ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

共通世界語エスペランテート(連載第13回)

2019-07-12 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート語総論

(12)エスペランテートの創出①

言語の改訂可能性
 前回までみてきたように、エスペラント語は世界語たるべき条件をそなえていると評してよいが、いくつかの点ではなお克服すべき問題をかかえていることも判明した。そうした問題を克服するもっとも端的な方法はエスペラント語を一部改訂することである。
 ここでの主題である言語の改訂ということは、いわゆる自然言語としての民族言語ではそもそも論点にすらならない。自然言語は、その言語のにないて民族が慣習的に形成してきた語彙と文法、発音でなりたっており―その意味では「自然言語」より「形成言語」とよぶほうがふさわしい―、そこに「改訂」をくわえるということが想定できないからである。
 ただし、文字体系や正書法に関しては一定の政策的な改訂をくわえることができなくはないが、それとて単語や文法の変更をともなうようなものではないから、改訂というよりは整理というほどのものにすぎない。
 もっとも、インド‐ヨーロッパ語族のように一つの共通祖語から多数の言語が分岐していく過程は、ある種の自然形成的な言語の改訂とみなすことができなくはないが、それも計画的・政策的な改訂ではなく、おもに地理的離隔による方言形成の結果にすぎない。
 これに対して、エスペラント語をはじめとする計画言語はそもそものはじめから人工的に創案されているから、あとから改訂をくわえることも理論上は可能なはずであるが、かならずしもそうではない。
 その点、エスペラント語では1905年の第1回世界エスペラント大会で確認された創案者ザメンホフによる「エスペラントの基礎」16箇条が不動の文法規則としてさだめられ、これだけは改訂不能とされている。わずか16箇条とはいえ、ここにはエスペラント語のエッセンスが凝縮されており、それらを変更すればエスペラント語ではなくなるというルール群である。
 ただ逆にいえば、わずか16箇条をのぞき、エスペラント語にはおおきな改訂可能性があるというみかたもできる。しかし、これまでエスペラント語のおおきな改訂はなされていない。それどころか、一部のエスペランティストが個人的に開発したエスペラント語の改訂版は同輩たちから「うらぎり」として非難の対象にすらなってきた。
 またIDO(イード)やNovial(ノヴィアル)のようにエスペラント語を土台としたあらたな計画言語でさえも、エスペランティストたちからは敵視されたのである。

 エスペラント語にかぎらず、計画言語には特定の創案者―複数人のばあいをふくめ―が存在するため、さきの16箇条のように創案者のおしえを基礎としたドグマが形成されやすいという性向がある。
 善意に解するなら、計画言語はそもそも改訂不能な民族言語とはことなり、改訂可能であるがゆえに安易な改訂をゆるせば際限もなく改定案が林立し、結局は言語体系として崩壊し、民族言語とおなじように無数の分岐が生じて世界語としての意味をうしなってしまうおそれがある。そのため、改訂や分派のくわだてに対して警戒的とならざるをえないのだろう。

 そうした懸念にも一理あるが、計画言語の最大特徴としての改訂可能性をいかさず、保守的な教条主義におちいれば、計画言語をある種の自然言語化する危険にさらすことになる。このジレンマをどのように解決すべきかは、おおきな検討課題である。

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共産論(連載第57回)

2019-07-10 | 〆共産論[増訂版]

第9章 非武装革命のプロセス

(6)共産主義社会が始まる

◇最初期共産主義
 移行期の一時的混乱を最小限に抑えることに成功し、この時期を無事に乗り切れば、いよいよ共産主義社会が始まる。この生まれたばかりの共産主義社会が「最初期共産主義社会」である。
 この時期は移行期を通過済みとはいえ、まだ不安定で、共産主義的な施策が本格的に推進されていく変動期のプロセスである。このプロセスにどれくらいの時間を要するかは難しい問題だが、少なくとも10年は見込んでおいた方がよいかもしれない。以下、この時期におけるメインのプロジェクトを項目的に列挙していく。

◇通貨制度の廃止
 最初期共産主義社会における経済革命のクライマックスと言えるのが、貨幣制度の廃止である。これは単にモノとしての貨幣を廃棄し、キャッシュレス化するということではもちろんなく、電子マネーのようなものを含めて交換手段としての強制通用力を与えられた通貨制度全般を廃止するということになるが、(※)それだけにいくつか慎重にフォローすべき点がある。
 本来、この施策は世界同時的に条約を通じて実施することが混乱を防ぐうえで理想的であるから、世界民衆会議の下に、各領域圏中央銀行を包括する通貨制度清算機構を設置して、各領域圏における通貨制度廃止を統一的に支援していくことが望ましい。
 このプロセスにおいては、特に銀行を中心とした金融機関の総清算作業が不可欠となる。この作業のために、各領域圏中央銀行内に金融清算本部を設置し、各銀行その他の金融機関の清算会社をすべて接収したうえ、全口座を整理する必要がある。  
 これらの清算口座の預金はすべて中央銀行の管理下で封鎖・無効化されるが、まだ資本主義経済下にある諸国の外国人(法人を含む)名義の口座については引き出し・返還の手続きを進める。なお、中央銀行は通貨制度廃止の全プロセスを見届けたうえ、最終的に自らも廃止される。 
 他方、革命が全世界に波及するには時間差が避けられず、まだ共産化されていない諸国との貿易を当面は継続するという場合、中央銀行は貿易決済に必要な外貨準備を保有している必要がある。こうした未革命諸国との残存貿易に関しては、全貿易会社を統合したうえで一元的な貿易窓口機関となる暫定的な「統合貿易公社」を設立して対応することになろう。  
 ところで、通貨制度を廃止した場合に生じ得る切実な難問は、まだ通貨制度が廃止されていない海外から、無償で物品を取得しようとする外国人のツアー客が殺到しかねないということである。  
 これに対しては、さしあたり永住者や所定期間の長期滞在者以外の一時滞在外国人については、中央銀行が監督する一部の外貨決済店舗でのみ物品の購買を認める特例をもって規制的に対応せざるを得ないであろう。
 従って、最初期共産主義社会においては、残存貿易の継続と合わせて、対外的な関係ではなお貨幣交換を伴う商品形態が一部残存することになる。

