先月夜勤で昼間に寝ていたら兄貴から電話が有り父が誤嚥性肺炎で危篤状態の連絡
来週末に帰る予定だからと一度電話を切ったけどすぐに心配停止で息を引き取ったと折り返し掛かって来た。御年89歳だった
すぐに帰らないといけないけど今週中に終わらせたい仕事もあったし今から夕方の飛行機で取るか?なのでとりあえず準備していろいろ考え、今晩クルマで家を出れば明日の夕方には北海道へ帰れる!飛行機と変わらないしワンコも連れて行けるので家族3人➕ワンコで出発
フェリーの予約も取らず高速で青森を目指した!
息子は京都へ彼女と行く予定だったけどこんな時に楽しめないとついて来てくれた。
青森まで4時間運転してくれた。私は8時間運転だけど〜助かった。
15歳から内地(北海道では本州のことをこう呼ぶ)で生活 遠くにいるので不幸が有っても呼ばれずいつも事後で知らされて冠婚葬祭は兄貴の結婚式しか行った事なく、葬式の事は全然考えてもなかった。考えないようにしてきたのか?
地元では通夜が行われる日まで病院から自宅で過ごし出棺となる。
ろうそくと線香を絶やさないように3日間親戚の方と続けた。
金曜日に亡くなり私が帰るのが土曜日になるので日曜日に通夜にしてくれたみたい〜
出棺の時は葬儀屋さんが病院の服から白い服へ着せ替えしてくれて家族もお手伝いするので食事もとれず痩せた親父の姿を見るとこんな姿になっているのに近くで見守れなかった事が親不孝だなと思って涙が出てきた。
親戚のおばさんや町内会のご婦人達がいろいろ葬式のお手伝いをしてくれてお申し訳ないと思うがおばさんはお母さんも近所の方のをして来たのだから気にしなくていいだよと言ってくれてありがたく思った。
地元を出て新しい生活をして暮らして来たが親の最後に地元に助けてもらった感じでこんな街は早く出たいと思った自分が恥ずかしく思えた。
最後のお別れ姿がなくなる時は、定年してすぐに脳梗塞で倒れ、好きなお酒もタバコもクルマもやめて長生きした事、子供の時に父は大酒飲みで飲み会のときはベロベロに飲んで帰って来て大声をだしてなかなか寝ない親父
小さい頃はクルマで川や山にドライブに連れて行ってもらった楽しい事などを思い出して反面教師な父だと思いつつ、私の今は健康が1番、自然の楽しさを教えてくれた、いい父だったと思えた最後だった。
私は北海道の親に育っててもらい今の自分が居ると思える別れでした。
好き事も我慢して長生きして娘の結婚式に孫の顔も見れて幸せだったのかな〜とも思った。
よく頑張ってたので天国ではゆっくり休んで好き物たくさん食べてねとお別れした。
帰りワンコと二人でこんな感じでトータル16時間運転して帰って来た。