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年頭雑感2025

2025-01-01 | 年頭雑感

このところ、地球環境、地域紛争、物価高騰その他内外の多くの問題が未解決状態で積み残され、年越しとなる事態が続くため、年が明けた気がせず、前年の続きに過ぎない感覚である。この雑感コラムも、毎年同内容の繰り返しとなりつつある。

そうした中、昨年目についたのは、選挙を通じたいわゆる「極右」勢力の躍進現象である。まず欧州議会選挙(6月)、続いてフランス国民議会選挙(6‐7月)、ドイツ地方議会選挙(9月)、そしてアメリカ大統領選挙(11月)でのトランプ返り咲き再選もその亜種現象である。

さしあたり欧米において顕著な現象ではあったが、従来、民主主義の手本を自他ともに任じてきたはずの欧州連合とその二大主導国の仏独両国に米国でこのありさまなら十分過ぎるほどであり、いずれは中南米、アジア、アフリカなど欧米外にも類似現象が追随的に拡散していく可能性は大である。

メディア上では漠然と座標図式的に「極右」とくくられるが、より具体的に見れば、これは反移民政策を基軸とする国家主義的かつ権威主義的なファッショ勢力の躍進現象であり、それをとりわけ労働者階級有権者が支えている。

反移民ファッショ勢力の共通した特徴として、インターネットを巧妙に活用して、虚偽・誇大政治宣伝を展開する大衆迎合/扇動戦略があり、これに労働者階級有権者がはまる傾向を増しているのである。アメリカでも、衆愚政治という言葉が聞かれるようになっている。

結果として、一般大衆が平等に参加する普通選挙が、ただでさえ民主主義の制度としてはより直接的な民主主義に比べ過渡的で不完全な間接民主主義を没却し、ひいては権威主義・独裁政治を正当化する手段と化してきている。現代の選挙過程は反民主主義への道程である。なぜそんなことに?

その点、経済界や富裕層がかれらの総利益を代弁する保守系ブルジョワ政党を支持する傾向は20世紀から変わっていない。変わったのは、労働者階級有権者の投票行動である。

20世紀の労働者階級は労働党、社会党、共産党その他党名は様々ながら、労働者の階級的利益を擁護・代表することを唱道していた政党に所属労組を通じて集団的・自動的に投票する傾向があったが、20世紀末頃から労組組織率の低下が進み、労働者階級が集団投票をしなくなってきた。

皮肉にも、資本主義先進諸国で労働者代表政党が議会で地歩を築き、時に政権政党ともなることにより、労働者階級の生活水準が向上し、中間層に食い込むことができるようになったことが労働者の労働運動への関心を低下させ、労組組織率の低下を結果したのである。

ただ、元来、集団投票(いわゆる組織票)は一人一人が熟慮して良心に従い投票するという一人一票の投票の自由原則に反する習慣ではあったのだが、労組を通じた集団投票に支えられた労働者代表政党が議会で安定的に議席を占めることは議会制を通じた代議政治を健全に保つ効用は発揮していた。

ところが、そうした集団投票習慣が廃れたことで労働者階級の投票が個人化され、毎回投票先が変わるようないわゆる浮動票が多くなると、大衆迎合/扇動戦略に長けた勢力への傾倒現象が生じやすくなる。これが反移民ファッショ勢力躍進の一因と考えられる。

実はそうした傾向を90年近く前に先取りしていたのが、ナチスの勝利であった。ナチスが当時としては民主主義の手本とみなされていたドイツのワイマール共和国の自由選挙を通じて誕生したということは忘れてはならない教訓である。

現代なら、ナチスの反ユダヤ主義を反イスラーム主義―欧米における反移民政策の核心である―に置き換えれば、現代版ナチスを作り出すことは難くない。さしあたり、ナチス復活阻止のための厳格な法的諸制度を維持してきたドイツの今後の動向に注目したい。

同時に、アメリカの第二次トランプ政権がアメリカご自慢の民主主義をどれほど掘り崩すのか、それとも古典的な合衆国憲法に阻まれて意外に掘り崩せないのか、も今年の注目点である。

日本の過半数割れ保守政権の状況はやや特殊であるが、この弱体政権がもはや労働者代表政党そのものが消滅した日本では多数派と言ってよい浮動層有権者の大きな失望を招いたとき、日本版「極右」の躍進もあり得なくはないだろう。

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