経営コンサルタントへの道

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■【きょうの人】 1016 ■ 伊藤 博文 千円札の肖像画でおなじみ ■ 阿部 正弘 安政の改革 ■田中 久重 「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」、東芝の創業者

2023-10-16 06:33:00 | 【話材】 きょうの人10月

 

  【きょうの人】 1016 ■ 伊藤 博文 千円札の肖像画でおなじみ ■ 阿部 正弘 安政の改革 ■田中 久重 「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」、東芝の創業者

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 伊藤 博文 千円札の肖像画でおなじみ


 いとう ひろぶみ
 1841年10月16日〈天保12年9月2日〉- 1909年〈明治42年〉10月26日


 旧千円札の肖像画でおなじみですが、長州藩の武士で、明治政府の政治家として活躍、従一位大勲位公爵を賜っています。諱は、博文(ひろぶみ、「ハクブン」)で、号は春畝(しゅんぽ)でした。貧しい農村に生まれ、幼名は利助(りすけ)でした。

 松下村塾の門弟となり、後に吉田松陰から俊英の俊を与えられ、「俊輔(しゅんすけ)」となり、さらに「春輔」と改名しました。

 幕末期の尊王攘夷・倒幕運動に参加しました。「長州ファイブ」の一人として、長州藩の公金を、半ば横領に近い形で利用して、仲間4人と共にイギリスに留学し、土木学など、実利的な学問を学びました。

 その最中に、下関戦争が勃発、急遽帰国して戦後処理に奔走しました。

 それらの実績が評価され薩長の藩閥政権内で力を伸ばし、岩倉使節団の副使を務めるなど、頭角を現しました。帰国後は、参議兼工部卿、初代兵庫県知事(官選)を務め、大日本帝国憲法の起草の中心人物となりました。

 初代内閣総理大臣になったことはよく知られていますが、その後も何回か総理大臣を務めています。
 立憲政友会を結成し、初代総裁となり、外交では日清戦争の勝利に伴う日清講和条約の起草・調印などのメンバーにもなっています。

 1909年、ハルビン駅で、朝鮮民族主義活動家の朝鮮人・安重根に暗殺され、女性問題が多かったり、死後、渋沢栄一によって幕末時の暗殺稼業が暴露されたりと、波瀾万丈の人生でもありました。


 伊藤博文は、松下村塾では、劣等生だったようです。しかし、「人の話を聴く」という点では、すばらしいものがあり、情報収集力に長じるようになったそうです。それを武器に、人脈作りの達人にもなりました。

 彼は、自分と意見を異にする人とも、人間関係を維持し、それらの人を通して、異なったモノの見方を学んだようです。彼が、総理大臣を務めたときには、自分の政敵ともいえる人達を大臣に登用するなど、人の使い方もうまかったのでしょうね。

 

■ 田中 久重 「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」、東芝の創業者

 たなか ひさしげ
 寛政11年9月18日(1799年10月16日)-明治14年(1881年)11月7日

 江戸時代後期から明治にかけての発明家。「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれました。芝浦製作所(後の東芝の重電部門)の創業者。

 江戸末期・寛政の頃、久留米の鼈甲細工師・田中弥右衛門の長男として生まれ、幼名は儀右衛門でした。

 幼い頃から才能を発揮し、五穀神社(久留米市通外町)の祭礼では当時流行していたからくり人形の新しい仕掛けを次々と考案して大評判となり、「からくり儀右衛門」と呼ばれるようになりました。

 「弓曳童子」と「文字書き人形」は、その代表作で、からくり人形の最高傑作といわれています。折りたたみ式の「懐中燭台」、圧縮空気により灯油を補給する灯明の「無尽灯」などは、既述のからくり人形と共に、二十歳代の作品です。

 天文、蘭学などを学ぶうちに、季節によって昼夜における時間の長さの違う不定時法に対応した万年時計こと万年自鳴鐘(和時計)を製作したことは、彼の非凡さを語る最大のものといえます。

 日本初の蒸気機関車及び蒸気船の模型製造、反射炉の設計(改築)、大砲製造など、広範囲にわたる功績は、今日の東芝の起業に繋がったようです。

 発明の数だけではなく、広範囲さから「東洋のエジソン」といわれるのは、至極当然といえます。

 

