( 青田 )
日の落ちしあとのあかるき青田かな 久保田万太郎
みちのくや青田に降りる山の雲 岸田稚魚
日本海青田千枚の裾あらふ 能村登四郎
端っこながら都会に生まれ育った私に「青田」を実感したことが有るだろうか
自問自答に「否」である
父が稼業の佃煮製造業をやめたのは私が高校2年の時、東京の両国から
埼玉県に引越した。新興の住宅地でありながら回りはまだ田圃、牛蛙の
大きさと声に驚き、眠れないこともあった。秋には蝗とりの人達にも
驚いたが母は田芹摘み、私は近くの江戸川の土手でバイクを走らせて
楽しんだ。
俳句をするようになって一室が「消炭庵」として俳句教室となった
師匠の田中先生が拙い弟子のためによく通って下さったと今更ながら
頭が下がる
その頃の師匠のいでたちは作務衣に巾着袋、下駄履きだった
居間の窓からバス停が見え、小柄ながら大股に師匠がやってくる。
まさに青田の中をまっすぐに
一通りの勉強・句会を終えるとまた師匠は大股に帰られた。
私にとって眼に焼きついた青田の景色はこの一景である
送る師はすでに青田の青の中 (20代の拙句)