※ここで廃止の対象となるのは、国家が発行する公式の通貨であって、民間で発行され、特定の取引界でのみ通用する私的通貨(仮想通貨のような電子化されたものも含む)の流通を認めるべきかどうかは経済政策上の問題である。このような私的通貨による取引を一種の物々交換とみなすならば、持続可能的計画経済の外にある生産・流通過程における物々交換の範疇でこれを認めることはあってよいと考えられる。

◇計画経済の始動
 移行期に準備されていた包括会社が各種生産事業機構に転換され、計画経済移行準備協議会が経済計画会議として正式に発足すると同時に、最初の計画経済(第一次三か年計画)が始動する。計画外の自由生産制を採る分野でも、株式会社制度の廃止に伴い、第3章で見たような新しい生産組織が続々と発足する。

◇社会革命の進行
 経済分野以外でも、家族、福祉、教育、メディアなどの諸分野で、各章で見たような大規模な社会革命が進行していく。
 ただ、こうした分野の変革は経済分野以上に歴史的な時間を要することもあり、最初期共産主義社会のプロセス内では完了しない場合もあり得るであろう。

◇全土民衆会議の発足
 最初期共産主義社会における政治制度面の重点は、領域圏レベルの全土民衆会議が正式に発足することである。すなわち初期憲章公布・施行の後、すみやかに第一期民衆会議代議員の抽選が実施される。(※)
 反面、移行期の革命中枢機関であった革命移行委員会はその名称を「革命参事会(以下、「参事会」と略す)」と変え、役割も全土民衆会議に対する諮問機関に転換される。
 すなわち参事会は全土民衆会議で審議中の案件について諮問を受け、または意見を表明し、これを通じて、発足したばかりの民衆会議に対する顧問的な役割を担うのである。参事会の議員は革命功労者の中から6年程度の任期をもって全土民衆会議が選出する。

※同様に、地方の各圏域民衆会議も正式に発足する。

◇政府機構の廃止
 移行期にはまだ残存していた中央政府機構が解体され、民衆会議による一元的統治が開始される。これに伴い、旧省庁の多くは全土民衆会議に直属する政策シンクタンクに転換されるが、財務省・国税庁などのように、通貨制度の廃止と運命を共にする省庁もある。
 なお、外務省は次章で見る世界共同体が正式に発足するまでは、全土民衆会議の外交機関(外交本部)として当面存続するが、世界共同体が発足した後は、現在のような主権国家間の外交関係自体が消失するため、世界共同体の出先代表機関である「世界共同体連絡代表部」に取って代えられる。
 また、この段階では旧自治体機構の廃止・転換も完了し、各圏域の民衆会議が正式に活動を開始する。

◇軍廃計画の実行
 移行期に策定された軍廃計画が実行段階に入る。最終的に、世界共同体憲章が正式発効し、憲章に基づく軍備廃止条約が締結された場合は、条約上義務づけられた行程に従って、常備軍の廃止プロセスを進めていくことになる。

◇完成憲章の制定
 全土民衆会議は上述のような重要な工程が一段落したところで、その成果を踏まえつつ、完成憲章の起草作業に着手する。
 完成憲章は最初期共産主義社会に続くプロセスとしての「成熟期共産主義社会」に対応するもので、ここでの重要な改正点は参事会が廃止されて全土民衆会議に完全に一本化されることである。言わば民衆会議が一本立ちするわけで、これによって共産主義社会はいよいよ成熟期を迎えるのである。
 この完成憲章の最終的な確定のためには、領域圏民衆による直接投票で過半数の承認を経ることを要するものとすべきである。ただし、連合領域圏では、連合を構成する準領域圏の四分の三以上における直接投票による過半数の承認を要する。

◇成熟期共産主義から高度共産主義へ
 この成熟期共産主義社会を経由して社会の全人口の大半が「資本主義を知らない世代」となった時に、発達した共産主義社会すなわち「高度共産主義社会」に入っていく。
 この時に初めて、第3章で展望したような純粋自発労働制の社会が実現するのかどうか━。これについては、未来世代の賢慮に委ねるほかはない。

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共産論(連載第56回)

2019-07-09 | 〆共産論[増訂版]

第9章 非武装革命のプロセス

(5)経済移行計画を進める

◇経済移行計画
 移行期における最大のイベントが、資本主義市場経済から共産主義計画経済への移行である。資本主義のグローバル化に伴い、革命の時点では、ほぼすべての諸国が名実ともに、または実質上(社会主義市場経済や暗黙の市場経済化のような形で)資本主義経済システムによっているであろうと想定されることから、このような経済体制の移行は大掛かりなものとならざるを得ず、慎重な計画に則って遂行する必要がある。

◇基幹産業の統合  
 共産主義経済の基軸が計画経済(持続可能的計画経済)にあることはすでに見たが、資本主義的市場経済から一挙に共産主義的計画経済へ移行することは無理であるから、まずは計画経済の対象分野の企業統合を通じた再編に着手する。  
 具体的には、鉄鋼、電力、石油、造船、機械工業に加え、運輸、通信、自動車等々、計画経済の導入が予定される分野に関して、将来の生産事業機構化へ向けた単一の包括会社を設立することである。  
 そのうえで、将来の計画機関である経済計画会議の前身となる「計画経済移行準備協議会」を設立し、各包括会社の担当役員を中心に経済計画を実際に立案してみる図上演習を行う。  
 こうした包括会社と同様の会社の設立は、一般消費分野でも行われる。すなわちスーパーマーケットやコンビニエンスストアの合併による地方圏(または準領域圏)ごとの包括小売会社の設立である。これは将来の消費事業組合の前身となる組織である。

