柱が使われています。

奥深く玄妙なる真理=仏祖の位に通達する門です。

「通玄」の扁額

「通玄」とは「玄理を知る」ことです。

「玄理」とは「奥深い道理、深遠な真理」のことで

通玄とは、道理や真理の奥深くまで知ることを意味します。

庫裏への門

「修禅」とは、

禅定を修すること。

コトバンクによりマッスと「禅定(ぜんじょう)」とは

心を一つの対象に注いで、心の散乱をしずめるのが「定」

その上で、対象を正しくはっきりとらえて考えるのが「禅」

 

三内の建物は、回廊でつながれています。

春日大社のように吊り灯籠が下げられています。

勾欄(こうらん)
ここ開山堂だけではなく、法堂正面の勾欄は、

卍及び卍くずしの文様になっています。

これらはすでに奈良時代の法隆寺などの

南都寺院に使われています。

それとは別に、江戸時代初期にあらためて

黄檗を通じてもたらされたものです。

 

合山鐘

合山鐘は、

鐘楼ではなく、回廊の途中に吊り下げられています。

 

開梆(かいぱん)と雲版(うんぱん)
威徳殿の前に吊り下げられています。

黄檗清規には、飯梆(はんぽう)と記されています。

魚梆、魚鼓とも呼ばれます。

叢林における日常の行事や儀式の刻限を報じる

魚の形をして法器のことです。


雲版(奥の円形物)は、

朝と昼の食事と朝課の時に打って知らせる青銅製の板です。

 

【 コメント 】

 これまで、いろいろな寺院について、ご紹介してきましたが、門や回廊だけでまとめるほど、種々あるところはなかったと思います。

 七堂伽藍とはいえ、萬福寺は、いろいろな堂于があるということになります。

 

中国的七堂伽藍を巡る

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b748d78db82db192352d412faf6250de

門と回廊

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/2ea2bd7248ec4587e29d17697f9ff258

開山堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a862cf8714f823fb0066f750814e2866

寿塔と石碑亭

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

潜脩禅・鼓楼・祖師堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

天王殿 当寺の玄関

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b1c971f5d6ae684410e0f52f989d64eb

大雄宝殿 最大伽藍

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/382b0ba3f3cc100e227f4c7a0552ee3d

法堂・鐘楼・開梆・雲版

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/578c48cf55819f437cafc8e201741479

庭園と放生池

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/6640d39a023332ddb3a5633aa3d75c38

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺1 中国的七堂伽藍

2023-05-24 11:20:44 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺1 中国的七堂伽藍 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺 中国的七堂伽藍

 

 京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院「萬福寺」、山号は黄檗山は、1661年に、中国明朝時代の臨済宗を代表する僧である「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。中国福建省にある黄檗山萬福寺の住職をしていましたが、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝しました。当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗(おうばくしゅう)と改称し、現在に至っています。
 「禅宗」は、日本では、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残していることです。江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の大本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。
 萬福寺の建造物は、中国明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例がありません。代表的禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されています。

 

■ 隠元隆琦(いんげん りゅうき)
 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師
 勅賜として真空大師、華光大師、

 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 明末清初の禅宗の僧で、日本黄檗宗の祖です。隠元自身は、「臨済正宗」と称していたそうです。
 独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる、当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えました。
 また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をしました。
 明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝えています。隠元豆の名称に名を残していることは広く知られています。
 日本における煎茶道の開祖ともいわれていますし、能書家としても知られ、木庵性とう、即非如一とともに「黄檗の三筆」といわれるほどです。
 承応年には江戸で将軍家綱に拝謁し、後に宇治に地を与えられ万福寺を建てました。

 

■ 伽藍
 萬福寺の伽藍は左右対称に配置されており、全体は西側を向いて乱れなく建てられています。
 一番西側にある「総門」をくぐり、右手に「放生池」を見ながら進むと、巨大な三間三戸の「三門」、そしてその奥には萬福寺の玄関にあたる「天王殿」があります。
 天王殿の奥には「大雄宝殿」、さらに奥には「法堂」が一直線になるように建てられています。
 萬福寺の伽藍は、そのすべてが屋根つきの回廊で結ばれており、雨天の際でも問題なく法式を執り行うことができるようになっています。回廊沿いにはそのほかにも、南側に鐘楼、伽藍堂、斎堂、東方丈が、北側には対称となる位置に鼓楼、祖師堂、禅堂、西方丈が、並んでいます。
 これら萬福寺内の建物は、一般的な日本の寺院建築とは異なっています。宗祖隠元禅師が日本に渡ってきた中国の明時代末期頃の様式で造られています。建築材も南アジア、東南アジア原産のチーク材を使用しています。各所に見られる「卍くずし」と呼ばれるデザインや、円い形をした窓、伽藍の扉に施された桃の実の形をした「桃符」という飾り、アーチ状に造られた「黄檗天井」など、ほかの日本の寺院では見かけることのないような建築手法、デザインが用いられています。
 また、三門から天王殿へと向かう参道を北側に折れたところには宗祖隠元禅師を祀る開山堂が建てられています。(【公式サイト】をもとに作成)

 

■ アクセス

 JR黄檗駅から徒歩5分、京阪宇治線黄檗駅から徒歩8分
 私は、JR黄檗駅下車し、改札正面辺りにある小径(わかりにくい)を入って行きました。
 京阪の駅は、JRより西側(萬福寺の反対側)にありますので、JR踏切を横切ってから小径に入ります。こちらも入り口が解りにくいので、地元の人に聞かれるとよろしいでしょう。

 

 

 

 

同寺サイトのコンテンツは充実していて

以下の説明は、公式サイトを基に作成しました。

 

総門 (重要文化財)
屋根が二重になっていて、中央の屋根を高くし、

左右を一段低くした中国風の門である

「牌楼(ぱいろう)式」の門で、漢門とも呼ばれます。

中央上部裏面には、風水的モチーフの

「白虎鏡」という円相が型取られています。

扁額は「第一義」で、第5代高泉の書と伝わっています。

この額字は、高泉和尚が何度も書き改められたという

逸話が残っています。

 

文華殿

 

石條(せきじょう)
境内に縦横に走っている参道は、

正方形の平石を菱形に並べ、

両側を直線的な石條で挟んだ

特殊な形式をしています。

龍の背の鱗をモチーフ化したものだそうです。

中国では龍文は天子・皇帝の位を表します。

黄檗山では、大力量の禅僧を龍像にたとえますので、

住持のみが菱形の石の上を歩くことを許されています。

 

三門 (重要文化財)
三間三戸、重層の楼門造りの門です。

左右に裳階(もこし)をつけ、山廊もついています。

大棟中央に火焰付宝珠があります。

正面の扁額は「黄檗山」、「萬福寺」で隠元禅師による書です。

三門とは、三つの界の分かれ目ですので、

ここからは世俗を離れた清浄域です。

境内にある、円柱を用いた建物は、

三門・天王門・通玄門・舎利殿・寿蔵だけです。

 

通玄門 (重要文化財)
開山堂にはいるための正門で

三門を入ると左手に位置しています。

中央は、石條が直線に連なり

左右に状砂が配されています。

この門は重要な結界の一つであるため、

三門等と同様に円柱が使われています。

奥深く玄妙なる真理=仏祖の位に通達する門です。

開山堂

通玄門の正面にあります。

氷裂文の石畳(同じ形の石はまったくない)が中央に、

左右に白壁、白砂が目前に広がります。

建物には卍の勾欄(卍崩し)の建物です。

黄檗開山の隠元禅師がお祀りされています。

開山堂内陣

毎月1・15日には、山内の僧が祝拝し、

3日には、開山忌を営まれます。

祥忌の4月3日には、

他山から僧を招待し、厳粛に執り行われます。

 

勾欄(こうらん)
ここ開山堂だけではなく、法堂正面の勾欄は、

卍及び卍くずしの文様になっています。

これらはすでに奈良時代の法隆寺などの

南都寺院に使われています。

それとは別に、江戸時代初期にあらためて

黄檗を通じてもたらされたものです。

三内の建物は、回廊でつながれています。

寿塔 重要文化財

開山堂の裏手に立つ、八角の建物

 

合山鐘と並んで立つ石碑

亀の上に立っています。

合山鐘

 

鼓楼

祖師堂 (重要文化財)

 

祖師堂内陣

中央:達磨大師 左右:歴代住職位牌

禅堂

天王殿

天王殿

 

大雄宝殿 (重要文化財)

萬福寺の本堂であり、最大の伽藍となっています。

日本では唯一最大のチーク材を使った歴史的建造物です。

これは、大変重要なことであり、かつ貴重なものです。

大棟中央に火焰付、二重の宝珠。正面入口は魔除けとされる桃の実の彫刻を施した「桃戸」、左右に円窓。上層の額「大雄寶殿」は隠元書。下層の額「萬徳尊」は木庵書。本堂内部須弥壇の上の額「真空」は明治天皇の御宸筆。

大雄宝殿内陣

当寺のご本尊は、釈迦牟尼佛です。

京大仏師兵部作、寛文9年(1669)造立、木造、像高250cmです。

摩訶迦葉(まかかしょう)と阿難陀(あなんだ)の両尊者が

その両脇には、十八羅漢像が安置されています。

法堂(はっとう) (重要文化財)
禅寺における主要伽藍のひとつで説法を行う場所です。
内部には、須弥壇のみが置かれています。

上堂や住持の晋山式などに使われます。

須弥壇上の額「法堂」は、隠元の書です。

黄檗山では、唯一の楷書による大書です。

威徳殿

「威徳(いとく)」とは、

「おごそかでおかしがたい徳」のことです。

 人を自然に従わせる威厳と人徳を醸し出す

人や建物という意味になります。

山内の最も奥、法堂の裏手に立っています。 

開梆(かいぱん)と雲版(うんぱん)
黄檗清規には、飯梆(はんぽう)と記されています。

魚梆、魚鼓とも呼ばれます。

叢林における日常の行事や儀式の刻限を報じる

魚の形をして法器のことです。
雲版(奥の円形物)は、

朝と昼の食事と朝課の時に打って知らせる青銅製の板です。

斎堂 (重要文化財)
堂内に緊那羅王菩薩が祀られています。

高脚飯台と腰掛があり、本山僧衆の食堂です。
表には、鬼界の衆生に施す飯を乗せる生飯台(さばだい)があります。

前方入口の前には、「開梆」と「雲版」があり、

食堂を禅悦堂ともいいます。

聯・額ともに木庵の書です。

鐘楼

 

