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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第13回)

2024-12-04 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第3章 環境と経済の関係性

(5)環境計画経済モデル  
 古典派環境経済学理論の限界を超克するためには、古典派環境経済学が前提する市場経済への固執を離れて、計画経済へと転換しなければならないが、計画経済といっても、三つの計画経済モデルを区別する必要がある。すなわち、均衡計画経済・開発計画経済・環境計画経済である。  
 初めの均衡計画経済モデルは、資本主義経済(広くは市場経済)がもたらす景気循環の不安定さと、物資分配の不平等さ、結果として生じる富の偏在という構造的な歪みを正すことを目指して、社会全体の需給計画に沿って経済活動を展開するモデルであり、計画経済の最も基本的な形態でもある。  
 このようなモデルはすべての計画経済モデルの基層にあるものであるが、その上に生産力の増大という目的を付加したモデルが、開発計画経済モデルである。これは、資本主義に対抗する形で、精緻な経済開発計画に基づき、生産力の増大を企図するもので、旧ソ連が一貫して追求していたモデルでもある。  
 開発計画経済モデルが生産力の増大を目指す点では、資本主義市場経済モデルと同様の方向性を持ち、言わばそのライバルとなるモデルであったが、周知のとおり、旧ソ連及び追随した同盟諸国では100年間持続することなく、挫折した。  
 このモデルは、いつしかその基層にある均衡計画経済モデルを忘れ、資本主義体制との競争的な経済開発にとりつかれた結果、資本主義に勝るとも劣らぬ環境破壊をもたらした末に、生産力の増大という究極目標においても、敗北したのである。  
 今、生態学的な持続可能性を保障するための計画経済モデルとして新たに構築されるべきものは、そのような持続可能性を喪失した開発計画経済モデルではなく、環境計画経済モデルである。ここで、用語の分節を行なうと、環境計画経済とは「環境‐計画経済」であって、「環境計画‐経済」ではない。  
 この区別は言葉遊びのように見えて、大きな実質的相違を示している。この件については次節で改めて述べるが、形式的な分節としては、「環境‐計画経済」とは、環境という要素と結合し、環境保護を究極的な目的とする計画経済モデルの謂いであって、環境保護の計画を外部的に伴った経済ではないということである。  
 後者の「環境計画‐経済」であれば、例えば国際連合にはまさに「国際連合環境計画(United Nations Environment Programme)」という国際機関が存在するごとく、環境保護のためのプログラムを外部的に取り込んだ経済体制全般を指すから、環境保護プログラムを伴う市場経済というものもあり得ることになる。  
 実際、種々の環境対策を取り込んできている現行の市場経済体制は、そうした「環境計画‐経済」を指向しているとも言えるのであるが、それでは生態学的持続可能性を真に保障することはできないのである。  
 そこで、「環境‐計画経済」モデルの出番となるわけだが、これは基層に冒頭で見た均衡計画経済モデルを置きながらも、旧ソ連におけるような開発計画経済モデルとは袂を分かち、経済開発よりも環境保全に目的を定めたモデルとなる。  
 さらに仔細に見れば、個々の環境保全策を経済計画の中に反映させる「環境保全的計画経済」にとどまることなく、生態学的な観点に立って環境規準を全体的に適用するのが当連載のタイトルでもある「生態学上持続可能的計画経済(略して「持続可能的計画経済」)」ということになる。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第12回)

2024-12-03 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第3章 環境と経済の関係性

(4)古典派環境経済学の限界  
 環境予測という観点は、近年、古典派経済学においてもこれを無視することは退行的とみなされかねず、いくらかなりとも前進的な古典派経済学ならば、環境予測を取り込んだ経済学理論―古典派環境経済学―に赴かざるを得ない。  
 そうした古典派環境経済学理論の最大の特徴は、市場経済を自明のものとすることである。従って、例えば気候変動の主要因とみなされる二酸化炭素の規制対策にしても、排出権取引のようなランダムな市場原理に委ねようとする。  
 しかし、近年の環境予測では地球の平均気温の具体的な数値目標を示して対策を求めるようになっている。例えば、目下最新の気候変動枠組み条約であるパリ協定では、産業革命前と比べた世界の平均気温上昇を「2度未満」に抑えるとともに、平均気温上昇「1.5度以内」を目指すべきものとされる。
 排出権取引はあたかも需給調節を市場のランダムな取引に委ねる市場経済手法の環境版と言える構想であるが、このような無計画な方法では具体的な数値目標の達成は不可能であり、排出権という新商品を作り出すだけである。  
 古典派環境経済学の中でも、もう一歩進んだ理論にあっては、環境税のような間接的な生産規制の導入に踏む込もうとする。しかし、資本主義を前提とする限りは、資本企業の利潤を著しく低下させるような高税率を課すことはあり得ず、多くの資本企業は微温的な環境税を負担してでも、従来の生産体制を維持するだろう。
 その点、2006年に英国の経済学者ニコラス・スターンが英国政府の諮問に答えて提出した「スターン報告」は、環境予測モデルに基づき、エネルギー体系・技術全般の変革を提唱するもので、古典派環境経済学理論としては踏み込んだ内容となっている。
 その踏み込んだ内容ゆえに、政府答申を超えて国際的な指導文書としての影響力を持つ。同時に、環境経済学分野から初めてノーベル経済学賞(2018年度)を受賞したウィリアム・ノードハウスをはじめ、伝統的な環境経済学者からは多くの批判が向けられているが、ここでの問題関心からすれば、「スターン報告」は古典派の枠組みゆえに、少なくとも三つの限界を持つ。  
 まずは、大枠として、気候変動問題に関する政府諮問への答申という性格上やむを得ないことではあるが、環境問題の主題が気候変動に限局され、気候変動問題に還元できない生物多様性や有害産業廃棄物などの諸問題には及んでいないことである。
 その気候変動対策としても、導出される対策がエネルギー体系・技術の変革に限局され、生産の量的・質的管理には踏み込まないことである。これは計画経済を論外とする市場経済ベースの古典派経済学である限り、必然的な帰結である。  
 さらに、それが手法とする費用‐便益効果論の限界である。本質的に資本主義の利潤計算技法である費用‐便益効果では当然ながら、利潤を低下させる高コストな対策は排除されてしまう。また、それは環境倫理よりも経済計算、特に資本主義における最重要のマクロ経済指標であるGDPへの影響を優先する論理である。  
 古典派としてはかなり前進的な内容の「スターン報告」ですら、こうした限界を抱えるのは、まさに古典派環境経済学そのものの限界性の現れにほかならない。資本主義市場経済を前提とする限り、経済と環境を交差的に結合することはできない。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第11回)

