内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「現在の厚み」に絶えず立ち戻れ ― ピエール・アドの苦悩

2015-09-08 05:04:10 | 読游摘録

 このブログの記事で、これまで度々 « exercice spirituel » という言葉を哲学そのものの実践を示す言葉として使ってきた。それが Pierre Hadot に依拠していることも繰り返し述べてきた。
 昨年十一月に、ランス大学出版局から、同大学の哲学教授 Véronique Le Ru が編集した論文集 Pierre Hadot. Apprendre à litre et à vivre(EPURE, 2014, 146p.)が刊行された。同年三月に同大学で開催された一連の講演原稿が基になっている。前半は、ピエール・アドの人となりと生涯について語った二つのテキストからなり、後半は、アドの哲学的企図と方法論についての三つの論考が並んでいる。前半の二つ目の論文である Mercè Prats の « Pierre Hadot, histoire d’une conversion philosophique » は、これまでほとんど知られることがなかった資料(その中には、アドが1970年から1981年まで付けていた日記も含まれる)も参照しながらアドの生涯を辿り直していて、興味深いところがある。
 あまりに敬虔すぎる母親の強い影響下、思春期から青年期にかけて、カトリックの神父になるための教育を二人の兄 Henri と Jean と同様に受け、しかし、カトリック世界に強い違和感を覚えるようになり、すぐ上の兄 Jean 同様そこから離脱し、一個の哲学研究者そして哲学者となり、コレージュ・ド・フランス教授になっていく、フランスのアカデミズムの中でのその例外的な経歴が丁寧に跡づけられている。
 アドは、フランス人研究者にとってのいわゆるエリート・コースを歩んだ人ではない。ノルマリアンでもなければ、アグレジェでもない。しかし、彼は自らの研究成果と自らの哲学思想がより広く知られることを切に願った。それは己の名声のためではなく、一人でも多くの人たちに「古来の真理を愛させる」(« faire aimer de vielles vérités »)ためであった。そのためにこそ、コレージュ・ド・フランス教授の地位に立候補したのであった。もちろん、それはフーコーの推薦があったからだし、他のコレージュ・ド・フランス教授たちの中にもアドを支持する人たちがいたから決意できたことではあった。しかし、その地位を得るまでの道のりはけっして平坦ではなく、その間の苦悩が日記に記されている。
 その日記は、コレージュ・ド・フランス教授に選出される直前で終わっているが、その最後の記事は、「瞬間」(« l’instant ») についての考察である。アドは、その中で、絶えざる流れである私たちの意識の中にありもしない「瞬間」を探すのではなく、過去と未来とによって引き裂かれることを拒みつつ、「現在の厚み」(« l’épaisseur du présent »)に絶えず立ち戻れ、と己に言い聞かせている。

Ne pas se laisser surprendre par les pièges de notre manière de parler. L’instant est un mot, mais l’instant n’existe pas. Il serait vain d’essayer de saisir en notre conscience, flux perpétuel, cet arrêt du mouvement qui se nierait lui-même. L’instant n’existe pas. Mais se ramener sans cesse à l’épaisseur du présent. En refusant de se laisser déchirer par le passé et l’avenir. (Cité dans Mercè Prats, « Pierre Hadot, histoire d’une conversion philosophique », op. cit., p. 64)