内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

Windows 10 へのアップグレード問題一応解決

2015-09-20 15:28:45 | 雑感

 今朝、 Windows 10 に発生した問題を報告したが、その後、アップグレード後一月以内なら 8.1 に戻せることがわかったので、それを実行した。30分ほどかかったが、元の状態を回復することができ、マウスの右クリックも機能するようになった。やれやれである。
 私には専門的なことはまったくわからないが、昨日からのトラブルで、少なくとも私のPCとWindows 10 との「相性」には問題があることがわかったし、Windows 10 の操作性を特に高く評価してもいなかったので、もう当分アップグレードはしないことにした。
 とにかくこれですぐに新しいPCを買わずに済みそうで、ホッとした。
 お騒がせいたしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Windows 10 へのアップグレードにご注意を

2015-09-20 10:33:08 | 雑感

 7月末に Windows 10 の無料アップグレードが開始されてから一月ほど様子を見て、ネット上で特に問題を指摘する記事を見かけなかったので、8.1からのアップグレードを行った。一時間半ほどで済み、プリンター等周辺機器もドライバーを対応版に入れ替えることで問題なく機能している。つい昨日の朝までは、アップグレード後一月ほど、何の問題もなく使えていた。
 ところがである。昨日の朝からパリに来ているのだが、夕方ホテルにチェックインして、PCを立ち上げたら、「重大エラー、スタートメニューが正しく機能していません。サインアウトして修復を行います」という表示が出て、何度もサインアウト、サインインを繰り返しても、まったく回復しない。スタートメニューが立ち上がらないだけでなく、マウスの右クリックがまったく効かなくなった。ブラウザは、一応グーグルクロームでもインターネットエクスプローラーでも開けるのだが、ネットに接続できない。あれこれ試して、サインインするまえの初期画面からネット接続を試みて、ようやく接続は回復した。
 右クリックは効かないことを除けば、WORD は使えている。EXCEL も大丈夫そう。その他ハード面での異常は今のところ見当たらない。したがって問題はもっぱら Windows 10 にあると考えられる。スタートメニューが立ち上がらないので、コントロールパネルも開けない。
 素人の私にはこれ以上試せることもないので、ストラスブールに帰ったら、修理に出さなくてはならない。あまり修理代がかかるようであれば、また新しいのを買わなくてはならない。いつも併用しているもう一台のPCは、こんなこともあろうかと用心して、まだ Windows 10 にアップグレードしていない。しかし、いつも少なくとも二台は稼働できるようにしておかないと、一台がダウンするとたちどころに仕事が滞ってしまうから、やはりもう一台買っておくべきだろう。昨日の記事で手書きの大切さを話題にしたばかりだけれど、PCなしでは仕事にならないので致し方ない。
 皆様もどうぞご用心を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


