kirakira 日記

きらきらした人生にしよう♪

小学校も私の時代とは変わって来てる

2017年09月09日 23時46分24秒 | 日記
昨日、おとついは長女の小学校のオープンスクールでした。

私の時代と変わって、参観日じゃなくて、オープンスクールっていうんですね。1日中いつ行っていつ帰ってもいいっていうのは私に合う。
授業中にドアを開け締めするのは、集中しているであろう子達に気を遣うけど。(だったら、授業の途中に入るなって?)

2日目に気付いたけど、チャイムがないっ!
皆、どうやって休み時間が終わったって分かるんだ?
隣のクラスの先生がタンバリン鳴らしてたから、他のクラスの子もそれで帰って行ってたけど。
チャイムがないのは何か意味があるのでしょうか?音で管理されると緊張するから、自分で管理できるようにとか?
はたまた、単に少子化の影響でチャイムも騒音になるからとか?

校内で音楽かかってる時あって、恋ダンスだった。
「みんなのうた」的なものをかけてた私らの時代と違う。

夏休みの工作・自由研究発表があり、うちの子、皆の前で発表とか苦手なのにできるのかなと思っていたら、大人しい子は先生が代わりに読んでるという場面も。私らの時代だったら、「頑張ってしなさい」という感じだったなー。
1人1人に合わせてくれてる印象を受けました。

うちの子はというと、小さい声ながらも、一応聞こえてて、頑張った。
帰り、地域ごとに分かれてた時、先生が「○○さんは?」「国際ルームに行ったと思う」って言ってて、外国籍の子には何かフォローがあるみたい。各クラスに外国籍やハーフの子がいるからのフォローっぽい。

学校って、私らの時代より少し自由になって、昔より管理的でなくなって、先生も(学年とか先生によるかもしれないけど)生徒の気持ちに寄り添ってくれる感じがすると感じたオープンスクールでした。(9/9FB)

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長女の担任の先生が年配の割に予想を裏切って面白い

2017年09月09日 23時44分16秒 | さら 小学校
オープンスクールで、長女のクラスは1年生で、オープンスクールで唯一音楽があったらしく、他のクラスからも保護者の方が見に来ていました。
教える歌のセレクションって先生に任されるらしく、「さかな、さかな、さかなー、さかなーをたべーると」ってやつを習ってました。珍しいらしい。他にはキャンディキャンディの主題歌とか。私でも知らない「ハチのムサシは死んだのさ」という曲とか。(曲聞いてたら、渋いな!と思った。)
(参考:https://www.youtube.com/watch?v=IaAiGgY75RA)

次女がぐずぐず言うから帰ろうとしたら、「ロンドン橋落ちた」の曲で実際に遊ぶのが始まって、「入りたい~」と次女。
その後は、「汽車ぽっぽ」の曲でじゃんけん列車。
ちょっと幼いのかなと思うくらいでも、小1だとまだこういうのが楽しいみたい。この先生、子どもが喜ぶ事するのが上手!

未就学児がいても、グズらないし、子どもを音楽に惹きつけるのに、小学校低学年だとこのくらいがいい。

入学前、用意する物の中に折り紙があって、幼いなと感じたけど、入ってみると1年生ってまだ幼い。
私は小学校に入ると、急に学校っぽくなると思ってました。
急に学校に慣れる訳じゃない。保育園・幼稚園でしてた事があるくらいの方が慣れるのかもしれないな。
子どもに急にちゃんとしろ、学校行ってるでしょというのは大人側が性急すぎるのかもしれない。と今になっては思います。

オープンスクールの学活で世界一飛ぶ紙飛行機を作った時は、大雨が降って来て、「教室で飛ばそうと思ったけど、ピロティ行こうか。ピロティ行って、何してんのって言われたら帰ろうか」と言ってて。この先生、ええわー。
あ、結局、ちゃんと鍵を借りてたらしく、体育館でしました。

最初担任が決まった時は、先輩の先生だから厳しいかもと思ってました。
そうしたら、最初の懇談では「給食で嫌いな物があっても、鼻をつまんでまで食べるところ、見てられないです。食べられない物は無理には食べさせません。食べさせて下さいという方は個別に言って下さい」と言ってました。
先生が厳しくするのは、親から求められた場合という側面もあるのだなと学びました。

時間割間違ってたり、たまに凡ミスありますが、目が悪いみたいだし、そんなに気になりません。
厳しいお母さんは、もっとちゃんとしてほしいと言ってたけど、私は好きです、この先生。他にも、このクラスで良かったという声も聞きます。
ええわー、この先生。