◇貨幣経済廃止準備  
 真の共産主義経済は貨幣交換によらないこともすでに見てきたが、貨幣経済の廃止は生産様式を越えて、ほとんど「文明史的な」と形容しても過言でないほどの大変革となるために、人々の生活様式も大きく変容する。そのため一気に施行することはできず、とりわけ慎重なプロセスを要する経済移行計画の中核を成す。  
 移行期にはまだ連鎖的な貨幣交換で成り立つ資本主義は完全には廃されず、その相当部分が残されたままである(残存資本主義)。しかし、この時期からほとんどの人にとって未知の共産主義経済という新経済システムに適応するためのある種予行演習を展開することが不可欠である。  
 その際、まずは消費財の貨幣交換によらない無償供給(取得数量規制付き)の試行から開始する。特に食糧を中心とした日常必需品と一部の雑貨的有益品である。こうした部分的な物資の無償供給は戦時/災害時配給制に似ているが、臨時措置ではなく、来る貨幣経済廃止に向けた準備プロセスである。(※)
 この試行は、上述の包括小売会社を中心に、既存の農業/漁業協同組合とも連携しながら、指定供給所を通じて移行期の全期間にわたって行なう。

※旧版では、代表的な都市部及び典型的な農漁村部に「共産主義経済試行区」を設置し、試行区内で先行的に共産主義経済の実践を開始するという一種の経済特区制度を提唱していたが、このような地域限定の二重経済システムは経済の公平性や統一性という観点からひずみをもたらすため、当版以降、撤回する。

◇土地革命  
 移行期における経済政策で最も政治的な論議を惹起するものが土地革命、すなわち全土地の無主物化と公的管理体制への移管である。
 この政策は、おそらく最も強い反発・抵抗を呼び起こしかねないから、移行委はすみやかに政令を発布して土地管理機関を設立し、土地私有権の消滅手続きを進めつつ、旧所有者による土地囲い込みなどの実力行使に対する取り締まりの体制を整備する必要がある。そのためにも、土地管理機関は法務部門のほか、独自の捜査部門と警備部門も備えている必要がある。

◇農業の再編  
 農業生産機構を軸とする共産主義的な農業統合化は土地改革に伴う農地の所有権消滅問題とも絡んで、大きな反発を招く恐れもあるため、十分な経過措置を講じて農業者の理解と信頼を醸成することを要する。  
 まずは、農業協同組合のような既存の農業者連合団体を全土包括的な農業法人にまとめ、農業生産機構の前身組織として再編したうえ、農業統合化に向けた物的及び人的準備を実施する。ここでも、上述基幹産業分野にならい、農業生産計画の図上演習を行なう。(※)

※同様の再編過程は、漁業分野にも妥当する。

◇告知と試行  
 移行期経済計画は多岐にわたり、全産業界に影響が及ぶことから、共産主義経済への移行プロセスの全体像と具体的な施策を解説した文書を各産業界にも配布して、自発的な準備を促す。また、共産主義経済の下での新たな生産と労働、生活全般の仕組みをわかりやすく解説した冊子を全世帯に配布するなど情報提供・周知徹底を通して不安の解消に努める。  
 このように、経済移行計画においては事前の告知による情報提供と図上演習を含む試行の組み合わせにより、社会経済システムの大変動期にありがちな混乱を最小限に抑制することが目指される。

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共産論(連載第55回)

2019-07-08 | 〆共産論[増訂版]

第9章 非武装革命のプロセス

(4)移行期の工程を進める

◇移行期工程の準備
 革命移行委員会(移行委)の最大任務は、共産主義社会の開幕に向けた移行期の工程を進めることにある。移行期には革命に伴いがちな政治・経済的混乱も予想される。この時期をいかに短縮できるかが革命の成否を左右する。
 目安としては3乃至5年以内に移行期を完了させることが望ましい。それを可能とするためにも移行期については民衆会議内部で事前に討議し、入念な準備と計画を練っておく必要がある。以下、この移行期工程の中でも特に重要なものを項目的に列挙していく。
 ただし、経済移行計画の部分は、移行期でも最重要かつ最難関となるため、次回稿で特に取り出して論ずることにする。

◇初期憲章(憲法)の起草
 前章でも指摘したように、移行委は早期の立憲体制の確立を目指さねばならないのだが、大規模な革命にあって急激な立憲体制の確立は困難であるから、過程を分けて考える必要がある。
 それとともに、ここで「憲法」と言った場合、我々が現在知っている憲法とは異なることに注意を要する。現在、我々が知っている憲法とは、国家の構制を定めた国家基本法という性格を持つ。これに対して、共産主義社会では再三述べてきたように国家は廃止されるのであるから、憲法も「国家」基本法ではあり得ない。
 その代わり、憲法は民衆による社会の運営方法を定めたルールとなり、それは「民衆会議憲章」という形式(例えば「日本民衆会議憲章」)で示される(以下、単に「憲章」という)。
 この憲章の制定にも二つの過程がある。第一は最初期共産主義社会―言わば「生まれたばかりの共産主義社会」―に対応するものとしての「初期憲章」であり、第二はこの最初期共産主義を経過した後の成熟期共産主義社会に対応するものとしての「完成憲章」である。
 民衆会議は革命後直ちに第一の初期憲章の起草作業に取り組むため、「憲章起草委員会」を設置する。この委員会は、民衆会議の本部でもある世界民衆会議とも連携しながら、先行して制定済みの世界民衆会議憲章を法源としつつ、適切な憲章案の策定を目指して移行期のプロセスいっぱいをかけ幅広く討議する。(※)