■ 阿部 正弘 安政の改革


 あべ まさひろ
 文政2年10月16日(1819年12月3日)- 安政4年6月17日(1857年8月6日)


 江戸時代末期の備後福山藩第7代藩主で、江戸幕府の老中首座を務め、幕末の動乱期にあって安政の改革を断行しました。

 天保15年(1844年)5月に江戸城本丸焼失事件が起こり、さらに外国問題の紛糾などから水野忠邦が老中首座に復帰することになりました。

 しかし正弘は、一度罷免された水野が復帰することに反対し、家慶に対して将軍の権威と沽券を傷つけるものだと諫言したといわれます。

 水野が復帰しますと、天保改革時代に不正などを行っていた町奉行鳥居忠耀や後藤三右衛門、渋川敬直らを処分し、さらに弘化2年(1845年)9月には老中首座であった水野忠邦をも天保の改革の際の不正を理由にその地位から追い、代わって老中首座となりました。

 また、薩摩藩の島津斉彬や水戸藩の徳川斉昭など諸大名から幅広く意見を求め大胆な人材登用を行いました。

 ペリーの再来により、日米和親条約を締結させることになり、約200年間続いた鎖国政策は終わりを告げさせることになります。

 開国派であった井伊直弼らと反りが合わず、開国派の堀田正睦を老中に起用して老中首座を譲り、両派の融和を図りました。
 

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■【きょうの人】 1015 ■ 新渡戸稲造 五千円札で知られる国際通 ■ 良源(元三大師) 比叡山延暦寺の中興の祖 ■ ニーチェ 実存主義の代表的な思想家

2023-10-15 06:33:00 | 【話材】 きょうの人10月

 

  【きょうの人】 1015 ■ 新渡戸稲造 五千円札で知られる国際通 ■ 良源(元三大師) 比叡山延暦寺の中興の祖 ■ ニーチェ 実存主義の代表的な思想家

 

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 良源(元三大師) 比叡山延暦寺の中興の祖


 りょうげん
 延喜12年9月3日(912年10月15日) - 永観3年1月3日(985年1月26日)


 平安時代の天台宗の僧で、近江に生まれ、諡号は「慈恵(じえ)」、一般には通称の「元三大師(がんざんだいし)」の名で知られています。


 12歳で、比叡山の登り、理仙、相応に師事しまし、康保3年に、第18代天台座主(天台宗の最高の位)であり、比叡山延暦寺の中興の祖として知られています。

 比叡山の横川(よかわ)には、元三大師堂がありますが、東西両塔と鼎立させる盛況を呈しています。

  比叡山の写真
  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/kyoto/kyoto_hieizan.htm

 また、中世以降は民間において「厄除け大師」など独特の信仰を集めています。


 良源というより元三大師と呼ばれるほど、比叡山での功績が認められているいます。

 良源と対比できることではありませんが、私事で恐縮ですが、「コンサルタントのためのコンサルタント」と呼ばれます。何ごとも、石の上に三年で、見る人は、それなりに評価をしてくれるものですね

 

■ 新渡戸稲造 五千円札で知られる国際通


 にとべ いなぞう
 1862年9月1日(文久2年8月8日)- 1933年(昭和8年)10月15日)


 日本の教育者・思想家で、農業経済学・農学の研究も行い、国際連盟事務次長も務めるほどの国際通の文化人でもありました。五千円札の肖像でもおなじみです。

 幼名・稲之助は、新渡戸家で巡行中に休息していた明治天皇から「父祖伝来の生業を継ぎ農業に勤しむべし」という主旨の言葉をかけられたことが契機となり、農学を志すようになり、札幌農学校の二期生として入学しました。

 当時はクラーク博士は帰国後でしたが、クラークの意志をたたき込まれました。それが契機で、ジョンズ・ホプキンス大学に留学、農業に経済学的な発想の必要性を痛感し、後に札幌農学校で教鞭を執ることに繋がります。

 農学校時代の愛弟子である森本厚吉が創立した東京女子経済専門学校(後の新渡戸文化短期大学)の初代校長にまた、東京女子大学初代学長をつとめるなど、教育界でも功績があります。

 

■ ニーチェ 実存主義の代表的な思想家


 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche)
 1844年10月15日-1900年8月25日


