こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

1982年4月 B-52’S 「メソポタミア」

2017-05-09 23:00:00 | 音楽帳

作品「メソポタミア」は、B-52’Sの一応3枚目のアルバムとなる。
AB各3曲・計6曲なので「ミニアルバム」とも言われた。
普通LPレコードが国内盤2,800円する中、1,980円と格安だった。
じぶんにとっては初めてB-52’Sを1枚通して聴けた作品だった。

1982年春の新譜発表に伴い、「メソポタミア」は過去2枚の曲と一緒に、FMラジオでさかんに掛かっていた。
このLPレコードが不思議だったのは「ミュージックマガジン」で今野雄二先生も指摘しているように、国内外のレコードにより収録曲の長さが違う。FMでの新譜紹介番組によって、なぜか同じ曲なのに分数が違い、それがナゾだった。

この作品は、トーキングヘッズのディヴィッド・バーンがプロデュースを行っている。
1・2枚目のスコンと突き抜けた脳天気さに陰りが。。。という言い方をする人が多かったが、じぶんには初めての作品として楽しめた。個人的には、A面3曲目の「DeepSleep」という渋い曲が好きだった。この曲は、桑原茂一さんが当時ラジオ番組でも選曲していた。

この作品「メソポタミア」が発表される前、1981年のこと。
土屋 昌巳さんが選んだ「ニューウェイヴレコード100枚」(FMレコパル記事)の2枚が、B-52’Sの1・2枚目で、それが頭に残っていた。
銀座ソニービル地下にあった中古レコード屋「ハンター」で、海賊盤2枚組ライヴLP「BombsAway」を4千いくらという高額をはたいて買ってしまった。

LP1枚買うカネさえないのに、なぜこんなレコードを買ってしまったのか?
こういう気の迷いと衝動買いと失敗が中学・高校時代には多くあった。
ロバート・フリップ&ザ・リーグ・オブ・ジェントルマンもそうだった。

買った足で帰って聴いたら、絶望的に想定外の音で遠い目になる。。。
数千円のビニ本を「ジャケ買い」ののち、開封してスカだったときに似ていた。

正規盤LPであれども同じ。
1980年、本当は別のLPレコードを買うはずが、中学生のとある日、教授の「B-2UNIT」を2,800円で買う。
帰ってターンテーブルに乗せて初めて聞いたときの呆然とした夕暮れどき。。。
オレンジ色に染められた部屋の中「ディファレンシア」が流れていた。そのシーンを想い出す。

「B-2UNIT」は聴き込み、さまざまな経緯ののちに愛聴盤となるが、「BombsAway」への絶望感は回収しようもないものだった。アメリカのパブかどこかで行われたライヴを、遠い位置から盗み録りしたもので、舞台の音楽よりも聴衆のざわめきと声の方が大きく、とても落ち着いて聴ける代物ではなかった。

結果的に泣く泣くこの2枚組LPは手放すことになった。
こんなことだったら、アイランドレコードがセールをしていた期間にB-52’SのオリジナルLPを素直に買えばよかったのである。

しかし、バクチ打ちというものは、理屈ではない、リスクを背負う方へと選択が傾いていく。
この誤った選択により、どれだけぼったくりに遭ってきたか。
実にかっこ悪いが、それをポジティヴに言い回しを変えると。。。「高い勉強代だったが、経験としてムダではなかった。」
そう。少なくとも、B-2UNITはムダではなかったのは事実である。



■B-52's 「Deep Sleep」1982■

PS:早く教授の「Async」を聴かねば。。。
といいながら、今夜も逸脱。録音した(吉田)拓郎さんのラジオを聞きなおしている。


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1982年4月19日 月曜日 「WEEKLY HOT VOICE」

2017-05-09 23:00:00 | 音楽帳

1982年、朝日新聞の月曜夕刊に「WEEKLY HOT VOICE」という2面ページがあった。

いろんな話題を2ページにまとめた企画。
この紙面の作り方や内容は、雑誌「(当時の)宝島」や「スタジオ・ボイス」に近く、毎週楽しみに読んでいた。

「中川敏明の廃盤エレジー」というコーナーがあり、廃盤になってしまったLPレコードにまつわる想い出が詞的文章で語られていた。

第一回目は、ピート・シーガーの「レインボウ・レース」。
チャールズ・ミンガスやエリゼッチ・カルドーゾという音楽家の存在も、当時このコーナーで初めて知った。

このページは1983年まで続き、途中細野さんのコラムが登場した。
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