少し間が空きました光舜堂と弦堂の店主対談。前回から読み返ししたい方はコチラをどうぞ!
( 店主Web対談☆5【日本人には強烈な『毒』の話】2020.8.21付 )
今回は弦堂さんのターン。『毒』についても知識の深い弦堂さんのお話は、まだまだ尽きることがありません。
それでは続きをお楽しみください♪
【 弦堂 → 】
中国は漢方の国なので、『毒』と言っても単純な捉え方はしないように思います。中国人の家庭に呼ばれて食事をすると、まず薬効の話が出ることが多いです。
その中には解毒作用に関することもありますが、毒は毒を以て制するものなので、薬効が強いものはある程度の副作用もあり、そういうことが話題になることもあります。その場で食べる家庭料理に対して、普通に話しますので最初は驚きます。そして、果物を取っても、やはり薬効について講釈します。
ですから、中国人に『毒』というキーワードを使った場合、まず薬のようなものを連想するのではないかと思います。毒は自然界のものであって、薬はあまねく毒だと言われたりもしますから。
ハブ毒のような殺傷能力の高い猛毒でさえ、良質の薬に変えます。これほどまでに人民の医学的知識が豊富であれば、毒なんて単語を放ったぐらいで、誰も驚かない、意味するところをすぐに理解するのでしょう。
良薬、口に苦し、という言葉もありますが、苦味や痺れるような辛さなど刺激的なものの惑溺性に心酔して、体の奥底から湧き上がってくる欲求に抵抗できず、食べすぎて救急車で運ばれたりするぐらい、天然の食材が与えるパンチ力を知り尽くしています。
ここに毒という言葉を持ってこようものなら、侵されてノックアウトを喰らい幸せに満ちた夢心地で昇天を連想するのではないでしょうか。音楽もそういうものだと捉える筈です。
1文字ですべてを要約して表わすのは何千年も歴史がありますし、大陸人が言葉の第一義的な意味だけを捉えて、それ以上考えないということはないでしょうね。本物はシンプルなので、純度が高まると物事が自然に単純さへと収斂します。それを山水を眺めるがごとくに、一文字に表わす偉大な詩人たちに倣うのを好みます。
中国人ほど、文字の力を信じている民族はほかにないと思います。このことは単に中国人の文化や気質だけでなく、必要性もあったのは間違いありません。欧州は、イタリア語、ドイツ語、フランス語など別の言語で別れていますが、中国もおおまかに省によって、同じぐらい言葉が違って、全く通じません。しかし紙に漢字を書くと通じます。日本人と中国人も同様です。アルファベットでは不可能なことです。
漢字一文字の力を大切にすることは、中華民族の一体感にとって生命線です。単一民族ではないので、一致することが困難です。気質や考え方、文化も地方によって違います。
そこで、メンツを重視することで、限りなく問題の種を減らします。相手がよくわからなくても、尊重さえすれば、大事には至りません。
中国というと、信用を重視しないとか、製品がすぐ壊れるとか、いろいろ言われます。しかし日本で同じことをやるとやっていけません。中国は大丈夫なので、改善されていません。なぜなら、メンツ重視で悪口は極力避けるから、ネガティブな風聞が広まるというのは基本的にないのです。
島国人のように陰湿ではないので、悪い話が広まるというのは相当な状況に限られるのです。国が大きいので気も大きいです。少々のことは水に流さないと、多民族環境でやっていけません。
ですから、西野さんが見られている中国人は、普通の中国人ではないと思われた方が良いように思います。普通、中国人は余程のことがない限り強烈に批判はしません。
もちろん、大陸において、中国人同士で問題になることはありますが、それは日本と変わらない、内容は違いますが、本質的に変わらないです。
では、どうして中国人は島に来るなり攻撃性を示すようになるのか、今時、訴訟になる可能性もありますからね。何かがおかしいのでしょうね。
北京にいた時の欧米人らが、ビザの関係で出国せねばならない時に、日本に遊びに行く人がいたりしました。日中間で取引している企業もありますので、行き来もあります。ほとんどの人が日本が好きになりますが、住むことには抵抗します。特に東京を、排他的な村社会だと、多くの人が言います。「東京砂漠」なる言葉までありますからね。
だけど、日本は好きという非常に矛盾した感情を持ちます。それで「どうして日本は変なのか?」と聞かれます。それでその場にいた英国人に「島なんか、どこもそうだよな」というと、彼は黙ってうなずいていました。(同意だったのかはわかりません)「あんたは問題ないのか?」、「すぐフィットするよ」、「すごいな」となります。