 ドイツ連邦・プロイセン王国出身の哲学者ですが、古典文献学者としての功績も見逃せません。実存主義の代表的な思想家の一人として知られ、私が学生の頃には、友人とのディスカッションには欠かせない人であり、知識でもありました。

 古典文献学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュルに才能を見出され、スイスのバーゼル大学古典文献学教授となりました。プロイセン国籍を離脱し、無国籍者となりました。

 同大学を辞職した後、在野の哲学者として、その分野で多くの影響を後世にのこチームマネジメント下。難しいことを、巧みな散文的表現によって文学的価値も高く、だれにでもわかりやすくしていることも、ニーチェ・ファンが多い理由なのかも知れません。


 彼の研究分野は広く、【Wikipedia】によりますと「美学、倫理学、形而上学、ニヒリズム、心理学、存在論、詩、価値の理論、悲劇、無神論、主意主義、事実と価値の区別、反基礎付け主義、歴史哲学」となっています。

 その主な概念として、『アポロとディオニュソス、超人、ルサンチマン、力への意志、「神は死んだ」、永劫回帰、運命愛Amor fati、畜群、チャンダラ、「最後の人間」、遠近法主義、君主-奴隷道徳、価値の再評価、肯定』と、私の知識を超える言葉が列挙されていますので、そのまま掲載しました。

 

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■【きょうの人】 1014 幡随意上人 家康の銘で諸事を開創

2023-10-14 06:33:00 | 【話材】 きょうの人10月

 

  【きょうの人】 1014 幡随意上人 家康の銘で諸事を開創

 

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 幡随意上人 家康の銘で諸事を開創


 ばんずいい
 天文11年10月15日(1542年11月21日)- 慶長20年1月5日(1615年2月2日))


 戦国時代から江戸時代初期にかけての浄土宗の学僧で、紀伊(相模国という説もあり)の出身です。号は「白道演蓮社智誉(向阿)」

 9歳の頃から出家の志があり、11歳の歳には玉縄二伝寺(藤沢市所在)で出家し、幡随意と号しました。

 その後、鎌倉の光明寺で浄土教学を修め、武蔵国川越の蓮馨寺(れんけいじ)の存貞にも学びました。

 慶長6年(1601年)、徳川家康の命により江戸で浄土宗法論の奉行役を務め、翌・慶長7年(1602年)に京都百万遍知恩寺の33世住持となります。

 慶長8年1603年には、ふたたび家康によって招聘され、江戸神田駿河台に新知恩寺(のちの関東十八檀林の一つ幡随院)を開創しました。後に上州館林に善導寺を開き、中興開山となりました。

 慶長18年(1613年)徳川家康の命により九州に下り、キリシタンの改宗に力を尽くしました。和歌山の万性寺を開創後、慶長20年に入寂、74歳でした。(【Wikipedia】を基に作成)

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■【きょうの人】 1013 日蓮聖人 日蓮宗(法華宗)の宗祖 名著「立正安国論」

2023-10-13 06:33:00 | 【話材】 きょうの人10月

 

  【きょうの人】 1013 日蓮聖人 日蓮宗(法華宗)の宗祖 名著「立正安国論」

 

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■ 日蓮聖人 日蓮宗(法華宗)の宗祖


 日蓮(にちれん、貞応元年(1222年)2月16日-弘安5年(1282年)10月13日)は、鎌倉仏教のひとつである日蓮宗(法華宗)の宗祖です。滅後に皇室から日蓮大菩薩(後光厳天皇、1358年)と立正大師(大正天皇、1922年)の諡号を追贈されています。

 十二歳で出家し、各地を遊学しました。法華経の神髄を把握して、日蓮宗を開き、解いて回りました。

 しかし、他宗派を強烈に批判し、排除するなど宗教家として過激な面があります。鎌倉時代執権北条時頼の逆鱗に触れ、文永8年に佐渡に凪がされます。

 堂1年には許されて鎌倉に戻りますが、白布には入れられませんでした。

 身延山に隠棲し、子弟の教育や著述に励み、自身滅罪の生活を送ったと言われます。代表的な著書に「立正安国論」があります。

 

