先日、マリアンヌ・フェイスフルが亡くなった。
自分が彼女の存在を知ったのは、1982年4月。これまた当時購入していた雑誌「ミュージックマガジン」でのことだった。この雑誌広告に、アイランドレコード創立20周年を記念して 過去の作品を一律2,000円で販売するキャンペーン広告があり、対象レコードのジャケット一覧がのっていた。その中の一枚がマリアンヌ・フェイスフルの「ブロークン・イングリッシュ」だった。ジャケットでは、タバコを持つ手が目のあたりにかぶさり、その陰影で彼女がどんなまなざしか?わからない。まるでまぶしいみたいにひさしにした手。裏の写真ではその手を外し、こちらに睨みを利かせて、メンチ切ってる。その姐御のモノクロポートレートがすごく印象的だった。その後も1982年には「愛の戯れ」が日本国内発売になり、興味をかきたてられたが、おこづかいと優先順位の兼ね合いで聴く機会を逸したまま時が過ぎた。
そんなマリアンヌ・フェイスフル の実際の音楽にやっと触れたのは、翌1983年10月秋だった。深夜23時、クロスオーバーイレブンにて選曲された曲をエアチェックすることになり、1983年の新譜「聖少女」から2曲。「タイムズスクエアの彷徨」「朝来たりても・・・」を聴いた。
80年代当時、彼女は“元ミック・ジャガーの恋人“ということと”元はアイドルのような声だったが・・”という2点がよく語られた。妖精のようだった彼女が数年経ったら、全く違う姿で皆の前に現れた。その激変ぶりがかなりショックだったことは、話す方々の文面からよく伝わってきた。
自分はそんな先輩たちが経験した可憐な姿を知らず、「聖少女」で彼女に出会った。精神の病、それにアルコールとドラッグ中毒を経て死の淵から戻ってきた彼女のしわがれて潰れた声にすごく優しさを覚えた。自分は当時まだ17歳だったが、親や荒廃した家庭、学校やそれを取り巻く社会に振り回されて、既に痛みと苦しみでぼろぼろに疲弊し切っていた。そんな自分にとって彼女の声と歌は同類の仲間と感じさせた。随分と一方的な想いだが、似ていると思った。こういった感覚は理屈ではない。音楽というものは、発語したたった一つのせりふだけで、その声の背後にあるその人の魂のありかみたいなものがわかってしまうから。
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1983年10月25日出会ったのは2曲だったが、聴いて瞬時にその声に同じ匂いを感じ、どうやって生きていけばいいのかわからず、立ち往生している自分のココロに響いた。
そこから長い時間か流れたが、いまだにどう生きればいいか全くわからない。10代から解消できぬまま抱えた抑うつや倦怠感を引きずって、50代の下り坂を転がっていく。そんな道の途中で、自分のありかを探して彼女のアルバムを取り出して聴くことが未だにある。(ここ一二週はチャリで走らせながら「シークレット・ライフ」を聴いている。)
あの1983年に聴いた2曲は、あれから40余年経った今でも自分のココロを震わせる。昨年ブログに書いたハロルド・バッド同様、マリアンヌ・フェイスフルにも長くに渡ってお世話になってきた恩義がある。底に居る安定感とでも言うのか、彼女の音楽に漂う倦怠感は優しく自分には響く。他人にとってどうかは分からないが、“売れる”音楽、“高尚な”音楽よりもはるかに、自分にとって魂の支えや救いになる音楽だと思っている。
■マリアンヌ・フェイスフル「タイムズスクエアの彷徨」1983■
ひそかに聴くアルバムたち
PS:
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20250219河津桜もあと数日だろうか