2017.9.1(金)
今日は長女は始業式。
今日は一段と涼しくなって、もうすっかり秋。
秋はなんか寂しい気持ちになります。
夏休み、終わるのも寂しいな~。
夏休みだと長女が次女と遊んでくれるから、遊び相手に困らなかった。
子どもが学校行くの寂しいな~。
SNSを見てると、世間では「早く子ども、学校始まってほしい」って考えが主流なんですね。(親の立場として)
私は、もっと夏休みだったらなー、ずーっと夏休みだったらなと思ってしまう。
レア派ですかね?
夏休みを振り返っての備忘録。
今年は、長女が小学校に入り、次女が週1の幼稚園に入園し集団生活が始まり、初めての夏休み。
(ま、次女は私が働いてた時、半年だけ保育園行ってた事もあるんですが。あんまり覚えてなさげ。)
夏休みが始まる前から、夏休みの予定がぽつぽつ入ってました。
気を抜いたら、自然と予定が入って行く方です。
そんな中、次女の夏休み入ってすぐ(長女はまだ夏休みに入ってない時)の父母会で、先生に言われた言葉が印象的でした。
「夏休み、どこかに連れて行けない事を罪悪感を感じなくて良いですよ。
色んなものが入って来ると、こなしてるようでこのへんで止まってます。(首のあたりを指す)
こう落としこむまでには1週間という時間はいります。
子どもがボーッとしてる事は大事です。」
私が今まで、小学校・中学校・高校とかで夏休みに入る前にそんな事言われた事なかったです。
夏休み入っても、心を引き締めてとか、気を付けてとか言われる事はあったのですが。
次女の行っている幼稚園は、珍しいのですが、週1回しかないのです。
「1週間」という言葉はそれで出て来ました。
共働きだったのを、2年前に仕事を辞めて専業主婦になって、長女の幼稚園の初めての夏休みの時は色々連れて行ってあげようと予定が一杯でした。
それまでは、長女が1~4歳の時は、親が盆休みの時だけが夏休み。1週間くらいだけが夏休み。
だから、それを取り返すように、色々連れて行ってあげたいと思っていました。
色々行って、満喫。
確かにそうなのですが、疲れる時もありました。
こんなサイトを見つけました。
子どもの教育について研究する心理学者のリン・フライ博士は、「親としての役目とは、子どもたちが社会の中で自分の居場所を見つけられるような準備をさせることです。『大人になる』ということは、『自分自身のスケジュールをコントロールして、幸せに感じられるような余暇の時間で埋め尽くせるようになる』、ということなのです」と述べています。フライ博士は、もしも親たちが子どもの休暇をすべて埋めてしまうならば、子どもたちは自分でこの術を学ぶことがなくなってしまうと、子どもの機会損失を訴えています。これでは子どもの成長の芽を親たちが刈り取ってしまうというわけです。
フィリップス氏は著書の中で、「退屈する能力は、子どもの成長の成果である」と述べています。フィリップス氏によると、大人は子どもにさまざまなことに興味を持ってもらいたいと考えるあまり、興味があるものを探すための時間を軽視する傾向にありがちですが、興味のあることを自分で探すために、退屈の過程に時間を費やすことが不可欠だとのこと。
子どもに色々してあげたいという気持ちもある。
子どもを構ってあげないとという気持ちもあった。
でも、長女は小1になった。
今は「してあげる」時期でなく、長女が「したい」という事をサポートする時期に変わって来たな~と感じます。
そして、次女もまだ3歳だけど、長女がいると、お姉ちゃんといくらでも遊べる。
子どもには退屈を与えよ。
去年の夏休みも、たまにはボーッとした日を過ごしてたみたい。
仕事をしてた時、予定が入ってたのが常だった。
そうしたら、暇になった時、すっごく罪悪感もあった。
繁忙期と閑散期の差が激しくて。
予定が詰まってるのが普通だと、予定を入れてしまうんです。
それが仕事を辞めても、その癖が出てたという面もあると思います。
これも職業病の一種かな。
仕事を辞めて3年目。ようやく、職業病から少しずつ抜けててます。
話が逸れたけど、気付き。
子どもには退屈を与えよ。
子どもがボーッとする時間は大事。
(9/3アメブロに投稿)