フルール・ダンテルディ

管理人の日常から萌えまで、風の吹くまま気の向くまま

『遠い伝言―message―』 15

2008年11月15日 | BL小説「遠い伝言―message―」

 2人はテスの前まで来ると、両膝を折って深く頭を垂れた。
「殿下のご来訪を心より歓迎申し上げます。陛下の親書には使者の方々が帰都されるまでご身分を明かされてはならないとございましたが、ともかくもご挨拶のみでもと参上いたしました」
「…わたしの方こそ、突然このような面倒を持ち込み、心苦しく思っています。どうかお力添えいただきたい」
「私どもでお役に立てるのでしたら喜んでお力になりましょう」
「ありがとうございます、族長殿。……どうかお立ちください。あちらで話しましょう」
 部屋の角には、毛足の長い絨緞が敷かれ、クッションが置いてある。その接客用スペースに彼らを案内し、テスはエドを手招きした。
 4人は向かい合って座った。
 族長の深い皺の刻まれた口元は穏やかだが、若い頃はそうでもなかっただろうと思われた。その力のある目は思慮深く、2人を見つめる。伏目がちに控えている夫人は、言われてみればテスにどことなく面差しが似ていた。テスの祖母としてはとても若い。まだ40代にしか見えず、控えめだが凛とした雰囲気のある美しい女性だった。
「紹介が遅れました。こちらはエドワード・ジョハンセン。…他の世界から迷い込んでしまったため、帰る方法を探しています」
「初めまして。お世話をおかけします」
 と挨拶を返しながら、エドは改めて自分の境遇の奇妙さを認識した。こんな話をあっさり信じる人間がそうそういるとは思えない。すぐに信じた──というよりは、テスがそう判断したのだが、そういう発想ができ、かつ受け入れるテスは、この世界でももとの世界ででも、極めて稀な思考の持ち主なのだと感嘆する。
「……わかります」
 族長は、目を細めてエドを観察して呟いた。
「彼の気は大変特異です。普通の人間が持つものとしては強すぎますし、何というか…この世界全体の気の波長とは違っています」
「わたしにもそう見える。そのおかげで、彼を見つけることができたのだが……」
 テスもエドを見やる。
「……殿下は、一族の血を強く受け継いでおられる」
 テスの顔が強張った。族長は静かに続ける。
「一族の者でも、気を視る能力には差があります。殿下は高い能力をお持ちのようです。体の変化が極端だったのは、一族の血の影響が強すぎたためでしょう」
「……」
 彼は居住まいを正し、目を落とした。
「……ずっと、お訊きしたいと思っていました」
 意を決したように、族長と目を合わせる。
「わたしの存在は、一族の恥ですか。母が…一族の掟を破った罪は、許されないものですか」
「殿下……?」
 横顔の顎が震えていた。
「一族のために差し出された身でありながら、その相手を愛してしまい、一族の誇りを傷つけたと、母は死ぬまで自分を責め続けていました。両親にも許してもらえないだろうと……。わたしが一族の力を受け継いだことも、母にとっては嘆きの対象でした。確かに、今の私のありさまでは、一族からもそれ以外の人々からも、忌避されても仕方がありません。ですが……母は、ただ父を愛してしまっただけです。それは一族にとってどうあっても許されぬ罪なのでしょうか?」
 テスは必死に感情を抑えようとしていたが、最後まで保つことはできなかった。言い終えた途端に彼は、堪え切れずうつむいた。
「許すも許さないも……!」
 悲痛な叫びが夫人の口から迸った。
「愛しい娘が真に人を愛し、愛されたと知って、むしろ喜んでいたのに、どうしてあの子はそんなことを……!」
 彼女は泣き崩れた。その背に手を当てた族長も、苦悩に顔を歪めた。
「……掟は、余計な苦しみを背負って生まれてくる子をなくすためのもの。そして我々のささやかな抵抗の証でもありました。…しかしながら、我々にとって最大の悲劇は、真に愛しあえる相手とめぐり逢えないことです。私たちがセイファを手放したとき、あの子は若すぎて、十分にそのことを教えられないままだった。私たちは、ファビウス殿がセイファの後見人に立ってくださったと聞き、あの子の立場が宮廷で不利にならぬよう差し出たことはするまい、今や妃でありファビウス殿の養女となった娘に、実の親だからと会ったり手紙を出してはいらぬ憶測を呼んで、一族にとっても良くないだろうと我慢することを決めた。……それがあの子を、追いつめていたとは……」
 彼はクッションをはずし、両膝両拳を床についた。