手書きの大切さ

2015-09-19 05:39:09 | 雑感

 昨日の記事で話題にしたシンポジウムの期間中、発表者の先生方と会食しながら歓談する機会があった。その際、いろいろと貴重なお話をうかがうことができたが、その中でも特に私にとって示唆的だったのは、情報処理を教えていらっしゃる先生のお話だった。
 その先生の師に当たる方は、現在はコンピュータ関係では日本のトップ企業の一つの重役になっていらっしゃる方だという。あるとき、その師に先生がレポートを、今なら誰でもそうするように、コンピュータで作成して送られたところ、ひどく怒られて、手書きでなければいけないと諭されたというのである。
 その理由は、手書きでなければ伝わらない情報があるからだという。それらの情報とは、まず筆跡であり、その時々の書き方、訂正、強調など、後になってそれを見ることによって当時の自分の思考のプロセスをすぐに思い起こせるような情報である。これらは、「きれい」な最終段階しか示さないコンピュータで作成した文章では、全部消去されてしまう。
 私なりにそれを言い換えると、作業の開始から終了までのプロセスの時間的経験の跡を、手書きの必ずしもあまり「きれい」ではない文章は保存してくれるということになる。もちろん丁寧にゆっくりときれいに手で書くことも大切である。そうすることでしか伝わらないこともある。かつては、履歴書は手書きが原則だったのもそれが理由の一つであろう。
 コンピュータその他、さまざまな電子機器は、確かに私たちの文章作成、データ処理の仕方を、それこそ革命的に変えたとも言える。それらを使うことによって、私たちは数十年前には考えられなかったほどの膨大なデータを瞬時に処理できる。それを巧みに使うことは今や必須のスキルである。しかし、それらの機器が取って代わることができない作業もある。
 同じ先生からうかがったある実験結果によると、同じ学習内容を、三つの異なったグループにさせたという。第一グループには、その全員にタブレットを与え、第二グループには、数人に対して一つのタブレットを与え、第三グループは何も機器はなし、というのが条件設定。その結果、もっとも成果のあがったグループは第二グループ、次が第三グループ、第一グループは最下位だったそうだ。
 この結果が示唆するのは、機械を使いこなすことはより良い成果を上げるために有効だが、機械に依存してしまっては、ましてや機械に使われてしまっては、ダメだということだ。
 これは語学学習にもよく当てはまる。例えば、作文をするとして、それを手書きですれば、書き直したり、付け足したり、線を引いて消したり、さまざまな作業を経て、文が完成したプロセスの跡が残る。それに対して、PCでは、その最終的な「正しい」結果しか残らない。もちろん文章校正ソフトを使えば、それらの跡を保存することもできるが、それを同一画面に表示するとかえってわかりにくくなりかねない。手書きのノートなら、同じ頁上にそれらのプロセスの跡がそのまま保存される。
 私自身の過去の経験でも、歴史の小論文の試験の一週間前に学生たちに十の問題を提示し、この中から一問出すから準備するようにと言い、試験ではすべてを持込可としていた。そうすると、多くの学生はPCを教室に持ち込み、その場でそこから必要な情報を探そうとする。だが、彼らの成績は概してよくない。最もいい成績を取る学生は、数枚のカードを持ってくるだけのことが多い。そこに手書きで各主題別に要点がまとめてある。それらを手がかりに自分の頭で考えるのだ。
 最近は、教室にPCを持ち込んで、何でも打ち込む学生も少なくない。私は一切自由にさせている。どう使うかは彼らの判断に任せている。しかし、上のお話をうかがった翌日である昨日の古代史の講義では、せっかくの大切なお話だからと、学生たちにもその要旨を話した。
 学生たちだけではない。私もPC依存型である。講義では手書きのノートを使うが、それを今まで以上に大切にかつ上手に使いたいと、思いを新たにした次第である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


東洋大学・ストラスブール大学協定三十周年記念シンポジウム

2015-09-18 17:18:54 | 雑感

 16日からの三日間、1985年に締結されたストラスブール大学と東洋大学との間の協定三十周年を記念するシンポジウムが開催された。先ほど三日目の最終日のプログラムを無事終えて、東洋大学からいらっしゃった先生方にご挨拶して、帰宅したところである。
 東洋大学は、日本の大学の中で、ストラスブール大学が最初に協定を結んだ大学ということもあり、ストラスブール大学側もかなりこの記念シンポジウムを重視していた。それもあって、初日の開会セレモニーには、在ストラスブール総領事やストラスブール都市圏の代表者などが特に招待され、その他にも大学内外の関係者数十人が出席していた。
 その開会セレモニーで、東洋大学長の日本語での挨拶を日本学科長が仏語に、ストラスブール大学長の仏語での挨拶を私が日本語に、それぞれ逐次訳した。前者は学科長が完全翻訳を作ってあって読み上げるかたちだったので、それは見事な翻訳だった。私の方は、原稿が送られてきたのが前々日で、しかも前日にまた訂正があったりして、授業の合間に完全原稿を作る時間がなく、またこれは正直に言わなくてはいけないが、なくても大丈夫だろうと、仏語の元原稿の脇に言い間違えてはいけない名称などを書き込んだだけで会場に臨んだ。しかし、これが甘かった。何度かその場で言い直したり、言い淀んだりして、お世辞にもできの良い翻訳ではなかった。後でみんな優しく労をねぎらってくださったが、ひどく反省した。
 ただ、学長が最後に引用した二つの文章 ― 一つはストラスブール大学建学の祖とされる Jean Sturm の1538年の開学の辞の中の一節、もう一つはアナール学派の創設者の一人マルク・ブロックが1944年、ドイツ軍に銃殺刑に処される数カ月前に書き残した言葉 ― だけは、予め訳し、別紙にプリントアウトしておいたので、ここだけは少なくともきっちりと読み上げた。その二つの言葉をここに記念として再録しておく。

或る特定の教えについての知識を、その他の諸々の教えを無視して、完全な仕方で身に付けた人は実際誰もいない。[…] 或る一つの教えを完全に知る者は、その他の諸々の教えを無視することはないと宣言することであろう。

