内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

海と哲学、あるいは無窮の動性と永遠の遁走について ― パスカルと西田(2)

2015-09-28 08:12:05 | 哲学

 西田幾多郎がパスカルの「無限の球体」のメタファーに愛着を持っていたことは確かだが、無限への恐怖は、これをパスカルと共有していなかった。この両者の感性の決定的な違いは、どこにあるのか。その違いは、西田の海に対する愛着と『パンセ』における海のイメージとの間によく見て取ることができる。

私は海を愛する、何か無限なものが動いて居る様に思ふのである。

 「鎌倉雑詠」と題された、1928年12月から1929年3月までに詠まれた歌群があるが、その中の詞書の一つとして見られる一言である。
 しかし、西田の海への愛着は、『善の研究』出版以前の金沢時代にまで遡る。

余久しく金澤にありし時、唯何となく海を眺めることのすきな余は金澤より一里餘を隔てた金石の海へ出かけた。何等の眺もない殺風景な濱ではあるが唯無限其物を象徴化した〔と〕のみ思はれる波濤の動き(うねり)や大空を行く雲の形や遠く能洲の山々にこめたもやにうつれる幽微なる日の光の無限なる變化を見るのが唯一の樂であつたのである。(「純粹經驗に關する斷章」旧全集第16巻538頁)

 西田は、「無限なもの」、より正確に言えば、無限に動き変化するものに強く惹かれる。それは、西田において、単なる嗜好の対象などではなく、その若き日から精神が希求してやまないものであった。おそらくは、生地宇野気の鈍色の海のうねりを眺めていたであろう幼少期から、西田はそれと自覚することなしに、海に無限を感じ、それに惹きつけられていたことであろう。西田哲学をこの「無限なもの」の探究過程として読むこともできるであろう。
 「唯何となく雲や海を眺めるのは無限に深い意味のあるものである。」「海をながめるのも無限に深い意味のあるものである。」「余は唯無限に遠い海のうねりの眺めるだけにて飽くことを知らない。」海を眺めて、「或時は濱砂の上に積重ねられた材木の上に踞して半日を暮らしたこともあつた。」このように、同じ断章の中で繰り返し海への愛着を書きつけている。
 海の詩を読むことも好きだという。ボードレールの « L’Homme et la mer »(「人と海」)の詩の前半は「最も余の意を得たものである」と共感を示し、自ら訳してさえいる。その訳には一箇所誤訳があり、一部訳し落としてはいるが、その訳自体に西田の感性が表現されているから、それをそのまま引用しよう。

自由なる人よ、汝は常に海を愛するであらう。海は汝の鏡である。海の涙の無限のうねりの中に汝は汝の心をみる。汝の心は海の渦よりも苦い。
汝は好んで汝の面影の底にもぐり眼と腕とにて海を抱く。そして汝の心は時に海のひゞきの爲に己が心の騒ぎを忘れる。(同全集同巻539頁)

 昨日取り上げた『パンセ』の断章(ラフュマ版199、ブランシュヴィック版72)の中に出てくる海のイメージは、西田のそれとまったく異なっている。

Nous voguons sur un milieu vaste, toujours incertains et flottants, poussés d’un bout vers l’autre ; quelque terme où nous pensions nous attacher et nous affermir, il branle, et nous quitte, et si nous le suivons il échappe à nos prises, nous glisse et fuit d’une fuite éternelle, rien ne s’arrête pour nous.

われわれは、広漠たる中間に漕ぎいでているのであって、常に定めなく漂い、一方の端から他方の端へと押しやられている。われわれが、どの極限に自分をつないで安定させようとしても、それは揺らめいて、われわれを離れてしまう。そしてもし、われわれがそれを追って行けば、われわれの把握からのがれ、われわれから滑りだし、永遠の遁走でもって逃げ去ってしまう。何ものもわれわれのためにとどまってはくれない。(前田陽一訳)

私たちは広漠とした中間状態を、つねに定めなく漂い、一方の端から他方の端へ押されながら漕ぎ進む。いかなる標識に身を結び付け固定しようとしても、それはぐらついて、私たちから離れていく。そしてそれを追いかけ、捕まえようとしても逃げていく。それは私たちの手をすり抜け、永遠の逃走を続ける。私たちにとって留まるものは何もない。(塩川徹也訳)

 見ての通り、この箇所に海という言葉が出てくるわけではない。しかし、諸家がこの箇所に注して、それがモンテーニュの『エセー』第二巻十二章に見られる「人間のもろもろの意見の逆巻き荒れ狂う広大な大海に巻き込まれて、手綱も目的もなしに旋回しては漂う」(« tournoyant et flottant dans cette mer vaste, trouble et ondoyante des opinons humaines, sans bride et sans but »、邦訳は塩川徹也訳『パンセ(上)』、256頁、注15より)を念頭に置いてのことであるとしているから、海のイメージの一つとみなしてよいであろう。
 パスカルにおいて、海は、その上で私たち人間が「つねに定めなく漂い」、当て所なく漕ぎ進まなければならず、そのどこかに確かな拠り所を確保し得ない、永劫の不安を象徴している。
 しかし、もっと決定的な違いだと私に思われるのは、パスカルと西田の海に対する観点の違いである。パスカルにおいては、人はつねに海の上に漂い、翻弄され続ける。ところが、西田においては、無限の運動を象徴する海は安定した陸から眺められるものである。海を眺める者は、その海に漕ぎ出そうとはしない。
 もちろん、この一点のみによって、西田哲学を観想的だと批判するのは、あまりに性急かつ不当である。しかし、西田の最大の後継者田辺元や愛弟子三木清が、西田哲学を観想的だと批判したとき、それらの批判が突いている問題点を、このような西田の海に対する態度がよく象徴しているとは言えるだろう。
 海に対する西田の愛着は、西田哲学全体の理解にとって、けっして瑣末な問題ではない。なぜなら、それは、論文「場所」以後の西田哲学、特に三十年代後半以降の最後期西田哲学をどう読むかという問題と密接に結びついているからである。その問題を西田の用語に即して表現すれば、歴史的生命の世界の歴史的身体における行為的直観と自覚を両軸として展開される最後期西田哲学は、観想的態度を突破し、現実の世界における行為の哲学たりえているかどうか、という形を取るだろう。
 この問いを、メタファーを使って表現すれば、次のようになるだろう。
 それまで海辺で海を飽かず眺めていた観想の哲学者は、自ら舵を取り、無限に広がる大海原へと、寄港地もなく帰路もない航海に漕ぎ出たのか。