※民衆会議体制では、地方自治体も領域圏憲章の範囲内で独自の憲章を制定することができるから、各層地方自治体でも、同時的に憲章起草作業が進められる。

◇共和制の樹立
 憲法問題と関連して、それ自身憲法問題でもある政体の選択も重要課題となる。共産主義的政体とは本質上共和制であり、なおかつ、民衆会議体制は大統領その他の執政官に施政を委任するのではなく、民衆自身が民衆会議を通じて統治する「民衆共和政体」への移行を要する。
 このような民衆共和政体は、君主制やそれに準じた世襲的統治形態とは両立し得ない。これは、日本の象徴天皇制を含めて政治的権能を喪失し象徴化された君主制(象徴君主制)の存廃に関わる問題である。
 結論から言って、共産主義革命後は象徴君主制も廃止を免れない。ただし、「廃止」の意味内容については慎重に分析される必要がある。
 すなわち、ここで言う「廃止」の対象となるのはさしあたり政治制度としての君主制であって、ファミリーとしての王室(以下、天皇制における「皇室」を含めてこの語を用いる)を廃止するかどうかとは区別することができるのである。
 もちろん最も徹底した共和制にあっては王室そのものも廃止することが要求されるであろう。歴史的に見ると、民衆蜂起型の革命によって君主制が打倒されたときには王室もろとも解体され、君主処刑という事態に発展することもあった(フランス革命やロシア革命)。
 しかし、それらは専制君主制に対する民衆の憎悪を背景とする出来事であって、すでに政治的権能を喪失して久しい象徴君主制は通常民衆的憎悪の標的とならない。象徴君主制における王室解体、ましてや君主処刑はかえって民衆の同情を買い、尊王勢力の反革命蜂起を誘発しかねないであろう。
 そこで、象徴君主制の廃止にあっては王室もろとも廃止する徹底政策よりも、君主制は廃止するが王室は存続させるという形を捨て実を取る不徹底な方策をあえて採るほうが賢明である。
 ただし、王室の存続といっても、それはいかなる特権も伴わない形で王室メンバーとしての形式的称号の存続を認めるというにとどまる。従って、宮内省(庁)のような家政機関は廃止されるほか、王室メンバーの実質的な一般公民化が促進されることになる。

◇革命防衛  
 移行期とは様々な形で反革命策動が展開される時期でもあるから、移行委の任務として革命体制を防衛すること自体も移行期における重要な政策となる。この革命防衛については内政面と外交面とを区別することができる。

(a)内政面
 内政面での革命防衛策は、歴史上しばしば人権侵害の象徴として革命に対する恐怖のイメージを醸し出すもととなってきた。特に革命防衛を直接の目的とする政治警察の創設は人権侵害の温床を作出するので避けるべきである。
 そこで、政治警察に依存する革命防衛ではなく、革命の意義を積極的に社会に啓発し、人々を革命事業に包摂していくような志向性を持った草の根の革命防衛組織として、「革命防衛連絡会」(革防連)を立ち上げる。
 これすなわち、反革命活動への関与が疑われる団体や個人に対する情報収集・動静監視といった消極的な革命防衛にとどまらず、より積極的に地域で革命諸政策に関する情報提供と民衆会議との関係構築に当たり、さらには広く公衆に向けた世論啓発も行なう総合的な革命防衛組織である。  
 そうした目的のために、革防連は、地域で革命諸政策に関する情報提供や関係構築を担当する要員(メディエーター)、インターネットその他の情報手段を活用して公衆向けの革命的世論啓発に当たる要員(パブリシスト)、反革命活動に関する情報収集・動静監視に当たる要員(エージェント)の三種の要員を擁する。(※)  
 こうした包摂的な民間革命防衛組織を通じた革命防衛は、従来の歴史上の革命の定番ともなっていた集団パージのような強権策を回避する効果も持つ。後述するように、移行期にはまだ旧政府機構は残存しているから、一般公務員は当面温存しなければならず、明白に反革命サボタージュに出るような公務員を個別的に罷免すれば足りるのである。  
 ただし、軍部の政治的影響力が強い諸国では、軍の反革命クーデターに一定の警戒を要する。そのためにも軍を統制する平和問題担当革命移行委員の下で実務に当たる委員代理には革命に理解ある退役軍人を充てるとともに、中堅幹部層以下の革命体制への統合に努める必要がある。

※革防連の要員は革命防衛に対する特別に強固な信念を要するため、公募ではなく、適任者の勧誘によって採用される。

(b)外交面
 歴史的に見ると、多くの革命においてその波及を恐れる諸外国からの干渉がなされ、戦争に発展することが少なくない。そこで、外交面での革命防衛策を講じることも不可欠である。
 その際に重要なことは、民衆会議のトランスナショナルな組織化である。共産主義革命は最終的には全世界に波及する連続革命(ドミノ革命)の中で初めて反革命外国勢力の干渉を打破し、完遂されるものである。このドミノ革命については次章で改めて触れるが、それは単なる“革命の輸出”にとどまらない、全世界的な革命のうねりである。
 こうした意味で、外交面における革命防衛の要諦は、技巧的な外交術とも異なる民衆会議のトランスナショナルな連帯それ自体、すなわち世界民衆会議の存在なのであり、そのためにも革命は一国主義ではなく、初めから世界共同体の創設を目指して推進される必要があるのである。

◇経済移行計画
 資本主義経済あるいはその他の市場経済体制から共産主義計画経済への移行は、冒頭でも指摘したとおり、移行期で最重要かつ最難関のイベントとなるため、それ自体が周到な「計画」によって導かれなければならない。この件については、冒頭予告どおり、稿を改める。

◇移行期行政
 
共産主義社会では国家は廃止されるが、移行期には中央・地方ともまだ旧政府・自治体機構は存続する。
 この間、中央では革命移行委員が各行政分野を所管するが、主要省庁は当面の行政事務を継続しつつ、政策シンクタンク化へ向けた組織転換の準備作業を開始する。
 これに対して、地方行政に関しては、移行委の特別政令により、まず全自治体の残存首長・議員を一斉解職する。そのうえで、都道府県のような旧広域自治体は都道府県暫定民衆会議の管理下に移し、民衆会議から「臨時行政委員」(知事相当)及び「臨時行政委員代理」(副知事相当)を派遣して通常業務を継続しつつ、共産主義的な地方圏への統合に向けた作業を開始する。
 一方、市町村については市町村暫定民衆会議が直ちに市町村行政を掌握し、当面は民衆会議議長が市町村長職を継承しつつ、共産主義的な市町村の創設や中間自治体としての地域圏の区割り作業及び地域圏への権限移譲などの作業を遂行する。

