今日はサラリーマンタイム出勤父さん
そして 今日から10月
早っ あとカレンダーも3枚だ
そして もう2週間すぎたな~ と
カレンダーをめくった朝でした
10月は栗が来る どんなタイミングで来るのか??
忙しい時にこないで欲しいな~
こればかりは指定できないからね
自然のものだし
今年もあと3か月ですよ
びっくりだね
では今日は金曜日のお話
なんでこんなことが必要なのか?
意味不明な書類の記載事項
誰に頼むか・・・
近くの人が良い
と言う事で 長いこと来てくださっている
母さんちから一番近くに住んでいる生徒さんにお願いしました
いつも 凄いタイミングで お手紙や色々送ってくださる生徒さんです
母さんの今がわかるのかな?? 不思議な位 タイミングがドンピシャなんです
そして 人生のお手本にしている生徒さん
見習いたいところが沢山あります
母さんには無理だけど
でも そんな素敵な生き方をしている方と知り合えたことに感謝
快く引き受けてくださったので
なにか美味しい物でも
餡子が好きと言う事で
じゃ~~ 母さんの中で 一番美味しい豆大福を持っていこう!って
思いました
岡埜栄泉より好き
でもね 買いに行くにはちょっと遠いし
無い時もある
問い合わせてから行こうと思ったけど
どうせ 買い物には行かないといけないし
取りあえず 気分転換もしたいし
行くことにしました
場所は 北品川
職場のあった街
結婚前は 京浜東北 品川から 京急
結婚してからは 南武線 東急2本のって 大井町でバス そして
東海道五十三次 1番の宿場町 品川宿 北品川商店街
職場の住所は北品川だけど 最寄り駅は
北品川 か 新馬場
行きは 北品川経由で行きました
変わっていない景色が多かった
このお店は 職場の真ん前
前は信用金庫?だった気がする
そのあと 洋服屋さんになって
まだそのお店があったのにびっくり!
多分30数年たってるよ お洋服屋さん
そのわきの坂を下ると
職場の歯医者さんの第1号
本院がありました
この坂を下りたら もう海だったらしいよ
職場は 元は社員寮
母さんが入社した頃は 職場は 隣り街のマンションの2フロアー全部でした
世の中がになってきたころ ここに引っ越し
自社ビルだしね
母さんが入社した頃は バブルの終わりの方
多分ね 母さんより 3つ~上の人たちが
まさにあの時代の若者だったと思うの
母さんはもう陰ってきたころね
でも まだ 今では信じられないような世の中が残っていましたね
バカみたいなことにお金を使っていた時代
母さん達には縁がまったく無かったけど
Dr・ 衛生士さんは 華やかでした
そして
1階の女子ロッカーのトイレの窓の外は
お隣の釣り船やさんの調理場で
いつも江戸前天婦羅揚げる 美味しい匂いがしていました
そのお店に食べに行ったことはないけど
テレビでよく出ていましたね
でもね そのお店の建物は無くなっていました
品川宿のあとも なかなか情緒のある商店街
職場のすぐ先の この小さな鰻やさん
まだありました!
美味しかった記憶があります
このお寺はね
新馬場経由で通っていた 父さんが歩いていた道で
結婚して一緒に通うようになってから
この道を通るようになって
毎朝 黒柴の コロちゃんに会いましたね
近所のペンキやさんのワンコでした
ペンキやさんあるのかな?
こちらの着物やさんもまだありました
江戸時代からあるお店だった気がします
この草履やさんもよくテレビに出ますね
江戸時代からあったと思います 確かね
そして まだありました!!
父さんとよく昼御飯を食べに行った 街中華
登龍
もうこの世界では生活していけない!って
結婚1年目で見切りをつけ
夏休みに入る前に 退職願を2人で出して
夏休が済んだら 直ぐにやめることに
そう言う会社でしたからね
で 最後になるお昼御飯
どこに行こう~~~
日本橋? 登龍?
悩んで 登龍にしました
ボリューム満点で 何でも美味しいお店
今でも 行きたいね~ って 話しているけど
まだありました
そして 商店街はいったん切れますが
その手前で 右に曲がると
15号までお店があって
そこに 目的のお店があります
ここです!
この先にも和菓子屋さんがあるけど
ここです 木村家さん
青豆入りの豆大福
これが 本当に美味しくて
会社を辞めてからも 何度か買いに行きました
ここのが食べたいけど なかなか行けなくて
岡埜栄泉 で我慢している母さん
7のつく日は 大福のサイズが大きくなるんです
あると良いな~~ と思って
お店の前に行ったら
??
今日は半日で終わり
おはぎが売り切れ次第・・・
って書いてある
そして お菓子の種類も少ない
お店の人に聞いたら
今日は大福はないって
前もない時があった
残念~~
でも気分転換できました
お店の前を直進すると
品川神社
徳川家に関係のある神社
お神輿が凄いの!
お祭りも盛大です
仕事帰りに何度が行きましたね
この日 物凄く暑かった
新馬場経由で 品川に出て
品川の駅の中のお菓子を見たけど
ピンとこない
二子玉まで岡埜栄泉買いに行こうか?
