こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2017年4月 ポール・マッカートニー「ワン・オン・ワン ジャパンツアー2017」

2017-05-02 23:00:00 | 音楽帳

まさか2017年という想像もしない(未来)の地点で、ポール・マッカートニーのライブを見る。
そんなことになろうとは、ゆめゆめ思わなかった。
まるで浦島太郎のような感覚。
 
会場に来ていた人の年齢層は幅広くさまざまだが、リアルタイムの経験をしてきた先輩などは、特にそんな想いだろう。

時は止めることなど出来ず、常に流転し、歴史は常に更新され・上書きされていく。
「この人がビートルズなの?」という十代が居る、その「今」という一線上にポールがいた。
 
***
 
複雑な言い回しだが、ビートルズはポール・マッカートニーのバンドだったんだな、ということをライブで実感する。
そして、帰ったあと数日後、想い出したぼろぼろの本を出してきて、ふたたびめくった。
 
1940年・・・ ジョン・レノン、リヴァプールに生まれる。
1950年・・・ 土岐留雄、東京に生まれる。
1960年・・・ ビートルズ結成。この年、東京は、安保改悪反対のデモで埋まった。 
 
とはじまる一節。
精神科医中沢正夫さんの1986年の著作「他人の中のわたし」。
中井さんが実際に出会った患者と過ごした日々のお話し。

中井さんが仮称・土岐留雄に出会ったのは、1981年・彼が31歳の日。
「・・・それは一見して旧い旧い分裂病者の姿であった。 精神分裂病が治りきらぬまま、かたまっている状態であった。
かたまっているといっても、薄皮の下にはまだマグマが燃え盛っていて、いつ噴火するかわからぬ状態であるうえ、
人格破壊の深い爪あとを残したまま仮の平静状態になっているのだった。」(「時間を止めた男」より一部抜粋)


彼は1965年(15歳)の春に発病した。
中井さんは、話し込んでいくうち、自閉的で情報にとぼしい彼から、次第に理解する手掛かり(CUE)を掴み始める。
彼の一日の全容が分かり始める。

「AM7:30 起床。朝食を取らず、AM10:00までレコードを聴く(第1回目)。
・・・喫茶店・・・昼食・・・散歩・・・PM2:00 レコードを聴く(第2回目)・・・・PM7:30~10:00 レコードを聴く(第3回目)。。。」


彼はジョン・レノンがリードヴォーカルを取った曲だけを選曲して2時間40分に編集し、それを3セット、つまりは8時間。
毎日毎日ビートルズの好きな曲を聴くことを儀式的日課としていた。
そして、彼とビートルズとの蜜月、見事な時間軸との符号を中井さんは読み取っていく。

1970年ビートルズが解散したとき、土岐留雄は20歳である。
「・・・彼は1970年で時を止めて生きているのである。
自分の人生がそれより先へ進むことを拒んでいるのである。そのため1日8時間、彼はビートルズ・サウンドに乗って、1960年代に毎日遡行していたのである。」


これは何も彼(土岐留雄)特有のことではない。
YMOや80年代を巡る冒険の日々であったじぶんも同じであり、当時のビートルズファンも同様であろう。
じぶんが彼に寄せるシンパシーは、同じ病人であるという自覚でもある。

中井さんは、彼の凝り固まった状態を「治す」ことが、果たして彼を幸せにするのか?と書いている。
「・・・土岐留雄の手段は・・・哲学的である。
彼は、単に時間を止めているだけではない。ことこのテーマでは、彼は現在との間に通路をもっているのである。
・・・彼の病を治すとは、おそまきながらこの細いチャンネルをつかって、”彼の時間”を進ませ、われわれの時間(物理的時間)まで追い付かせることに他ならない。
そのことは、今の彼からあの”豊かな1960年代”へ遡行する楽しみをとりあげることになりかねない。
治ったとき、それに見合う新しい夢を将来に向かってもつことができないとしたら、彼は治ったことを悔やむだろう。
それでも治す!ということになると精神科医とはつまらぬ商売である。」

中井久夫さんも「世に棲む患者」で、同様の考えを記していた。
 
何を現実と呼ぶのか?何を妄想と呼ぶのか?
何が正常であり、何が異常なのか? 
それはその人その人の内と外のバランスにあり、誰にも断言できない。
 
音楽と言うのは1つの有益なドラッグだと思う。
言い方によっては、現実逃避に過ぎないと一喝されるだろう。
われわれが頭の固い親父に、幼いころよく言われた言葉であろうし、あまり音楽には詳しくなさそうな中井さんの口調や文章にも同じくだりが出てくる。
 
しかし、それでも、音楽は(薬品ではない)視えないドラッグだと思う。
それを細野さんは「グッド・メディスン」と言っていたが、そういったことが成り立つことがある。万全万能ではないけれど。

目の前の痛みやつらさを軽減させる効果を持つことは十分にありえる話だし、苦しい人にとっての音楽が1つの救いであることを妄想と誰が断定しようか?
もし現実逃避だったとしても、それが何だ、という風に、病人であるわたしじしんは思う。
 
他者がどう言おうが、その人にはなりきれない。
それは怖い事実だが、音楽を通じて外界と繋がることができ、他者と交流することもできる。貴重な「出口」への回路だ。
 
***
 
初めて目の前で見たポール・マッカートニーのショー。
まさに「ショー」であった。
 
70年代幼少の頃にビートルズを知り、その後しだいに追体験として知っていった彼らの音楽とメンバーそれぞれの在り方。
ポールは、楽天家で軽いなあ、という存在感はよく言われたことだし、目の前にはそのまんまの姿が見えた。なんとも軽い。
 
どれだけのつらい時間と物事を超えて、この人は今ここにいるんだろうか、というこちらの想いをよそに、フットワーク軽く2時間半という長いライブをぶっ通してこなす74歳の姿。
 
今ここを生きること。
日々のリハビリとトレーニング。
生き続けることに自信などありはしないから、日々今を生きる。

こうして、先を歩いて灯をともしてくれる陽気な引率者がいることは、この世にとって貴重なことである。
最近、そういったことをよく思う。

■Paul McCartney 「New」2013■


2017年4月27日 東京ドーム
コメント
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