こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年8月14日 水曜日・深夜の夜想曲 キャメル 「島の風景」'81

2013-08-14 23:59:48 | クロスオーバーイレブン


■キャメル 「島の風景」1981■
この曲は、クロスオーバーイレブンでは、定番の曲だった。
当時、エアチェックをして録音したカセットテープを、夜な夜な、魂を癒す曲として、好んで聴いていた。

このキャメルの「島の風景」を収めた作品が『ヌード(Mr.Oの帰還)』。

Mr.Oとは、昭和二十年八月に日本が敗戦したことを知らずに、約三十年間に渡って、フィリピンのルバング島に潜伏していた、小野田寛郎少尉のことを指す。

当時、接触を試みた方とのやりとりの後、昭和四十九年三月十二日に、飛行機で日本に帰還した。
飛行機が、空港に着陸する際に、必死に窓を手で開けようとした様、そして、その番組を、三ノ輪のおばあちゃんの家で見ていた記憶。
普段は極めて冷徹だったおばあちゃんが、そのテレビを観ながら、ポロポロと泣いていた風景が思い出される。

国内に戻った小野田さんは、上官からの使命解除を受けて、初めて彼の中での戦争が一旦終わった。

***

そこからも、遠い遠い2013年8月14日。
東向島の部屋で、開け放った窓から聴こえるセミの鳴き声を聴きながら、ひたすら意味も無く・高く積まれた・集めた紙類のゴミからハサミとノリと絵の具で、日がな一日、スクラップブックを作っていた。

スクラップブック 制作途中その壱

スクラップブック 制作途中その弐
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2013年8月14日 水曜日 コクトーツインズ 「アロイシアス」'84 ~「神々が愛した女たち」より~

2013-08-14 13:11:38 | 音楽帳
まずは、1曲。
コクトーツインズの1984年作品「神々が愛した女たち【=天使・女神】(元タイトル「Treasure」)」。
この作品からB面に入った、あの夏に体内に響いていた「アロイシアス」を。


■たすくさんからのお便りへの返事を兼ねて■
この作品「トレジャー」は、1曲のみならず、じぶんがもしも死んだ際に、あの世に持っていきたい、未だに愛おしいレコードの1枚。

4ADレーベルが、インディーチャートを席巻した時代。
しかし、このアルバムが作品として「おぎゃー」と産まれた1984年には、じぶんは聴いていない。
その後の1985年4月以降・突入していった素浪人時代、御茶ノ水に当時あった輸入盤レコードショップ「シスコ」で手に入れた。

しかし、このアルバム全曲を、本当の意味で聴き込むことになるのは、自己破綻の末の自死未遂を経た、1987年からの大学時代。
襲ってくる幻覚の中で、強度の抗精神ヤクを飲み、ひたすら机で絵の中にじぶんを滑り込ませようと描き続けるなかでの、癒し・祈りとしてすがったアルバムだった。
夜から明け方まで、繰り返し繰り返し、ひっくり返し聴くことで、じぶんの魂が鎮められた作品だった。

80年代の音楽で、永遠を獲得した奇跡を挙げるならば(YMO+ソロ+周辺音楽は別として)、ロキシーミュージックの「アヴァロン」と並ぶコクトーツインズの「トレジャー」。
エリザベスのヴォーカルの素晴らしさのみならず、全てを包むアトモスフィア。
そして、A面・B面と、どう考えても完璧すぎる曲の配列の在り方。
別世界への入り口。
この世では無い、あの世。永遠なるチューン。

***

東京・広島・長崎・沖縄とアメリカ人が日本人を虐殺した末に、やっと敗戦を宣言した8月15日が、また明日来る。
そこから約70年近い時間が流れたが、アメリカが日本のみならず全世界を支配する世界は、何一つ終わっていない。
かつてはソ連と連携し、現在では中国と連携した世界征服。
それでも、われわれは、その中を生きる。







スクラップブックのあるページに、朝起き抜けに色を塗った。
コメント (2)
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2013年8月13日 火曜日・深夜 「皮膜、その内側への浸透度の頃合い」

