( 冷抹茶 )
甘いものがつづいて冷えた抹茶を用意しました
どうぞ召し上がれ・・・
ここのところのガソリンの高騰で通勤を電車にしています
慣れてしまえばバスや電車は快適で行き帰りの車内では文庫本サイズの
句集や俳句関連の本を楽しんでいます 家に帰っても俳句の本
考えてみれば俳句関連の本を開かない日は無いのです
(俳人今瀬剛一さんが片手間では上達などしない
仕事(家事)と二足草鞋の覚悟で望むことが大切だと仰った)
手元にある一番古い結社誌が昭和42年「馬酔木 9月号」
主宰は水原秋桜子 同人・百合山羽公・朧春一・佐野まもる・石田波郷
相生垣瓜人・米沢吾亦紅・相馬遷子・及川貞・下村ひろし・杉山岳陽
能村登四郎・林翔・望月たかし・・・・など等そうそうたる名前が並ぶ
その同人欄「九月集」から杉山岳陽の7句をご紹介します
「清瀬の雨」 杉山岳陽
*秋桜子先生より波郷病変を告げられ、先生に遅れ清瀬に着く
汗の顔出す苦虫のきたかと云う
脈とらす師弟を前やえご散る日
えご散らす雨かも波郷混迷裡
*その夜われ帰宅
えごの雨ありよう電話師へしぶる
*その後の波郷
濃あじさい死を越えたりし痩強面
*波郷居に婦人を訪ふ
茂りあふ庭のくらさに触れてをり
鮨食うて言のつぎほのなかりけり
同月「馬酔木集」(一般投句欄)
石田あき子 (波郷夫人)
郁子の実の小鈴のごとき梅雨入かな
白靴買ふ乏しき金を数へ買ふ
病院がわが家のごとし瓜刻み
清瀬よりはたた神連れ帰りけり
「わが愛する俳人」第一集より
昭和43年 石田波郷
万両や癒えむためより生きるため
かへり来し命つつしめ白菖蒲
昭和44年
今生は病む生なりき鳥頭(とりかぶと)
今日のブログは長くなりましたが、師も病人本人も見舞いの人も夫人も
俳句を中心としてどんな環境下でも詠むことをやめません
生半可でない俳句道・これが二足草鞋の一足でしょう