黄檗山萬福寺 七堂伽藍

1 中国的七堂伽藍を巡る

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b748d78db82db192352d412faf6250de

2 門と回廊

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/2ea2bd7248ec4587e29d17697f9ff258

3 開山堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a862cf8714f823fb0066f750814e2866

4 寿塔と石碑亭

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

5 潜脩禅・鼓楼・祖師堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

6 天王殿 当寺の玄関

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b1c971f5d6ae684410e0f52f989d64eb

7 大雄宝殿 最大伽藍

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/382b0ba3f3cc100e227f4c7a0552ee3d

8 法堂・鐘楼・開梆・雲版

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/578c48cf55819f437cafc8e201741479

9 庭園と放生池

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/6640d39a023332ddb3a5633aa3d75c38

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 京都御苑 閑院宮邸跡庭園 現皇族直系に繋がる四親王家の廻遊式日本庭園

2023-05-20 17:42:08 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 京都御苑 閑院宮邸跡庭園 現皇族直系に繋がる四親王家の廻遊式日本庭園

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 京都御苑 閑院宮邸跡(かんいんのみやていあと)庭園

 

 「閑院宮邸跡」は、広大な京都御苑の南西部に位置します。

 地下鉄丸太町駅から徒歩でも数分のところにあります。かつての皇族・閑院宮家の屋敷跡であり、その庭園の遺構であります閑院宮は、東山天皇の皇子直仁親王を始祖としています。

 創立は、宝永7年(1710年)です。閑院宮は、伏見宮、桂宮、有栖川宮家と並ぶ江戸時代の四親王家のひとつで、現在の皇室の流れとなっています。
 創建当初の建物は天明の大火(1788年)で焼失し、現在の建物との関係など詳しいことはわかっていません。

 閑院宮家が東京に移る明治10年まで邸宅として使用されていました。そののち、華族会館、裁判所となったりと、いろいろな変遷を経て、現在に至ります。平成15年度から3ヶ年をかけて全面的な改修と周辺整備が行われました。また、平成26年3月に、旧宮内省所長官舎跡の庭園が復元整備され、現在の庭園となっています。

 この部屋は、唯一天井に虹梁(化粧ばり)を渡し、墓股を置き、化粧屋根裏天井となっています。南棟の中でも最も立派な造りです。

 ここの庭園は、池泉回遊式庭園で、江戸時代中期の作庭といわれています。京都御所・仙洞御所など皇室の庭園でも見られる洲浜があります。ここの池泉はつては、今よりも大きかったそうです。江戸時代の洲浜の遺構は、地中に残って居るそうで、その上に同じ形で復元されました。

 奥には、二つ目の庭園があります。1892年(明治25年)に元・閑院宮邸の敷地内に宮内庁京都所長官舎が建造されました。その遺構が「宮内省所長官舎跡」として残されています。建物の基礎と沓脱石・手水鉢・庭園などを見ることができます。
 明治から大正時代にかけて作庭されたこの池泉回遊式庭園は、九條池や閑院宮家の苑池とはまた異なり、琵琶湖疏水から京都の市街地まで引かれた水路から伸びているそうです。こじんまりながら、きれいな水の流れが楽しめる庭園です。秋には紅葉が美しいそうです。

 

■アクセス
 〒602-0881 京都市上京区京都御苑3 

 京都市営地下鉄烏丸線 丸太町駅より徒歩3分
 京阪本線 神宮丸太町駅より徒歩15分
 最寄りバス停は「烏丸丸太町」バス停下車 徒歩2分

 

 

 

閑院宮邸跡

上記京都御苑看板地図の左下(南西)

 

 

 閑院宮邸跡 

 

正面玄関

 

 

天井に虹梁(化粧ばり)を渡し、

墓股(かえるまた)を置き、化粧屋根裏天井となっています。

南棟の中でも最も立派な造りの部屋で

虹梁は、ここだけです。

展示室

池泉前から築山越しに見た御殿

御殿裏側

中庭

 

 東池庭園 

 

茶室前から見る東池庭園池泉の東半分

ここには2つの庭園があり、その一つです。

東池庭園池泉の西半分

かつてはL字型の大きな庭園であったそうです。

東池庭園の池泉

東池庭園の畔の立つあづまや

 

 旧宮内省所長官舎跡 

 

一時期、旧宮内省署長官舎がこの地に置かれていました。

 

 

 

 

 

 

 西池庭園(旧宮内省所長官舎庭園) 

 

 

 

最上流が流れ出す築山

最上流

右手が最上流、奥が官舎跡地

上記踏み石から見た池方向(感謝園側間近)

 

 

ナレーションつき映像で視る

閑院宮邸跡庭園

 

 

 

 

 

 

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!ひとり旅】京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園1 建物編 

2023-05-18 14:29:29 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!ひとり旅】 京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園1 建物編 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園1 建物編 

 

 京都仙洞御所(せんとうごしょ)は、御所公園の南東部に位置し、京都迎賓館と並んでいます。

 後水尾上皇の御所として、1630年(寛永7)に完成しました。残念ながら当初の御殿は1854年(嘉永7)に焼失してしまい、今日まで再建されることはありませんでした。現在では庭園のみが残っています。現存するのは、醒花亭と又新亭の2つの茶屋と雄大な庭園が往時の面影を残しているのみです。

 仙洞御所(せんとうごしょ)は、太上天皇・法皇など、主に退位(譲位)した天皇のための御所のことを指します。それに対して、皇太后・太皇太后(崩御した天皇の皇后)の御所(女院御所)を大宮御所(おおみやごしょ)と呼びます。

 1854年の火災後、建築群は再建されず、現在では庭園のみが残っています。1867年以降、隣の御常御殿が残る大宮御所に組みいれられ、皇室の京都における邸宅として整備されました。現在では大宮御所と仙洞御所を合わせた邸宅を単に「大宮御所」と呼び、天皇・皇后の行幸啓(帰京)の際の滞在施設として使用されています。
 仙洞御所(大宮御所ふくむ)の地は、かつて太閤秀吉が築いた豊臣家の本邸「京都新城」のあった地であり、寛永4年に後水尾天皇が譲位の意向を示しますと、幕府はこの地を仙洞御所と大宮御所の地として選び御所建設工事に着手しました。
 2019年4月30日、第125代天皇明仁が退位し、上皇となりました。その上皇の御所として「仙洞御所」が東京(東京都内)にも整備されることから、区別の為に従来の仙洞御所は「京都仙洞御所」と改称されました。

庭園
 現代も天皇・皇后や上皇・上皇后(皇太后)両陛下の御宿泊所となる『京都大宮御所』に連なる池泉廻遊式日本庭園は、江戸時代初期に、後水尾上皇と仙洞御所の作事奉行だった小堀遠州により作庭されました。
 北池と南池という大きな2つの池泉が配されています。
 「北池」は、正面に見える東山の借景がとりわけ美しく見えます。
 北池を右回りに進みますと「六枚橋」に出ます。池のこの周辺は「阿古瀬淵」と呼ばれます。平安時代の歌人・紀貫之の邸宅がかつてこの辺りにあったと伝わり、そのことから名付けられました。また豊臣秀吉が『聚楽第』の後に築いた本邸『京都新城』の庭園の遺構とも伝わります。
水の流れを眺めながら大きな池を回遊しますと、モミジが美しいエリア〜苔の美しい園路…といった風景の変化を楽しめます。(おいけさんサイト参照作成)

 鷺島を通ってさらに進みますと「八ツ橋」にでて、南池エリアに入ります。八ツ橋は、かつては屋根のついた橋であったそうで、今では藤棚に覆われています。その先は直線的な護岸で当時の遺構です。
 南池のほとりにある茶室「醒花亭」の前の堤に、12万戸の丸石が敷き詰められています。丸石を集めるために、東京の『旧芝離宮恩賜庭園』で知られる小田原藩主・大久保忠真が、丸石一つにつき米一升といって集めたのです。そのことから、この丸石を「一升石」と呼ぶそうです。

 園内には二つの茶室があります。
 園内に入りますと右手にあるのが「又新亭(ゆうしんてい)」です。明治時代に五摂家のひとつ近衛家から献上された茶室です。海外からの賓客が大宮御所に泊まられた際などに日本の文化を代表する茶道をここで体験していただきます。造りも、いわゆる「茶室」といえる造りで、
 他の一つは、南池の南端ほとりにある茶室が「醒花亭(せいかてい)」です。前述の「又新亭」が、茶室茶室しているのに対して、こちらは開放的で、煎茶を楽しむためにしつらえています。前庭の苔が美しいと評判です。

 

■ アクセス

 京都市営地下鉄烏丸線 丸太町駅より徒歩10~15分
 京阪本線 神宮丸太町駅より徒歩約15分
 市バス「府立医大病院前」下車、徒歩約10分
  最寄バス停は「荒神口」「烏丸下長者町」バス停 徒歩約10分
 〒602-0881 京都府京都市上京区京都御苑2番地
 定休日    月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/28~1/4)、行事等が行われる日
 TEL    075-211-1215(宮内庁京都事務所参観係)
 ホームページ    http://sankan.kunaicho.go.jp/
 料金:無料(入場人数制限あり)
 予約方法:事前申込が好ましく、午前11時より当日申込の整理券が門前で発行
 