2024-12-02 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理


第3章 環境と経済の関係性

(3)環境倫理の役割  
 持続可能的計画経済の土台には科学的な環境予測があるとはいえ、実際のところ、地球規模でますます強固に定着しているかに見える市場経済を計画経済に大転換するに当たっては、純粋な科学だけでは律し切れない原理的な推進要素がある。それがすなわち環境倫理である。  環境倫理に関して確定的な定義はないが、例えば「あらゆる行動において当事者が環境との関係の中でどのような価値判断を下し、行動選択をするかという倫理的な問題をいう。」などと定義されている(一般財団法人・環境イノベーション情報機構の環境用語集)。  
 環境倫理の具体的な内容として何を盛り込むかについても定説はないが、ほぼ共通しているのは、地球環境の保全に関して現存世代は未来世代に対して責任を負うという「世代間倫理」の原則である。この原則は、市場経済を前提とした環境保全論においても、一般論としては受け入れられている。  
 しかし、市場経済を前提とする限り、このような倫理原則も、まさに一般論に終始せざるを得ない。なぜなら、市場経済は「今、ここでどれだけの利益を上げられるか」ということを至上命題とするからである。このことは、証券市場や為替市場における瞬時的取引に象徴されているが、一般産業界における商取引においても本質は同じである。
 徹底して現在という時間軸にこだわるのが市場経済であり、それが市場経済のイデオロギー的枠組みである資本主義の「論理」である。このような「論理」を放棄しない限り、世代間倫理は題目として終わるだろう。実のところ、気候変動論のアンチテーゼである懐疑論の出所も、科学的な反論以上に、こうした環境倫理への反発・否認にあると看破できるのである。  しかし、持続可能的計画経済にあっては、科学的な土台としての環境予測に対して、世代間倫理が倫理的な基底として据えられることになる。世代間倫理を題目に終わらせず、真に実践するためには、計画経済への地球規模での大転換を必要とする。  
 とはいえ、あらゆるものに終わりがあるとするならば―逆言すれば、永遠に続くものはないとすれば―、地球という惑星そのものがいつか終焉する日が到来するだろう。それならば、いっそのこと、今のうち地球環境を利用できるだけ利用しようという刹那的な発想―これを「環境的饗宴論」と名づける―もあり得る。  
 現在という時間軸を最優先する資本主義は、こうした環境的饗宴論とも親和性が強い。特に天然資源の採掘に関して、その有限性を否認し、または限界点を意識的に長期に見積もり、高価値な天然資源の開発を急ごうとする施策は、環境的饗宴論の代表例である。  
 しかし、世代間倫理を重視する限り、自然的な要因から地球環境あるいは地球そのものが死滅することは避けられないとしても、少なくとも地球を人為的な要因から死滅させることのないようにすべきだということになる。持続可能的計画経済は、そのための最も根本的な地球環境保全策であると言える。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第10回)