◇軍廃計画の推進
 移行期行政で注意を要するのは、軍(軍に準ずる武装機関を含む)の扱いである。共産主義社会では最終的に常備軍は廃止されるが、それは世界法(条約)に基づいて初めてなし得ることであるから、それまでの間は軍を革命体制に統合しつつ、軍を保持していく。とはいえ、移行期には将来の常備軍廃止を視野に、軍縮ならぬ軍廃計画を進めていく必要がある。
 その進め方や規模は、反革命諸国からの武力干渉及び軍内部からの反革命クーデターという内外情勢を考慮しつつ、戦略的に決定される。そのためにも、軍廃を所管する平和問題担当移行委員の舵取りは極めて重要である。
 ちなみに、軍が蓄積している軍事的技能は、大規模災害等における高度な救難活動に応用可能なものも多いので、領域圏全域または広域圏をカバーする高度救難隊に一部再編することは有益である。

◇移行期司法
 移行期工程では、第4章でも論じたような警察、裁判所制度によらない新たな司法制度の創出も始まる。
 しかし、司法は秩序維持に関わり、革命防衛にとっても要の領域であるから、混乱を避けるため細心の注意を払った経過措置と応急措置を取りながら進めていかなければならない。従って、新司法制度は初期憲章の施行に合わせて時間的な余裕を持って施行されるべきである。

◇代議員免許試験の実施  
 移行期の各圏域民衆会議はまだ暫定的なものであり、代議員免許を有する代議員により構成される正式の民衆会議は初期憲章の公布・施行後すみやかに招集される。そのためにも、移行期の早い段階で代議員免許試験を制定し、初期憲章案の完成までに最初の免許試験を実施しておかなければならない。

◇制憲民衆会議の招集  
 初期憲章案が完成した段階で、制憲民衆会議を設置・招集する。制憲民衆会議は正式の民衆会議と同様に、統一的な代議員免許試験に合格した免許取得者の中から抽選される。制憲民衆会議の招集をもって、従前の民衆会議総会は解散する。

◇初期憲章の可決及び施行  
 以上の移行期工程が完了に近づいた段階で、仕上げとして初期憲章の制定手続きに入る。その方法は種々想定できるが、次のような方法が最も周到かつ効率的と考えられる。
 すなわち、先の憲章起草委員会が策定した憲章案を制憲民衆会議にかけ、多数決により可決した後、さらに市町村、地域圏、地方圏の各レベルごとの三分の二以上の民衆会議で多数決により可決する。
 なお、初期憲章はその名のとおり初期的なものであり、暫定性が強いことから、この段階では民衆による直接投票は不要としてよい。かくして、初期憲章の公布・施行をもって、移行期工程が完了する。

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共通世界語エスペランテート(連載第12回)

2019-07-06 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート総論

(11)エスペラント語の検証④

エスペラント語のジェンダー中立性
 エスペラント語の自然言語近似性はエスペラント語の世界語としての条件を担保する特徴であるが、それゆえにやや問題をかかえるのはジェンダー中立性の条件である。まえにも指摘したように、この条件は付加条件ではあるも、現代的水準からは、世界語に是非そなわるべきものである。―その意味では、より積極的にこれを世界語の「十分条件」とみなしてもよいものとおもう。
 おおくの自然言語はなんらかのかたちでジェンダー差別的な語彙や表現をともなっている。その点、エスペラント語にも、基本中の基本語彙として、patro(父)/patrino(母)という問題含みの対語がある。
 エスペラント語で‐inoは女性形をつくる接尾辞であるから、これを直訳すると「父女」というような奇妙に矛盾した含意になる。patroは元来、印欧語族系でちちおやを意味する語に由来するから、これを語源としてははおやを「父女」と表現することは、やはりちちおや中心の父権主義的語彙といわざるをえないだろう。
 knabo(少年男子)に女性形接尾辞‐inoをつけてknabino(少女)とするのも、同種の例である。その他、職名に女性形接尾辞を付けて、policistino(婦人警官)といった単語をつくる例もある。
 もっとも、これらはかずあるエスペラント語のなかでも例外的な語彙であるから、このことだけをもってエスペラント語そのものがジェンダー中立性をかくとみなすべきではないかもしれないが、ジェンダー中立の条件を貫徹するためには再考されるべき問題である。
 他方で、エスペラント語は自然言語近似的ではあっても、意識的に創出された計画言語であるゆえに、すべての自然言語につきものといってよい各種の差別的俗語がほとんどみられないという長所はもつ。
 とはいえ、個別的にみるといくつか問題もなくはない。たとえば、エスペラント語で「おいた」を意味するmaljunaは否定の接頭辞mal‐に「わかい」を意味するjunaを合成してつくられた単語であるが、直訳すると「わかくない」ということになり、わかさを基準にしておいを否定的にあらわしている。「健康」を意味するsanoに否定辞mal‐をつけて「病気」を意味するmalsanoという合成語をつくりだすのも同種の例である。
 ここで否定辞mal‐は形式的な否定の意味しかもたず、価値的な否定の含意はないと解釈することも可能ではあるが、否定辞mal‐は「悪」や「異常」を含意するラテン語を参照語源としていることから、上例ではわかさや健康にたかい価値をおいて、おいや病気を価値的に否定する含意は払拭できないだろう。
 以前指摘したように、エスペラント語は接頭辞を多用して合成語や派生語をつくりだし、実質的な語彙数を限定できるという簡便さがあり、否定辞malもその代表例といえるのであるが、言語の全般的な非差別性という観点からは個別的に再考すべき点にかぞえてよいとおもわれる。

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共通世界語エスペランテート(連載第11回)