 御常御殿 

 

大宮御所・仙洞御所とも焼失し、再建されず、

その代替を務めるのが御常御殿です。

大宮御所・仙洞御所の勅使門

御所への大通りに直交する道から見た勅使門

左手は有栖川宮旧邸後

勅使門

「京都大宮御所」の御常御殿

後水尾上皇の御所として、1630年(寛永7)に完成しましたが

1854年(嘉永7)に焼失し、再建されていません。

大宮御所・仙洞御所の代わりに、

ここ御常御殿が、皇族の皆さんの宿泊所

車寄せ

皇族の皆さんが来られたときに

お出迎えの人が少なければ車寄せから下車

たくさんのお出迎えがいる時には、

勅使門を入られたところで下車し

徒歩で御常御殿に入られるそうです。

御常御殿車寄せの天井

大宮御所・仙洞御所庭園への入り口

御常御殿を南側から見る

建物は和風ですが、室内は洋風になっているそうです。

中央にシャンデリアが一つ点灯しているのが見えます。

 

 お茶室 

 

 園内には二つの茶室があります。
 園内に入りますと右手にあるのが「又新亭(ゆうしんてい)」です。明治時代に五摂家のひとつ近衛家から献上された茶室です。海外からの賓客が大宮御所に泊まられた際などに日本の文化を代表する茶道をここで体験していただきます。造りも、いわゆる「茶室」といえる造りで、
 他の一つは、南池の南端ほとりにある茶室が「醒花亭(せいかてい)」です。前述の「又新亭」が、茶室茶室しているのに対して、こちらは開放的で、煎茶を楽しむためにしつらえています。前庭の苔が美しいと評判です。
 

お茶室への門

植木職人さん達がお手入れの最中でした。

「又新亭(ゆうしんてい)」

明治時代に五摂家のひとつ近衛家から献上

伝統的なお茶室らしいお茶室です。

海外からの賓客が大宮御所に泊まられた際などに

日本の文化を代表する茶道をここで体験していただきます。

中を見られないのが残念です。

 

醒花亭(せいかてい)

南池の南端ほとりに立っています。

洲浜には12万戸の丸石が敷き詰められています。

丸石を集めるために、丸石一つにつき米一升といって集めたので、

そのことから、この丸石を「一升石」と呼ぶそうです。

「又新亭(ゆうしんてい)」が、いかにも「茶室」という設えなのに対して

こちらは開放的です。

煎茶を楽しむためにしつらえています。

前庭の苔が美しいと評判です。

入口側

 

仙洞御所跡

柿本社

大宮御所・仙洞御所をお守りする神社

 

京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園1 建物編

京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園2 北池 

京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園3 南池 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!ひとり旅】京都迎賓館5 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 和の晩餐室「桐の間」

2023-05-18 13:14:48 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!ひとり旅】京都迎賓館5 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 和の晩餐室「桐の間」 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都迎賓館5 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 和の晩餐室「桐の間」

 京都迎賓館(きょうとげいひんかん、Kyoto State Guest House)は、京都市内の京都御苑内東北部にあり、元赤坂の迎賓館赤坂離宮とともに、日本の迎賓館として国の体面を保つ施設です。
 迎賓館は、外国の国家元首や政府の長などの国賓を迎え入れた時に、会食や宿泊等の接遇を行う施設です。

 京都迎賓館は、2005年(平成17年)4月17日に開館しました。「日本の伝統技能の粋を集めた最高のおもてなしの場」と評され、日本の歴史、文化を象徴する京都で、賓客を迎えいれ、日本への理解と友好を深める施設といえます。
 建物は、洋風の赤坂迎賓館とは対照的な和風建築として設計されています。南側を「表」(公の場)、北を「奥」(私的施設)と位置付け、建物の南半分には会議・会談、晩餐、和風会食、管理等の施設が、北半分には賓客の居住・宿泊のための施設が配置されています。
 歴史的景観や周辺の自然環境との調和を図るため、日本の伝統的な住居である入母屋(いりもや)屋根と数寄屋(すきや)造りの外観です。
 「行の庭」と命名された池の周囲に、聚楽の間、夕映えの間、藤の間、桐の間、滝の澗、貴船の間、水明の間や宿泊エリアがあります。
  所在地    京都府京都市上京区京都御苑23
  敷地面積    約2万140平方メートル
  本館構造    鉄筋コンクリート造、地上1階(地下1階)
  延床面積    約1万6000平方メートル


 庭園は、仁和寺・御室御所の御用庭師だった佐野藤右衛門氏が携わっています。庭園の大滝を手掛けたのは、イサム・ノグチ氏の共同制作者でもあった石彫家・和泉正敏氏です。

 玄関前の「真の庭」、館内の中央「行の庭」、賓客宿泊室に面する「草の庭」の3面で構成されています。
 「庭屋一如(ていおくいちにょ)」の現代和風の庭園として、尼崎博正氏の監修により、佐野藤右衛門氏を棟梁とする京都の庭師らにより作られました。
 庭屋一如とは、「庭と建物は一つの如し」という意味です。庭と建物が融合し、自然と調和する境地、庭と建物の調和がとれた生活空間、引いては環境と共生する建物を指します。
 古くから日本の住まいには庭園や坪庭があり、「自然と人は分かち難く、つながっている」という日本人の心情があらわれています。(「庭屋一如」の説明はhttps://shichusankyo.com/theme/garden/をもとに作成)

 長年希望していたものの、なかなか予約が取れませんでした京都迎賓館を訪れるチャンスが偶然のタイミングでやってきました。
 一名の予約キャンセルがあると、迎賓館横の休憩所で、係の人から声をかけられたのです。
 日本の匠の技の結集である京都迎賓館は、想定以上に感動しました。

 建物や調度品には、数寄屋大工、左官、作庭、截金(きりかね)、西陣織や蒔絵(まきえ)、漆など、数多くの京都を代表する伝統技能が活かされ、それを処々で感じ取れます。

■ 桐の間(きりのま)
 最大24名までの会食が可能な、56畳の「和の晩餐室」です。
 天井は全て同一材料で作られた長さ12メートル中杢天井です。床は、長さ8メートルの大床となっています。
 座卓は堀座卓になっていて、座ることが苦手な外国の方でも足を出して座れます。座椅子の背には、政府及び京都迎賓館の紋である五七の桐が蒔絵で描かれています。座卓の天板は長さ約12メートルの等圧合板を下地にし、漆黒の漆が施されています。欄間「日月」には藤の間と同じ江里佐代子氏による截金(きりかね)細工がさりげなく施されています。
■ アクセス

 京都市営地下鉄今出川駅より徒歩10分

 見学料: 2,000円
 事前予約制
 空きがあると当日受付もあります

 

雪見障子のガラス部分から池面の揺らめきが見えます。

ひさしに池面の揺らめきが映って面白かったです

カメラマンの腕が悪くて表現できておらず

申しわけありません

引き戸のほぞ

障子紙も巻物状態ではなく

裁断された障子紙ですので、

貼り合わせた部分の線の位置が一定ではありません

藤の間から桐の間への移動の照明

折り紙行灯

折り紙をイメージした照明器がところどころに配されています

桐の間のしつらい図

桐の間

最大24名までの会食が可能な、56畳の「和の晩餐室」です

座卓は堀座卓になっていて、

座ることが苦手な外国の方でも足を出して座れます

床は、長さ8メートルの大床となっています

一幅の掛け軸は、源氏物語絵巻からとったものでしょうか

手前のテーブルに映り込まれています

歌舞伎を題材にした人形でしょうか

 ▲

畳の大きさは、

3尺×6尺(910mm×1820mm、1.6562 m2

のものが基本です。

ここの畳は短辺の井艸を、通常の半分にして

中央で左右からの井艸を織り込んでいます。

そのために中央に二本の筋が浮かび上がっています。

(上写真は、説明用の見本)

天井は全て同一材料で作られた長さ12メートル中杢天井です

畳の中央がやや黒ずんだ線が見えるのは

上述のように井艸のよい部分だけを厳選して

特殊な畳表の造りになっているからです

座椅子の背には、

政府及び京都迎賓館の紋である五七の桐が

蒔絵で描かれています。

ちなみに豊臣秀吉は、五三の桐です。

円弧状に截金細工が欄間にしつらえられています。

欄間「日月」には、藤の間と同じ江里佐代子氏による

截金(きりかね)細工がさりげなく施されています。

欄間の截金

廊下の外には庭園も見えます

池を渡る屋根付き廊下

滝の間(たきのま)、畳船の間(きぶねのま)、水明の間(すいめいのま)は

見学コースに入っていませんでした。

桐の間から玄関の方に戻るには、この橋をわたります。

天井は舟形です

四隅の柱の上の梁には昆虫の透かしが刻まれています

他の3つはトンボ、コオロギ、バッタです

 

 

京都迎賓館1 アプローチ         

京都迎賓館2 エントランスホールと聚楽の間

京都迎賓館3 綴れ織による日月の夕映え景色 

京都迎賓館4 晩餐会場「藤の間」     

京都迎賓館5 和の晩餐室「桐の間」    

京都迎賓館6 庭屋一如の3つの庭園    

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!ひとり旅】京都迎賓館6 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 庭屋一如の3つの庭園

2023-05-17 17:24:40 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!ひとり旅】京都迎賓館6 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 庭屋一如の3つの庭園 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都迎賓館6 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 庭屋一如の3つの庭園

 京都迎賓館(きょうとげいひんかん、Kyoto State Guest House)は、京都市内の京都御苑内東北部にあり、元赤坂の迎賓館赤坂離宮とともに、日本の迎賓館として国の体面を保つ施設です。
 迎賓館は、外国の国家元首や政府の長などの国賓を迎え入れた時に、会食や宿泊等の接遇を行う施設です。