2024-12-01 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理


第3章 環境と経済の関係性

(2)科学と予測  
 持続可能的計画経済の最も基礎的な土台を成すのは、あれこれの経済理論以前に、科学に基づく環境予測である。なぜなら、持続可能的計画経済は将来起こり得る地球の環境悪化、地球の環境的な死滅を本質的に食い止めるための経済構造的な施策だからである。  
 その点で問題となるのが、果たして科学は予測という営為に耐え得るかどうかである。科学は分析的な知的営為の蓄積で成り立っているところ、分析とは通常、すでに発生している何らかの事象の要因や発生機序などを解析し、解明する営為であり、将来発生し得る事象を予測することは必ずしも本意でない。  
 このことは、例えば、地震のような災害の予知という試みが献身的に行なわれながら、的確な予知の方法論が未だに確立されていないことに現れている。災害予知に対する悲観論も根強い。発生した災害の分析はできるが、発生し得る災害を精確に予知することは無理ではないかということである。  
 たしかに、具体的な災害の発生を精確に「予知」することは至難の業であろうが、災害はある日突然に発生するというものではなく、自然の長期的な変動のプロセスを経て、ある時点で災害という形で発現するのであるから、そうした災害に結びつく自然の変動を認知し、長期的な「予測」をすることは可能であろう。  
 これをまとめれば、科学的予知は至難だが、科学的予測は可能ということになる。持続可能的計画経済が土台とするのは、そうした科学的予測としての環境予測である。実際、科学的な環境予測は現在喫緊の問題となっている気候変動をめぐって近年盛んに行なわれている。  
 しかし、こうした気候変動予測は、しばしば懐疑論者による拒絶にあっている。しかも、懐疑論者またはその影響下にある政治家が台頭して、気候変動予測に基づく環境施策を否定したり、緩和したりすることもしばしばである。  
 およそ科学的予測の宿命として、絶対確実な結論を導くことは困難である。この点は、既発生の事象を解析する場合との相違であり、未発生の事象を予測することは、その性質上、修正の可能性を内包した確率論にならざるを得ない。そのため、懐疑論の出現を排除することはできない。  
 そこで、科学的環境予測は、懐疑論の存在を意識しつつ、修正可能性にも開かれた形で、長期予測と短期予測とを区別し、長期予測は一つの可能性の提示にとどめ、確率の高い短期予測を軸に構築するべきであろう。
 そのため、科学的環境予測を個別具体的な経済計画の基礎とするに当たっても、短期予測をベースとした比較的短期の経済計画(3か年計画)に反映させることになるのである。それに対して、長期予測は次期以降の計画の方向性を見通す参照資料となる。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第9回)

2024-11-29 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第3章 環境と経済の関係性

(1)環境規準と計画経済
 前章で見たような数々の欠陥を抱えたソ連式計画経済に対し、ここで提唱する新たな計画経済はソ連式計画経済とは全く異なる観点と手法で行われるものである。
 まず観点という面から言えば、新しい計画経済は環境的持続可能性に視座を置く。つまり地球環境の可及的な持続性を目指す計画経済である。その意味で、「持続可能的計画経済」と命名される。
 持続可能的計画経済とは、計画的な環境政策にとどまらず、環境的持続可能性に関する指標を規範的な基準として計画される経済であって、それは計画経済の一つの類型である。簡略に言えば、ノルマとしての環境規準に基づく計画経済―環境計画経済―である。
 このような環境指標に規律される計画経済は経済開発に圧倒的な重心を置いていたソ連式計画経済―言わば開発計画経済―では論外のことであり、結果として、ソ連式計画経済は開発優先政策による資源の浪費・消耗による環境破壊を引き起こしたのであった。
 その意味では、持続可能的計画経済はソ連式計画経済を反面教師としつつ、ソ連邦解体後、高まってきた地球環境保護の潮流に合致した新しい計画経済のあり方として浮上してくるべきものである。
 現時点ではこうした持続可能的計画経済を現実の政策として採用している国は(筆者の知る限り)存在せず、最も先進的な環境政策を提起する緑の党やその周辺の環境保護運動にあっても、計画経済の提唱には踏み込まず、市場経済を受容したうえでの環境政策の推進を主張するにとどまっていることがほとんどである。
 これはちょうど市場経済を維持したまま福祉政策でこれを補充する修正資本主義としての社会民主主義とパラレルな関係にもあり―しばしば重なり合う―、修正資本主義としての環境主義理念の表れでもあるが、その限界性はすでに人為的気候変動のような国際的課題への取り組みが顕著に前進しないことにはっきりと現れているのである。
 地球環境上の諸問題を根本的に解決するためには、環境規準によって生産活動を量と質の両面から体系的に規律する必要があり、それを可能とするための計画経済こそが持続可能的計画経済にほかならない。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第8回)

