第1部 持続可能的計画経済の諸原理
第3章 環境と経済の関係性
(3)環境倫理の役割
持続可能的計画経済の土台には科学的な環境予測があるとはいえ、実際のところ、地球規模でますます強固に定着しているかに見える市場経済を計画経済に大転換するに当たっては、純粋な科学だけでは律し切れない原理的な推進要素がある。それがすなわち環境倫理である。 環境倫理に関して確定的な定義はないが、例えば「あらゆる行動において当事者が環境との関係の中でどのような価値判断を下し、行動選択をするかという倫理的な問題をいう。」などと定義されている(一般財団法人・環境イノベーション情報機構の環境用語集)。
環境倫理の具体的な内容として何を盛り込むかについても定説はないが、ほぼ共通しているのは、地球環境の保全に関して現存世代は未来世代に対して責任を負うという「世代間倫理」の原則である。この原則は、市場経済を前提とした環境保全論においても、一般論としては受け入れられている。
しかし、市場経済を前提とする限り、このような倫理原則も、まさに一般論に終始せざるを得ない。なぜなら、市場経済は「今、ここでどれだけの利益を上げられるか」ということを至上命題とするからである。このことは、証券市場や為替市場における瞬時的取引に象徴されているが、一般産業界における商取引においても本質は同じである。
徹底して現在という時間軸にこだわるのが市場経済であり、それが市場経済のイデオロギー的枠組みである資本主義の「論理」である。このような「論理」を放棄しない限り、世代間倫理は題目として終わるだろう。実のところ、気候変動論のアンチテーゼである懐疑論の出所も、科学的な反論以上に、こうした環境倫理への反発・否認にあると看破できるのである。 しかし、持続可能的計画経済にあっては、科学的な土台としての環境予測に対して、世代間倫理が倫理的な基底として据えられることになる。世代間倫理を題目に終わらせず、真に実践するためには、計画経済への地球規模での大転換を必要とする。
とはいえ、あらゆるものに終わりがあるとするならば―逆言すれば、永遠に続くものはないとすれば―、地球という惑星そのものがいつか終焉する日が到来するだろう。それならば、いっそのこと、今のうち地球環境を利用できるだけ利用しようという刹那的な発想―これを「環境的饗宴論」と名づける―もあり得る。
現在という時間軸を最優先する資本主義は、こうした環境的饗宴論とも親和性が強い。特に天然資源の採掘に関して、その有限性を否認し、または限界点を意識的に長期に見積もり、高価値な天然資源の開発を急ごうとする施策は、環境的饗宴論の代表例である。
しかし、世代間倫理を重視する限り、自然的な要因から地球環境あるいは地球そのものが死滅することは避けられないとしても、少なくとも地球を人為的な要因から死滅させることのないようにすべきだということになる。持続可能的計画経済は、そのための最も根本的な地球環境保全策であると言える。