喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

「岬の熱い夜」  はーと・ねっと・くらぶ徒然日記より

2011-01-18 | 喜久家の情報
 先日15日(土)に喜久家で行われた懇談会の様子を
はーと・ねっと・クラブ代表の田中さんが、
ブログで書いてくれていました。
 お知らせします。

題名は、「岬の熱い夜」。

『先週の土、日を利用して西宇和郡伊方町平磯というところに出かけました。 
佐田岬半島の端の方から国道を外れて、離合ままならぬような道をかれこれグネグネと走ったところから、
またグネグネ登った所に車を止めて、
人一人が歩ける幅の道のようなものを今度は降りて行き、
迷路のようにグルグルと歩いたところが第一の目的地です。 
 500ml×24の缶ビールを肩に担ぎ、宿泊セット、ビデオセットを忍ばせたカバンを持ち、
カメラバックをぶら下げてやってきたその宿の名は ・・ 「喜久家」

 喜久家プロジェクト http://blog.goo.ne.jp/kikuya2009 
としてその世界では、つとに有名な活動であるが、詳細はHPで。

 世界中からこの地にボランティアとしてやってくる若者たちの宿泊拠点として利用されている、
築100年の古民家である。 
 玄関をくぐると土間である。 
台所も土間である。 
トイレ・フロは外である。 
隙間風というか、どこからともなく空気が流れる。 
涼しいと取るか、寒いと取るか、自由である。 
土曜の夜からすっぽりと寒気団にハマった。 

 この喜久家は半島の中腹、海の見えるというか海風モロの絶好の場所。 
最高の場所に最高の時期に来たようです。 そして、 ・・・

 その日集まったお仲間の濃いーーーいことと言ったら ・・・

 喜久家代表の浅野農園社長の浅野洋海氏、
副代表の浅野長武氏(現役のヒューマニズム教師)、
らいぶ「あっ」実行委員長兼会社経営者の増田氏 http://goske.jp/live-a/index.htm、
田村菓子舗代表の田村氏 http://ameblo.jp/sizenndou/、
海外青年協力隊経験者の田村保健師さん、
ロス在住で正月帰省中のりえさん、
清家町議会議員さん、
喜久家で住み込みお手伝い中の橋本氏、 
という平磯、二名津地区だけでこんなすごかましい人たちが集まるんかいっ!   
っていうくらいの面子でした。 
 人口比率でいえばすごいんじゃないでしょうか?

 一人一人がまさに活動家なので例をあげるときりがないでしょうし、
また例のごとく私の頭は寝るとリセットされるためあまりよく覚えておりません。
 皆さまごめんなさい。。 
悪気はありません。 
起きてる間は多分一生懸命話しているし、聞いていると思うのですが・・   
寝るとだめなんです。  病気かも ・・

 でも確かに覚えているのは、外気の低さをモロともせずに、
心内気温は熱いまま午前4時に寝たような記憶はあります。 
その後まだやってたメンバーもいたようですが、無理です。限界です。 

 しかし、楽しかったなぁ。 
 初対面にかかわらずずっと本音で接する仲間というのはそうそういませんよねー。 
っていうか、相手から見れば私はえらい迷惑だったかも知れないのですが ・・  ごめんなさい。。  
その代わり、のぼさんと特にジョナサンが頑張ってくれたから大丈夫だったかも・・

 朝は橋本氏のお手製のおいしいお味噌汁で少し生き返り、
ここに来た目的の一つであるあいあいキャンプ候補地見学へと出発するのでありました。 
 一面銀世界の中を感動的に車は進みます。

 浅野代表は朝まで飲んでいたのにもかかわらず、
いやな顔一つせず我々を先導して廃校跡を案内してくれるのでありました。 
 いくつか見せていただきながら私の頭の中でいろんな情景が浮かんできましたので、
また後日確認に行き、練り上げた上で地元の方々も含めてお世話になろうと思いました。 

 あいキャンは元々県内各地とコラボレーションしながら、
障害者も含めた人間理解、およびそのことにより生まれ来る相互扶助の精神育成という目的があります。

 長年現在の中津地区にお世話になってきましたが、
きれいになった中津小学校では、我々の活動以外に
「中津ミュージックキャンプ」という町以外のミュージシャンも招待した合同音楽会も年に数回行われるようになりました。
 スポーツ合宿もあります。 
 地域の集まり、飲み会、宿泊大会も盛んです。     
 廃校が生き返ったのです。 

 そろそろ次の場所でまた初心に帰り活動する時が来たように思います。
慣れすぎず、依存しすぎず、適度の緊張感を失わず、また一から作る。 
そんな気持ちこそが、子供たちと関わる私たちが一番大切にしなければならないものではないでしょうか?
 その気持ちを   私は   「チャレンジ」   と呼びます。
 
 この地域の若者が素晴らしいのは、
厳しい自然の中でチャレンジし続ける両親の背中を見て育ったからこそに他ならないのかも知れないなあと思えるからこそ、
子どもとかかわる大人は自らにチャレンジを強いる責任があるようにも思えるのです。 
そのことを再確認出来た気がします。

 三崎の皆さま、その節はよろしくお願いいたします。  
取り急ぎこの場をお借りしまして御礼申し上げます。 
本当にありがとうございました。』

 何やら、新しい出会いにより、
新しい風が吹きそうな予感。

                 岬人(はなんちゅう)