2024-11-28 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第2章 ソ連式計画経済批判

(4)政策的欠陥
 ソ連経済は、大戦をはさんでスターリン政権時代に高度経済成長を遂げた。ソ連式計画経済の全盛期は独裁者スターリンの時代であったと言ってよい。その政策的な秘訣が、徹底した重工業及び軍需産業傾斜政策であった。
 ソ連では、マルクスが『資本論』の中で資本主義の分析に用いた生産財生産に係る第一部門と消費財生産に係る第二部門という産業区分を援用して、生産財(資本財)をAグループ財、消費財をBグループ財と区分したうえ―この分類自体大雑把だが―、Aグループ財の生産を最優先したのであった。これに米国に対抗して軍事大国化を目指す先軍政治的な政策が加わり、軍需産業の成長が導かれた。
 こうした初期の成功の秘訣が、後期になると政策的な欠陥として発現してきた。傾斜政策の中で劣位に置かれた消費財生産は大衆の暮らしにとっては最重要部門であって、経済成長に見合った生活の豊かさを実現するうえで鍵となるはずであったが、ソ連では1953年のスターリン死後にようやくテコ入れが始まった。
 しかしこうした部門でも国営企業が生産主体となったため、西側でしばしば揶揄されたように靴まで国営工場で製造されるという状態で、品質も粗悪であった。そのうえ、前節でも述べたような計画の杜撰さによる需要‐供給のアンバランスや物資横領などの腐敗によって流通が停滞・混乱し、末端の国営商店での品薄状態が恒常化する結果となり、批判的論者をして「不足の経済」と命名されるまでになった。
 結局、ソ連経済の後期になると、良質な消費財は石油危機による石油価格高騰を利用して獲得した外貨を投入し、西側資本主義諸国からの輸入品で補充するほかなくなった。
 一方、傾斜政策のゆえにソ連経済の強みでもあったはずのAグループ財に関しても、計画経済は主として量的な拡大生産に重点を置いていたため技術革新が進まず、老朽化した工場設備が更新されないまま使用され続ける状態であり、生産効率も悪化していった。
 こうした結果、総体としてソ連経済は資本主義的な過剰生産状態には陥らなかったものの、傾斜政策による産業間のアンバランスと質的革新を軽視した量的拡大政策による生産性の低下という欠陥を内蔵させることになった。
 ソ連は冷戦時代、ライバルの市場経済大国・米国に追いつき、追い越すことを目指していたが、結局のところ、どうにか米国と肩を並べることができたのは、核開発と宇宙開発に象徴される軍需産業分野だけであった。
 ソ連終末期のゴルバチョフ政権による「改革」は、市場経済原理の中途半端な政策的導入により、ソ連式計画経済の本質的欠陥を増悪させ、いっそう不足の経済に拍車をかけ、体制崩壊を早める契機となった。
 これは、ソ連式計画経済の模倣から始めつつ、ソ連よりいち早く市場経済化を野心的に進め、最終的には事実上計画経済と決別した共産党中国との明暗を分けたポイントでもあったと言える。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第7回)

2024-11-26 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第2章 ソ連式計画経済批判

(3)本質的欠陥
 ソ連式計画経済は失敗した経済モデルであるということは、今日の定説となっている。しかし、それはソ連体制そのものが解体・消滅したことによる結果論的な定言命題であって、実際にどのような点でなぜ失敗したかの分析は十分に行われないまま、ソ連式計画経済の対照物とみなされる市場経済の正しさがこれまた論証抜きで絶対視されているのが実情である。
 たしかに、ソ連式計画経済はソ連体制が存続していた時代からすでに行き詰っていた。その原因は、逆説的ではあるが、それが真の計画経済ではなかったという点にこそあった。
 ソ連式計画経済は、「計画経済」というよりは、前回も見たとおり、激しい内戦からの戦後復興を目的とする国家資本主義過程で誕生した政府主導の「経済目標」に導かれた一種の統制経済であった。それはスターリン政権下で戦後復興が一段落し、経済開発・高度成長を目指した本格的な「5か年計画」が始動しても、本質的には変わらなかった。
 何より貨幣経済も存置されたままであった。従って、末端の消費財は商品として国営商店で販売されていたし、計画供給の中核となる生産財についても市場取引的な要素が残されていたのだった。
 ソ連における生産活動の中心を担った国営企業間には競争原理が働かなかったということが定説であるが、実際のところ、複雑な計画策定手続きの過程で国営企業間にある種の利権獲得競争があり、また個別企業は事実上の独立採算制を採り、1960年代の限定的な「経済改革」の結果、その傾向は増した。
 さらに労働は賃労働を基本とし、しかも―あらゆる資本家・経営者の理想である―出来高払い制が主流であり、マルクス的な意味での剰余価値の搾取は国営企業の形態内で厳然と残されていたのであった。表見上の低失業率にもかかわらず、実際は企業内に余剰人員を抱え、「社内失業者」が累積していた。
 要するに、ソ連式計画経済は、典型的な市場経済とはたしかに異質であるとしても、市場経済的要素が混在した国家主導の混合経済的なシステムであり、レーニンが暫定的な体制と考えていた国家資本主義が理論的に検証されることなく遷延的に発達したものだったと言える。
 他方で、ソ連式国家資本主義の本質は統制経済であったからこそ、統制経済に付き物の闇経済が発現した。これが厳正な企業監査システムの欠如ともあいまって国営企業幹部の腐敗を誘発し、物資横領・横流しのルートを通じた闇経済が組織犯罪的な地下経済として社会に根を張ることになった。
 それでも中央計画が精確に行われていればより持続的な成功を収めた可能性はあったが、ゴスプラン主導の計画は現場軽視ゆえに不正確な経済情報に基づく杜撰な机上プランとなったため、その理念である「物財バランス」自体が不首尾に終わり、需要‐供給のアンバランスが生じがちであった。そのためソ連経済に景気循環はないという公式説明にもかかわらず、資本主義の特徴である景気循環が存在した。
 かくして、ソ連式計画経済は構造上の本質的な欠陥を多々抱えていたために「計画経済」としては成功しなかった。その根本原因を簡単にまとめれば、本来計画経済が適応できない貨幣経済に計画経済を無理に接木しようとしたことにあったと言えよう。
 ただし、公平を期して言えば、ソ連式計画経済もその初期には低開発状態のロシアを新興工業国へと急速に浮上させる開発経済の手法としては相当な成功を収めた事実は指摘しておかねばならない。しかし、一定まで成長した後の持続可能性には欠けていたのである。その背景には、次節で論じる政策的な欠陥も寄与していたと考えられる。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第6回)

