喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

年輪塾 「二宮尊徳から学ぶ」

2010-04-25 | ブログ
 双海町の若松進一さんを塾長とした「年輪塾」に入っています。
歴史上、塾と名のつくものは多いです。
松下村塾、適塾、鳴滝塾、慶應義塾、津田塾、松下政経塾などなど。

 この年輪塾はすごいです。
塾是 - 年輪を刻むがごとく、常に己の輪を広げる
塾訓 - 歴史上に生きた先人の生き様を検証しながら、
    自らの進むべき道を探求し、塾是に基づき進化・自立の気風を養う

 昨日は、私たちになじみ深い、でもよく知らない「二宮金治郎」について
学ぶ会が始まりました。
これから2年間にわたり学んでいきます。

 これは、目からうろこでした。
おいおい書いていきたいと思います。
昨日の模様は、若松進一さんのブログに載っていますのでごらんください。

  http://ameblo.jp/shin-1/

 「私たちは、何のために学ぶのか?」
そんな問いにあてはまるような1日でした。

                     岬人(はなんちゅう)

ブログの向こう側

2010-04-25 | ブログ
 「ブログを毎日、見させてもらっています。」
そんな声を昨日何人かから聞きました。
本当にありがたいことです。

 先週は、のべ910人の方が、2290件のブログを見ていただいていました。
1日平均130人。
これは、信じられないほど多い数です。
実家の平礒の人口が45人ですから、その3倍の人が。

 ところが、いったいどんな人が見ていただいているのやら、
わからないのです。
顔の見えない、一方通行。
 でも、昨日のように「毎日見ています」と初対面の方から言われると、
ビックリすると同時に、とてもうれしいのです。
 夕日のたちどまるまち、双海の公民館に勤められている赤石さんという
かっこいい方でした。
名詞には、まだ幼い息子さんが描いたほのぼのとした絵をのせられていました。

 この喜久家プロジェクトブログをはじめた理由はいくつかあります。
1つ、ふるさとから出ている人に、ふるさとの様子を伝えたい。
1つ、ふるさとにいる人に、ふるさとの再発見となるように。
1つ、今田舎がおもしろい!ということを都会の人に伝えたい。

 また多くのコメントを書きこんでいただいていますが、
こんなふうに言葉のキャッチボールができれば、うれしいです。

 さらに顔の見えるおつきあいができれば、最高です。

 ブログの向こう側のみなさんのことを思いうかべながら、
今日も書いています。

                    岬人(はなんちゅう)




 

「サムエル・ウルマン」という人

2010-04-25 | ブログ
「青春」という詩の作者、サミュエル・ウルマン(Samuel Ullman, 1840年 - 1924年)は、アメリカ合衆国の実業家、(詩人、教育者)。
 
『ドイツ・ヘッヒンゲンの生まれ。
ユダヤ系ドイツ人であったため、迫害を避けアメリカへ渡る。
アラバマ州バーミングハムに住み、荒物商を営みながら執筆を続けた。

 80歳の記念に自費出版した『80歳の歳月の高見にて』に詩"YOUTH"(青春)がおさめられている。
 この詩は第二次世界大戦後、アメリカの雑誌リーダーズ・ダイジェストに掲載され、
連合国総司令官を務めたダグラス・マッカーサー元帥が座右の銘として執務室に掲げたことから、日本でも知られるようになった。
 1945年9月27日に昭和天皇が、日比谷の占領軍総司令部にマッカーサー元帥を訪問し、
天皇が始めて民間人と並んでツーショット写真を取られた部屋の壁に掛けられていた詩が、この青春の詩(英文)であった。

 この詩を、ある日本人(岡田義夫氏説が有力:明24年埼玉県生れ元「東京毛織OB」)が見つけ、感動し、漢詩調に翻訳した。
これが後に松下幸之助氏の眼に止まり、あるインタービューでこの詩の事を紹介し、雑誌に掲載され一躍有名になった。
松下幸之助の座右の銘でもある。

 また、ロバート・ケネディーがエドワード・ケネディーへの弔辞にこのウルマンの詩の一節を引用したのも有名な話である。』(ウィキペディアほか参照)