 京都迎賓館は、2005年(平成17年)4月17日に開館しました。「日本の伝統技能の粋を集めた最高のおもてなしの場」と評され、日本の歴史、文化を象徴する京都で、賓客を迎えいれ、日本への理解と友好を深める施設といえます。
 建物は、洋風の赤坂迎賓館とは対照的な和風建築として設計されています。南側を「表」(公の場)、北を「奥」(私的施設)と位置付け、建物の南半分には会議・会談、晩餐、和風会食、管理等の施設が、北半分には賓客の居住・宿泊のための施設が配置されています。
 歴史的景観や周辺の自然環境との調和を図るため、日本の伝統的な住居である入母屋(いりもや)屋根と数寄屋(すきや)造りの外観です。
 「行の庭」と命名された池の周囲に、聚楽の間、夕映えの間、藤の間、桐の間、滝の澗、貴船の間、水明の間や宿泊エリアがあります。
  所在地    京都府京都市上京区京都御苑23
  敷地面積    約2万140平方メートル
  本館構造    鉄筋コンクリート造、地上1階(地下1階)
  延床面積    約1万6000平方メートル


 庭園は、仁和寺・御室御所の御用庭師だった佐野藤右衛門氏が携わっています。庭園の大滝を手掛けたのは、イサム・ノグチ氏の共同制作者でもあった石彫家・和泉正敏氏です。

 玄関前の「真の庭」、館内の中央「行の庭」、賓客宿泊室に面する「草の庭」の3面で構成されています。
 「庭屋一如(ていおくいちにょ)」の現代和風の庭園として、尼崎博正氏の監修により、佐野藤右衛門氏を棟梁とする京都の庭師らにより作られました。
 庭屋一如とは、「庭と建物は一つの如し」という意味です。庭と建物が融合し、自然と調和する境地、庭と建物の調和がとれた生活空間、引いては環境と共生する建物を指します。
 古くから日本の住まいには庭園や坪庭があり、「自然と人は分かち難く、つながっている」という日本人の心情があらわれています。(「庭屋一如」の説明はhttps://shichusankyo.com/theme/garden/をもとに作成)

 長年希望していたものの、なかなか予約が取れませんでした京都迎賓館を訪れるチャンスが偶然のタイミングでやってきました。
 一名の予約キャンセルがあると、迎賓館横の休憩所で、係の人から声をかけられたのです。
 日本の匠の技の結集である京都迎賓館は、想定以上に感動しました。

 建物や調度品には、数寄屋大工、左官、作庭、截金(きりかね)、西陣織や蒔絵(まきえ)、漆など、数多くの京都を代表する伝統技能が活かされ、それを処々で感じ取れます。

■ 日本庭園
 玄関前の「真の庭」、館内の中央「行の庭」、賓客宿泊室に面する「草の庭」の3面で構成されています。
 「庭屋一如(ていおくいちにょ)」の現代和風の庭園として、尼崎博正氏の監修により、佐野藤右衛門氏を棟梁とする京都の庭師らにより作られました。
 庭屋一如とは、「庭と建物は一つの如し」という意味です。庭と建物が融合し、自然と調和する境地、庭と建物の調和がとれた生活空間、引いては環境と共生する建物を指します。
 古くから日本の住まいには庭園や坪庭があり、「自然と人は分かち難く、つながっている」という日本人の心情があらわれています。(「庭屋一如」の説明はhttps://shichusankyo.com/theme/garden/をもとに作成)
 ただし、一般ツアーでは、宿泊室に面し、滝を有する「草の庭」を拝見することはできませんでした。

■ アクセス

 京都市営地下鉄今出川駅より徒歩10分

 見学料: 2,000円
 事前予約制
 空きがあると当日受付もあります

 

 玄関前の「真の庭」 

 

京都迎賓館前庭

「新の庭」は京都迎賓館正面玄関前に位置しています

前庭には御影石が敷き詰められ重厚さを感じました


敷石となっている御影石

「新の庭」の二大立役者

玄関越しに見る正面門

 

 館内の中央「行の庭」 

 

建物に囲まれ、中庭のようになっているのが「行の庭」です

エントランスホールから見た「行の庭」の池

最初に入った「聚楽の間」からは庭園・池は見えません

 

 夕映えの間から見た「行の庭」 

 

「比叡月映」、「愛宕夕照」の綴れ織りのある

夕映えの間から「行の庭」を見ました

夕映えの間から見た「行の庭」南池

 

 

 

 

 

 

 藤の間から見た「行の庭」 

 

大広間の晩餐室である藤の間は、

人間国宝の江里佐代子氏による截金で飾られています。

 

雪見障子越しに見る「行の庭」

 

 

水面の揺らぎ

 

 桐の間から見た「行の庭」 

 

和の晩餐室「桐の間」からも「行の庭」が見えます

桐の間の廊下の外には庭園も見えます

 

 

 

 

 舟形天井の廊下から見た「行の庭」 

 

池を渡る屋根付き廊下

橋の南東たもとに立つやなぎ

「行の庭」南半分

正面は夕映えの間

「行の庭」南東部

「行の庭」南西部

「行の庭」南西部

「行の庭」北側、建物は宿泊室

 

宿泊室横にある船泊

 

船泊から見た桐の間(正面)と舟形天井橋(右)

宿泊室

舟形天井橋中央からは北正面に位置

舟形天井橋からみる北東の浜

橋のたもとに咲くコウホネ

 

 

京都迎賓館1 アプローチ         

京都迎賓館2 エントランスホールと聚楽の間

京都迎賓館3 綴れ織による日月の夕映え景色 

京都迎賓館4 晩餐会場「藤の間」     

京都迎賓館5 和の晩餐室「桐の間」    

京都迎賓館6 庭屋一如の3つの庭園    

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!ひとり旅】京都迎賓館4 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 晩餐会場「藤の間」

2023-05-17 15:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

  【カシャリ!ひとり旅】京都迎賓館4 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 晩餐会場「藤の間」 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都迎賓館4 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 晩餐会場「藤の間」

 京都迎賓館(きょうとげいひんかん、Kyoto State Guest House)は、京都市内の京都御苑内東北部にあり、元赤坂の迎賓館赤坂離宮とともに、日本の迎賓館として国の体面を保つ施設です。
 迎賓館は、外国の国家元首や政府の長などの国賓を迎え入れた時に、会食や宿泊等の接遇を行う施設です。

 京都迎賓館は、2005年(平成17年)4月17日に開館しました。「日本の伝統技能の粋を集めた最高のおもてなしの場」と評され、日本の歴史、文化を象徴する京都で、賓客を迎えいれ、日本への理解と友好を深める施設といえます。
 建物は、洋風の赤坂迎賓館とは対照的な和風建築として設計されています。南側を「表」(公の場)、北を「奥」(私的施設)と位置付け、建物の南半分には会議・会談、晩餐、和風会食、管理等の施設が、北半分には賓客の居住・宿泊のための施設が配置されています。
 歴史的景観や周辺の自然環境との調和を図るため、日本の伝統的な住居である入母屋(いりもや)屋根と数寄屋(すきや)造りの外観です。
 「行の庭」と命名された池の周囲に、聚楽の間、夕映えの間、藤の間、桐の間、滝の澗、貴船の間、水明の間や宿泊エリアがあります。
  所在地    京都府京都市上京区京都御苑23
  敷地面積    約2万140平方メートル
  本館構造    鉄筋コンクリート造、地上1階(地下1階)
  延床面積    約1万6000平方メートル


 庭園は、仁和寺・御室御所の御用庭師だった佐野藤右衛門氏が携わっています。庭園の大滝を手掛けたのは、イサム・ノグチ氏の共同制作者でもあった石彫家・和泉正敏氏です。

 玄関前の「真の庭」、館内の中央「行の庭」、賓客宿泊室に面する「草の庭」の3面で構成されています。
 「庭屋一如(ていおくいちにょ)」の現代和風の庭園として、尼崎博正氏の監修により、佐野藤右衛門氏を棟梁とする京都の庭師らにより作られました。
 庭屋一如とは、「庭と建物は一つの如し」という意味です。庭と建物が融合し、自然と調和する境地、庭と建物の調和がとれた生活空間、引いては環境と共生する建物を指します。
 古くから日本の住まいには庭園や坪庭があり、「自然と人は分かち難く、つながっている」という日本人の心情があらわれています。(「庭屋一如」の説明はhttps://shichusankyo.com/theme/garden/をもとに作成)

 長年希望していたものの、なかなか予約が取れませんでした京都迎賓館を訪れるチャンスが偶然のタイミングでやってきました。
 一名の予約キャンセルがあると、迎賓館横の休憩所で、係の人から声をかけられたのです。
 日本の匠の技の結集である京都迎賓館は、想定以上に感動しました。

 建物や調度品には、数寄屋大工、左官、作庭、截金(きりかね)、西陣織や蒔絵(まきえ)、漆など、数多くの京都を代表する伝統技能が活かされ、それを処々で感じ取れます。

■ 藤の間(ふじのま)
 最大120名までの大広間で、主に晩餐室として使われます。人間国宝の江里佐代子氏による截金(きりかね)が施された檜舞台と舞台扉「響流光韻」(こおるこういん)は、見応えがあります。
 正面の壁面は、藤を始めとする39種の四季の花々が描かれた綴れ織で、「麗花」(れいか)と命名されています。言うまでもなく、これが、この部屋の名前の由来となっています。その下図は鹿見喜陌氏、監修者は内山武夫氏によるものです。

 床の段通には、藤の花びらが散りばめられていますが、その気になって目をこらえて見ますと藤の花びらが浮き上がって見えてきます。
■ アクセス

 京都市営地下鉄今出川駅より徒歩10分

 見学料: 2,000円
 事前予約制
 空きがあると当日受付もあります

 