大陸人が島に住むのはかなり難しいです。特に、中国人というだけで風当たりも強く、周囲の目も冷ややかです。普通、大陸の中国人はそこらの知らない人とでもすぐフレンドのように話しますので、その感じで、日本の空港とか電気ビル?あたりで働いている中国人に気軽に話しかけると彼らはすでに気持ちが石のようになっていて、アンドロイドのような話し方しかしません。
あまりにも苦労し過ぎて、感情が死んでいる人がかなり多い病的な状況です。日本人がすごく怖い人も多いです。それぐらい虐められています。島特有の陰湿さに全く対応できていません。
もちろん、日本にいる中国の方でも普通に接することができる方も多いですが、それは彼らの中でいろんなものを咀嚼したり諦めたりした結果で、わだかまりがない人はほとんどいないと思います。
日本人とか、自分の仲間ではない中国人は全部敵で、どうせ攻撃してくるから、まず先制すべきという感じになっている人も少なくないのではないでしょうか。
日本人は攻撃しているつもりはないかもしれませんが、多民族で融和している民族からすると排他主義だけで宣戦布告と捉えます。そのように思われてしまう振る舞いが日本人にはかなり多いです。そういうことに気をつけねばならない環境で育ってきていませんのでしょうがないことです。
しかし、国によっては、このような振る舞いでは殺されますからね。ラテン人などは非常にフレンドリーですが、地が明るいかは別です。生きていくために必要な振る舞いだから、無用に敵を作らない処世術なのです。
そこで、攻撃的な中国人ですが、それで成功しているのでしょうか。アメリカの大統領選挙など見ていると、とにかく批判合戦で、島ではあり得ない、そういう人は向こうに行った方が成功しやすいのではないでしょうか?
島では難しいのではないかと思いますね。ますます攻撃性を高める結果になるだけではないでしょうか。日本人には特有の難しさがありますが、中国人にもまた違った意味であります。そういうネガティブな要素が強い性格だとかなり難しいかもしれません。
ですから、中国人でも人によって、日本でフィットできるかどうか変わってくると思いますね。問題がある人は1割しかいなくても、9割ぐらい目立ちますのでね。
演奏法の違いも、独自性を出すことで権威を高めたいということなのでしょうけれども、逆効果になりかねないのではないでしょうか。せっかく、本場からたくさん先生が来ているのに、呼べばゴタゴタ続きでどうしようもない、それでちゃんと教えて貰っている人は多くはないのではないでしょうか。まだ無料のネットの方が勉強になるんじゃないですか。競争と批判合戦では、何を信じて良いのかわかりませんからね。
( 店主Web対談☆5【日本人には強烈な『毒』の話】2020.8.21付 )
今回は弦堂さんのターン。『毒』についても知識の深い弦堂さんのお話は、まだまだ尽きることがありません。
それでは続きをお楽しみください♪
【 弦堂 → 】
中国は漢方の国なので、『毒』と言っても単純な捉え方はしないように思います。中国人の家庭に呼ばれて食事をすると、まず薬効の話が出ることが多いです。
その中には解毒作用に関することもありますが、毒は毒を以て制するものなので、薬効が強いものはある程度の副作用もあり、そういうことが話題になることもあります。その場で食べる家庭料理に対して、普通に話しますので最初は驚きます。そして、果物を取っても、やはり薬効について講釈します。
ですから、中国人に『毒』というキーワードを使った場合、まず薬のようなものを連想するのではないかと思います。毒は自然界のものであって、薬はあまねく毒だと言われたりもしますから。
ハブ毒のような殺傷能力の高い猛毒でさえ、良質の薬に変えます。これほどまでに人民の医学的知識が豊富であれば、毒なんて単語を放ったぐらいで、誰も驚かない、意味するところをすぐに理解するのでしょう。
良薬、口に苦し、という言葉もありますが、苦味や痺れるような辛さなど刺激的なものの惑溺性に心酔して、体の奥底から湧き上がってくる欲求に抵抗できず、食べすぎて救急車で運ばれたりするぐらい、天然の食材が与えるパンチ力を知り尽くしています。
ここに毒という言葉を持ってこようものなら、侵されてノックアウトを喰らい幸せに満ちた夢心地で昇天を連想するのではないでしょうか。音楽もそういうものだと捉える筈です。
