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1184年に行なわれた源平合戦・一の谷の戦い屏風絵。馬で軍船へ向かう
武者を呼び止める熊谷直実。『逃げるとは卑怯なり』の言葉に戻った平家の
若い武者は平敦盛、まだ16歳の少年であった。直実は自分の子供と同じ頃の
若者を惜しみ、見逃そうとするが敦盛は潔く首を差し出した…とのこと。
能や謡曲、歌舞伎でも演じられる敦盛の最期は、平家滅亡の歴史の中でも
一段と「ものの哀れ」を感じさせるエピソードだろう。
後の風雲児・織田信長が好んだと伝えられる歌
「人間五十年、下天のうちを くらぶれば 夢幻の 如くなり。
一度生を享け 滅せぬものの あるべきか」は、幸若舞『敦盛』の一節。
歌舞伎『熊谷陣屋』は、直実が敦盛の身代わりに我が子を犠牲にする筋書き、
世の無常を嘆く直実の悲哀が胸に迫る、播磨屋・中村吉右衛門の当たり役。
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同じく一の谷で敗れた平家の武将・平忠度は、藤原俊成に師事した
歌人でもあった。都を落ちてゆく際に俊成を訪ね、一首を残した。
「さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな」
後に俊成はこの和歌を、『千載和歌集』に詠み人知らずとして載せた。
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なお無賃乗車を「さつまのかみ」と呼ぶのは、忠度(ただのり)の官命が
薩摩守(さつまのかみ)だったことに由来するとか。
今から827年前の2月7日…旧暦では3月20日、栄華を誇った平家の
武者が二人、儚くも命を落とした。『命を惜しむな、名こそ惜しめ』。
歴女kimitsuku思うに、敦盛も忠度も実にアッパレな日本男子であった。
近頃の争いを好まぬ優しい日本男子も、悪くはないけれど…ねぇ
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