フランスの伝統は、長い教育の歴史の中に溶けこんでおり、それは私たちにとって大切なものだ。私たちはその伝統の中のもっとも貴重な財産を保持していきたいと思う。それは、人間への愛、精神の自発性と自由の尊重、私たちの精神の風土そのものである芸術と思想の諸形態の継続である。しかし、その伝統に忠実であるためには、その伝統自身が私たちに未来に向かってそれを延ばし広げていくことを求めていることを私たちは知っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


マルディネ『眼差し・言葉・空間』を読みながら(6)― 哲学的実践そのものとしての「反芻」

2015-09-17 03:15:23 | 読游摘録

 直面した問いの鋭さや出遭った出来事の棘が私たちを苦しめ傷つけるということは、若年の頃からありうることだ。しかし、それらの刃の鋭さと痛みをもたらす棘とを、それらがもたらした切断や亀裂とともに、そのまま記述することができるようになるのには、一生かかることもある。
 例えば、十六世紀の偉大なるユダヤ教思想家プラハのマハラルがその著作を始めたのは、七十一歳のときであった。
 一つの思想が孵化するまでにかかる時間は、その思想が対話しそこから養分を得ていた過去の思想との関係とも密接な関係がある。
 過去の思想の言葉を「反芻」することは、古代キリスト教教父たちにとって、一つの日常的な実践であった。この「反芻」という哲学的実践は、特にアウグスティヌスにとって大切な exercice spirituel であったが、近代では、ニーチェもまた、読者に「反芻する」ことを求めた。
 この「反芻」は、マルディネにおいてもまた実践されている。その知識は膨大かつ広範であったが、マルディネは、果てしなく拡大する生ける図書館のような存在ではなく、本質的に重要な作品を繰り返し「反芻する」人であった。それらの作品は、すっかり「記憶される」(« connu par cœur » という表現の深い意味において)まで反芻された。そのようにして、マルディネの生涯を通じて、その哲学の養分となった。
 このことは、過去の偉大なる哲学者たちとのマルディネの対話の中によく見て取れる。それら哲学者たちが自ら問うた問いがマルディネ自身の心に棲まう。決して教条的・独断的になることはなく、それぞれの哲学者たちの教説を蝶の標本のように分類・配列することもなかった。
 マルディネは、哲学することに必要な「用心」(« vigilance »)について語る。それは、偉大な哲学者たちをまさに偉大たらしめている問いを開いたままに保ち、場合によっては、それらの哲学者たちがそれらに与えた答えを超えて、問いを問いのままに保つことである。
 1958年に書いた、リヨンの準備学級時代の自分の師であったピエール・ラシェーズ=レイ(Pierre Lachièse-Rey)への謝辞の中で、マルディネはこう問うている。

L’histoire de la philosophie serait-elle encore histoire de quoi que ce soit si la philosophie dont elle se veut l’histoire perdait en elle, avec cette vigilance, la dimension même du philosopher ?

哲学史がその歴史であろうとする哲学が、哲学することの次元そのものを、この用心とともに、己の中で失ってしまったら、その哲学史は、それでもなお何かの歴史であろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


アンリ・マルディネ『眼差し・言葉・空間』を読みながら(5)― 遅咲きの大輪、今もなお輝き続ける

2015-09-16 00:05:37 | 読游摘録

 マルディネは、1912年8月4日生まれ、2013年12月6日没。101歳と4ヶ月、この世に生きた。二十世紀フランスの大思想家の中では、101歳の誕生日を目前に亡くなったレヴィ・ストロースを数ヶ月上回る長命である(マルディネについてさらに詳しく知るには、マルディネ協会(Association Henri Maldiney)が運営・管理しているこちらのサイトを参照されたし)。
 1937年にアグレガシオンに合格し、以後高校で教鞭をとるが、戦後数年してリヨン大学にポストを得、定年までそこで多くの学生たちを育てる。私自身、マルディネの薫陶を受けた何人かの哲学教師たちを知人のうちに数えることができる。
 『眼差し・言葉・空間』(Regard Parole Espace)がマルディネ最初の著作だが、その出版は1973年、マルディネ61歳のときことである。同書に収められている論文の中で一番初期のものは1953年発表の « Le faux dilemme de la peinture : abstraction ou réalité » であるから、60歳に近くなって初めて著述を始めたわけではない。しかし、同書の出版以前は、マルディネに直接教えを受けた人たち以外には、その思想はほとんど知られることがなかった。彼に親しく接し、その教えに魅了された人たちにとっては、だから、待望の出版であった。
 1973年の『眼差し・言葉・空間』の出版は、戦後フランス哲学史を画する出来事の一つであったとさえ言える。それまでは、直接教えを受けた学生たちや講演を聴く機会があった人たち以外には近づきようがなかった哲学的教説が、初めて狭いサークルを越えて知られるようになったからである。
 とはいえ、出版とともにマルディネの名前が同時代のフランス現代思想の花形スターたちのようにメデイアに華々しく取り上げられたわけではない。表向きはもっと静かに、しかし読者の精神のもっと深いところで、その哲学は作用する。同書は、その初版以来四十年以上に渡って、哲学することの現場そのものである「感じること」の空間を読む者に開き続けている。
 本当に息長く生き続ける本物の哲学書の一冊がここにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