2013-08-14 02:03:51 | 写真日和

ライヴというのは「その瞬間」。
もともと、トロい「わたし」。
老年もあり、瞬間に捉える能力・聴力がおとろえているように思う。

それは昔も今も同じなような、気もする。
しかし、かつて中高生の濃厚・圧縮された期間に、幸福なキズを負った/負わされた「音」は、深い無意識に刷り込みがされているので、ライヴに限らず、ラジオ、街に流れる音には、瞬時に反応する。

***

昨日を振り返る「根に持つ」性根の「わたし」。
しかし、実際にじぶんのブログを振り返ることはない。ゆえに、同じような寝言と妄言を吐き続ける。
病床で「おじいちゃん。そのYMOの話は、もう100回聞いたよ。」と、可愛い「あまちゃん」のような、居ないはずの孫に言われながら、ボケ老人化。

キズを刻んだ音へは瞬時反応の一方、ライヴで聴こえた音全体を、瞬間キャーキャーと跳ねて・騒いで。。。そして、すぐに忘れていける若い十代の脳力が無い。

日曜日の「ワールドハピネス2013」の「現場」を通過して(何度も同じ寝言を語ったような気もするが)すぐに言語化出来ない。
もやもやした塊だけが、残留する。
2日後の今夜。断片化されたものはあれども、まだまだ言語化するには、ほど遠い。

***

今夜で一旦、業務終了。死者をお迎えする、お盆が来る。

帰って、缶ビールを呑みながら、ひたすらハサミとノリを手にして、パンツ1枚で・首にタオルをして、他人には意味の無いスクラップブックに・今日持ち帰った・人間がゴミと呼ぶ何かを貼り付けていた。

違うのは、明日からしばしの休みということもあって、貼り込んだ紙面に、久しぶりに絵の具を垂らす。
近時、体内で、何かをつくりたいという衝動だけが燃えている。チラチラと。あくまで「わたし」なる不可思議な体内のみでの事象。

いざ、絵の具を垂らすと、せっかく創った「地」が全てつぶれてしまい「ああああっ」ともなるが「まあ、いいか」と思うしかない。

【ゴミ・スクラップブック、未だ制作過程】

11日・日曜日。21時に終了した「ワールドハピネス2013」。
毎年、最寄り駅である新木場駅までの行列は、牛歩で1時間半を要する。
今年は、お腹・胃の調子が悪いので、たまらずに、駅へ向かう人と反対側に歩き出す。どーでもいい、なる心境で。
人が居なければいいか、という内的欲求。暗がりに向かいたいのもあり。

途中、往路で乗ったバスの停車場の暗がり。ケータイの明かりを頼りに時刻表を見るが、我が島に向かうバスは無いと知り・軽いショック。
「歩かねばならねえべえ。」と思って、東京と呼ばれつつも、でもおきざりにされた、人も居ない道を歩く。
何一つ、お店の明かりは無い時空を歩く。
大学時代、深夜から夜明けまでの夜間アルバイトをした、新東京郵便局を汗だくで通過する。

そして、途中、亀戸まで行けるバスが横を通り過ぎる。
アレに乗れば、ああ・亀戸まで行けたものを・・・、と思いつつ、途中で一軒・峠の茶屋のようなコンビニエンスストアーでトイレを借り、首に巻くタオルをびしゃびしゃに濡らす。
汗を流しながら、神経の集まる首周りに、そのタオルを巻いて熱中症を防止する。
バスに乗れなかった恩恵は、道で出会った孤独なる風景。
そこにシャッターを切り続ける。
バスに乗ってしまったら出会えなかった、夏の深夜の風景。

結果、2時間歩いて、亀戸に到着。
ボロボロで、ヨダレを垂らすくらいの「死のロード」。
脚はパンパン。脳はモーローとしている中、東武線で帰る。

帰れば、12時を回っていた。
缶ビールを開けつつ、睡眠薬も不要なまま、死に堕ちていった。
老年の「死のロード」の後遺症。
それは、2日後の今日も続いていた。



「はんまたきれた/ぬんこまるた」






















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