藤の間と廊下

正面は「麗花」(れいか)と命名されています。

藤を始めとする39種の四季の花々が描かれた綴れ織

日本画と紛う藤の綴れ織り

正面右手の桜

正面西側に配された家具

沈金細工でしょうか

 

西面:檜舞台

人間国宝の江里佐代子氏による

截金(きりかね)が施された檜舞台と

可動式の舞台扉「響流光韻」(こおるこういん)

コンピュータ・グラフィックスを見るような細緻な截金


フォーカスが甘くて申しわけありません。

可動式扉の沈金は角度を変えると見え方が変わります

下に垂れた細い截金にも心が配られています

仕切り衝立

衝立の縦枠に、藤の間らしい細やかな飾り

 

東面

藤の間は、館内最大の大広間

最大120名までの晩餐室

展示用テーブルセット

背もたれも座面も紫色に統一された西陣織

漆黒に金色がさりげなく

料理により、器やツールが異なります

藤の花びらが散りばめられた床の段通

踏むのが阻まれます。

膝をついて写真を撮ることが禁じられています。

格子天井になっている照明

各格子が3枚の可動式のカバーで

いろいろなバリエーションの照明ができます

「和」基調の幾何学模様ですが違和感がありません

飾り金具

黒漆枠の欄間

雪見障子から池が見えます

詳細は、「庭園編」をご覧下さい

 

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!ひとり旅】京都迎賓館3 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 綴れ織による日月の夕映え景色

2023-05-17 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!ひとり旅】京都迎賓館3 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 綴れ織による日月の夕映え景色 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都迎賓館3 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 綴れ織による日月の夕映え景色

 京都迎賓館(きょうとげいひんかん、Kyoto State Guest House)は、京都市内の京都御苑内東北部にあり、元赤坂の迎賓館赤坂離宮とともに、日本の迎賓館として国の体面を保つ施設です。
 迎賓館は、外国の国家元首や政府の長などの国賓を迎え入れた時に、会食や宿泊等の接遇を行う施設です。

 京都迎賓館は、2005年(平成17年)4月17日に開館しました。「日本の伝統技能の粋を集めた最高のおもてなしの場」と評され、日本の歴史、文化を象徴する京都で、賓客を迎えいれ、日本への理解と友好を深める施設といえます。
 建物は、洋風の赤坂迎賓館とは対照的な和風建築として設計されています。南側を「表」(公の場)、北を「奥」(私的施設)と位置付け、建物の南半分には会議・会談、晩餐、和風会食、管理等の施設が、北半分には賓客の居住・宿泊のための施設が配置されています。
 歴史的景観や周辺の自然環境との調和を図るため、日本の伝統的な住居である入母屋(いりもや)屋根と数寄屋(すきや)造りの外観です。
 「行の庭」と命名された池の周囲に、聚楽の間、夕映えの間、藤の間、桐の間、滝の澗、貴船の間、水明の間や宿泊エリアがあります。
  所在地    京都府京都市上京区京都御苑23
  敷地面積    約2万140平方メートル
  本館構造    鉄筋コンクリート造、地上1階(地下1階)
  延床面積    約1万6000平方メートル


 庭園は、仁和寺・御室御所の御用庭師だった佐野藤右衛門氏が携わっています。庭園の大滝を手掛けたのは、イサム・ノグチ氏の共同制作者でもあった石彫家・和泉正敏氏です。

 玄関前の「真の庭」、館内の中央「行の庭」、賓客宿泊室に面する「草の庭」の3面で構成されています。
 「庭屋一如(ていおくいちにょ)」の現代和風の庭園として、尼崎博正氏の監修により、佐野藤右衛門氏を棟梁とする京都の庭師らにより作られました。
 庭屋一如とは、「庭と建物は一つの如し」という意味です。庭と建物が融合し、自然と調和する境地、庭と建物の調和がとれた生活空間、引いては環境と共生する建物を指します。
 古くから日本の住まいには庭園や坪庭があり、「自然と人は分かち難く、つながっている」という日本人の心情があらわれています。(「庭屋一如」の説明はhttps://shichusankyo.com/theme/garden/をもとに作成)

 長年希望していたものの、なかなか予約が取れませんでした京都迎賓館を訪れるチャンスが偶然のタイミングでやってきました。
 一名の予約キャンセルがあると、迎賓館横の休憩所で、係の人から声をかけられたのです。
 日本の匠の技の結集である京都迎賓館は、想定以上に感動しました。

 建物や調度品には、数寄屋大工、左官、作庭、截金(きりかね)、西陣織や蒔絵(まきえ)、漆など、数多くの京都を代表する伝統技能が活かされ、それを処々で感じ取れます。

■ 夕映の間(ゆうばえのま)
 最大約70名までもが入ることができる大広間です。国際会議にも利用できるように通訳ブースを備えています。壁面には装飾が施されていて、可動式になっているために三分割することができます。
 壁面装飾は、一見しますと絵画のようですが、綴れ織になっています。東面が「比叡月映」(ひえいつきばえ)、西面が「愛宕夕照」(あたごゆうばえ)と名付けられていて、これが部屋の名前の由来となっています。京都の東西を守る山の日月の夕景を表現しています。下図は箱崎睦昌氏により、監修者は内山武夫氏です。
■ アクセス

 京都市営地下鉄今出川駅より徒歩10分

 見学料: 2,000円
 事前予約制
 空きがあると当日受付もあります

 

聚楽の間から夕映えの間に移動します。

折り紙をイメージした照明に「和」を感じます。

夕映えの間

最大約70名までもが入ることができる大広間です。

国際会議にも利用できるように通訳ブースを備えています。

正面

東面

床の間に何気なく置かれた壺

人間国宝・14代今泉今右衛門(いまいずみいまえもん)による

「色絵雪花墨色墨はじき 四季花紋花瓶」(いろえせっかすみいろすみはじき)

という銘の白磁です。

「比叡月映」(ひえいつきばえ)

一見しますと絵画のようですが綴れ織でできています。

下図:箱崎睦昌氏 監修:内山武夫氏

西面「愛宕夕照」(あたごゆうばえ)

下図:箱崎睦昌氏 監修:内山武夫氏

この二幅の綴れ織りの絵題が「夕映の間」の由来です。

近づきますと絵画ではなく綴れ織りであることがわかります。

床の段通

ふかふかではないのですが、

足裏にフワッと感じるのが不思議

照明と格子天井

よく見ますと格子板に星がちりばめられています。

天井が星空をイメージしているのです。

(申しわけありません。原写真ではモアレはないのですが

画面上では、モアレがでて見づらくなっています)

緑の壁面は呼吸をしています。

黒漆螺鈿細工調度品

廊下側からは池を見ることができます。

詳細は「庭園編」でお楽しみいただけます。

 

京都迎賓館1 アプローチ         

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

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【カシャリ!ひとり旅】京都迎賓館2 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 エントランスと聚楽の間

2023-05-16 10:11:16 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

  【カシャリ!ひとり旅】京都迎賓館2 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 エントランスと聚楽の間 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

■■ 京都迎賓館2 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 エントランスと聚楽の間

 

 京都迎賓館(きょうとげいひんかん、Kyoto State Guest House)は、京都市内の京都御苑内東北部にあり、元赤坂の迎賓館赤坂離宮とともに、日本の迎賓館として国の体面を保つ施設です。
 迎賓館は、外国の国家元首や政府の長などの国賓を迎え入れた時に、会食や宿泊等の接遇を行う施設です。

 京都迎賓館は、2005年(平成17年)4月17日に開館しました。「日本の伝統技能の粋を集めた最高のおもてなしの場」と評され、日本の歴史、文化を象徴する京都で、賓客を迎えいれ、日本への理解と友好を深める施設といえます。
 建物は、洋風の赤坂迎賓館とは対照的な和風建築として設計されています。南側を「表」(公の場)、北を「奥」(私的施設)と位置付け、建物の南半分には会議・会談、晩餐、和風会食、管理等の施設が、北半分には賓客の居住・宿泊のための施設が配置されています。
 歴史的景観や周辺の自然環境との調和を図るため、日本の伝統的な住居である入母屋(いりもや)屋根と数寄屋(すきや)造りの外観です。
 「行の庭」と命名された池の周囲に、聚楽の間、夕映えの間、藤の間、桐の間、滝の澗、貴船の間、水明の間や宿泊エリアがあります。
  所在地    京都府京都市上京区京都御苑23
  敷地面積    約2万140平方メートル
  本館構造    鉄筋コンクリート造、地上1階(地下1階)
  延床面積    約1万6000平方メートル

 庭園は、仁和寺・御室御所の御用庭師だった佐野藤右衛門氏が携わっています。庭園の大滝を手掛けたのは、イサム・ノグチ氏の共同制作者でもあった石彫家・和泉正敏氏です。

 玄関前の「真の庭」、館内の中央「行の庭」、賓客宿泊室に面する「草の庭」の3面で構成されています。
 「庭屋一如(ていおくいちにょ)」の現代和風の庭園として、尼崎博正氏の監修により、佐野藤右衛門氏を棟梁とする京都の庭師らにより作られました。
 庭屋一如とは、「庭と建物は一つの如し」という意味です。庭と建物が融合し、自然と調和する境地、庭と建物の調和がとれた生活空間、引いては環境と共生する建物を指します。
 古くから日本の住まいには庭園や坪庭があり、「自然と人は分かち難く、つながっている」という日本人の心情があらわれています。(「庭屋一如」の説明はhttps://shichusankyo.com/theme/garden/をもとに作成)

 長年希望していたものの、なかなか予約が取れませんでした京都迎賓館を訪れるチャンスが偶然のタイミングでやってきました。
 一名の予約キャンセルがあると、迎賓館横の休憩所で、係の人から声をかけられたのです。
 日本の匠の技の結集である京都迎賓館は、想定以上に感動しました。

