現実今中国の二胡の中には、かなり実験的ではありますが、胴の上側の部分に棹をビス止めしたものもあります。棹が胴の中に入っていないのです。
しかしそれの効果というのが、際立って今までの二胡より良い物という風には感じられないのか、今一つ市場に定着はしていないようです。
この棹を止めるところが、ちょうど低音部を司るところです。ここの木の厚みを厚くすると、低音部はシッカリ安定しますが反対に、高音の方が上ずりやすいのです。
中にはちゃんとバランス良く鳴る物も有り、日本在住の中国人演奏家でも使っている人はおられます。
あと何台か見たことはあるのですが、殆どが高音部の鳴りを悪くします。
物つくりというのは、かなり作る上ではねちっこいですから、色々試して来たのだと思います。
ですから古典的な民族楽器をそのまま残そうとする場合は別として、
物つくりの手にかかると、常に分解と改造が施されていき、それらの良い結果だけが、皆さんの手元に残って行きます。
二胡の元々の竹の二胡の原型が、様々に旅人の手により移動して、竹の手に入らない所に行ったとします。
そうすると、他に思いつくのは木の胴を作るということですね。
木の胴にしたとすれば、胴の上の穴に差し込むだけでも、二胡は作れたはずなのですが、たぶん私みたいなもの作りがやってみたはずなのです。
物つくりというのはそう言う人種ですから。
しかし、この棹が胴を貫通するというのは、あくまでも残りました。それは二胡の構造上他の楽器と同じように、胴の上だけで棹を支えると、なにがしかの、音のトラブルが起こりやすかったのではないでしょうか。
また、私のやった実験の一つに、胴の中の棹の部分をいろいろ削ったりもしてみました。
細くしたり、穴をあけたりしてみたのですが、どうも今一つ、はっきりと音が良くなったということはありません、むしろ鳴りが心細くなります。
もしかしたら、胴の中の棹の部分が、音をじゃましているのではないかと考えたのですが、
結果としては、棹をそのままの太さで、胴を貫通させるのが、正しいようです。
弦楽器のルーツというのは、いろいろ取りざたされています。
猟をする弓矢の弓に直接椰子の実の殻などを取りつけて木の棒で擦ったりする、ブラジルのカポエラという格闘技系の踊りなどに使われる、素朴なベリンバウという楽器が有ります。
これを見ていると、まさにここから弦楽器は出来たのだと良く解ります。
弓は何処か一か所の期源とは思われません。
猟をするという生活の中で、作りだされたものと思われます。
それまでの手の延長である槍やこん棒などとは違った次元のものですから、どのように考えだされどのような人が作ったのかはとても興味がありますが、話が逸れそうなのでとりあえず弓が有れば、弦楽器は必然的に出て来るのが判ります。
日本の、儀式の中にもお払いの一種として弓の空打ち等も有りますね。
ただ遊びで、弓を空打ちしても、強さによっては音が違うのも解りますし、そのうちそれこそ太鼓の上にでも載せれば、音が大きく響くのも解って来たと思います。
ですから、二胡の期源というのは、むしろその胴の作りの問題ではないかと思います。
太鼓自体をどのように作るかという問題でもあります。
当初太鼓は、単に木を刳り抜いた物を叩いたのでしょう。
そのうち、木を刳りぬいて、叩く部分だけ薄くすれば、良く響くことに気がついたはずです。
手近の薄い物と言えばその当時、(石器時代、狩猟時代)ならば、皮に目が行くのも当然ではないでしょうか。
最初は緩かった張りも、日本の鼓のように皮に糸を通して、それを引っ張るようにすれば皮が緊張すると言うのも気がついたのでしょう。
インドのタブラ等も同じ構造ですね、木の胴の上に皮を乗せて、糸で周りから引っ張っています。
皮はだんだん緩んできますし、季節によっても湿気で緩みますから、この糸を締めて緊張を取り戻す方法というのは、太鼓の進化でしょう。
また住む地域によっては最初から、椰子の実や、竹、瓢箪等のように、内部が空洞になっている物も手安く入ったと思います。
太鼓を作るのに、もし手近に空洞のある素材があったとしたら、敢えて人はその素材を使わずに、わざわざ丸太を刳り抜くでしょうか?
