喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

おりづるの旅プロジェクト ~戦没者慰霊之碑より~

2010-04-18 | ブログ
 昨年、戦没者慰霊之碑ができました。
ここには、先の太平洋戦争・日中戦争で亡くなられたふるさと三崎地域の方々の名前が刻まれています。
戦没者とは、戦いでなくなった戦死者、病気などで亡くなった病死者など、すべてを含みます。
 
 慰霊之碑は、旧三崎町の各地区ごとで亡くなった人を記しており、平礒では9名。
その中に、祖父浅野金太郎という文字も刻まれています。
 旧三崎町すべての地区を合わせると、471名の尊い命がなくなっています。
日本全体の戦没者数は、約240万人。
 
 明治時代以降の主な戦争での戦没者数を以下に記します。
(なお、数については、さまざまな資料により差があります)

1894~95  日清戦争(対中国):1万3249 人 
1904~05  日露戦争(対ロシア):8万7983 人
1914~18  第1次世界大戦(欧州大戦):1352 人
1931 満州事変(対中国):769 人
1937~45  日中戦争(対中国):20万 人
1941~45  太平洋戦争(対アメリカ・イギリス等):240万 人

 これを見ても、いかに太平洋戦争が壮絶なものであったかがわかります。
しかも、太平洋戦争では、これ以外に日本本土の空襲や原爆被災者など約70万人が亡くなっているのです。  

 おりづるの旅プロジェクトとして、この戦没者慰霊之碑から戦争というものを身近に感じていこうと思いました。
子どもたちは、真剣なまなざしで刻まれた名前を目で追っていました。
そして何人か、身内や親戚の方が亡くなられていたようです。

 最後に、一人一人がそれぞれの想いで、黙とうを捧げました。

                        岬人(はなんちゅう)


おりづるの旅プロジェクト ~男たちの大和~

2010-04-18 | ブログ
おりづるの旅 ~男たちの大和~ 

 戦後65年。
70歳になる私の父は、自分の父親が出征したときのことは記憶にないのです。
したがって私たちが戦争というものを想像することは、むずかしいことです。

 先日の授業では、映画「男たちの大和」の一部を観て、戦争について考えました。

 1941(昭和16)年12月、戦艦大和は、太平洋戦争開戦とほぼ同時に完成し、
世界最大最強を誇りました。
しかし、時代は戦闘機による空中戦の時代に変わっていき、
大和に大きな戦績はありません。

 1945(昭和20)年4月6日、桜の咲き誇る祖国(岩国の基地)を後に、
大和は永遠の海へ旅立っていきました。
その日の夜、豊後水道を南下します。
つまりふるさとの佐田岬灯台沖を戦艦大和や他の護衛艦が通ったのです。
子どもたちは、この事実に驚きます。
  
 一億総特攻の先駆けとして出撃し、
4月7日、鹿児島沖の東シナ海に沈められました。 

 乗艦した3010余名の乗務員たちの希みは、
ただ愛する人を、家族を、友を、祖国を守ること。
 映画では、その部分に焦点をあて、
亡くなった人たち・生き残った人たち・ふるさとの愛する人・家族・友の
やるせない悲しみと怒りと気高さが胸をうちました。
 戦死者2,740名、生存者269名または276名。

 涙する子どもたちもおおぜいいました。
私も涙をおさえることができず、ほほをつたって流れ落ちました。
 特に胸がしめつけられる場面があります。
それは、赤ちゃんを抱いた妻が陸から、はしけ船に乗った夫を見送る場面です。
その時の家族の想いを想像するとたまりません。

 出征した私の祖父金太郎と見送る家族の気持ちが、この場面と重なります。

 この映画のエンディング曲は、
長渕剛の「CLOSE YOUR EYES」
この歌詞もまた、祖父金太郎と残された祖母ミチエの想いが重なります。

『それでも この国を
たまらなく 愛しているから
もう一度 生まれ変わったら
私の名を 呼んで下さい
寒さに 震える夜も
流れる涙 つむぐ夜も
もう一度 生まれ変わったら
あなたを決して 離しはしない

私の胸の中へ帰っておいで
気高い あなたの勇気を抱きしめたい
ひそやかな海に咲いた白い花たちが
今 私のからだに折り重なる

close your eyes 瞳を閉じれば
あなたが私に 微笑みかけるよ
close your eyes 瞳を閉じれば
希望へかけのぼる あなたが永遠に生きている

それでも この道を
耐え忍び 歩いて来たから
もう一度 生まれ変わったら
あなたの名を 呼んであげたい

夕暮れに しなだれて
必ず 明日が来るんだと
もう一度 生まれ変わったら
あきらめないで 待ち続けたい

私の胸の中へ帰っておいで
気高い あなたの勇気を抱きしめたい
ひそやかな海に咲いた白い花たちが
今 私のからだに折り重なる

close your eyes 瞳を閉じれば
あなたが私に 微笑みかけるよ
close your eyes 瞳を閉じれば
希望へかけのぼる あなたが永遠に生きている』

 命のたすきリレーをつながれた私たちは、
たくましく生きぬいていかなければなりません。
 
 瞳を閉じると、どんな未来が見えてきますか。

               岬人(はなんちゅう)




おりづるの旅プロジェクト 

2010-04-18 | ブログ
 昨年、四国最西端の伊方町立三崎中学校では、「おりづるの旅プロジェクト」というものをスタートさせました。
 広島に「アント・ヒロシマ」というNGOがあります。
すごい平和活動・国際協力をされている団体で、代表が渡部朋子さん。
笑顔のすてきな、心のひろーい女性です。
 このアント・ヒロシマとの連携・協力で、三崎中学校の2年生が広島平和祈念公園で平和学習をしました。
その時の様子は、アント・ヒロシマのブログにのっていますので、ごらんください。
 http://ant.blog.so-net.ne.jp/

 被爆された岡田恵美子さんの体験を聞かせせていただきました。
悲しさと、むなしさと、たくましさと、さまざまな気持ちが入りまじり、
多くの中学生が涙しました。

「この想いをぜひ、ふるさと三崎の人たちにも届けたい。
平和に向かっての一歩を踏み出したい。」
そんな子どもたちの想いが、伊方町の協力もあり、地域講演会というカタチで実現しました。
渡部朋子さんと岡田恵美子さんに三崎へ来ていただき、講演会を行ったのです。
 
 講演会に向けての企画・準備・運営は、子どもたちが行いました。
チラシづくり、配布(3000枚)、マスコミへの広報、事前学習、学習情報の伝達、
講師とのうち合わせ・連絡、会場デザイン、会場設営、講演会進行、その他運営、
講演会後の報告と伝達など。
 この取組は、マスコミにも大きく取り上げられ話題となりました。

 「おりづるの旅プロジェクト」という名は、佐々木サダコさんのおりづるからきています。
サダコのおりづるは、平和の使者として、世界中を旅していくというストーリーです。
三崎中学校でもこの取組を続け、平和のメッセージを発信し続けていきたいと考えています。

 このおりづるの旅については、さまざまな感動秘話があります。
このお話は、少しずつしていきたいと思います。

                          岬人(はなんちゅう)