 建物や調度品には、数寄屋大工、左官、作庭、截金(きりかね)、西陣織や蒔絵(まきえ)、漆など、数多くの京都を代表する伝統技能が活かされ、それを処々で感じ取れます。

聚楽の間(じゅらくのま)
 晩餐会などが行われる際に、招待されたゲストや随員の方々などのための待合室として使用されます。
 このスペースのモチーフである「友好の心」をイメージしています。そのイメージに沿って、人間国宝の早川尚古斎氏による竹花器や、伊砂利彦の型染の屏風などが配されています。椅子のファブリックは西陣織、釘隠には千代結のデザインが施されています。
 待ち時間を和ませてくれる設(しつら)えです。
■ アクセス

 京都市営地下鉄今出川駅より徒歩10分

 見学料: 2,000円
 事前予約制
 空きがあると当日受付もあります
 

 

京都迎賓館正面玄関

前庭には御影石が敷き詰められ重厚さを感じました。

檜柾目材の扉が開くと、そこはエントランスホールです。

エントランスホール

檜柾目材の扉が開くと、そこはエントランスホールです。

賓客向けに豪華な精華が迎えてくれます。

(残念ながら、それは見られませんでした)

エントランスホールの雪見障子からは池が見えます。

エントランスホールにつながる廊下

聚楽の間と屏風

招待されたゲストや随員の方々などのための待合室

伊砂利彦の型染の屏風

 

重厚感溢れる照明器

間接照明的な柔らかい光を発していました。

 

床は檜材でしょうか、温かみを感じました。

 

天井は舟形です。

 

椅子のファブリックは西陣織でできています。

 

「友好の心」をモチーフにした

人間国宝の早川尚古斎氏による竹花器

「鷹羽結び廣口花籃(たかのはむすびひろくちはなかご)」

 

下記の台座の中央に縦に走る

白い筋は、螺鈿細工です。

壁面の飾り絵

 

京都迎賓館1 アプローチ         

 

 

 

 

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【カシャリ!ひとり旅】京都迎賓館1 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 アプローチ

2023-05-15 17:37:30 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!ひとり旅】京都迎賓館1 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 アプローチ 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

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■■ 京都迎賓館1 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 アプローチ

 京都迎賓館(きょうとげいひんかん、Kyoto State Guest House)は、京都市内の京都御苑内東北部にあり、元赤坂の迎賓館赤坂離宮とともに、日本の迎賓館として国の体面を保つ施設です。
 迎賓館は、外国の国家元首や政府の長などの国賓を迎え入れた時に、会食や宿泊等の接遇を行う施設です。

 京都迎賓館は、2005年(平成17年)4月17日に開館しました。「日本の伝統技能の粋を集めた最高のおもてなしの場」と評され、日本の歴史、文化を象徴する京都で、賓客を迎えいれ、日本への理解と友好を深める施設といえます。
 建物は、洋風の赤坂迎賓館とは対照的な和風建築として設計されています。南側を「表」(公の場)、北を「奥」(私的施設)と位置付け、建物の南半分には会議・会談、晩餐、和風会食、管理等の施設が、北半分には賓客の居住・宿泊のための施設が配置されています。
 歴史的景観や周辺の自然環境との調和を図るため、日本の伝統的な住居である入母屋(いりもや)屋根と数寄屋(すきや)造りの外観です。
 「行の庭」と命名された池の周囲に、聚楽の間、夕映えの間、藤の間、桐の間、滝の澗、貴船の間、水明の間や宿泊エリアがあります。
  所在地    京都府京都市上京区京都御苑23
  敷地面積    約2万140平方メートル
  本館構造    鉄筋コンクリート造、地上1階(地下1階)
  延床面積    約1万6000平方メートル


 庭園は、仁和寺・御室御所の御用庭師だった佐野藤右衛門氏が携わっています。庭園の大滝を手掛けたのは、イサム・ノグチ氏の共同制作者でもあった石彫家・和泉正敏氏です。

 玄関前の「真の庭」、館内の中央「行の庭」、賓客宿泊室に面する「草の庭」の3面で構成されています。
 「庭屋一如(ていおくいちにょ)」の現代和風の庭園として、尼崎博正氏の監修により、佐野藤右衛門氏を棟梁とする京都の庭師らにより作られました。
 庭屋一如とは、「庭と建物は一つの如し」という意味です。庭と建物が融合し、自然と調和する境地、庭と建物の調和がとれた生活空間、引いては環境と共生する建物を指します。
 古くから日本の住まいには庭園や坪庭があり、「自然と人は分かち難く、つながっている」という日本人の心情があらわれています。(「庭屋一如」の説明はhttps://shichusankyo.com/theme/garden/をもとに作成)

 長年希望していたものの、なかなか予約が取れませんでした京都迎賓館を訪れるチャンスが偶然のタイミングでやってきました。
 一名の予約キャンセルがあると、迎賓館横の休憩所で、係の人から声をかけられたのです。
 日本の匠の技の結集である京都迎賓館は、想定以上に感動しました。

 建物や調度品には、数寄屋大工、左官、作庭、截金(きりかね)、西陣織や蒔絵(まきえ)、漆など、数多くの京都を代表する伝統技能が活かされ、それを処々で感じ取れます。

 

■ アクセス

 京都市営地下鉄今出川駅より徒歩10分

 見学料: 2,000円
 事前予約制
 空きがあると当日受付もあります
 

京都迎賓館通用口前から見た表

京都迎賓館前庭

前庭には御影石が敷き詰められ重厚さを感じました

京都迎賓館正面玄関

政府及び京都迎賓館の紋である五七の桐が

入母屋造りの屋根の中央に飾られています

正面玄関のドア

檜の柾目材でできたドア

渋みの利いたドア取っ手

正面玄関車寄せの天井は舟形

玄関越しに見る正面門

寺院を連想させる正面門

 

京都迎賓館1 アプローチ         

 

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【カシャリ!ひとり旅】 京都 天橋立 白砂青松 日本三景のひとつ

2022-07-21 13:31:48 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!ひとり旅】 京都 天橋立 白砂青松 日本三景のひとつ

 

 

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

 

■■ 京都 天橋立 白砂青松 日本三景のひとつ 

 


 天橋立は、京都府北部、日本海の宮津湾に面していて、陸奥の『松島』、安芸の『宮島』とともに、日本三景の一つに数えられています。

 全長約3.6kmにわたる砂州に、約5000本もの松が生い茂る珍しい地形をしています。日本の白砂青松百選や日本の渚百選をはじめ、多数の代表的な景観にも選ばれています。

 何千年もの歳月をかけて、自然がつくりだした神秘の造形で、砂州の狭いところは、幅が約20メートルのところもあります。最も広いところは、170mあります。

 天橋立から、一宮地区まで、細長く伸びていて、上から見ますと龍が天に登る姿に見えるといいます。

 一時間ほどの散策の間に、見どころが多数あり、私は、普通の人の2~3倍も時間がかかりました。
 

 

 

 

■ アクセス

 

高速バス

 京都駅C2乗り場から高速バスで2時間強

 

JR

 各地 - 京都 <山陰本線> 福知山 <丹後鉄道> 宮津 - 天橋立
 各地 - 京都 <特急あまのはしだて 2時間強> 天橋立
 

 

 

 

股のぞき

 

 

 

 

天橋立の紹介 https://youtu.be/DRdt__LiMGc
天橋立旋回橋 https://youtu.be/k231c--XGlU
天橋立大天橋 https://youtu.be/uusNGaMuWN4
天橋立松と碑 https://youtu.be/GErHrkLQS5o
天橋立・橋立神社と磯清水 https://youtu.be/HFVuH_K-LYI
天橋立白砂青松と舟屋 https://youtu.be/1JllCe7i3mg
天橋立・コハクチョウ飛来地 https://youtu.be/qkZhqLuvzqU
天橋立の遊覧船に乗る https://youtu.be/syeWiLRCk4U
天橋立ビューランド https://youtu.be/Vc9kdnPUdfs
天橋立・傘松公園  
天橋立・成相寺  
天橋立・成相寺  
天橋立・一宮府中地区・元伊勢籠神社  
天橋立・一宮府中地区・大谷寺  
天橋立・一宮府中地区・真名井神社  
天橋立・一宮府中地区・千体地蔵  
天橋立・知恩寺  



 



【 注 】 準備できたところからアップロードして行きます。



 



 





  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm



 



 





  ■ カシャリ! ひとり旅




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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■【カシャリ!ひとり旅】 京都 洛北 大原散策と後鳥羽天皇大原陵 

2022-03-25 13:33:16 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

■【カシャリ!ひとり旅】 京都 洛北 大原散策と後鳥羽天皇大原陵  

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 京都 大原 のどかに広がる田んほとシソ畑と草生川

 

 大原(おおはら)は、京都府京都市左京区北東部にある地名で、比叡山の北西麓、高野川上流部にあります。大原は四方を山に囲まれていて、高野川に沿って若狭街道が通っています。

 

 大原という地名は、すでに平安期から見られ、平安時代初期に慈覚大師円仁が修練道場として開山した大原寺(だいげんじ、勝林院と来迎院の総称)に由来するといわれています。かつて大原村は、山城国愛宕郡に属し、南隣の八瀬と併せて「八瀬大原」と称されました。古くは「おはら」と読まれ、「小原」と表記されたこともあります。

 

 大原は、「天台声明が響く」といわれ、三千院や寂光院など、比叡山の影響もあり天台宗系の山寺があります。そこをめざして、ひなびた畑道を歩くことを楽しみにしている人が集うところでもあります。

 