それとも
太巻きが好きな方なので
銀座にある あの 美味しい太巻き買いに行こうか
でも 暑すぎるから 海苔は危険かな~
結局 東京駅へ
駅の中に なかなか良いお店があります
何度も見て歩いたけど
これと言うものが無くて
結局 大丸へ
そこにも ビビッ と来るものが無くて
数日前に書いた お菓子が珍しいから そちらを買って帰りました
暑い中 結構歩き回った1日
でも 楽しい1日でした
そしてね
もう書いちゃおう
そろそろ村の人も知ってきたので
9月17日㈰
8時ちょい過ぎに
ばあちゃんが亡くなりました
入院したのが7月28日 川向うのS病院で
ばあちゃん元気だからできます! と太鼓判を押され
TAVIを
ところが 3%は起こる と言う
その3%に入ってしまい 手術による合併症が2つ
脳幹に梗塞 あと 全身麻酔により痰が肺に流れ 左肺がつぶれ
脳梗塞は小さなものが2つ 手足も動き ただ 平衡感覚が取れないのと声があまり出ない(構音障害)
肺の方は 数日後取り除くことができ 肺も膨らみ 酸素が必要ない位に
なったけど
なぜか 集中治療室に1か月近く
急性期しか見ない病院だから おそらくリハビリもあまりしていないと思う
お見舞いも コロナで制限され 1週間に1回 15分
そんなのじゃ~ ばあちゃんの様子もちゃんと確認できない
そして 1か月後 リハビリすれば車いすには乗れますよ と言う
胡散臭いソーシャルワーカーNとのやり取りで
大田区の陸の孤島病院へ転院
そこの対応が 驚くほど ブラックで
色々聞いても ちゃんと答えてもらえず
母さん もうどうしていいのか 行き詰まり
1か月とちょっとで体重が7キロ近く ストレスによる心労
もう耐えられない! 包括センターに相談
親身に話を聞いてくれ
とにかくその病院は まん中の部分の説明を家族にちゃんとしていない
だから 家族がどうしていいのかわからなくなっているんですよ とアドバイス
そうだよな~
説明をしてほしくて話をしても看護士さんは説明してくれない
じゃ~ ソーシャルワーカーに相談します と言うと
そんなの必要ありますか!と 看護士に言われ
担当医からは 何の説明もないので 1度 リクエストしたけど
なんだろな~ あたり前の話しかしない
それも リクエストして1回限り
それ以降は音沙汰なし
ただただ 3週間 3週間 と 看護士に言われ
その3週間の意味も説明受けていないから なんの3週間なのか??
あまりにも 前の病院のソーシャルワーカーNの話と違うので
2回 N に 確認の
N も 前に書いたけど 話しが慣れてて 気持ち悪い
ごまかしているのがわかるけど そう思わせない話し方が手慣れてて
でも そんな事どうでもいい とにかく 今のこの訳の分からない状況を何とかしなくちゃいけない
包括センターさんは とにかく ばあちゃんを家に連れて帰ったほうがいい
と言うので
意味の分からない3週間 になる前に ケアマネさんの手配・・・ 色々開始
それが9月11日~
ばあちゃんどんどん弱くなっていくし
まさか~ TAVI前はそこそこ
結局17日の朝 があり
心臓マッサージしています どうしますか? の電話から
40分弱で病院到着
ばあちゃんは旅に出てしまっていましたが
手を触って ×1000
1時間たっていないのに
なんで こんなに冷たいの?
氷みたいな手
ぬくもりなんてない
胡散臭い病院 陸の孤島ブラック病院(改名しました)
電話の話はまったく信じられませんでした
手術をした川向こう病院 特に ソーシャルワーカー
そして 陸の孤島ブラック病院 看護士 担当医
全てが おかしかった
結局 ばあちゃんは
長いこと寝かされていたことによる
廃用症候群 の方が 脳梗塞うんぬんより
旅に出てしまう原因になったように思う
ある有名病院では それが一番怖いので
少しでも動けるようになったら
積極的に体を動かさなくてはいけない!これが重要
と書いてあるのを目にした
ばあちゃんは もうTAVIなんてしなくていいと話していたけど
大丈夫!できなかったのは一度もない! と 説明を受け
生徒さんのおばあちゃまも上手くいったと話を聞き
リスクは高いけど
まさか~ こんなことになるなんて
日頃から色々話していたから 亡くなってしまった事は
どうしようもない事だから
ばあちゃんもおそらくと旅に出たと思うけど
とにかく 病院2つの対応のひどいのは
今までずっと通っていたあの病院は なんて品格があるんだろう
と思ったと 少し前に書いたけど
本当に 2つはブラック過ぎました
まだまだ書きたい事いっぱいあるけど
それより 母さんは やらなくていいと言うばあちゃんに
すすめたことを 後悔している毎日です
でもね ばあちゃん いつも
娘によくしてもらって 本当に幸せ
思い残すことないのよ~ と
いつもまわりの人に話していたから
それはすくいかな
葬儀は ばあちゃんのリクエスト通り 家族葬
3人だけでこじんまりだったけど
踊りの着物が着たいと準備していたから
踊りの着物を着て
その着物も
数日前にくらしの友さんに届け
ばあちゃんに掛けてくれればいいです と言いましたが
ちゃんと 調べてくださって
踊りの時の通りの着付けをしてくれていました
江戸芸かっぽれ踊り
ばあちゃんの旅のお供には 想いでの写真と
春ちゃんと ペコちゃんの写真
踊りの御免状
いつも喜んで食べていた 母さんの手作り通院用弁当
手術前日に 大福が食べたい! とが来たから
岡埜栄泉 の豆大福
を 持って 旅に行かせました
昨年末~ 色々な事が続いてて
でも なんとか頑張って いつもの日常を過ごしていた母さん
まだ 後悔は消えないけど
今日で2週間
そろそろ いつもの日常にと思います
そして そんなか 励ましてくれ
話を聞いてくれた Tさん Kちゃん ありがとうね
今年の5月27日のお誕生日の写真よ
92歳 私いつ死ぬんだろう?もういいのに って話してた
ばあちゃん最後に嫌な思いをさせてごめんね
天国に行っても
ばあちゃんとお話ししたくて沢山集まってくると思うから寂しくないね
今までありがとう
ひどかった今回の流れ いつか詳細を書きたいと思います