◇ 立正安国論

 日蓮が文応元年(1260年)7月16日に北条時頼に提出した文書が立正安国論です。

 日蓮は、相次ぐ災害の原因は人々が正法である法華経を信じずに浄土宗などの邪法を信じていることにあると主張しました。

 対立宗派を非難し、このまま浄土宗などを放置すれば国内では内乱が起こり外国からは侵略を受けると唱えました。逆に正法である法華経を中心とすれば(「立正」)国家も国民も安泰となる(「安国」)と主張した書物です。

 

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■【きょうの人】 1012 覚心(法灯国師・心地覚心) 臨済宗法燈派本山由良興国寺(昔は西方寺という)開山

2023-10-12 06:33:00 | 【話材】 きょうの人10月

 

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■  覚心(法灯国師・心地覚心) 臨済宗法燈派本山由良興国寺(昔は西方寺という)開山

 

 しんち かくしん
 承元元年(1207年)- 永仁6年10月13日(1298年11月18日)


 鎌倉時代の臨済宗の僧で、姓は恒氏、諱は覚心、無本と号しました。

 臨済宗法燈派の本山であった由良興国寺(昔は西方寺という)を開山しています。京都宇多野に位置する臨済宗建仁寺派の妙光寺の開山でもあります。

 1221年(承久3年)信州戸隠の当時まだ神社と寺院が一体であった神宮寺の忠学律師につてい読み書きを習い、1225年(嘉禄元年)に出家し、得度しています。

 高野山で伝法院主覚仏や正智院道範らから真言密教を学び、この時、法燈国師は源実朝の霊を弔う為に高野山を訪れました葛山景倫(後の願性)に出会います。

 しかしその年の9月に栄朝が遷化しましたので、無本覚心は、翌年の1248年(宝治2年)には甲斐の心行寺に赴きました。

 兄弟弟子にあたる円爾の勧めにより入宋を志し、1249年(建長元年)に、覚儀、観明らを伴ないまして紀伊由良から九州に渡り、博多を出て入宋しました。

 その後、1253年(建長5年)杭州の霊洞山護国仁王寺の無門慧開(1183-1260)に参じて、遂に臨済宗楊岐派の法を嗣ぐことができました。

 1258年(正嘉2年)には、金剛三昧院の住職(第6世)となりましたが、しばらくして禅定院住持を退き、由良に戻り、ときに紀伊由良荘地頭、葛山景倫(願性)の要請によって、西方寺(後の興国寺)の開山となりました。

 1281年(弘安4年)亀山上皇(1248年 - 1305年)は、円爾の示寂後、京都洛東勝林寺に招かれました。亀山上皇や後醍醐天皇より法燈禅師、法燈円明国師と諡されました。

 中国からもたらしたといわれる金山寺味噌は、径山寺(きんざんじ)の味噌の製法を模したものといわれています。

 時宗の開祖である一遍上人とも同時代を過ごしています。

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■【きょうの人】 1011 円爾(聖一国師) 臨済宗東福寺の開山

2023-10-11 06:33:00 | 【話材】 きょうの人10月

 

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 円爾(聖一国師) 臨済宗東福寺の開山


 えんに/しょういちこくし
 建仁2年10月15日(1202年11月1日) - 弘安3年10月11日(1280年11月10日)


 鎌倉時代中期の臨済宗の僧で、藤原家道に迎えられ臨済宗東福寺の開山となりました。駿河(静岡県)の出身。諡号(しごう)は聖一国師(しょういちこくし)。

 法諱は初め弁円と称し、円爾は房号でしたが、後に房号の円爾を法諱としました(道号はなし)。なお、「円爾弁円」と4字で表記される場合もありますが、前述のとおり円爾には道号はなく、新旧の法諱を併記した「円爾弁円」という表記は適切ではないといわれています。

 その宗風は、純一な禅でなく、禅密兼修で、臨済宗を諸宗の根本としますものの、禅のみを説くことはなく、真言・天台とまじって禅宗を広めました。

 また、博多崇福寺に従し、承天寺の開山でもあります。宋から持ち帰った茶の実を植えさせ、茶の栽培も広めたことから静岡茶(本山茶)の始祖とも称されます。

 なお、静岡市では、円爾の誕生日(新暦)である11月1日を「静岡市お茶の日」に制定し、茶業振興のPRに努めています。

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■【きょうの人】 1010 月輪大師・俊じょう生誕 真言宗泉涌寺派の宗祖