2024-11-25 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第2章 ソ連式計画経済批判

(2)国家計画経済
 内戦後の戦後復興の過程で誕生したゴスプランを中心とするソ連式計画経済の性格は、多分にして統制経済に近いものであったと言える。それはまた、同時に国家による行政主導の計画経済であった。その点で、第1章で見た協同組合連合会の共同計画を基本とするマルクスの計画経済論からは外れていたのであった。
 もっとも、レーニンは最晩年の論文の一つの中で、社会主義をもって「文明化された協同組合員の体制」とするユートピア的定義を提出し、完全な協同組合化を「文化革命」と呼んで後世に託してもいるが、それは行程も定かでない遠い将来のこととして事実上棚上げされていたのである。
 こうした性格の下に始動したソ連式計画経済は、レーニン早世後、後継者の椅子を射止めたスターリンの指導下で基本的な骨格が形成される。その最初の業績は、1928年に始まる第一次五か年計画であった。これ以降、経済計画の基本年単位は5年に定められ、五か年計画がソ連式計画経済の代名詞となる。
 その計画策定は、「物財バランス」という元来は科学の術語である物質収支:英語ではいずれもmaterial balance)に由来する技法に基づいていた。科学において物質収支とは、ある化学反応の系において単位時間にその系に投入される物質の量と系から得られる物質の量との均衡を意味する。
 計画経済にあっては、ある一定期間に投入される物財の量と生産される物財の量をバランスさせる技法とされる。それによって需要と供給とを均衡させ、市場経済にありがちな両者の不均衡から生じる不安定な景気循環を防止できるというのである。
 実際の計画策定は、支配政党たる共産党が国家を吸収・凌駕する形で党・国家が二元行政を展開するというソ連の政治制度を反映し、極めて複雑なプロセスで行われていた。特に共産党が国家を凌駕する存在であったソ連では、まず行政機関であるゴスプランの前に、共産党指導部が経済計画の基本方針を決定したうえ、それを連邦閣僚会議(内閣に相当)で詰めたうえ、ゴスプランに送付することになる。
 ゴスプランでの具体的なプラン策定は先の物財バランスを考慮した計画経済の中心を成すが、それはゴスプランを舞台にした他の経済官庁や経済専門家などの意見を交えた折衝の結果たる合意として現れた。
 だが、これで終わりではない。ゴスプランが策定した計画の範囲内で、今度は各産業界を統括する経済官庁が個別の生産目標を策定したうえで、所管する国営企業へ通達する。個別企業はそれに基づき個々の生産計画を作成し、再び所管官庁を通じてゴスプランに戻され、計画の修正案が策定される。
 そうしてまとめられた最終計画案が再び閣僚会議及び共産党指導部に送付されたうえ、最後に憲法上国家の最高意思決定機関として位置付けられた最高会議で承認され、立法化される。こうしてようやく五か年計画が施行される。
 ざっとこのような煩雑なプロセスを経て実施されるのがソ連式計画経済であったが、見てのとおり、官僚制的なセクショナリズムと上意下達の権威主義的なシステムによった行政主導の官僚主義的計画経済であって、これが一名「行政指令経済」と呼ばれたことには十分理由があったと言える。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第5回)

2024-11-23 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第2章 ソ連式計画経済批判

(1)曖昧な始まり
 これまでのところ、歴史上本格的かつある程度持続的に実践された計画経済は、唯一ソ連式計画経済だけである。そのため、計画経済と言えば、特にことわりなくともソ連式計画経済を指すと言ってよい。それほど有名な経済政策ではあるが、実のところ、この政策は真に「計画経済」と呼ぶに値するか疑問のある出自を持つ。
 ソ連式計画経済は、そもそもその始まりが曖昧であった。ソ連式計画経済の指令機関である国家計画委員会(Gosplan:ゴスプラン)はロシア10月革命後の内戦・干渉戦が終結した直後、1921年2月に設立された。当然ながら、この時期、ソ連経済は戦乱によって破局的状態にあった。そうした戦後復興の切り札としてレーニン政権が打ち出したのが、いわゆる新経済政策(NEP:ネップ)であった。
 「新」と銘打たれているけれども、この政策は実際のところ、時限的に資本主義を復旧させて経済力の回復に充てるという趣旨であったから、共産主義を掲げる革命政権としてはあえて逆行的な施策を取り入れるレーニン流プラグマティズムの産物であった。
 とはいえ、全面的な市場経済化がなされたのではなく、市場化は手工業や農業分野を中心とし、外国貿易、重工業、通信・交通といった基幹分野は市場経済化から除外する混合経済政策ではあった。
 レーニンによれば、それは市場を野放しにするのではなく、国家が市場をコントロールする限りで、「国家資本主義」と呼ぶべき特殊な経済復興政策であった。
 そうした戦後混乱期に、一方で計画経済の主力となるゴスプランが設立されたのであった。しかし当初のゴスプランは諮問機関的なものにすぎず、ソ連の構成共和国ごとの経済計画の調整と連邦共通計画の作成という限定的な役割を持つにとどまったのである。
 そもそもレーニン政権が最初に打ち出した戦後復興計画はゴエルロ・プランと呼ばれた電化計画であり、その計画を担ったのは、ゴスプランではなく、ゴスプランよりも一年早く設立されたゴエルロ(Goelro)すなわちロシア国家電化委員会であった。レーニン政権は全土電化事業を戦後復興の土台とみなしており、当初はゴスプランもゴエルロの影に隠れていた。このゴエルロ・プランが後の五か年計画の原型になったとされている。
 こうした経緯を見ると、あたかも第二次世界大戦後の日本で、戦後復興を推進する指令機関として設立された経済安定本部を前身とし、2001年の行政機関統廃合まで存続した経済企画庁(経企庁)に類似している。
 資本主義を採る日本の経企庁は本格的な計画経済機関となることなく、最終的には統計・分析機関となり、その役割を終えたわけだが、ソ連の場合は国家資本主義の産物として発祥したゴスプランが国家計画機関として以後増強されていくという違いはある。しかし、ソ連式計画経済はこのように戦後復興の過程で、国家資本主義という特殊な経済政策の産物として始まったという歴史的な事実には十分留意される必要がある。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第4回)

