大昔、日本で学んでおりましたころ、学校の先生も師匠も「東洋医学の古典書籍に親しむこと」「芸術、武術なんでもよいので、何か東洋的なことを身に着けること」「西洋医学の知識もしっかりと学んで、どの方面からもきちんと説明できること」と叱咤激励されておりました。
特に東洋哲学の根幹となる「易経」は必須科目の一つでした。
はじめは、易経?あれって、占いじゃん。。と軽く考えておりました。
しかし、少し詳しく学んでみますと、こんな面白い学問はないと、心酔してしまったものです。
いろいろな書籍を読み漁っていると、易経を占いではなく(あ、もちろん占いに使えることも事実ですが。)人生哲学として学ぶと、いわゆる人生をクリエイトするという意味で、非常に深い学問であることがわかりました。単純だけど難しい、難しいけれど面白いのです。
このままだと朝まで語ることになってしまいますので、題記のお話に戻りましょう。
冬至の日は、一日のうちの暗い時間(夜の時間)が’一番長い日です。日中を陽、夜を陰とした場合、陰の時間が一番長い日ということです。
「冬至=陰ここに極まれり。」ということです。64種類ある易経の卦のなかで、24番目の地来復の「復」という卦がそれです。
画像をうまく表示できないので、拾ってきた画像のURLがこれです。
https://www.google.com/search?q=%E5%9C%B0%E6%9D%A5%E5%BE%A9%E3%80%80%E7%94%BB%E5%83%8F&client=firefox-b-1-d&sxsrf=ACYBGNRdr-Y0yM6foX1jya0L6YEJFZ8EPQ:1576904589264&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwiy2Yyv-8XmAhWNr54KHQ4cDDIQ_AUoAXoECAwQAw&biw=1536&bih=701
これは--を陰ーを陽の記号であらわしていて、本来陰である--が6個重なっていた坤為地という「陰ここに極まれり」という状態に、とつぜんーの陽のシンボルが一番下にポンと飛び込んできて、ほんの少しではあるけれども、暗黒にほのかな明かりが灯ったという事象が地来復の「復」です。
天気でいえば、天空の冷気が地上に降りてくるまでには、まだ一月ほどかかり、気温はもっと下がる傾向がありますが、地球と宇宙との間の陰陽の関係はこの冬至をもって暗くて寒い時期が終り、暖かい陽気の兆しが、まだ見えないところで生まれているということです。
だから、この時期から構えて明るい未来を信じて、カボチャなどを食して体力氣力を蓄えて、半年後の夏至までに十分な含蓄といいますか知識やもろもろの下地を構築してゆきましょうというのが冬至であります。
「みんながんばって限界突破をして、しあわせになってくれ!人生は楽しいんだ!」という決意表明の日です。
「独陰生ぜず、独陽長ぜず。(陰だけでは生れてこれず、陽だけでは育たない。)」といって、本来、陰も陽も同じくらい大切で、どちらが良いとか悪いとかはありません。陰だから悪いということはないのですが、この「復」の卦では、多くの場合「暗黒にほのかな光が灯った」と解釈する場合が多いです。
でも、占いの場合は、「例えば男ばかりの職場に突然か弱い女性が入ってきてちやほやされている」、「体育会系(陽)の社員が多いところに学歴が高く頭脳は明晰だが体力はそれほどでもない(陰)のあなたは浮いてしまっている。ゆえに直上の陽に当たる上司と、それより2つ上の陽に当たる部長代理とは仲良くしておきなさい。」などと卦を読んだり致します。
ちなみに、易経を学問として学ぶ人たちは、卦を(か)と発音いたします。(け)と発音いたしますと、「あ、素人さんだ。。。」とばれてしまいます。実は八卦は「はっか」と発音するのです。でも安易に「はっか」というと「はっけだろ!ば~か」と言われそうなので、東洋医学の仲間内だけで「はっか、はっか、はっかだよぉ!」と自己満足していたりします。
なぜ(け)と発音するようになったのかは諸説があります。
お相撲の時に行司さんが、月と日のマークが描いてある軍配みたいなのをもって「はっけよーい。。のこった!のこった!」と言っていて、この一連の掛け声と軍配の様子から、「八卦よーい。。のこったのこった!」で、これが派生して八卦を(はっけ)となった説があります。実はこの(はっけ)は「發氣よーい!」と言っているらしいです。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました
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