アンリ・マルディネ『眼差し・言葉・空間』を読みながら(4) ―「考えるな、飛び込め」

2015-09-15 00:01:56 | 読游摘録

 今日の記事でマルディネの『眼差し・言葉・空間』の紹介の四回目になるが、まだ同書巻頭のクレティアンの序論の一部を紹介しているだけだから、記事のタイトルは看板に偽りありという謗りも免れ難いところだが、そこはご寛恕を願うとして、今日も序論から一部を紹介しよう。
 ただ、紹介とは言っても、私自身の考えがここかしこに滑り込んでいるから、もうなんのことやらわからぬ文章だと言ったほうがいいかもしれない。
 一人の哲学者は、つねに同じことを言い、まさにそのことによって雄弁家や詭弁家から区別されうるとキルケゴールは主張している。しかし、そのことは、一つの思想はまったく変化し得ないということを意味しているのではなくて、そのような哲学者の思想は、定義上、それ自身からそれ自身へと変化するということを意味している。
 しかしまた、より一層特徴的かつより稀なことは、ある意味で、つねに全体のために全体を賭け、機会に応じで書かれたものであれ、厳密に限定されたある出発点から書かれたものであれ、どんな些細な文章の中にもその全思想を表現する哲学者たちがいるということである。
 プロティノスやライプニッツをその典型例として挙げることができる。それはまた、マルディネの場合にも当てはまる。その思想は、その作品のいたるところで始まる。その全体がいたるところで始まるのだ。
 ところが、まさにそれゆえに、マルディネを読み始めたばかりの読者は困惑する。順序立てて一から順に細かく部分に分けて説明してくれるような入門的な序論のようなものを期待していると、どこから始めたらいいのかわからないからだ。
 むしろ、« à corps perdu »(「無我夢中で、がむしゃらに」)その中に飛び込まなくてはならない。この仏語の表現の中に哲学への入り方を見ていたヘーゲルは、« corps » という言葉に個々の特殊な諸部分からなる総体を見ていた。
 逆説的にも、そのような総体が失われた(perdu)ところに哲学は始まるのだ。すでに都合よく切り分けられた諸部分からなる概念の構築物を対象的に眺めることが哲学なのではない。つねに至るところで始まり続ける思索の海の中に、覚悟を決めて、心身もろとも、一挙に飛び込め。それが哲学入門なのだ。
 考えるな、飛び込め。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


アンリ・マルディネ『眼差し・言葉・空間』を読みながら(3) ― 感じること・危機・驚き

2015-09-14 06:06:13 | 読游摘録

 クレティアンの序論の他の箇所(p. 19)を読みながら、マルディネ哲学の核心を探ってみよう。
 マルディネ哲学の核心にあるのは、「感じること」(« sentir »)である。
 しかし、それは、知解に対立する感覚的なもの、五感の多様性、共通感覚への転移など、哲学が古来考察してきたことがらを重んじるということではない。マルディネにおいて、感じることとは、それによって心身ともに私がこの世界に到来し、世界が私へと達し、私を捉える出来事にほかならない。この到来する出来事(événement-avènement)の比類のない力は、それのみが私に言葉を与えるものであるが、あらゆることについて決する、まさに「危機」(« crise »)にほかならない。この感じることにおいて到来する危機が、私にあるものであることを強いる。と同時に、自分で決めなければならないという可能性についても、その射程と範囲を規定してくる。
 マルディネは、この危機へと様々な記述を通じて繰り返し立ち返る。感覚をめぐる伝統的な問題を扱うときでさえ、出発点はこの危機にある。この危機において感じることとは、ある一個の感覚主体において時に応じて生じるあれこれの情感などではなく、開かれた以上はもはや決して閉じられることのない開けによって私を世界に開くことそのことなのである。
 この「驚き」(« surprise »)があらゆる「手掛かり」(« prise »)に先立つ。マルディネは好んでこう言う。このテーゼに従えば、この驚きをもたらさずにはおかない危機から出発しない哲学的思索は、すべてその出発点において間違っている、ということになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