2024-11-22 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

 

第1章 計画経済とは何か

(3)マルクスの計画経済論
 計画経済論というとマルクス主義を連想させることもいまだに多いが、実際のところマルクスの経済理論の中には、本格的な計画経済論が見当たらない。彼の主著『資本論』に代表されるマルクス経済論の圧倒的な中心は、資本主義経済体制の批判的解析に置かれていたからである。
 とはいえ、マルクスは間違いなく計画経済の支持者であった。そのことは、ごくわずかながらマルクスが残した片言から窺い知ることができる。例えば『資本論』第一巻筆頭の第一章に見える「社会的生活過程の、すなわち物質的生産過程の姿は、それが自由に社会化された人間の所産として、意識的・計画的な制御の下に置かれたとき、初めてその神秘のヴェールを脱ぐ」というひとことは、まさに計画経済の概略に言及したものである。
 もう少し具体化されたものとしては、晩年の論説『フランスの内乱』に見える「協同組合連合会が共同計画に従い全土的生産を調整し、もってかれら自身の制御下に置き、そうして資本主義的生産の宿命である不断の無政府状態と周期的な痙攣とを終息させるべきであるとするならば・・・・・それが共産主義以外の・・・・・何ものであろうか」という言述も、より明確に共産主義=計画経済に言及したものである。
 この後者の言述で重要なことは、マルクスの想定していた計画経済は「協同組合連合会(の)共同計画」に基づくものだということである。この点で、ソ連式計画経済のような国家計画機関による経済計画に基づくいわゆる行政指令経済とは全く異なっている。
 元来マルクスは、共産主義社会をもって「合理的な共同計画に従って意識的に行動する、自由かつ平等な生産者たちの諸協同組合から成る一社会」と定義づけていた。
 マルクスは国家廃絶論とは一線を画していたが(拙論『マルクス/レーニン小伝』第1部第4章(4)参照)、マルクスが想定する共産主義経済社会は国家行政機関が主導するものではなく、その基礎単位は協同組合企業であって、経済計画もまたそうした協同組合企業自身の自主的な「共同計画」として策定・実施される構想となるのである。
 それでは、マルクス経済計画論では貨幣経済との関わりはどうとらえられていたか。これについてマルクスはいっそう明言を避けているが、やはり晩年の論文『ゴータ綱領批判』に見える「生産諸手段の共有を基礎とする協同組合的な社会の内部では、生産者たちはかれらの生産物を交換しない」という言述からして、交換経済の現代的形態である貨幣経済は予定されていないと考えられる。
 かくしてマルクス計画経済論の概略は非国家的かつ非貨幣(非交換)経済的とまとめることができるが、このような理論枠組みはマルクス主義を公称したソ連式の国家的かつ貨幣経済的な計画経済政策とはむしろ対立的なものだとさえ言えるであろう。
  ソ連がマルクスとレーニンをつなげて「マルクス‐レーニン主義」という体制教義を標榜していたため、ソ連の旧制はすべてマルクスに淵源があり、従って、旧ソ連の失敗はマルクス理論の失敗を意味するという三段論法的な評価が世界的に定着することとなってしまった。
  しかし、国家計画委員会をはじめとするソ連の旧制はすべてレーニンとスターリンの時代に設計されたものであって、本来はマルクスと切り離して「レーニン‐スターリン主義」と呼ぶほうが正確である。計画経済を新たに構想するに当たっては、マルクスとソ連とを直結させない思考法が特に必要である。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第3回)