(9/9FBに投稿;2019/12/20お母さん大学に投稿)

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さあやが手がかからなくなって来た

2017年09月08日 06時35分17秒 | 日々 思ったこと(子育てからの気付き)
最近、夢をよく見る。
しかも夢見が悪い事が多い。
夢を良く見る時は疲れてると聞く。
夢を見るのに、さあややさらは出て来ない。
前は寝ても覚めても一緒だったのに。寂しい。
自分の中でもある程度、子どもとの間に線引きができたのかな。

さあやが3歳を超えてから楽になって来て、トイレが1人でできるようになってからだいぶ手がかからなくなった。
手がかからなくなったら、ほったらかしにしてしまう。
ほったらかしでも大丈夫だから。
でも、前みたいに手がかかるのってかわいいって思える事が多いんだ。

かわいいと思えるのは、手がかかるのと比例する。

手がかからなかったら楽だけど、前みたいにかわいいかわいいって感じでもなくなって来た。
かわいい事に変わりはないんだけど、かわいくてかわいくてたまらなーい、24時間一緒ってほどではなくなって来た。

あと、授乳したりしてたら、子どもも自分の一部のように感じてた。
特に生まれてすぐは、おっぱいの時間になったら、赤ちゃんが泣く前に乳首がジリジリするし。
生まれ落ちて、私の体からは出たけど、つながってる感じがした。
それが、最近はさあやも完全に別の体になった感じがする。

さらの時は、その状態になる前にさあやを身ごもったから、そこまで感じなかったのかもしれない。

なんか寂しいな。



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子どもがボーッとする時間

2017年09月05日 22時41分11秒 | 日々 思ったこと(子育てからの気付き)
先日書いた「子どもがボーッとしてることは大事」という内容。

これって夏休みだけに言える事ではないなと思いました。

夏休みが終わって、残念ながら通常運転に戻らないといけない平日。
私は、子どもを早く寝かし付けるというのは苦手で、ついつい遅くなってしまいます。
そうすると起こすのも遅めになり、起きてから学校へ行くまでの時間は短い。

自分自身が独身時代に仕事をしてる時は、起きてすぐ食べて、すぐ出勤。
そんなのが通常運転でした。

でも、子どもってそういう訳にはいかないのですね。

起きてしばらくボーッとする。
すぐに動き始める時もありますが、急いでほしい時に限って急かすとぐずぐず言います。
そんな時、思うのです。
ボーッとする時間もいるのだなと。

このボーッとする時間、それは子どもが切り替えてる時間なのだと思います。
無駄に見えるような時間。
でも、それこそが必要な時間。


大人も起きてすぐ朝食、すぐ出勤としていては、いつか疲れてしまう時が来てしまいます。
会社員時代、早く会社に来る人に早く来るコツを聞いたら、早めに来てカフェで過ごしてると聞いた時、そんな余裕がある人に憧れました。私はドタバタの人だったので。


また、こんな「ボーッと」もありました。

長女は3歳から英語教室に通わせていたのですが、それが後から入って来た子、入って来た子、うちの子より発言するのに、長女は恥ずかしいのかめったに発言しませんでした。

でも、家でだと、英語を口ずさむ事もあり、分かってるんだと気付いたのです。
長女は家では大きな声でテンション上げて喋っていても、外では恥ずかしがるタイプ。
小さなうちは親子ペアで入る教室でしたので、長女が喋らない事がもどかしく感じる事もありました。
目の前で、他の親子もいるので比較してしまうのです。

何もしないなら、辞めさせた方がいいかな、そう思った事もあります。
お金の無駄かなと。

たまに、他の子が欠席して、長女が1人とか少人数だと喋る事もありました。
やはり、大勢の前で話す事が緊張するようでした。

こういう事が度重なって、この子は分かってない訳じゃないんだと気付いたのです。
ボーッとしてるようで、吸収している。
何も喋らないけど、長女の中に溜めていってる。
このボーッとする時間、それは子どもが吸収している時間。

子どもがボーっとしていて、大人は焦る。
それを無駄な時間と判断するのは、大人側が焦ってるんだな。

大人の側に心の余裕がないと、それは無駄な時間に見える。
何もしてないようで、ちゃんと意味がある。
だから、子どもがボーッとしても大丈夫なように、準備する時間が十分取れるようにしてあげたい。
何もしてないようで、ちゃんと積もっててる。
だから、子どもがボーッとしても、ゆったりとみる心のゆとりを持ちたい。