2019-07-05 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート総論

(10)エスペラント語の検証③

エスペラント語の自然言語近似性
 
世界語たりうる条件としての自然言語近似性という観点からみた場合、エスペラント語は自然言語にきわめて近似した体系をもっており、この条件は十分みたしているといえるかもしれない。
したがって、人間同士のコミュニケーションに供する言語という点からすれば、エスペラント語は世界語として十分に機能する。
 ただ、自然言語近似性とひとくちにいっても、習得容易性という点からは、さらにたちいって検証すべき点がある。その点、自然言語は従来、形態論的な特徴から屈折語・膠着語・孤立語・抱合語の四種に分類されてきた。
 このうち、屈折語は動詞の活用変化や名詞の格変化が複雑で、習得容易性という観点からはもっとも難攻的である。ただし、英語はその独異な発達過程により屈折性が希薄化している点で習得容易性をましたため、その点で他の屈折語系言語より優位性があるのだろう。
 他方、モンゴル語やトルコ語のほか、日本語もふくまれる膠着語は、動詞活用の規則性がたかく、かつ助詞や接辞の発達により文の構成が明瞭になりやすいという利点をもつが、動詞の活用変化も存在しない中国語のような孤立語の簡便さにはおとる。
 しかし、純粋な孤立語は単語の孤立性のゆえにいわゆる総合の指標がひくく、文意を理解するのに文脈の正確な分析が必要になるという点に困難さがある。その点、膠着語に分類されるインドネシア語やそれとほぼ同等なマレーシア語は動詞の活用変化が存在しない点で孤立語にちかいが、豊富な接辞により総合の指標をたかめている点で、世界語を創出するに際してもおおいに参考になるとおもわれる。
 なお、アメリカ先住民の言語などふるい起源をもつ少数言語にみられる典型的な抱合語は、動詞にさまざまな形態素をつめこんで、ひとつづきの文にひとしい内容を表現できるという点ではある意味で論理的な簡便さもみとめられるが―その点では、ある種の計画言語に応用可能な一面をもつ―、複雑な内容をつたえる場合には煩雑化しすぎる難点をかかえる。
 以上の四分類は古典的な大分類であって、実際のいきた自然言語は単純に分類できるものではないが、ここでエスペラント語をあらためて形態論的にみると、エスペラント語は語彙的に屈折語系の印欧語族、なかでもロマンス諸語の影響をうけているにもかかわらず、活用変化の簡素さや規則性、接辞のおおさといった特徴からみて、膠着語にちかいといえる。
 とはいえ、動詞の時制変化(過去・現在・未来三時制)はのこされているし、形容詞にも複数形が存在するなど、屈折語的な要素を排除しきれていない点もみとめられる。それらを些細な問題として等閑に付することも可能だが、より習得容易性をたかめるためには克服すべき点とみなすことも可能であろう。

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共産論(連載第54回)

2019-07-03 | 〆共産論[増訂版]

第9章 非武装革命のプロセス

(3)革命体制を樹立する

◇対抗権力状況の解除
 革命的な民衆会議と既存政権の対抗権力状況を確定させた後、その状況を解除し、本格的な革命体制を樹立するまでの間が革命のプロセスにおける最大のクライマックスとなる。
 集団的不投票による革命は本質的に非武装革命であるから、まずは残存する旧体制政権との交渉によって平和裡に政権の移譲を実現させるべきである。これに合わせて街頭デモを組織して旧体制に圧力をかけることは効果的であり、むしろそうした民衆の意思表示なくしては旧体制は民衆会議を交渉相手として認めようとしないかもしれない。
 この局面で旧体制は警察や軍を動員して革命プロセスを粉砕しようとすることも考えられる。そうなると、民衆蜂起型の革命と同様の対峙状況が生じる。それを望むわけではないが、万一そのような状況が生じた場合、警察や軍を敵に回すことは得策でない。武装しない丸腰の革命である以上、圧倒的な物理力を持つ警察や軍に対して正面から対抗する力はないからである。
 そこで、旧体制が政権の引渡しに一切応じない場合であっても、直接的な実力行使によって政権を奪取する方法は採るべきでない。むしろ、旧体制が警察や軍を有効に動員することができないように、革命運動の過程で警察や軍の中堅幹部以下の層に浸透しておき、革命の最終段階では連携して革命体制樹立を導くことができるようにしておくことが望ましい。
 ちなみに、体制共産党の自主的解散による革命の場合は、以上のような面倒なプロセスをすべて省略できるはずであるが、共産党が自主的解散に強く抵抗した場合には、如上のプロセスを経る必要が生じるだろう。

◇移行期集中制
 さて、革命体制樹立まで無事に漕ぎつけた場合、民衆会議の構制も「さなぎ」の状態から脱皮する。まず民衆会議総会(以下、単に「総会」という)が暫定的な代議機関として招集される。これは将来、領域圏における全土民衆会議(または連合民衆会議)が創設されるまでの間の臨時施政機関でもある。(※)
 総会は迅速な決定能力を確保するため、最大200人程度の代議員で構成された比較的小規模な体制でスタートする。総会代議員は革命前民衆会議盟約員または法律家その他所定の専門資格を持つ者の中から抽選で選出された者が就き、その任期は1年とする(再選も可)。
 総会は「革命宣言」を採択し既存憲法を廃棄した後、「革命移行委員会(以下、移行委と略す)」を選出する。移行委はまさに臨時の革命中枢機関であるが、性格としては現行の内閣に近い。しかし、「ボス政治」を避けるため、移行委には委員長のような筆頭職は置かず、完全な合議制をもって運営される。
 移行委を構成する委員(以下、移行委員と略す)は所管分野ごとに総会によって総会代議員の中から任命されるが、その担当分野は旧政府の省庁に符丁を合わせる必要はなく、移行委員も省庁に常駐しない。この段階で残存している各省庁には移行委員の下で実務を担当する複数の「移行委員代理」を送り込む。
 移行委は総会の「革命宣言」に基づきいったん全権を掌握し、法律と同等の効力を有する「特別政令」によって統治する。こうした体制を「移行期集中制」と呼ぶ。
 これはありていに言って、民主主義の一時停止である。しかし、恐れる必要はない。およそ革命にあっては初期の体制移行期に必ずこうした一時期を経ることが避けられないのである。