「殿下、我々一族には、セイファと殿下が一族の名誉を傷つけたと思うものは誰一人としておりません。どうかご自身を卑下なさらないでください。我々は殿下がローディアに必要な方として活躍することを期待しております」
「殿下……」
 夫人はスカートの端で涙をぬぐいながら、唇を噛みしめるテスに呼びかけた。
「どんなことがあろうと、あなたは私たちの可愛い孫です。どんなにかお会いしたかったか…抱きしめたかったことか!愛する娘の忘れ形見を、愛さないわけがありましょうか。愛しい大事なテリアス!私にあなたを抱きしめさせてちょうだい……!」
 差し伸べられた腕を前に、テスはためらった。が、夫人の彼を見つめる強い、慈しみに満ちた瞳に、彼の心の堰が切れた。
「……!」
 なおも嗚咽を噛み殺して夫人の膝に顔を埋めたテスを、彼女は優しくその背を撫で、滂沱の涙を流した。
「……ああ、テリアス……かわいそうに。どうか愚かな私たちを許してちょうだい。ずっとひとりで、母親の分まで苦しんできたのね……」
「……おばあさま……」
 抱き起こした彼の頬を両手で包んで、涙に濡れた顔をのぞきこむ。
「……もうちゃんとした大人だとわかってはいるけど、こうして私の胸に抱きしめることができるなんて、こどもの頃にできなかった分を取り戻せるような気がするわ……」
 そう言って彼女はテスをしっかりと抱きしめた。そのふたりを抱きこむように、族長も両腕を彼らの背にまわした。
「すまなかった、テリアス。セイファにも、何の力にもなれず、悔やんでも悔やみきれない。せめてお前には、できる限り力になろう。さあ……ふたりとも、これからのことを話そう」
「……ええ、あなた」
 夫人は名残惜しげに腕を解いた。
 頬をぐい、とこぶしで拭ったテスは、エドを振り返って驚きと困惑をその表情に浮かべた。
「エド……?」
「ご、ごめん、俺ってば……」
 エドは拭いても拭いても溢れてくる涙と格闘していた。当事者でもないのに当事者たち以上に泣いている自分が恥ずかしくて、なんとか止めようと思うのだが、どうしても止まらない。悲しいのではない。その逆で、ほっとして、嬉しくて、テスを力一杯抱きしめて笑いたいような気持ちだった。
「良かった、テス…。俺、嬉しくて……本当に、良かった……」
「エド……ありがとう」
 彼が笑ってみせると、テスも微笑み返した。まだその陰は完全に払拭されてはいなかったけれど。
 彼はつと立ち上がり、タオルを手に戻ってきた。
「これで顔を拭け。袖がぐしょ濡れだ」
「あ、ありがとう」
 こすり過ぎて鼻の頭と目の周りを赤くしたエドは、照れ隠しに顔をタオルで覆った。だが、話が始まらないのでどうしたのかと顔を出すと、テスが彼を見つめていた。
 かつて、これほど熱く、いとしくてたまらないという瞳で彼を見つめてくれた人がいただろうか?
 今まで幾人かの女性とつきあったことがあったが、最初の、ハイスクールでよく授業が一緒になり、親しくなってなんとなくステディな関係になった少女以外は、相手からアプローチされてのことだった。好意は持っていたし欲望も感じたし、自分は情熱的に相手を好きになるタイプではなかったから、お互いに一緒にいるのがいやでない関係であればいいと思っていた。たぶんそのせいでいつも自然消滅してしまった。相手をこんなふうに見つめたことも、見つめたいと思ったこともなかったことは認めるが、相手に見つめられたこともなかった。セックスの最中でさえ、決してなかった。
 視線が合っただけで、心も体も磁石のように彼に吸い寄せられていく気がする。まして見つめられれば、心臓を手で摑まれ、血液さえも混じりあい互いの体を巡っていくような感覚を覚える。
 気づかぬうちに、彼らの距離が縮まっていた。しかしテスは取り上げたタオルで乱暴にエドの顔をぬぐった。
「もう、止まったな?」
 一見したところ不機嫌そうな顔は、内心を隠すためのいつものことだが、それがエドに対してではないことに気づいた。
 族長と夫人が、複雑な表情で彼らを見ていた。強い危惧と懸念がそこに読み取れた。エドは、申し訳ないような肩身の狭い心地がした。自分がテスに相応しくもなければ、プラスにもならない人間だとは、いやというほど承知している。
「……わたしは、母からも誰からも、一族のことを詳しく教わらなかった。母の話や本からの知識だけで……だが、信憑性はあると思った。ネルヴァ族の祖がこの世界以外のどこかから来たという伝説は、一族の特殊な能力から作り出された空想ではなく、そう信じさせる出来事が実際にあったのではないか。記録に残されているわけでもなく、それでも数百年にもわたって伝えられてきたのは、それも遠い昔に一度だけあった…最初にやって来た祖先だけの話ではなく、その後も同じような人々がいたからではないのか。……わたしは彼と出会って、その考えを強めました。外で育ったわたしの知らない、一族の間では当然の、何かがあるのではないかと。…ですから、彼をここへ連れて来たのです。