 「大原女(おおはらめ)」も有名で、「小原女」とも書きます。山城国大原で、女性が薪・木炭・柴を頭に載せて都まで売りに出かけました。魅力的な出で立ちは、寂光院に隠棲していた平徳子(建礼門院)に仕えた阿波内侍が山仕事をした時の衣装を模したといわれています。

 


 大原行きのバス終点で下車します。「おつう」の昔話のある、京都西北部大原の西に、のどかに広がる田んほと、柴漬けに欠かせないシソの畑があります。

 

 私が再び寂光院を訪れたのは、管主の寂聴さんが亡くなる10日ほど前のことです。

 

■ 洛北 らくほく

 洛北とは、大まかには京都の北の郊外を指します。京都市街地の北部から北山までの一帯のことですが、その範囲は明確なものではありません。

 

 一般には、北大路以北の修学院,上賀茂,鷹ヶ峰,岩倉,八瀬,大原,鞍馬,比叡山などをさすことが多いようです。

 今日では、近郊農村から市街地化してきていて住宅地区に変貌しています。

 

■ アクセス

 

 京都駅からは、京都バス17番ルートに乗りますと1時間強で終点大原バス停に着きます。地下鉄で国際会議場まで行き、そこからバスに乗りますと、京都市街地の道路混雑による渋滞でイライラせずに行くことができます。
 

 

■【カシャリ!ひとり旅】 京都 洛北 大原散策と後鳥羽天皇大原陵  

 

 

私は、京都駅からバスで、終点大原バス停のひとつ手前の梅の宮前バス停で下車しました。

バス停で降りると、進行方向左手に早生川が流れ、その先には田園風景が見渡せます。

 

■■ 三千院周辺の散策 ■■

 

 

 

 

バス停から、参道を登ってゆきますと道が三方に分かれます。

直進すると来迎院や浄蓮華院等に行くことができます。

 

右に行きますと樹齢700年の五葉の松と「額縁の庭園」があru念仏寺に至ります。

時間の関係で今回は念仏寺の参詣は断念しました。

 

 

私は、左手方向に進んで

今回は、三千院の前を素通りして、

後鳥羽天皇陵・実光院・宝泉院・勝林院に行くことにしました。

 

 

三千院への石段の登り口右側に小さな石像が配されていました。

 

 

三千院手前の石段を登りますと

そこには漬物屋さんやお食事処のお店が数軒並んでいます。

右手の高い所に三千院があります。

 

 

藪がどこにあったのか、私にはわかりませんでした。

多分、茶店のならびに立つ、立て看板のあたりなのでしょう。

 

 

律川にかかる赤い橋は茅穂橋

 

 

早生川に注ぎ込む律川は、

上流には音無の滝があります。

 

 

■■ 後鳥羽天皇・順徳天皇大原陵 ■■

 

 

橋を渡り、小径を下りきったあたりに、次の目的地があります。

 

 

小径の右のやや小高いところに

後鳥羽天皇大原陵と順徳天皇大原陵があります。

その向かい側(小径左側)には

三十六歌仙の客殿がある実光院です。

 

 

石段を十段ほど上がりますと

大原陵への道が続きます。

 

 

右手に手水鉢が配されています。

 

 

右に折れると正面に陵があります。

シーンと静まりかえった、重みのある雰囲気です。

 

 

 

後鳥羽天皇大原陵石碑

 

 

順徳天皇大原陵石碑

 

お詣りを済ませて、その向かいにあります実光院へ足を運びました。

 

 

 

 

 

天橋立の紹介 https://youtu.be/DRdt__LiMGc
天橋立旋回橋 https://youtu.be/k231c--XGlU
天橋立大天橋 https://youtu.be/uusNGaMuWN4
天橋立松と碑 https://youtu.be/GErHrkLQS5o
天橋立・橋立神社と磯清水 https://youtu.be/HFVuH_K-LYI
天橋立白砂青松と舟屋 https://youtu.be/1JllCe7i3mg
天橋立・コハクチョウ飛来地 https://youtu.be/qkZhqLuvzqU
天橋立の遊覧船に乗る https://youtu.be/syeWiLRCk4U
天橋立ビューランド https://youtu.be/Vc9kdnPUdfs

 

 

 

■ カシャリ! ひとり旅

 


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■【カシャリ!ひとり旅】 京都 洛北 大原散策と大原女の小径 

2022-03-22 14:20:46 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!ひとり旅】 京都 洛北 大原散策と大原女の小径  

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 京都 大原 のどかに広がる田んほとシソ畑と草生川

 

 大原(おおはら)は、京都府京都市左京区北東部にある地名で、比叡山の北西麓、高野川上流部にあります。大原は四方を山に囲まれていて、高野川に沿って若狭街道が通っています。

 

 大原という地名は、すでに平安期から見られ、平安時代初期に慈覚大師円仁が修練道場として開山した大原寺(だいげんじ、勝林院と来迎院の総称)に由来するといわれています。かつて大原村は、山城国愛宕郡に属し、南隣の八瀬と併せて「八瀬大原」と称されました。古くは「おはら」と読まれ、「小原」と表記されたこともあります。

 

 大原は、「天台声明が響く」といわれ、三千院や寂光院など、比叡山の影響もあり天台宗系の山寺があります。そこをめざして、ひなびた畑道を歩くことを楽しみにしている人が集うところでもあります。

 

 「大原女(おおはらめ)」も有名で、「小原女」とも書きます。山城国大原で、女性が薪・木炭・柴を頭に載せて都まで売りに出かけました。魅力的な出で立ちは、寂光院に隠棲していた平徳子(建礼門院)に仕えた阿波内侍が山仕事をした時の衣装を模したといわれています。

 


 大原行きのバス終点で下車します。「おつう」の昔話のある、京都西北部大原の西に、のどかに広がる田んほと、柴漬けに欠かせないシソの畑があります。

 

 私が再び寂光院を訪れたのは、管主の寂聴さんが亡くなる10日ほど前のことです。

 

■ 洛北 らくほく

 洛北とは、大まかには京都の北の郊外を指します。京都市街地の北部から北山までの一帯のことですが、その範囲は明確なものではありません。

 

 一般には、北大路以北の修学院,上賀茂,鷹ヶ峰,岩倉,八瀬,大原,鞍馬,比叡山などをさすことが多いようです。

 今日では、近郊農村から市街地化してきていて住宅地区に変貌しています。

 

■ アクセス

 

 京都駅からは、京都バス17番ルートに乗りますと1時間強で終点大原バス停に着きます。地下鉄で国際会議場まで行き、そこからバスに乗りますと、京都市街地の道路混雑による渋滞でイライラせずに行くことができます。
 

 

■【カシャリ!ひとり旅】 京都 洛北 大原散策と大原女の小径  

 

 

私は、京都駅からバスで、終点大原バス停のひとつ手前の梅の宮前バス停で下車しました。

バス停で降りると、進行方向左手に早生川が流れ、その先には田園風景が見渡せます。

 

■■ 大原女の小径 ■■

 

大原バス停から道を渡って続く参道を「大原女の小径(おはらめのこみち)」といいます。

 

 

小径の両側、建物の影に何気なくたたずんでいますので、

見落としてしまいそうです。

最初は、石灯籠に目が行ってカシャリとしたのですが、

燈籠の向かって左に可愛い石像を見つけました。

それからは道の両端にも注意して歩くようにしました。

 

 

石像は、可愛いかおをしたお地蔵さんです。

 

 

おかっぱ頭の髪形が

やや上向きの顔を引き立てています。

 

 

寝そべった姿には、つい、こちらの顔がほころんでしまいます。

 

 

大原女の製造かと思いきやちょっと異なった雰囲気です。

 

 

漬物屋さんの樽の前にも、きゃらぶきの中に立っています。

漬物に使う何かでしょうか、備えられていました。

 

 

 

参道のお土産屋さんのそばにも見つけました。

 

 

最後に見つけたのは、三千院への参道登り口の階段下にある

正座した、おかっぱ頭の石像です。

 

石段を登って、三千院を右手に見ながら

律川にかかる朱色の橋の方向に進みました。

 

 

このあとは、「大原散策と後鳥羽天皇大原陵」に

続きますので、是非、この続きもお楽しみ下さい。

 

 

 

 

天橋立の紹介 https://youtu.be/DRdt__LiMGc
天橋立旋回橋 https://youtu.be/k231c--XGlU
天橋立大天橋 https://youtu.be/uusNGaMuWN4
天橋立松と碑 https://youtu.be/GErHrkLQS5o
天橋立・橋立神社と磯清水 https://youtu.be/HFVuH_K-LYI
天橋立白砂青松と舟屋 https://youtu.be/1JllCe7i3mg
天橋立・コハクチョウ飛来地 https://youtu.be/qkZhqLuvzqU
天橋立の遊覧船に乗る https://youtu.be/syeWiLRCk4U
天橋立ビューランド https://youtu.be/Vc9kdnPUdfs

 

 

 

■ カシャリ! ひとり旅

 


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■【カシャリ!ひとり旅】 京都 洛北 大原を散策する 

2022-03-20 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

■【カシャリ!ひとり旅】 京都 洛北 大原を散策する  

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 京都 大原 のどかに広がる田んほとシソ畑と草生川

 

 大原(おおはら)は、京都府京都市左京区北東部にある地名で、比叡山の北西麓、高野川上流部にあります。大原は四方を山に囲まれていて、高野川に沿って若狭街道が通っています。

 

 大原という地名は、すでに平安期から見られ、平安時代初期に慈覚大師円仁が修練道場として開山した大原寺(だいげんじ、勝林院と来迎院の総称)に由来するといわれています。かつて大原村は、山城国愛宕郡に属し、南隣の八瀬と併せて「八瀬大原」と称されました。古くは「おはら」と読まれ、「小原」と表記されたこともあります。

 

