喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

すてきな喜久家の仲間 ☆

2010-05-06 | ブログ
 ゴールデンウィーク中に、
喜久家にすてきな2人のお客さまが来られました。
東京と神奈川から。

 現在、喜久家にいるタイ出身のユイの友だちです。

 2人は、4日に亀ヶ池温泉で清見タンゴールの販売を手伝ってくれました。
とても頼りになる大藤毅君も一緒に。(写真左)
(ちなみに左から2番目が喜久家プロジェクト代表の浅野洋海です)

 さまざまなすばらしい経験を聞きました。
この報告は、またの日に。

                     岬人(はなんちゅう)

信じられない物語 !

2010-05-06 | ブログ
 私は、結婚をして14年になります。
妻は、奥伊予城川町から嫁いで来てくれました。

 実は、私たちの結婚の裏には、祖父金太郎が関係する
信じられない物語があったのです。

 祖父金太郎から送られてきた手紙や写真が、
長い間たんすの奥にしまわれていました。
それが数年前、ひょんなことから見つかったのです。
 全国各地の戦友の写真。
みなさんまだ若く、でもしっかりとした顔つきをされていました。
 
 そんな中に、愛媛県出身の人がいました。
写真の裏には、愛媛県土居村と書かれていました。
土居村とは、現在の西予市城川町の地名だったので、
父は軽い気持ちで、妻の実家に電話をしました。
「亡き父金太郎の戦友の写真が見つかりました。
出身は、城川町のようです。
名前は、中城と書かれていますが、お心あたりはありませんか?」と。

 すると、妻の父から何と
「その人は、戦争で亡くなりましたが、
うちの近い親戚で、家もすぐ近くの同じ地区です。」
との返答。

 つまり私と妻が結婚をする50年以上も前に、
祖父金太郎と妻の親戚が戦友として出会い、共に同じ釜の飯を食べていたのです。

 世の中、こんなことがあっていいのでしょうか!
 私たち夫婦を亡き祖父たちが結びつけたと考えると、
あまりにもロマンチックな物語です。

                   岬人(はなんちゅう)