 族長殿、どうか教えてください。彼を、彼の世界へ帰す手がかりはここに、或いは一族の知識の中にあるのではないですか?」
 なぜネルヴァ族の(最初はその名を知らなかったが)村を訪ねるのかとかつて訊いたとき、テスは母の一族の祖先が他の世界から来たという伝説があると答えた。そのときは手がかりが皆無ではないと知って慰められもしたが、雲を?むような話だと半信半疑どころか八割方あてにせずにいた。だがテスには決して一時しのぎや慰めのつもりなどなかったのだと、エドは初めて知った。
 いつもテスは彼を驚かせる。その考えの深さ、物事を洞察する能力、現実に立ち向かい、乗り越えていく勇気と行動力。彼の本当の年齢を知ったところで、それらへの感嘆と尊敬は変わらない。自分が25歳になったとき、彼のようになれるとは、とても思えなかった。
(俺はほんとうに……いつも、君の考えがわからなくて、ただついて来ただけで、情けない。内心呆れていただろう。俺は君よりも先に帰れないとあきらめてしまって、どんなに歯がゆく思っていただろうね。ごめんよ、テス……君は俺よりも帰れる方法があると信じてくれていたのに……)
「一般に記されている一族についての記述は、ほとんどが推測や伝聞、思い込みや偏見によるもので占められていて、客観的に、学術的に記録されているものはないに等しい。殿下はその中から真実と思われるものを拾い出し、組み立て、推測し、そう思われたと…」
 族長は、テスを見つめて話し始めた。
「この谷は、大陸のほぼ中央にあります。我々にとって聖地として、たとえどこの国の虜囚となろうと、どの土地を放浪していようと、その位置と意味を次の世代へ伝え続けてきました。沙漠の中に隠されたオアシスだからではありません。ここは確かに水に恵まれた場所ではありますが、あまりに他の集落から離れすぎ、かといって一族全員を自給自足で養えるほど広くもない。しかし、ここは我々にとって、この大陸でたった1か所しかない、特別な土地なのです。
 大沙漠の地下には無数の水路が走っています。この谷を流れる川は、その中でも最も大きく豊かなものの1つでしょう。そしてその水量のために岩盤を削り、とうとう上が崩れて地表に露出した。この谷の周囲には、いくつか同じような地形が見られます。ただし、皆とても小さい。中には、地面に井戸くらいの穴が開いていて、暗い底から水音が聞こえるだけのものもあります。地下にはその穴の何十倍の空洞が広がっており、それらはすべて、水路で繋がっています」
 テスは目を伏せて聞き入っている。
「この谷は絶壁に囲まれており、川もその崖に開いた穴から流れ出ていますが、水量の少ないときには穴を通り、隣の空洞へ行くことができます。その空洞の壁にはまた割れ目があり、中へ入っていくと地面に穴が口を開け、更に下層を流れる水脈の流れる音を聞くことができます。だが……その水音が止むときがあります。…いえ、あると、伝え聞いています」
 言葉が途切れた。テスが目を上げる。
「……私の両親も、実際に体験したことはないと申しておりました。父の代には誰も…『故郷』から、エドワード殿の世界から来た者はいなかったからです」
 テスの呼吸が早まった。
「異世界の人間が来たときだけ水音が止まる。それはその穴が異世界につながったことを意味する。そういうことか?」
 族長はうなずく。
「我々の祖先たちが『故郷』からやって来て、何代か後にここを発見し、そしてエドワード殿のように幾人も迷い人が現れては、ある者は残り、ある者は去っていった。長い長い伝承が口伝えられておりますが、今はお話しする必要はないでしょう。けれども『故郷』よりやって来た人々を受け入れ、望むならば聖地へ案内することは、我々の役目です。時至れば、その人の前で水音は止み、帰るべき道が示される。そう聞いています。ただ……それが本当に元の世界への道なのかどうかは、私たちには断言できません。帰っていった者で、再びここへやって来た者は1人もいないのですから」
「……時至れば、道が示される……」
 テスは口の中で呟いた。