 大原は、「天台声明が響く」といわれ、三千院や寂光院など、比叡山の影響もあり天台宗系の山寺があります。そこをめざして、ひなびた畑道を歩くことを楽しみにしている人が集うところでもあります。

 

 「大原女(おおはらめ)」も有名で、「小原女」とも書きます。山城国大原で、女性が薪・木炭・柴を頭に載せて都まで売りに出かけました。魅力的な出で立ちは、寂光院に隠棲していた平徳子(建礼門院)に仕えた阿波内侍が山仕事をした時の衣装を模したといわれています。

 


 大原行きのバス終点で下車します。「おつう」の昔話のある、京都西北部大原の西に、のどかに広がる田んほと、柴漬けに欠かせないシソの畑があります。

 

 私が再び寂光院を訪れたのは、管主の寂聴さんが亡くなる10日ほど前のことです。

 

■ 洛北 らくほく

 洛北とは、大まかには京都の北の郊外を指します。京都市街地の北部から北山までの一帯のことですが、その範囲は明確なものではありません。

 

 一般には、北大路以北の修学院,上賀茂,鷹ヶ峰,岩倉,八瀬,大原,鞍馬,比叡山などをさすことが多いようです。

 今日では、近郊農村から市街地化してきていて住宅地区に変貌しています。

 

■ アクセス

 

 京都駅からは、京都バス17番ルートに乗りますと1時間強で終点大原バス停に着きます。地下鉄で国際会議場まで行き、そこからバスに乗りますと、京都市街地の道路混雑による渋滞でイライラせずに行くことができます。
 

 

■【カシャリ!ひとり旅】 京都 洛北 大原を散策する  

 

 

私は、京都駅からバスで、終点大原バス停のひとつ手前の梅の宮前バス停で下車しました。

バス停で降りると、進行方向左手に早生川が流れ、その先には田園風景が見渡せます。

 

■■ 寂光院への道 ■■

 

 

建礼門院や寂聴さんで知られる寂光院に向かって

シソ畑などを見ながらゆったりと旅を味わいました。

 

 

 

知名度の高い寂光院ですが、本堂はこじんまりとしていました。

お抹茶をいただき、建礼門院徳子がどの様な気持ちで、

この地で余生を送ったのかを想像してみました。

もちろん、安徳天皇を守れなかった彼女の複雑な気持ちが

理解できるわけではありません。

 

建礼門院徳子の庵跡前に立つお地蔵様

 

■■ 三千院の参道 ■■

 

寂光院に来た道を戻り、大原バス停に出ました。

 

 

大原バス停からは、大原を代表する三千院までは徒歩で10分ほどです。

 

 

 

律川沿いに続く、参道坂道をゆったりと登ってゆきます。

「大原女の小径」という可愛い名前が付いています。

道端には、小さな石像(左)がところどころにたっています。

 

 

 

 

参道沿いにお土産屋さんが並んでいます。

しば漬けなど、漬物を売っているお店が多いようです。

 

 

途中に、しばの畑があります。

 

 

 

樹齢250年という大椿は、

満開になると見事なものだそうです。

 

 

椿の季節ではないので、咲いてはいませんでした。

 

 

バス停から、参道を登ってゆきますと道が三方に分かれます。

直進すると来迎院や浄蓮華院等に行くことができます。

 

 

右に行きますと念仏寺に至ります。

時間の関係で今回は念仏寺の参詣は断念しました。

 

念仏には、樹齢700年の五葉の松と「額縁の庭園」があり、

是非参詣したいお寺さんのひとつです。

ここでは、水琴窟の音色に耳を傾けながら、

一服のお茶をいただくことができると聴いています。

 

私は、左手方向に進んで

今回は、三千院の前を素通りして、

後鳥羽天皇陵・実光院・宝泉院・勝林院に行くことにしました。

 

 

 

 

 

天橋立の紹介 https://youtu.be/DRdt__LiMGc
天橋立旋回橋 https://youtu.be/k231c--XGlU
天橋立大天橋 https://youtu.be/uusNGaMuWN4
天橋立松と碑 https://youtu.be/GErHrkLQS5o
天橋立・橋立神社と磯清水 https://youtu.be/HFVuH_K-LYI
天橋立白砂青松と舟屋 https://youtu.be/1JllCe7i3mg
天橋立・コハクチョウ飛来地 https://youtu.be/qkZhqLuvzqU
天橋立の遊覧船に乗る https://youtu.be/syeWiLRCk4U
天橋立ビューランド https://youtu.be/Vc9kdnPUdfs

 

 

 

■ カシャリ! ひとり旅

 


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■【カシャリ!ひとり旅】 京都 大原 魚山 浄蓮華院 声明発祥の地のある宿坊 

2022-03-18 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

■【カシャリ!ひとり旅】 京都 大原 魚山 浄蓮華院 声明発祥の地のある宿坊 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 京都 大原 のどかに広がる田んほとシソ畑と草生川

 

 大原(おおはら)は、京都府京都市左京区北東部にある地名で、比叡山の北西麓、高野川上流部にあります。大原は四方を山に囲まれていて、高野川に沿って若狭街道が通っています。

 

 大原という地名は、すでに平安期から見られ、平安時代初期に慈覚大師円仁が修練道場として開山した大原寺(だいげんじ、勝林院と来迎院の総称)に由来するといわれています。かつて大原村は、山城国愛宕郡に属し、南隣の八瀬と併せて「八瀬大原」と称されました。古くは「おはら」と読まれ、「小原」と表記されたこともあります。

 

 大原は、「天台声明が響く」といわれ、三千院や寂光院など、比叡山の影響もあり天台宗系の山寺があります。そこをめざして、ひなびた畑道を歩くことを楽しみにしている人が集うところでもあります。

 

 「大原女(おおはらめ)」も有名で、「小原女」とも書きます。山城国大原で、女性が薪・木炭・柴を頭に載せて都まで売りに出かけました。魅力的な出で立ちは、寂光院に隠棲していた平徳子(建礼門院)に仕えた阿波内侍が山仕事をした時の衣装を模したといわれています。

 


 大原行きのバス終点か、ひとつ手前の梅の宮前バス停で下車します。「おつう」の昔話のある、京都西北部大原の西に、のどかに広がる田んほと、柴漬けに欠かせないシソの畑があります。

 

 のんびりと、その中を進んで行きますと、草生川の上流にあるのが寂光院です。私が再び寂光院を訪れたのは、管主の寂聴さんが亡くなる10日ほど前のことです。

 

 ここは、聖徳太子の創建と伝わっていますし、建礼門院が余生を過ごした古刹でもあります。


 寂光院へは、京都駅または地下鉄国際会館駅から大原行きのバスに乗ってゆくのが一般的です。

 大原行きのバス終点か、ひとつ手前の梅の宮前バス停で下車します。「おつう」の昔話のある、京都西北部大原の西に、のどかに広がる田圃と、柴漬けに欠かせないシソの畑があります。

 

■【カシャリ!ひとり旅】 京都 大原 魚山 浄蓮華院 声明発祥の地のある宿坊 

            https://kyoto-ohara-kankouhosyoukai.net/detail/5563/

 

浄蓮華院 じょうれんげいん
    https://kyoto-ohara-kankouhosyoukai.net/detail/5563/

 天台宗魚山浄蓮華院は、三千院の裏手に位置し、来迎院や音無の滝に行く手前になります。

 バラモン教から伝わり、日本の佛教音楽の元となった声明(しょうみょう)の発祥の地といわれています。

 宿坊でもあり、予約をしますと宿泊が可能です。

■ アクセス 
 
【所在地】     〒601-1242 京都市左京区大原来迎院町407
【電話番号】   075-744-2408(外国語対応:不可)
 

■ 天台声明 てんだいしょうみょう

 

 声明(しょうみょう)とは、法要の中で経典を歌のように唱える宗教音楽で、インドから中国を経て日本に伝えられました。

 天台宗に伝わる声明の系譜は、平安時代に円仁が中国から比叡山へと声明を伝えたことから始まります。そして円仁の系譜に連なる寂源が勝林院を、ついで良忍が来迎院を建立しますと、大原寺は声明を研究伝承する一大拠点として発展していきます。

 大原寺の住職たちは、宗派を超えて声明の伝授をおこなったため、浄土宗や浄土真宗などの声明は、大原の天台声明の流れをくんだものです。

 また声明は、のちの時代に謡曲や浄瑠璃などの古典邦楽に対して大きな影響を与えたことが知られています。つまり魚山大原寺は、古典邦楽の聖地と言い換えることもできるでしょう。
 

 

■■ 浄蓮華院への道 ■■

 

  私が訪れたのは、初秋で、紅葉にはやや早い時期でした。

 三千院を左に見ながらまっすぐにあがって行きますと、左手に、三千院の裏門を過ぎると浄蓮華院が見えてきます。

 

 時間がなくて、三門を訪れただけです。

 

左手が三千院

 

三千院の参道方向に登らず

道をまっすぐに登って行きますと

三千院の裏門が見えてきます。

 

裏門といいましても立派な朱色のもんです。

平素は、クローズしているようです。

 

■■ 浄蓮華院 ■■

 

 

 

 

 

 

 

天橋立の紹介 https://youtu.be/DRdt__LiMGc
天橋立旋回橋 https://youtu.be/k231c--XGlU
天橋立大天橋 https://youtu.be/uusNGaMuWN4
天橋立松と碑 https://youtu.be/GErHrkLQS5o
天橋立・橋立神社と磯清水 https://youtu.be/HFVuH_K-LYI
天橋立白砂青松と舟屋 https://youtu.be/1JllCe7i3mg
天橋立・コハクチョウ飛来地 https://youtu.be/qkZhqLuvzqU
天橋立の遊覧船に乗る https://youtu.be/syeWiLRCk4U
天橋立ビューランド https://youtu.be/Vc9kdnPUdfs

 

 

 

■ カシャリ! ひとり旅

 


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