※地方の各圏域にも同様の性格を持つ暫定民衆会議が設置され、民衆会議総会と連携しながら移行期集中体制を形成する。地方の暫定民衆会議では議長が事実上の地方首長として移行期プロセスを主導する。

◇「プロレタリアート独裁」との違い
 マルクス主義の革命理論ではプロレタリア革命後、共産主義社会へ移行するまでの過渡期の政治体制を指す概念として伝統的に「プロレタリアート独裁」という規定が行われてきたが、その内容があいまいであったため、最終的には「共産党独裁」にすりかえられてしまった。
 我々の移行期集中制もそうした「プロ独」の焼き直し概念のように疑われるかもしれないが、決してそうではない。むしろより厳格に移行期に限定しての短期的な政令統治システムである。従って、「独裁」という語が含意するような恣意的権力行使はあり得ないし、あってもならない。
 もっとも、既存憲法が廃棄されるのに伴い立憲政治は一時停止されるほか、全土に及ぶ代議機関もまだ暫定的な民衆会議総会という形でしか存在しないため、法律に基づく行政もペンディングとなる。ただし、移行委の特別政令は緊急的なもの(緊急政令)を除いて総会の承認を要するものとし、その専横を防ぐべきである。
 いずれにせよ、こうした移行期集中制は短期の期間限定的な体制でしかあり得ず、それが不必要に遷延することのないよう、可能限り早期に立憲体制への移行を促進することが要求されることは言うまでもない。

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共産論(連載第53回)

2019-07-02 | 〆共産論[増訂版]

第9章 非武装革命のプロセス

(2)対抗権力を作り出す(続)

◇共産党に対抗する共産主義革命  
 当連載では「共産党によらない民衆による直接的な共産主義革命」を提唱しているわけであるが、これは主として共産党が支配政党ではない諸国を前提とする論である。そして、ソ連邦解体後の世界においては共産党が支配政党ではない諸国が大半を占めているため、これは大半の諸国に妥当する論ということになる。  
 とはいえ、本稿執筆時点でも共産党が一党支配する国家がいくつか残されている。その中には、将来的に共産党支配体制が崩壊する国も出てくるかもしれないが、さしあたり共産党支配体制が継続すると仮定して、それら共産党支配国家における「共産党によらない民衆による直接的な共産主義革命」とはどのようなものであり得るか。  
 これを簡単にまとめれば、「共産党に対抗する共産主義革命」ということになる。この規定も逆説的に聞こえるが、実のところ、中国を筆頭に、現在の共産党支配国家における共産党は、その党名にもかかわらず、共産主義を棚上げし、市場経済原理を大幅に取り込み、実質上は資本主義化する路線に転換している。
 言わば「共産党が指導する資本主義」である。こうしたねじれ路線にある限り、既成共産党はもはや共産主義から離反していると言い得るのであり、その限りで「共産党に対抗する共産主義革命」は逆説ではなくなるのである。

◇共産党の自主的解散?  
 とはいえ、共産党が共産党である限りは、本来の共産主義路線に回帰して、共産党主導による共産主義社会の建設に再び向かう可能性が消滅したわけではない。ここで想起するのは、マルクス(及びエンゲルス)が『共産党宣言』で示した共産主義革命のプロセスである。以下、引用してみる。

・・・・プロレタリア階級が、ブルジョワ階級との闘争のうちに必然的に階級にまで結集し、革命によって支配階級となり、支配階級として強力に古い生産諸関係を廃止すれば、この生産諸関係の廃止とともに、プロレタリア階級は、階級対立の、階級一般の存在条件を、従って階級としての自分自身の支配を廃止する。

 ここで言う「階級としての自分自身の支配」とは「共産党の支配」とイコールではないのだが、仮にそう解したとしても、マルクスによれば、共産党は古い生産諸関係=資本主義的生産諸関係の廃止に成功した暁には、自主的に解散されることが予定されているのである。  
 ところが、既成の体制共産党はこのような経緯をたどらず、共産党自らが古い生産諸関係=資本主義的生産諸関係に順応し、資本主義化の先頭に立っている状況にある。そのため、共産党の自主的解散の道は望めないわけである。

◇反共革命に非ず  
 ここで注意しなければならないのは、「共産党に対抗する共産主義革命」は「共産党に反対する革命」ではないということである。20世紀末のいわゆる東欧革命からソ連解体に至る過程では、ソ連に代表された共産党支配体制に対する民衆蜂起が、程度や形態の差はあれ東欧・ソ連諸国で連続的に契機し、体制崩壊を導いた。  
 この革命はソ連共産党をはじめとする体制共産党の政治的な抑圧と集産主義体制の失敗に対する民衆の反発・憎悪を基盤としていたがために、「共産党に反対する革命」の性質を帯び、結果として東欧・旧ソ連諸国では一様に市場経済化・資本主義化の道を歩み、今日に至っている。結局のところ、東欧革命は歴史の歯車を元に戻す反動革命に収斂し、真の共産主義社会を目指す前進的な革命とはならなかった。  
 「共産党に対抗する共産主義革命」は、そのような反動革命ではなく、前進的な革命であるから、単純に既成の体制共産党を攻撃し、解体するという体のものではないのである。

◇民衆会議=真のソヴィエト  
 「共産党に対抗する共産主義革命」においても、その方法として民衆会議をベースとして対抗権力状況を作り出す点は同様である。しかし、体制共産党との関係性は単純な敵対ではなく、並存あるいは内在である。言わば、共産党の内部に寄生する形で、展開されていく。  
 実際のところ、ロシア革命当時も、民衆はソヴィエト(評議会)を結成して帝政ロシアの既成議会に対抗したのだが、革命の進展過程でこうした民衆ソヴィエトはボリシェヴィキ→共産党に接収され、党の追認機関に換骨奪胎されてしまった。ソヴィエト連邦という国名に冠された「ソヴィエト」は、もはや形骸だけのものであった。
 このような苦い歴史を繰り返さないためにも、民衆会議は共産党に接収されることなく、寄生して成長していかなければならない。言わば、民衆会議こそ真のソヴィエトである。  
 たとえは良くないが、民衆会議は本物の寄生虫が宿主から養分を吸い取るのと同様に、体制共産党を内部から食するのである。理想的な革命プロセスとは、ロシア革命とは真逆に、民衆会議が共産党を接収し、解散へ導くことである。  
 ただ、それを警戒する共産党当局はまさに寄生虫駆除対策のように民衆会議を排除しにかかるかもしれず、そうなった場合は、海外での亡命民衆会議の結成という形で外在化せざるを得なくなるだろう。