アンリ・マルディネ『眼差し・言葉・空間』を読みながら(2) ― 〈開け〉について

2015-09-13 07:03:11 | 読游摘録

 昨日紹介したクレティアンの序論の最終段落の続きを読んでみよう。
 まず、« Rien n’a lieu » という表現の直後に、やはり括弧で注記する形で、« au sens fort de cette expression qui conjoint l’espace et l’événement »(「空間と出来事とを結びつけるこの表現の強い意味において」)と、この表現への読者の注意を特に促している。 « Avoir lieu » (「(出来事・事件などが起る、(行事などが)行われる」)という表現は、それら出来事・事件・行事等がある場所を持つということ、「ところを得る」ということを文字通り意味している。
 クレティアンによれば、マルディネ哲学の根本的テーゼの一つは、« Rien n’a lieu que dans l’Ouvert et par lui »(「何ごとも、〈開け〉において、それによってしか、ところを得ない」)という命題に凝縮される。この〈開け〉は、物理的空間でも、幾何学的空間でも、心理的空間でも、社会的空間でも、神秘的空間でもない。
 これらのいずれかの空間に無自覚に縛り付けられていたり、出来事の生ずる以前に既に獲得されている理解の枠組みをただ適用するだけだったり、それと気づかずに事実的な実証性に出来事を還元するとき、私たちは、実のところ、出来事をそれとして見てはいない。したがって、その出来事に相応しい記述を与えうる証人となることもできない。
 大きな出来事はそれと気づかれないように過ぎてゆく。決定的に重要なことはひそやかにやって来る。そのような真に大切なことは、それ自身の「計り」とともに、「大きさ」の新しい意味とともにやって来る。だから、既得の計測器・計測基準で何でも計ろうとする者たちには、決してそれとして現れることはない。
 しかし、それら「共通の尺度」から自らを解き放ち、ゆっくりと集中して身を構えるとき、その者の眼差しは、より生き生きとし、曇りなきものとなり、その経験は、より自由となろう。
 マルディネの哲学は、省察する出来事や文学・芸術作品を「あるがままにさせる」(« laisser être »)眼差しの実践、感覚の訓練へと私たちを促す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


アンリ・マルディネ『眼差し・言葉・空間』を読みながら(1) ― 《 le rien 》 について

2015-09-12 19:27:42 | 読游摘録

 Henri Maldiney, Regard Parole Espace の新装版が2012年に Cerf から、アンリ・マルディネの Œuvres philosophiques の第一冊目として、生誕百年を期に刊行された。この新版には、旧版(L’Age d’Homme)にはなかった、同書内で言及されている絵画作品の写真版も収録されている。マルディネ自身の指名で、Jean-Louis Chrétien(ジャン=ルイ・クレティアン)が哲学著作集全体の序論(p. 12-29)を書いている。
 その序論の最後の段落に、 « Maldiney médite le rien, l’Ouvert, puis, à partir d’Art et existence, le vide dans l’art chinois »(「マルディネは、le rien、〈開け〉、そして『芸術と実存』からは、中国芸術の空について省察している」)とクレティアンは書いているのだが、「le rien」のすぐ後ろに、括弧で注記する形で、« mot paradoxal puisqu’il provient du latin res, qui signifie la chose, et avait du reste ce sens dans le français médiéval »(「逆説的な語である。というのも、この語は、「もの」を意味するラテン語の res に由来し、しかも中世フランス語ではこの意味で使われてもいたからである」)と付け加えている。
 もともと「もの」を意味していた語が「無」を意味するようになった語義の変遷史は、Dictionnaire historique de la langue française (Le Robert) に詳しく辿られているが、それをごく簡単にまとめてしまうと、最初は具体的なものを指していたのが、やがて一般的なものを指すようになり、さらに抽象的あるいは空虚なもの、あるいははっきりと名指すことが憚られるものについて語るときにも使われるようになり、否定の副詞 ne と組み合わせて「何もない」という意味に転じ、その ne なしでもその意味で使われるようになったということである。古仏語から全否定的な意味を持っていた « néant » とは、その点において、好対照をなしている。
 例えば、« Rien n’a lieu » と言うとき、それは「何ごとも起こらなかった」ということだが、上記の « rien » の語源と « lieu »(「場所」)の意味とにより忠実に訳せば、「何ものもところを得ない」 となる。つまり、この表現は、「何であれ、そのところを得なければ起こらない」というテーゼを前提としている。