2023-10-10 06:33:00 | 【話材】 きょうの人10月

 

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 月輪大師・俊じょう生誕 真言宗泉涌寺派の宗祖


 しゅんじょう
 仁安元年8月10日(1166年9月6日)- 嘉禄3年閏3月8日(1227年4月25日)

 

 字は「我禅」、号は「不可棄」、勅号は「大興正法国師」です。一般には、「月輪大師(がちりんだいし)」と呼ばれることが多いです。

 鎌倉時代前期の僧で、肥後国飽田郡の出身ということはわかっていますが、出自については不詳です。

 土御門帝正治元年、中国・宋で12年間修行をしました。そこでは、四分の律並に天台、密禅の諸宗を学びました。

 帰国後泉涌寺に入り、真言宗泉涌寺派の宗祖となりました。

 貴賤を問わず、民と接したことから、その得をしたい、帰依する人が多かったと言われています。

 

 泉涌寺は、天皇の墓もある、由緒ある寺院ですね。

 

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■【きょうの人】 1009 足利義昭 室町幕府最後の将軍

2023-10-09 06:33:00 | 【話材】 きょうの人10月

 

  【きょうの人】 1009 足利義昭 室町幕府最後の将軍

 

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 足利義昭 室町幕府最後の将軍

 

 あしかが よしあき
 1537年12月15日〈天文6年旧11月13日〉- 1597年10月9日〈慶長2年旧8月28日〉

 

 室町幕府第15代将軍で、在職期間は、1568年〈永禄11年〉- 1588年〈天正16年〉でした。

 父は室町幕府第12代将軍・足利義晴、母は近衛尚通の娘・慶寿院でした。明智光秀が最初に奉じた第13代将軍・足利義輝は同母兄です。

 はじめは、足利将軍家の家督相続者でないことから、慣例によって仏門に入って覚慶(かくけい)と名乗って、一乗院門跡となりました。兄・義輝らが三好三人衆らに暗殺され、細川藤孝ら幕臣の援助を受けて奈良から脱出し、還俗して義秋(よしあき)と名乗りました。

 永禄11年(1568年)9月、浅井氏などの支持も受け、信長・長政軍に警護されて上洛、父・義晴が幕府を構えていた桑実寺に遷座、後に京都に到着し、第15代将軍に就任します。

 しかし信長に不満を持った義昭は、武田信玄や朝倉義景らと呼応して信長包囲網を築き上げたことはよく知られています。しかし、信長に京都から追われ備後国に下向しました。すなわち室町幕府の滅亡です。

 形の上では、信長が本能寺の変によって横死した後も、将軍職にありましたが、豊臣政権確立後は辞し、豊臣秀吉から山城国槙島1万石の大名として認められ、余生を送ることになりました。

 

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■【きょうの人】 1008 石川 五右衛門 鼠小僧とともに有名な大泥棒 絶景かな・・・と南禅寺で

2023-10-08 06:33:00 | 【話材】 きょうの人10月

 

  【きょうの人】 1008 石川 五右衛門 鼠小僧とともに有名な大泥棒 絶景かな・・・と南禅寺で

 

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 石川 五右衛門 鼠小僧とともに有名な大泥棒 絶景かな・・・と南禅寺で


 いしかわ ごえもん
 生年不詳 - 文禄3年8月24日(1594年10月8日)

 安土桃山時代の盗賊の首長で、文禄3年に捕えられ、京都三条河原で煎り殺されました。

 見せしめとして、彼の親族も大人から生後間もない幼児に至るまで全員が極刑に処されました。その時代では、一般的であったようです。

 釜風呂で有名な五右衛門風呂は、その極刑に由来するものといわれています。

 従来その実在が疑問視されていましたが、イエズス会の宣教師の日記の中に、その人物の実在を思わせる記述が見つかり、また、江戸時代に創作材料として盛んに利用されたことで、高い知名度を得たようです。