1文字ですべてを要約して表わすのは何千年も歴史がありますし、大陸人が言葉の第一義的な意味だけを捉えて、それ以上考えないということはないでしょうね。本物はシンプルなので、純度が高まると物事が自然に単純さへと収斂します。それを山水を眺めるがごとくに、一文字に表わす偉大な詩人たちに倣うのを好みます。
中国人ほど、文字の力を信じている民族はほかにないと思います。このことは単に中国人の文化や気質だけでなく、必要性もあったのは間違いありません。欧州は、イタリア語、ドイツ語、フランス語など別の言語で別れていますが、中国もおおまかに省によって、同じぐらい言葉が違って、全く通じません。しかし紙に漢字を書くと通じます。日本人と中国人も同様です。アルファベットでは不可能なことです。
漢字一文字の力を大切にすることは、中華民族の一体感にとって生命線です。単一民族ではないので、一致することが困難です。気質や考え方、文化も地方によって違います。
そこで、メンツを重視することで、限りなく問題の種を減らします。相手がよくわからなくても、尊重さえすれば、大事には至りません。
中国というと、信用を重視しないとか、製品がすぐ壊れるとか、いろいろ言われます。しかし日本で同じことをやるとやっていけません。中国は大丈夫なので、改善されていません。なぜなら、メンツ重視で悪口は極力避けるから、ネガティブな風聞が広まるというのは基本的にないのです。
島国人のように陰湿ではないので、悪い話が広まるというのは相当な状況に限られるのです。国が大きいので気も大きいです。少々のことは水に流さないと、多民族環境でやっていけません。
ですから、西野さんが見られている中国人は、普通の中国人ではないと思われた方が良いように思います。普通、中国人は余程のことがない限り強烈に批判はしません。
もちろん、大陸において、中国人同士で問題になることはありますが、それは日本と変わらない、内容は違いますが、本質的に変わらないです。
では、どうして中国人は島に来るなり攻撃性を示すようになるのか、今時、訴訟になる可能性もありますからね。何かがおかしいのでしょうね。
北京にいた時の欧米人らが、ビザの関係で出国せねばならない時に、日本に遊びに行く人がいたりしました。日中間で取引している企業もありますので、行き来もあります。ほとんどの人が日本が好きになりますが、住むことには抵抗します。特に東京を、排他的な村社会だと、多くの人が言います。「東京砂漠」なる言葉までありますからね。
だけど、日本は好きという非常に矛盾した感情を持ちます。それで「どうして日本は変なのか?」と聞かれます。それでその場にいた英国人に「島なんか、どこもそうだよな」というと、彼は黙ってうなずいていました。(同意だったのかはわかりません)「あんたは問題ないのか?」、「すぐフィットするよ」、「すごいな」となります。
大陸人が島に住むのはかなり難しいです。特に、中国人というだけで風当たりも強く、周囲の目も冷ややかです。普通、大陸の中国人はそこらの知らない人とでもすぐフレンドのように話しますので、その感じで、日本の空港とか電気ビル?あたりで働いている中国人に気軽に話しかけると彼らはすでに気持ちが石のようになっていて、アンドロイドのような話し方しかしません。
あまりにも苦労し過ぎて、感情が死んでいる人がかなり多い病的な状況です。日本人がすごく怖い人も多いです。それぐらい虐められています。島特有の陰湿さに全く対応できていません。
もちろん、日本にいる中国の方でも普通に接することができる方も多いですが、それは彼らの中でいろんなものを咀嚼したり諦めたりした結果で、わだかまりがない人はほとんどいないと思います。
日本人とか、自分の仲間ではない中国人は全部敵で、どうせ攻撃してくるから、まず先制すべきという感じになっている人も少なくないのではないでしょうか。
日本人は攻撃しているつもりはないかもしれませんが、多民族で融和している民族からすると排他主義だけで宣戦布告と捉えます。そのように思われてしまう振る舞いが日本人にはかなり多いです。そういうことに気をつけねばならない環境で育ってきていませんのでしょうがないことです。
しかし、国によっては、このような振る舞いでは殺されますからね。ラテン人などは非常にフレンドリーですが、地が明るいかは別です。生きていくために必要な振る舞いだから、無用に敵を作らない処世術なのです。
そこで、攻撃的な中国人ですが、それで成功しているのでしょうか。アメリカの大統領選挙など見ていると、とにかく批判合戦で、島ではあり得ない、そういう人は向こうに行った方が成功しやすいのではないでしょうか?
