11月句会、自句自悔(解)
大根の沸々母の膝恋し
「母の膝恋し」少し甘い句になったかと思いつつも・・
母が台所に立っている、幼い私の目には何を刻んでいるのか、
何を煮ているのかわからない。ただ火の上には煮鍋が沸々と湯気を
あげている。甘えん坊の私は、退屈したり、不安だったり、
そんな時にはいつも母の膝に纏わりついていた。
走り蕎麦水にひらける若みどり
言いたい事を言えないままの投句となった。
新蕎麦の色ならば茶蕎麦しか有り得ない、もし蕎麦の色ならば
「ひろごる」になったろう、一瞬の水の色を捉えたかったのだが、
「ひらける」なら浅緑だろうとご提案頂いた。確かにそう思う。
新蕎麦に若を意識した自分が拙い。
新蕎麦や老舗のれんの洗ひたて
類想の域を出ていない。
句会用に仕立てる悪い癖は今も心のどこかに見え隠れして
自分の俳句道で一番嫌な処かもしれない。
七五三娘と花嫁とすれちがふ
この句は素直に詠めたが、余韻がない。
それは「娘」を出してしまったから、七五三なら暗に存在は有った。
電線の混みあふ路地や露時雨
子供時代に過ごした町の路地景、雨後であっても混み合う電線
からの滴りはいつまでも続く。露時雨とは違うかもしれない。
この形の俳句から脱したいと思っていても苦し紛れの投句となる。
この形の俳句は種明かしになり易い。
私の句を含め、取材、着眼が良いのにあと一推敲が足らない句が
ある。俳句自身は詠んでは捨ててゆくものだけど、どうせ捨てるなら
あと一歩が何なのか理解の上でしなければ同じ事を繰り返す結果に
なると思う。句会において0点句即ち没句では無いと思う。