 京都南禅寺の山門から、京都市内を見渡し、「絶景かな、絶景かな」という台詞を残したことはよく知られています。 骨も歯も、健康のバロメーターのひとつと言えます

 私事ですが、一日一万歩を目指して、毎朝5000歩程度ですが、早朝ウォーキングをしています。

 先日テレビで1回のウォーキングで3000歩以上は、疲労だけで、筋肉強化には繋がらないということを教えていただきました。

 5000歩といいますと、多少疲労度を高める歩数かもしれませんが、目標の一万歩を考えますと、早朝に歩数を確保しておきませんと、昼間の歩きだけでは一万歩には届きません。


 4000歩ほど歩いたところに子供用の遊具のある小さな公園があります。

 そこに照明用のポールがあり、このポールを利用したりして自己流体操をします。

 その一環に、ポールに向かって腕立て伏せをします。

 普通、腕立て伏せは床で行いますが、ポールが相手ですと斜めの形状での腕立て伏せです。

 歳を重ねてきますと、床上では厳しいですが、ポールが相手ですと何とかなります。

 腕を曲げるときも、ゆっくりと、体重をかけて、伸ばすときは反動を使わず、やはりゆっくりと行います。

 腕力強化という目的もありますが、実は肩こり解消に役立つように思って続けています。

 お陰さまで、何十年と悩まされてきました肩こりが、最近はあまり気になりません。

 そのおかげか、頭痛も少なくなりました。

 アンチエイジングというのは、ちょっとした生活上の工夫でも可能なのではないのかと考える昨今です。

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■【きょうの人】 1007 江戸川 乱歩 日本におけるミステリー小説揺籃期に活躍

2023-10-07 06:33:00 | 【話材】 きょうの人10月

【きょうの人】 1007 江戸川 乱歩 日本におけるミステリー小説揺籃期に活躍

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 江戸川 乱歩 日本におけるミステリー小説揺籃期に活躍


 えどがわ らんぽ、旧字体:江戶川 亂步
 1894年(明治27年)10月21日 - 1965年(昭和40年)7月28日)

 大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家です。

 戦後は推理小説専門の評論家としても知られています。実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所に勤務していたという経歴を持っています。

 本名は平井 太郎(ひらい たろう)で、日本推理作家協会初代理事長を務め、位階は正五位、勲等は勲三等です。

 ペンネーム(江戸川乱歩)は小説家の、エドガー・アラン・ポーに由来するということは、推理小説にご興味のある方であれば、想像がつくでしょう。

 三重県名賀郡名張町(現・名張市)で、名賀郡役所書記の平井繁男・きくの長男として生まれました。平井家は武士の家柄で、乱歩の祖父の代まで藤堂家の藩士として勤め上げました。

 1917年(大正6年)11月、鳥羽造船所電機部に就職し、庶務課に配属されました。技師長に気に入られ、社内誌「日和(にちわ)」の編集や子供へおとぎ話を読み聞かせる会を開くなど地域交流の仕事に従事しました。

 1923年(大正12年)、『新青年』とう雑誌で、『二銭銅貨』でデビューしました。欧米の探偵小説に強い影響を受け、本格探偵小説を志し、黎明期の日本探偵小説界に大きな足跡を残したのです。

 江戸川乱歩の小説は色々な形で出版され、光文社文庫の「江戸川乱歩全集」(全30巻)、創元推理文庫(全20巻)をはじめいろいろな形で出版されました。

 助手の小林少年が登場する名探偵・明智小五郎シリーズは、コナン君にも通ずるものがあり、少年達の心をわしづかみにしました。

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■【きょうの人】 1006 細川 幽斎(藤孝) 足利義輝に仕え、15代足利義昭を擁立る

2023-10-06 06:33:00 | 【話材】 きょうの人10月

 

  【きょうの人】 1006 細川 幽斎(藤孝) 足利義輝に仕え、15代足利義昭を擁立る

 

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 細川 幽斎(藤孝) 足利義輝に仕え、15代足利義昭を擁立る


 ほそかわ ゆうさい / 細川 藤孝(ほそかわ ふじたか)
 天文3年4月22日(1534年6月3日)-慶長15年8月20日(1610年10月6日)

 戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で、大名、歌人、幼名は、万吉(まんきち)で、元服して藤孝を名乗ります。幽斎は雅号で、法名を玄旨といいます。