 エドは喜びよりも途惑いの方が大きかった。本当に帰る方法が見つかるとは思っていなかった。ここで無理だとはっきりさせて、この世界で生きていくスタートを切るつもりだった。まさか、帰るか残るかの選択を本当にすることになるとは、思ってはいなかったのだ。
「幸い今は乾季で行くことができます。明後日、ビュイス殿たちが出発されたらご案内いたしましょう」
「は、はい。ありがとうございます」
 エドは慌てて答える。ちらりとテスを見ると、彼は暗い表情で床を見つめ、振り向いてはくれなかった。
「すっかり夜も更けてしまいました。今宵はもうお休みいただいた方がよろしいでしょう。殿下、もう1つの件につきましてはまた明日、お話しいたしましょう」
「……すまぬ。そなたの都合のいいときでかまわない」
「かしこまりました。では、お休みなさいませ」
 族長たちは深々と頭を下げた。
 エドは彼らを廊下まで出て見送り、手に提げた手燭の明かりがゆらゆらと角を曲がるのを見届けてから、部屋に戻った。
 テスはもう、寝台にもぐりこんで頭の先しか出していなかった。
「……灯り、消すよ」
「ああ」
 壁のランプとサイドテーブルの燭台の火を消す。窓は板戸を閉めてしまっているので、部屋の中は月明かりも入らない暗闇になり、手探りでベッドに入った。
「……テス、少しいいかい?」
 横になる前に、並んだベッドの方に向かい話しかける。
「……何だ」
「言いそびれてごめん。ここまで連れてきてくれて、ありがとう。本当に帰る方法が見つかるなんて、君のおかげだ。心から感謝してる」
「……まだ確かなわけじゃない。それに、族長も言っていただろう。お前のような者をここへ連れてくるのが、一族の役目だと。だったらおれは、すべきことを果たしただけだ。それにもともとおれはここに来ようとしていたのだし」
「そうだね……君も、お祖父さんお祖母さんと和解できてよかったね。お祖母さまもとても喜んでいらしたし…」
 それに、テスも泣くことができた。父親との対面に続いて2度目の涙。旅の間中、後悔と自責に苦しんで、自分を許す涙を流せなかったテスは、父の許しに涙し、祖父母に彼ら母子に罪はないと告げられ泣いた。そうして彼の負った重荷が減っていくところに立ち会えて、自分は幸福だと思う。たぶん、最後の1つ──レジオンとの行き違い──だけは、見ることはできないだろうが、代わりに彼が喜びの涙を流すところが見られたら、それを流させるのが自分ならばどんなに幸せだろうか。
(俺が……残ると言ったら、君は嬉しい?それとも……迷惑?)
 テスは、今のこどもの自分を愛せるのかとレジオンを突っぱねたが、あれは今の自分でも愛してほしいという気持ちの裏返しかもしれない。テスが自分を愛してくれていることは疑っていない。ただそれでも……レジオンをより愛していて、彼のもとへ戻りたいのではないかとは思う。そうだとしたら、自分が残ったらテスに余計な迷いと苦悩を与えてしまう。
(言えないよな……。残るしかなければ俺がプロポーズしたってテスは断ることができる。だけどテスのために俺が残るなんて言ったら……彼は俺にそんな選択をさせたことにも、レジオンを選ぶことにも罪悪感を持ってしまうだろう。そんなこと……できやしないよ……)
「ああ……おまえのおかげだ……」
「俺は何も……」
 胸が痛い。息が苦しい。エドは毛布を被ってテスに背を向け、体を丸めた。今更ながらに、どうして自分はこんなに愚かなのだろうと思った。
 わかっていたはずなのに。「誰も好きになってはいけない」。絶望的にその事実がのしかかってくる。どんなに好きでも、愛していても、残ることは許されない。
「……エド?」
 どんなに教えられても意識的に他人の感情を読み取ったり、気を視ることも下手だった彼と違い、テスにはこの感情が伝わってしまっているかもしれないが、隠す術などエドは持っていなかった。
「なんでもない。おやすみ」
 本当につらくて絶望にかられたときには涙など出ないということを、エドは知った。テスが夜中に、乾いた瞳で膝をかかえていた姿が目蓋の裏に浮かぶ。元の世界に戻れたなら、きっと自分も毎夜ああするだろう。それでも、テスのそんな姿を見るよりずっといい。
 彼らは、互いの寝息が聞こえてこないのを知りながら、背を向け合って夜明けを待ち続けた。


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 あと3回で終わります~!というか、切りにくいので長めに3回に分けるつもりです。次と次は7割方ラブシーンが続くので、やばいなー


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