2024-11-20 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理



第1章 計画経済とは何か

(2)計画経済と交換経済
 市場経済とは市場という交換の場を中心に回っていく経済体制であるので、市場経済はすなわち交換経済である。特に現代の交換経済では、貨幣という媒介物を手段として交換取引が連鎖的に成立していくから、市場経済は貨幣経済と実質上同義とみなしてもよい。
 ただ、理論上は経済運営が市場メカニズムによるか経済計画によるかという問題と、交換取引の媒介手段が貨幣によるかどうかという問題は別次元の問題であり、計画経済と貨幣経済を両立させることは可能とみなされている。そのため、実際、かつてのソ連式計画経済も貨幣経済下で行われていた。
 しかし、観念のレベルを離れて経済運営の実践問題として見たとき、貨幣交換を中心として回っていく貨幣経済と計画経済は調和しない。貨幣経済は貨幣交換の連鎖で成り立っているが、それは需要と供給の成り行きに依存しており、多分にして投機的な要素を持つ。マルクスの言葉によれば、それは「市場価格の晴雨計的変動によって知覚される商品生産者たちの無規律な恣意」によって動いていくものであるから、事前の計画によっては制御不能なものである。
 そうした貨幣経済を計画経済に適応化させようとすれば、それは公的機関、特に政府による価格統制という技術によらざるを得ない。理論上は、経済情勢と需要・供給の事前予測に基づいて公的機関が適正な価格を設定することは可能とされるが、実際のところ投機的な貨幣交換を完全に制御することは不可能であり、旧ソ連を含め、価格統制政策に成功した例がないのは必然と言える。
 してみると、計画経済は本来的に貨幣経済の外にあるとみなしたほうがよさそうである。これを貨幣の側から考えてみると、本来アナーキーな本質を持つ貨幣経済は真の意味での経済計画とは相容れないということになる。
 この理をより根本に遡って考えると、計画経済とはそもそも非交換経済であると言い切ってもよいだろう。貨幣交換か物々交換かを問わず、およそ交換をしない。それが純粋の計画経済である。少しでも交換経済の要素が残るなら、それは真の計画経済とは言えない。
 市場とはすなわち交換の場であるから非交換経済は非市場経済でもあるが、そうであってはじめて計画が必要的となる。なぜなら、非交換=非市場経済では、経済運営の規範的指針となる計画なかりせば物やサービスが生産・分配されていかないからである。
 まとめれば、純然たる計画経済はまずもって非交換経済であって、それゆえにまた非貨幣経済でもあるということになろう。そう見れば、貨幣経済下で行われていたソ連式計画経済がなぜ交換経済的要素を排除し切れず、計画経済としては規律を欠いた中途半端なものに終始したかも理解されるのである。

 

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持続可能的経済計画論[統合新版](連載第2回)

2024-11-19 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

第1部 持続可能的計画経済の諸原理



第1章 計画経済とは何か

(1)計画経済と市場経済
 計画経済について考える場合、計画経済とは何かということを初めに確定しておく必要があるが、実のところ、それが容易でない。
 計画経済というと「社会主義」が連想されるが、計画経済と社会主義は決して同義ではない。実際、今日の中国は「社会主義市場経済」を標榜し、社会主義と市場経済を結合させようとしているし、現代の社会主義体制は程度の差はあれ、みな市場経済への適応を指向している。
 また計画経済と統制経済とが同一視されることもあるが、これも適切な把握とは言えない。統制経済はしばしば戦時には政府が戦争遂行に必要な物資を集中的に調達する目的から体制の標榜を超えて導入され、資本主義体制の枠内でも戦時統制経済を導入することが可能なことは、例えば世界大戦中の戦時統制経済を見てもわかる。
 ただ、計画経済では通常は政府が策定する経済計画に基づき生産と流通が規制されるため、市場経済に比べれば「統制」の要素が強くなることは否めないが、それでも統制経済と計画経済は概念上区別されなければならない。
 一方、市場経済は計画経済の反対語とみなされているが、両者は通常考えられているほどに対立する概念ではない。市場経済を標榜していても、政府の経済介入の権限が広汎に及ぶ場合は計画性を帯びてくるし、また市場原理によって修正された計画経済もあり得るからである。
 前者―計画的市場経済―の実例は、先の社会主義市場経済である。ここでは政府の経済計画は維持されるものの、本来の計画経済のような規範性がなく、それは経済活動の総ガイドライン的な意義にとどまる。またある時期までの戦後日本経済は、政府の経済設計と行政指導を通じた「指導された資本主義」という性格が強かったが、これも社会主義市場経済よりははるかに緩やかながら計画的市場経済の亜種とも言えた。
 後者の市場的計画経済の実例は多くはないが、旧ユーゴスラビアの「自主管理社会主義」はその例に数えられる。ここでは労働者自身が経営に携わるとされる自主管理企業間に一定の競争関係が見られた。また1960年以降の経済改革で利潤原理が一部導入された旧ソ連経済も、ユーゴよりは限定的ながら市場的計画経済の亜種であった。
 かくして計画経済と市場経済の概念的区別も決して厳格ではないのだが、一点、計画経済に必ずなくてはならない要件は、公式かつ規範性を持った経済計画に基づいて経済運営がなされるということである。先の計画的市場経済が市場経済であって計画経済でないのは、そこでの経済計画ないし企画は規範性を持たないからである。
 なお、そうした規範性を持った経済計画が経済活動の全般に及ぶか―包括的計画経済―、それとも基幹産業分野に限られるか―重点的計画経済―という点は政策選択の問題となる。