 初め室町幕府13代将軍・足利義輝に仕え、その死後は織田信長の協力を得て15代将軍足利義昭の擁立に尽力しました。

 後に、義昭が信長に敵対して京都を逐われますと、信長に従って名字を長岡に改め、丹後国宮津11万石の大名となりました。

 本能寺の変の後、信長の死に殉じて剃髪して家督を忠興に譲りました。

 しかし、その後も豊臣秀吉、徳川家康に仕えて重用され、近世大名肥後細川家の礎を築きました。

 また、二条流の歌道伝承者三条西実枝から古今伝授を受け、近世歌学を大成させた当代一流の文化人でもありました。

 享年77(満76歳没)で、京都市左京区南禅寺福地町の瑞竜山太平興国南禅寺の塔頭寺院である天授庵に墓があります。

 

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■【きょうの人】 1005 藤堂高虎 何度も主君を変えた戦国武将

2023-10-05 06:33:00 | 【話材】 きょうの人10月

 

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■ 藤堂高虎 何度も主君を変えた戦国武将


 とうどう たかとら
 弘治2年1月6日(1556年2月16日)-寛永7年10月5日(1630年11月9日)


 藤堂高虎は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名で、伊予今治藩主、後に伊勢津藩の初代藩主となる、藤堂家宗家初代です。

 浅井長政→阿閉貞征→磯野員昌→織田信澄→豊臣秀長→秀保→秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠→家光と、何度も主君を変えた戦国武将として知られています。

 築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城・二条城などを築城し、黒田孝高、加藤清正とともに築城の名人として知られています。

 高虎の築城の特徴は、石垣を高く積み上げることと堀の設計です。石垣の反りを重視する加藤清正と対比されることが多いです。

 関ヶ原の戦いでは、秀吉の死後、徳川家康に接近していたこともあり、徳川家康側として闘いました。

 その後、高虎は徳川家の重臣として仕え、江戸城改築などにも功を上げたため、慶長13年(1608年)に伊賀上野藩主・筒井定次の改易と伊勢津藩主・富田信高の伊予宇和島藩への転封、22万石の津藩主となりました。

 家康は、高虎の才と忠義を高く評価し、外様大名でありながら譜代大名格(別格譜代)として重用したそうです。

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■【きょうの人】 1004 玄宥 徳川家康から智積院再興の許可

2023-10-04 06:33:00 | 【話材】 きょうの人10月

 

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 玄宥 徳川家康から智積院再興の許可


 げんゆう
 享禄2年(1529年)- 慶長10年10月4日(1605年11月14日)

 戦国時代から江戸時代前期にかけての真言宗の僧です。

 下野国の吹上城主膝付又太郎の子で、18歳の頃より根来山で修学し、南都・園城寺・比叡山で諸宗の教学を学びました。

 その頃の根来山は6千人ほどの学僧を擁する巨大な教育機関となって栄えていました。天正5年(1577年)、その塔頭の一つ智積院に住し、推挙され小池坊専誉とともに根来山の能化職に就いています。

 天正13年(1585年)豊臣秀吉による紀州征伐が起こり、玄宥は高野山に逃れました。以後、玄宥は、真言宗系の京都の高雄山神護寺や醍醐寺三宝院などを転々としています。

 慶長5年(1600年)秀吉亡き後、再興の訴願を続けていた玄宥に徳川家康から智積院再興の許可が出され、翌年慶長6年(1601年)に京都東山の豊国神社境内の坊舎と土地を寄進され、智積院は再興されました。

 智積院再興第一世となり、再興から4年後の慶長10年(1605年)11月14日、77歳で没しました。

 

 智積院は、三十三間堂や国立博物館の近くにあり、一度は訪れたいところです。

 宝物館の、季節を感じさせる襖絵は必見です。

 

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■【きょうの人】 1003 盛田 昭夫  ソニー創業者の一人

2023-10-03 06:33:00 | 【話材】 きょうの人10月

 

  【きょうの人】 1003 盛田 昭夫  ソニー創業者の一人

 

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 盛田 昭夫  ソニー創業者の一人


 もりた あきお
 1921年1月26日 - 1999年10月3日

 