島では難しいのではないかと思いますね。ますます攻撃性を高める結果になるだけではないでしょうか。日本人には特有の難しさがありますが、中国人にもまた違った意味であります。そういうネガティブな要素が強い性格だとかなり難しいかもしれません。
ですから、中国人でも人によって、日本でフィットできるかどうか変わってくると思いますね。問題がある人は1割しかいなくても、9割ぐらい目立ちますのでね。
演奏法の違いも、独自性を出すことで権威を高めたいということなのでしょうけれども、逆効果になりかねないのではないでしょうか。せっかく、本場からたくさん先生が来ているのに、呼べばゴタゴタ続きでどうしようもない、それでちゃんと教えて貰っている人は多くはないのではないでしょうか。まだ無料のネットの方が勉強になるんじゃないですか。競争と批判合戦では、何を信じて良いのかわかりませんからね。
この中で島国は閉鎖的で陰湿だと言っていますが、この持ち味が最大限発揮された究極例がリゾートです。人々は大陸の開放よりも、狭い島の閉鎖的な隠れ家にドキドキします。有名リゾートは島国に集中していますが、これは偶然とは思われません。島国人の内向きな性質もリゾート地には必要なもので、そういう特徴も良い方向に伸ばせば大変結構なことで人気もあります。大陸人は大陸人で良いところもあるし、そこで互いに無理解があると、悪いところだけが出てしまうのかもしれません。外国人が日本は好きだというのは、多分にリゾート的雰囲気があるというのも1つの理由としてあると思います。外国人は日本の代表的な諸都市を「テーマパークのようだ」と言います。これだけ、あの手この手で商売しているのは日本人ぐらいではないでしょうか。テレビの広告もこれだけ面白いものがよく出るなと感心するぐらいの驚異的な水準です。島国でなければ無理だったであろうと思われます。ですから我々島国人が本質的に何かを変える必要はないと思います。そのままでいいのではないかと思います。ただ、外国などの異質なものの介在を許せば、難しくなってしまうこともあって、我々がよりよく理解すれば問題もなくなっていくように思います。
ーーーーーーーーー
中国のメンツと、日本のメンツは、概念がだいぶん異なります。
日本は切腹がありますが、これは大陸人には理解できません。
日本のメンツは、公の利益や組織の体面を重視しますが、中国は比較的個人レベルのものです。
対談の内容では、異なる民族間での対話の仕方に関連して挙げられていましたが、それぞれの民族が族長をたてる場合、日本だと戦国時代の大名のようなものになりますが、主が危害を被った時の反応が、それぞれ違います。
主が恥を被ると、それは藩全体の恥辱と見なし、大石内蔵助のような人が出るというのと、
習近平さんが恥をかかされると、彼自身が党や人民に対する恥とみなすというのはだいぶん違うことになります。
主はある集団の代表で送り出されています。
日本の概念では、代表が決まった以上は既に信任を与えており、自分たちと一体であると見做します。
なぜなら代表は個人ではなく、集団の代表として仕事をしているからです。
大陸はどこまでも個人です。個人の利益のために集団になり、個人個人の権益の代表者として主を立てます。
ですから、仕事はしてもらわねばならぬ、失敗すれば批判されます。
このような違いがあれば、メンツの立て方も異なってきます。
大陸では、交渉相手の主に花をもたせ、仕事を成功させる必要があります。
また相手も同様で、互いに交渉が妥結して集団の利益が守られれば優秀となります。
日本は違います。
利益第一ではないので、信玄が塩がないと聞くや、謙信は対峙する軍営から塩を送らせました。
結果ではなく、生き方を重視します。
大陸は完全実利主義です。