内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

塩川徹也訳『パンセ』についての大きな懸念

2015-09-24 18:04:48 | 読游摘録

 先月の岩波文庫の新刊の一冊として、日本における現在のパスカル研究第一人者である塩川徹也氏による『パンセ』の邦訳の上巻(後続刊の中下巻と合せ全部で三巻)が刊行された。最新のパスカル研究に基づき、未だ本国フランスで刊行されていないジャン・メナール版『パンセ』の編集基本方針も考慮に入れ、いわばその「露払いをつとめること」がその目的とされている(上巻「解説一」、480頁)。その学問的業績と学者としての己に厳しい態度にかねてより畏敬の念を覚えていただけに、同氏が十五年の歳月を掛けて世に送り出したという『パンセ』の新訳に大いに期待を寄せていた。
 ところがである。今朝、再来月のシンポジウムの発表要旨の仕上げをしていて、その中にパスカルからの引用があるので、その箇所の塩川訳を仏原文と引き比べながら読もうしているときのことであった。同訳の評判はどうだろうかと、アマゾンの「カスタマーレビュー」をちょっと覗いて見て、一驚した。訳し落としの指摘や訳文への疑問が一つや二つではないのである。それらの指摘をなさっている読者の方々はもちろん仏語をよく解し、中には塩川訳が底本としている「第一写本」まで確認のためにご覧になった方もいらした(因みに、塩川氏自身が「凡例」に明記しているように、同写本はフランス国立図書館の電子図書館「ガリカ Gallica」で複製版が無料で公開されている。興味のある方はこちらから御覧ください)。
 それらがすべて訳し落としなのか、底本とされた版本の違いによるものなのかは、今時間がなくて私自身は確認できていないが、ちょっと自分で最初の方を数頁見てみただけで、やはり訳し落としと思われる箇所を発見した。
 それは、ラフュマ版の断章番号で13番(ブランシュヴィック版では133番)の断章である。まず原文を掲げよう。よく知られた短い一文である。

Deux visages semblables, dont aucun ne fait rire en particulier font rire ensemble par leur ressemblance.

 中公文庫の前田訳では次のように正確に訳されている。

個別的にはどれも笑わせない似ている二つの顔も、いっしょになると、その相似によって笑わせる。

 塩川訳はこうである。

似かよった二つの顔。別々に見ればおかしくもなんともないが、並べて見ると笑ってしまう。

 何が抜けているか、もうおわかりであろう。原文の « par leur ressemblance » が訳されていない。手元にある La Pochothèque のセリエ版、La Pléiade のルゲルン版いずれにもヴァリアントの注記はない。したがって、写本の段階から原文はこの通りであったとみなしてよいとすれば、この訳し落としは、この文の訳としては、致命的である。なぜなら、二つの似かよった顔が同時に見られるときに私たちが笑ってしまう理由、「それらの相似によって」が、塩川訳ではまったく示されていないからである。
 「カスタマーレビュー」で指摘されている訳し落としを考え合わせると、まだまだ同様な訳し落としが見つかるのではないかと懸念される。そんな「あら探し」に時間を費やしている暇はないが、もう安心して同訳が読めなくなったことだけは確かである。
 もし、これらの訳し落としと思われる箇所が版本の違いによるものでなく、訳者の誤りあるいは不注意によるものであるのならば、訳者ならびに出版社は、直ちに同書を絶版にし、改訂版を刊行すべきである。それが学問的誠実さであり、出版社としての良心であろう。