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共産論(連載第52回)

2019-07-01 | 〆共産論[増訂版]

第9章 非武装革命のプロセス

(2)対抗権力を作り出す

◇未然革命
 革命のプロセスの中では、旧体制瓦解・革命体制樹立のクライマックスが突如として現れるのではなく、そこへ至るまでの未然革命のような段階がある。つまり、まだ現存している支配体制と同時に革命体制の骨組みのような未完の体制とが並存・拮抗する状況である。これを「対抗権力状況」と呼ぶ。
 こうした状況は、まず世界民衆会議において世界共同体憲章(案)を制定し、世界共同体の暫定的な樹立を宣言することから、正式に開始される。これを受けて、各国各圏域で民衆会議の結成・展開が完了すれば、その段階で原初の対抗権力が作り出される。なぜなら、この民衆会議自体が革命後にはそのまま公式の統治機構へ移行することを予定しているからである。
 しかし、こうした対抗権力状況を生じさせるには、民衆会議の民主的正統性を広く人々に認知してもらい、革命の意義と集団的不投票への参加を呼びかけていくうねりを作り出さねばならない。それがまさしく難儀だということは、率直に認めざるを得ない。
 まず、民衆会議こそ真の多数派を代表する政治機関―言わば「真の有権者団」―であるということを認知させるには、潜在的共感者を含めれば民衆会議こそが多数派を代表していると主張できるだけの数的優位性を築けるかどうかが鍵となる。
 さらに未然革命段階における民衆会議の活動実績として重要なのは、対抗的立法活動である。特に、革命成就後の最高規範となる憲章の制定である。加えて、貨幣経済によらない環境持続的な計画経済の制度設計やその他の主要な基本法も未然革命の段階で用意しておく必要がある。

◇集団的不投票の実行
 しかし、何と言っても技術的に最も困難を伴うのは、非武装革命の中心を成す集団的不投票の組織化である。前述したように、公職選挙における当選に必要な最低得票数は法律上意図的に極めて低く設定されているため、棄権率が若干低下した程度では、選挙の法的効力にはいささかも影響を及ぼさない。
 そこで、選挙が法的に無効となるレベルまで棄権を組織化しなければならないわけだが、そんなことが果たして可能かどうか―。これは、世界史的にも前例のない未知の挑戦となる。
 たしかにすべての公職選挙を完全に無効としてしまうような集団的不投票を実行することは理論上可能であっても、実際には不可能かもしれない。しかし、極端に投票率の低い公職選挙は法的に有効であっても政治的には正統性を失う。  
 そのような状況では、街頭デモのような民衆行動の後押しも受けて民衆会議が革命を成功に導く可能性も開かれてくるであろう。従って、前章でも論じたように、集団的不投票という革命の方法は純粋にそれだけで成功するという性質のものではなく、各国の時と状況によっては民衆蜂起のような手法との組み合わせとなることはあり得よう。
 そうした革命的事態を回避するため、既成国家が義務投票制を導入し、あるいは導入済みの義務投票制の罰則を強化してくる可能性がある。この場合は、処罰を恐れず良心に従い棄権を実行する不服従運動を組織しなければならない。
 棄権者が多ければ多いほど、警察等による棄権の取り締まりは事実上不可能となるので、棄権者の数を増やしていくための情宣活動が不可欠である。

◇政治的権利としての「棄権」
 その際、壁となるのは、「棄権」を有権者の任務放棄とみなす思想である。たしかに、世界中で通説となった西洋ブルジョワ政治学の通念によれば、投票は有権者の神聖なる権利であって、我々の清き一票を通じて希望の未来が切り拓かれるのであるからして、棄権は未来を閉ざす愚行であり、有権者としての任務放棄であるとされる。
 しかし、「棄権」にも単に政治的無関心からする「懈怠的棄権」と、革命を目指すより積極的な意思表示としてする「革命的棄権」とを区別することができる。新しい非武装革命の方法としての棄権とは「懈怠的棄権」ではなくして、「革命的棄権」であることは言うまでもない。
 革命前民衆会議はこのような政治的権利としての棄権=革命的棄権という新たな思想を全世界に効果的に広めていく必要があり、これに成功しない限り、非武装革命も実現することはない。

◇対抗権力状況の確定
 ともあれ、毎回の公職選挙で棄権率が増大し、既成議会・政府の正統性に揺らぎが生じていく中、いよいよ露わになった資本主義の限界に対処する能力を失った既成議会・政府に見切りをつけ、民衆会議こそが我々の真の政治的代表機関だとの意識が広く高まったところで、既成議会・政府に対する全般的不信任の行動として、議会・政府を不成立とするトドメの集団的不投票が決行される―。
 これで革命完了となるのではなく、これで如上の未然革命としての対抗権力状況が確定し、ようやく革命のスタート地点に立てるのである。  
 多くの諸国では、選挙後も何らかの事情で新政権が成立しない間は前政権を存続させたり、政権代行者を立てるなどして権力の空白を作り出さないよう予め憲法上の用意がなされているため、仮に集団的不投票が功を奏して新政権が成立しなくとも、旧体制は法的に居座ることができる仕組みが組まれている。  
 ほとんどの場合、この残存旧体制は民衆会議に対する政権の移譲を拒み、革命体制の樹立を全力で阻止しにかかるであろう、と予測しておいてよい。そこで、さらにその先のプロセスを想定しなければならない。

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