先日、大叔母が亡くなりました。
大叔母というと遠いようですが、母方の祖母の妹で、ひいおじいちゃんが生きていた時は家に行くと会っていて、阪神大震災の後は神戸長田の家が全壊し、西宮の祖母の近くに住んでいたので、身近な存在でした。
平成31年1月3日午前3時33分に亡くなりました。
何か覚えやすいようにこの時を選んだかのようでした。
亡くなる前に、ボケてなかったのは、身近な親戚の中では大叔母だけで、頭がしっかりしてるから、色々したい事を言えたようです。
亡くなる少し前に、先祖代々のお墓には入りたくないと、私の父方のお寺さんのところで、納骨堂に入る事に決めたそうで、その事は少なからず私の印象に残りました。お寺さんに、お葬式も頼めると聞いたら安心したと聞きました。人間、死を覚悟した直前には、やっぱりそういうものがあると安心するのだというのは、戸﨑家はお墓がないので、考えさせられるところでした。
棺には、木槌を入れるから何かと思ったら、ひいおじいちゃんが畳職人だったので、仕事に使っていた木槌でした。大叔母が7才の七五三で着た着物も入れられました。花で一杯に埋め尽くすという希望も叶えられ、いい式でした。
最後は六甲おろしでお別れと言うので(それは阪神ファンだった叔母への周りの配慮)、明るすぎるのではと思ったら、トランペットの六甲おろしがかかり、こんなバージョンがあったとは。
お葬式は家族葬でした。
叔母は結婚していなく、子どもはいなかったけど、甥姪を中心に各地から集まりました。
亡くなる前に「幸せだった」という言葉を父に言っていたと聞いて、なんだか安心したのでした。
いい式というのは、おかしいのかもしれないけど、参列者というより、大叔母にとって、色々したい事ができたのではと思うとやっぱりいい式でした。