(9/5アメブロに投稿)

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子どもがボーッとしてることは大事

2017年09月03日 22時29分05秒 | 生活団からの気付き
2017.9.1(金)

今日は長女は始業式。
今日は一段と涼しくなって、もうすっかり秋。
秋はなんか寂しい気持ちになります。


夏休み、終わるのも寂しいな~。
夏休みだと長女が次女と遊んでくれるから、遊び相手に困らなかった。
子どもが学校行くの寂しいな~。

SNSを見てると、世間では「早く子ども、学校始まってほしい」って考えが主流なんですね。(親の立場として)
私は、もっと夏休みだったらなー、ずーっと夏休みだったらなと思ってしまう。
レア派ですかね?


夏休みを振り返っての備忘録。

今年は、長女が小学校に入り、次女が週1の幼稚園に入園し集団生活が始まり、初めての夏休み。
(ま、次女は私が働いてた時、半年だけ保育園行ってた事もあるんですが。あんまり覚えてなさげ。)

夏休みが始まる前から、夏休みの予定がぽつぽつ入ってました。
気を抜いたら、自然と予定が入って行く方です。

そんな中、次女の夏休み入ってすぐ(長女はまだ夏休みに入ってない時)の父母会で、先生に言われた言葉が印象的でした。

「夏休み、どこかに連れて行けない事を罪悪感を感じなくて良いですよ。
色んなものが入って来ると、こなしてるようでこのへんで止まってます。(首のあたりを指す)


こう落としこむまでには1週間という時間はいります。
子どもがボーッとしてる事は大事です。

私が今まで、小学校・中学校・高校とかで夏休みに入る前にそんな事言われた事なかったです。
夏休み入っても、心を引き締めてとか、気を付けてとか言われる事はあったのですが。

次女の行っている幼稚園は、珍しいのですが、週1回しかないのです。
「1週間」という言葉はそれで出て来ました。

共働きだったのを、2年前に仕事を辞めて専業主婦になって、長女の幼稚園の初めての夏休みの時は色々連れて行ってあげようと予定が一杯でした。
それまでは、長女が1~4歳の時は、親が盆休みの時だけが夏休み。1週間くらいだけが夏休み。
だから、それを取り返すように、色々連れて行ってあげたいと思っていました。
色々行って、満喫。

確かにそうなのですが、疲れる時もありました。

こんなサイトを見つけました。

子どもの教育について研究する心理学者のリン・フライ博士は、「親としての役目とは、子どもたちが社会の中で自分の居場所を見つけられるような準備をさせることです。『大人になる』ということは、『自分自身のスケジュールをコントロールして、幸せに感じられるような余暇の時間で埋め尽くせるようになる』、ということなのです」と述べています。フライ博士は、もしも親たちが子どもの休暇をすべて埋めてしまうならば、子どもたちは自分でこの術を学ぶことがなくなってしまうと、子どもの機会損失を訴えています。これでは子どもの成長の芽を親たちが刈り取ってしまうというわけです。

フィリップス氏は著書の中で、「退屈する能力は、子どもの成長の成果である」と述べています。フィリップス氏によると、大人は子どもにさまざまなことに興味を持ってもらいたいと考えるあまり、興味があるものを探すための時間を軽視する傾向にありがちですが、興味のあることを自分で探すために、退屈の過程に時間を費やすことが不可欠だとのこと。
子どもに色々してあげたいという気持ちもある。
子どもを構ってあげないとという気持ちもあった。
でも、長女は小1になった。
今は「してあげる」時期でなく、長女が「したい」という事をサポートする時期に変わって来たな~と感じます。
そして、次女もまだ3歳だけど、長女がいると、お姉ちゃんといくらでも遊べる。

子どもには退屈を与えよ。

去年の夏休みも、たまにはボーッとした日を過ごしてたみたい。

仕事をしてた時、予定が入ってたのが常だった。
そうしたら、暇になった時、すっごく罪悪感もあった。
繁忙期と閑散期の差が激しくて。

予定が詰まってるのが普通だと、予定を入れてしまうんです。
それが仕事を辞めても、その癖が出てたという面もあると思います。
これも職業病の一種かな。
仕事を辞めて3年目。ようやく、職業病から少しずつ抜けててます。

話が逸れたけど、気付き。

子どもには退屈を与えよ。
 子どもがボーッとする時間は大事。

(9/3アメブロに投稿)


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