ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

弁証法の再生(連載最終回)

2024-07-26 | 〆弁証法の再生
Ⅵ 現代的弁証法の構築
 
(18)弁証法の展開過程Ⅱ:小脱構築
 前回、事物の対立が生じる以前の未分化な状態にいったん立ち返る遡行的弁証法について提起したが、遡行的弁証法も弁証法であるからには、止揚という最終段階の展開が控えている。
 対立項の限定否定から止揚へという展開プロセスはへ―ゲル弁証法においても、それを作り替えたマルクス弁証法においても、その過程が見えにくい手品のような謎めいた過程であったが、実際のところ、止揚過程では何が起きているのか。
 それをより明瞭に可視化するには、対立する各項それぞれの脱構築という思考操作が必要になる。その点、元来はジャック・デリダの提唱にかかる脱構築は止揚という過程を否認し、言わば終わりなき開かれた思考に道を開く概念であった。
 その意味では、同様に、弁証法の持つ強制的同一化の危険を認識しつつ、弁証法自体の脱構築を企てたとも言えるアドルノの否定弁証法の方向性をさらに徹底させ、止揚することなく、概念に内在する未発見の要素を抉り出すための思考法が脱構築であったと言える。
 遡行的弁証法にあっては、遡行過程をいったん辿りつつ、そこから反転・止揚する過程で、対立以前の未分化状態を参照項としつつ、対立する二項内部で言わば小さな脱構築のような思考展開が起きていると考えられる。
 すなわち、対立項X及び対立項Yを遡行的弁証法によって止揚する場合、XとYの対立が生じる以前の未分化状態0にまでいったん遡行するが、そこから改めて反転し、X及びYそれぞれの項を脱構築することによって、止揚された概念X’Y’―全く別概念のZではない―へ到達するという思考過程となる。
 ここで具体的な対立項として、資本主義(理念的モデルとしてアメリカ経済)と集産主義(理念的モデルとして旧ソヴィエト経済)という今なお本質的には未解決の対立問題を遡行弁証法によって考察してみると━
 まず第一段階として、両項対立以前の原始共有経済にまでいったん遡行する。そこでは、所有の観念も未発達で、貨幣交換もせず、人々は狩猟採集か原始農耕で生活し、すべての物品を(場合により人も)共同体で共有し合っている。
 続いて、第二段階として、改めて資本主義と集産主義の対立項に反転して対立の止揚過程に入るが、そこでは、原始共有経済を参照項としつつ、私有経済を土台とする資本主義が脱構築されて営利企業に伏在する共同的な生産様式が、他方では集団経済を土台とする集産主義が脱構築されて共同所有企業に伏在する自由な結合的生産様式が導かれる。
 最終的に、貨幣資本によらず、かつ集団統制的でもない協働生産様式を軸とする共産主義へと止揚される理路が展開されるだろう。このように遡行弁証法的に止揚された共産主義は、止揚されることなく図式的に思考された「共産主義」―その正体は止揚前の集産主義との混同―のような統制的で自由のない生産様式とは全く異なるものである。
 
 
 以上で現代的弁証法の構築としての遡行的弁証法の試論を終えるが、以前にも述べたとおり、弁証法は形式論理学と並んで物事を実質的に思考するうえで有効、不可欠な思考法であり、とりわけ形式論理学だけでは解決のつかない社会科学分野の思考にあっては、欠かせないものである。
 もちろん形式論理学→自然科学、弁証法→社会科学というように形式的な切り分けはできず、自然/社会いずれの科学にあっても両思考法が必要であるが、今日、弁証法が忘れられ、ともすれば形式論理学一辺倒の風潮が見られることは、人間の思考を退化させる主因の一つとなっている。
 遡行的弁証法の構築はいまだ補正や錬成を要する発展途上にあり、形式論理学の水準に追いついているとは言えない状況ではあるが、遡行的弁証法の考究作業が弁証法の現代的な再生に寄与できることを願って、稿を閉じる。
コメント