 

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持続可能的計画経済論[統合新版](連載第1回)

2024-11-18 | 持続可能的計画経済論[統合新版]

統一新版まえがき

 本連載は、既連載『持続可能的計画経済論』及び『続・持続可能的計画経済論』を統合したうえ、再編したものである。実質的な内容に大きな変更点はないが、体系的により整理し、章立てに変更を加えている。

 

統合新版序文

 計画経済は、資本主義的市場経済に対するオルタナティブとして、20世紀に社会主義を標榜したソヴィエト連邦によって初めて実践され、その後、ソ連の衛星諸国やその影響下諸国の間で急速に広まったが、同世紀末のソ連邦解体後、今日までにほぼ姿を消した。その意味では、計画経済は20世紀史の中の失敗に終わった一社会実験であるとも言える。
 しかし、20世紀的計画経済とはあくまでもソ連邦という一体制が実践した一つの計画経済―ソ連式計画経済―にすぎない。ソ連式計画経済が失敗に終わった原因については―本当に「計画経済」だったのかどうかも含め―検証が必要であるが、それだけが唯一無二の計画経済なのではない。むしろ真の計画経済はいまだ発明されていないとさえ言える。
 現時点では、市場経済があたかも唯一可能な経済体制であるかのような宣伝がなされ、世界の主流はそうした信念で固まっているように見える。だが、その一方で、市場経済は打ち続く世界規模での経済危機、国際及び国内両面での貧困を伴う生活格差の拡大といった内部的な矛盾に加え、地球環境の悪化という人類の生存に関わる外部的な問題も引き起こしている。
 こうした有害事象は口では慨嘆されながらも、まばゆい光である市場経済に伴う影の部分として容認されている。地球環境問題に関しては待ったなしの警告を発する識者たちでも、市場経済そのものの転換には決して踏む込もうとしない。あたかも「環境的に持続可能な市場経済」が存在するかのごとくである。
 だが、目下喫緊の課題とされている地球温暖化抑制のための温室効果ガス規制にしても、市場経済は真に効果的な解決策を見出してはいない。市場経済システムを温存するためには、生産活動そのものの直接的な規制には踏み込めないからである。
 地球温暖化に限らず、資源枯渇も含めた地球環境問題全般を包括的に解決するためには、生産活動そのものを量的にも質的にもコントロール可能な計画経済システムが必要である。そういう新しい観点からの計画経済論はいまだ自覚的に提起されているとは言えない。
 景気循環に伴う経済危機や格差問題の解決も重要であるが、そうした問題に対しては市場経済論内部にも一応の「対策」がないではない。だが、それらも決してスムーズには実現されないだろう。そうした問題の解決のためにも、計画経済が再考されなければならない。
 計画経済にはその実際的なシステム設計や政治制度との関係など、ソ連式計画経済では解決できなかった様々な難題も控えている。とはいえ、計画経済の成功的な再構築は、言葉だけにとどまらない環境的に持続可能かつ社会的に公正な未来社会への展望を開く鍵となるものと確信する。
 そうした新たな展望を伴う新しい計画経済を「持続可能的計画経済(Sustainable Planned Economy)」と呼ぶ。しかし、これを理念的な構想に終始させないためには、実際の経済計画をどのように策定するかということに関する具体的な原理や技法をも必要とする。
 持続可能的計画経済の原理とは、簡単に言えば、環境経済学と計画経済学とを組み合わせたものであるが、現時点での環境経済学はほぼ例外なく市場経済モデルを当然の前提としたものであって、計画経済モデルと結合させる試みはまともに行なわれていない。  
 しかし、地球環境の保全が喫緊のグローバルな課題となっており、とりわけ地球の平均気温を数値的にコントロールすべきことが科学者から提言されている時代には、生産活動の物量と方法の双方にわたってこれを計画的に管理することが不可欠であり、生産計画を個別企業の利潤計算に丸投げする市場経済モデルでは課題に解を与えることはできない。  
 一方、計画経済の原理を提供する計画経済学については、かつて計画経済のモデル国家とみなされていたソ連における70年近い経験と蓄積があったが、ソ連の解体後はその盟主ロシアを含めた旧ソ連構成共和国の大半が程度差やモデルの違いはあれ、資本主義市場経済へ転換したことにより、忘却されてしまった。  
 ソ連の計画経済モデルは遅れた農業経済国を短期間で工業国へ発展させるための開発計画の一種であり、そこでは環境保全の視点はほとんど無視されていた。しかも、それは国家に経済運営の権限を集中させるという国家全体主義的な政治理論と結びついてもいた。  
 そうした点で、ソ連の計画経済学はすでに時代遅れのものであり、これを単純に復活させることでは解決しない。とはいえ、計画経済の技法という点では、精緻な数理モデルの開発も進められていたソ連の計画経済学の遺産は改めて参照・再利用される価値を残してはいる。  
 当連載では、現代の経済理論における最前線の花形でもある環境経済学と、すっかり忘却され、ほこりをかぶっているかに見える計画経済学という新旧の経済理論を結合して、持続可能的計画経済のより具体的なモデルを構築することを目指していく。

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