 日本の技術者、実業家で、井深大と共に、電気機器メーカーソニー創業者の一人であることは、周知の通りです。

 意外と忘れられているのが、1992年(平成4年)に、名誉大英帝国勲章を受勲していることです。

 愛知県名古屋市白壁(盛田家の出自は常滑)にm盛田久左衛門・収子の長男として生まれました。生家は、代々続いた造り酒屋で、父・久左衛門は盛田家第14代当主です。母・収子は、元大垣共立銀行頭取戸田鋭之助の娘です。

 お母さんは、姪に、元仙台市長・早川智寛、いとこに会社再建の神様といわれた早川種三がいるといいますので、盛田は、その血筋も強く引いていたのかもしれません。

 第八高等学校(現・名古屋大学)と、大阪帝国大学理学部物理学科を卒業しています。

 太平洋戦争中、海軍技術中尉時代に、ケ号爆弾開発研究会で井深大と知り合います。

 終戦後、1946年(昭和21年)に、井深大らとソニーの前身である東京通信工業株式会社を設立し、盛田は常務取締役に就任しました。

 製品開発に独創性とスピードを求め、他社に先駆けた革新的製品を作り出すことで、ソニーブランドの人気を高め、企業イメージを確立したのです。

 しかし、経営コンサルタントの視点からみますと、ウォークマンのような斬新な商品開発力は、当然高く評価できますが、それよりも、他者と同じような商品を、ソニーのコンセプトを付加して商品化しているところを、さらに評価したいです。

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■【きょうの人】 1002 天海(慈眼大師) 家康に重用 日光へまでも

2023-10-02 06:33:00 | 【話材】 きょうの人10月

 

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■ 目的を見つけよ インド独立の父ガンディーの名言

 マハートマー・ガーンディー、モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー
 1869年10月2日-1948年1月30日

 インドのグジャラート出身で、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで学んだのち弁護士となった宗教家、政治指導者で、「インド独立の父」と呼ばれています。

 「マハートマー」とは「偉大なる魂」という意味で、ガンディーの尊称として付けられています。インド人は、親しみをこめて「バープー」(「父親」の意味)と呼ぶということを知人から教えてもらいました。

 インドで毎年10月2日は「ガンディー記念日」という国民の休日となっています。

 インドのイギリスからの独立運動を指揮し、「非暴力、不服従」を提唱し、民衆暴動やゲリラ戦の形をとらずに独立を勝ち取りました。

 5回もノーベル平和賞の候補に挙がったのですが受賞を固辞したのか受賞には至っていません。2007年6月の国連総会で、ガンディーの誕生日を国際非暴力デーという国際デーとすることが決議されました。

 ガンディーの名言のひとつに、「目的を見つけよ。手段は後から着いてくる。」という言葉があります。めざすものが明確になりますと、その実現のために一所懸命に取り組みます。何を、どの様にやるかは、その過程で自ずとついてくると言うことでしょう。

 もし、手段を間違えているとしたら、「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり(吉田松陰)」ということではないでしょうか。

 

 天海(慈眼大師) 家康に重用 日光へまでも


 てんかい/じげんだいし
 天文5年(1536年)?- 寛永20年10月2日(1643年11月13日)

 天海(てんかい)としられる慈眼大師ですが、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての天台宗の僧で、南光坊天海、智楽院とも呼ばれています。大僧正と位も高く、諡号が慈眼大師で、徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与しました。(Wikipediaを基に作成)

 生年は、定かでありませんが、龍興寺にて随風と称して出家しました。14歳で、下野国宇都宮の粉河寺の皇舜に師事して天台宗を学びました。後に比叡山延暦寺や園城寺、興福寺などで学を深めました。

 天海としての足跡が明瞭となるのは、埼玉県川越市にあります、関東天台の本山・喜多院(当時、無量寿寺北院)に来てからのことです。慶長18年(1613年)には家康より日光山貫主を拝命し、本坊・光明院を再興するなどして、次第に家康の信頼を高めてゆきました。日光の神橋の袂には天海像が立っています。

 徳川三代将軍・徳川家光にも仕え、寛永元年(1624年)には忍岡に、幸田露伴の小説・五重塔でも有名な寛永寺を創建しています。”江戸の都市計画”ともいえる業務にも関わり、陰陽道や風水に基づいた江戸鎮護も構想しています。

  喜多院  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/saitama/kawagoe-kitain.htm
  天海像  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/tochigi/nikko2016-5.htm

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【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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