引っ張り出してきたシングル盤とCD。。
極私的備忘録。
“サルタン(1stアルバム)”を聴いたのは春だった。
いつものように北千住のレコード屋さんにチャリンコで立ち寄ったら、室内いっぱいに”サルタン”がかかっていた。
やたらプチプチいうレコード盤で、昔ながらのスピーカーから響くのは、あたたかみのある音だった。
レコード棚に入ったレコードを一枚一枚、カタカタ音させてめくりながら、社会的束縛の外側、悠長で静かな空間に流れる、マーク・ノップラーのギターを聴いた。
それからしばらくはCDの”サルタン”をiTunesに入れてチャリンコで走りながら聴いていたが。。。。
そのうち夏が来て、懐かしい一枚を今年の夏も押し入れから取り出した。
毎日苦しみに満ちていた1985年。
そんな浪人時代の「あの夏の日」を思い出させる一枚、”ブラザーズ・イン・アームズ”。
突き抜ける青空をバックにしたギターのジャケット。
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個人的な音楽遍歴だが、、
それまでの先人たちが作ってきたロックやルーツミュージックに「NO!」と拒絶し、アフターパンクからニューウェイヴに生きる道を見い出した70年代末〜1983年。
・・・それが終わってしまった感の1984年以降、周囲の世界はまた元通りに、こころは暗い雲で覆われ出してしまった。ロックやポップミュージックのあり方に一撃を喰らわしたはずのニューウェイヴは次第に収束方向に向かい、みんなお行儀の良いありきたりな音楽スタイルばかりになっていった。
だから1984年以降は、まだ高校生だというのに、「それでもあらがい、独自の方法で道を見つけようとする音楽」を探す旅になって行った。
つまり本来は「アメリカで大ヒット!」なんていうフレーズにくくられる世界とは無縁のはずだったが、一発聴いて痺れる独自の音楽がほぼ無い中で、それまで繋がっていたアメリカ・イギリスのチャートやシーンへの注視をやめるわけにいかず、中には良いものもあるだろうと未練がましくしがみつくように、メジャーシーンをまだ追いかけていたのだった。
ほんとうはアルバム”ブラザーズ・イン・アームズ”に入らないはずだったという「ウォーク・オブ・ライフ」、そして、アルバム始まりの「So Far Away」。このシングル2曲が無かったら、自分はこのアルバムを記憶にとどめなかったかもしれない。
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自分がFM雑誌を初めて買ったのは1979年、中学生時代。
雑誌には毎回さまざまなアルバムが紹介されていて、白黒のザラ紙に印刷された広告やレコード紹介にある数センチ角の小さなジャケット写真は魅惑的だった。こんなバンドがあるんだ、とか、いつか聴いてみたい、と知らない広い音楽世界を想像させた。ダイアー・ストレイツはそんなバンドの一つだった。”サルタン”も美しいジャケットデザインでいつか聴いてみたい、と思いながら時は流れてしまった。
そんなダイアー・ストレイツが突然ブレイクしたのが1985年、5枚目の”ブラザーズ・イン・アームズ”からシングルカットされた「マネー・フォー・ナッシング」。この曲が大ヒットしたのがきっかけだった。MTVをテーマした内容やスティングが一緒に制作していることが話題となったこの曲はビルボード1位となった。
正直言って「マネー・フォー・ナッシング」は好みではないが、その前後にシングルカットされた「ウォーク・オブ・ライフ」「So Far Away」をよく聴いた。その後も「愛のトリック」等何曲かラジオから録音して聴いたが、アルバム全体を通して聴くことなく40年近く経った。
しかし、まさかこのアルバムが歴史に残るくらい売れる(3,000万枚)なんて考えもしなかったし、今までナゾだった。
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この数年、夏になると”ブラザーズ・イン・アームズ”を聴いている。アルバムA面「So Far Away」「マネー・フォー・ナッシング」「ウォーク・オブ・ライフ」「愛のトリック」といきなりシングルカットされた曲が4曲もたたみかけてくるが、(私にとって)この数年の発見は、それ以降にある。マーケットを意識したビジネスライクな曲はあまりもう聴いても意味が無いし。。。[もう社畜業から足を洗い、卒業して次へ向かっているし。。。商売とは関係ないところで音楽に対峙したいな。。。]
自由なギターだけのサウンドなど、商業色の薄い箇所がA面5曲目以降に現れる。例えば「Why Worry」。これだってキャッチーでビジネスライクな曲として始まるのだが、途中から主題を逸脱していく。果たしてこの曲が8分必要か、といえば、もっと短く仕上げることはできるだろう。そこを必要以上にゆとり持たせた長さは、レコードを聴いていることを忘れさせてしまう。それまでのA面4曲の世界を消し去るように、全く違う世界に聴く者をいざなう。
マーク・ノップラーのソロで大好きなアルバム(サントラだが)に”cal”というアルバムがあるが、ここにも同じようにすごく長い分数の曲がある。同じことはアルバム”サルタン”にも言える。
まるで室内にギターを抱えたマーク・ノップラーと居て、目の前でポロンポロンとギターの練習がてらメロディを奏でているみたいな錯覚を抱く。そんな箇所を発見しては音のあいだに自分の身をたゆたわせ、微細な音の余韻にひたる。
約40年を経て聴いたアルバムには、そんな新しい発見があった。何一つ救いの無い、しかし絶望というにはいまさら、の状況の2024年。そんな夏のささやかな出来事。。。こんなことが自らの突破口になればいいな。。。
■Dire Straits「Why Worry」1985■