アラブの楽器のレバーブが、色々変わって行って、二胡になると言うのは、どうも変な感じなのです。
棹が胴を貫通する構造といい、音が胴の後ろに出易いということなども含めて、スピーカー型という風に考える人もいます。
確かに、皮の部分がスピーカーのドライバー部分に当たると言えば言えるかもしれません。
そして、その考えに基づいて、作られた二胡もあります。
ホントに良く皆さんが目にする、朝顔型のスピカ―のように作られています。
しかしこの形ですと、あの二胡の揺れるような音というより、只大きな音のする楽器という感じです。
しかしそれの効果というのが、際立って今までの二胡より良い物という風には感じられないのか、今一つ市場に定着はしていないようです。
この棹を止めるところが、ちょうど低音部を司るところです。ここの木の厚みを厚くすると、低音部はシッカリ安定しますが反対に、高音の方が上ずりやすいのです。
中にはちゃんとバランス良く鳴る物も有り、日本在住の中国人演奏家でも使っている人はおられます。
あと何台か見たことはあるのですが、殆どが高音部の鳴りを悪くします。
物つくりというのは、かなり作る上ではねちっこいですから、色々試して来たのだと思います。
ですから古典的な民族楽器をそのまま残そうとする場合は別として、
物つくりの手にかかると、常に分解と改造が施されていき、それらの良い結果だけが、皆さんの手元に残って行きます。
二胡の元々の竹の二胡の原型が、様々に旅人の手により移動して、竹の手に入らない所に行ったとします。
そうすると、他に思いつくのは木の胴を作るということですね。
木の胴にしたとすれば、胴の上の穴に差し込むだけでも、二胡は作れたはずなのですが、たぶん私みたいなもの作りがやってみたはずなのです。
物つくりというのはそう言う人種ですから。
しかし、この棹が胴を貫通するというのは、あくまでも残りました。それは二胡の構造上他の楽器と同じように、胴の上だけで棹を支えると、なにがしかの、音のトラブルが起こりやすかったのではないでしょうか。
また、私のやった実験の一つに、胴の中の棹の部分をいろいろ削ったりもしてみました。
細くしたり、穴をあけたりしてみたのですが、どうも今一つ、はっきりと音が良くなったということはありません、むしろ鳴りが心細くなります。
もしかしたら、胴の中の棹の部分が、音をじゃましているのではないかと考えたのですが、
結果としては、棹をそのままの太さで、胴を貫通させるのが、正しいようです。
弦楽器のルーツというのは、いろいろ取りざたされています。
猟をする弓矢の弓に直接椰子の実の殻などを取りつけて木の棒で擦ったりする、ブラジルのカポエラという格闘技系の踊りなどに使われる、素朴なベリンバウという楽器が有ります。
これを見ていると、まさにここから弦楽器は出来たのだと良く解ります。
弓は何処か一か所の期源とは思われません。
猟をするという生活の中で、作りだされたものと思われます。
それまでの手の延長である槍やこん棒などとは違った次元のものですから、どのように考えだされどのような人が作ったのかはとても興味がありますが、話が逸れそうなのでとりあえず弓が有れば、弦楽器は必然的に出て来るのが判ります。
日本の、儀式の中にもお払いの一種として弓の空打ち等も有りますね。
ただ遊びで、弓を空打ちしても、強さによっては音が違うのも解りますし、そのうちそれこそ太鼓の上にでも載せれば、音が大きく響くのも解って来たと思います。
ですから、二胡の期源というのは、むしろその胴の作りの問題ではないかと思います。
太鼓自体をどのように作るかという問題でもあります。
当初太鼓は、単に木を刳り抜いた物を叩いたのでしょう。
そのうち、木を刳りぬいて、叩く部分だけ薄くすれば、良く響くことに気がついたはずです。
手近の薄い物と言えばその当時、(石器時代、狩猟時代)ならば、皮に目が行くのも当然ではないでしょうか。
最初は緩かった張りも、日本の鼓のように皮に糸を通して、それを引っ張るようにすれば皮が緊張すると言うのも気がついたのでしょう。
インドのタブラ等も同じ構造ですね、木の胴の上に皮を乗せて、糸で周りから引っ張っています。
皮はだんだん緩んできますし、季節によっても湿気で緩みますから、この糸を締めて緊張を取り戻す方法というのは、太鼓の進化でしょう。
また住む地域によっては最初から、椰子の実や、竹、瓢箪等のように、内部が空洞になっている物も手安く入ったと思います。
太鼓を作るのに、もし手近に空洞のある素材があったとしたら、敢えて人はその素材を使わずに、わざわざ丸太を刳り抜くでしょうか?
アラブの楽器のレバーブが、色々変わって行って、二胡になると言うのは、どうも変な感じなのです。
棹が胴を貫通する構造といい、音が胴の後ろに出易いということなども含めて、スピーカー型という風に考える人もいます。
確かに、皮の部分がスピーカーのドライバー部分に当たると言えば言えるかもしれません。
そして、その考えに基づいて、作られた二胡もあります。
ホントに良く皆さんが目にする、朝顔型のスピカ―のように作られています。
しかしこの形ですと、あの二胡の揺れるような音というより、只大きな音のする楽器という感じです。