( 紫紺野牡丹・小石川植物園にて )
野牡丹の古代紫たぐひなし 五十嵐播水
野牡丹散華無常とはかく美しき 富安風生
野牡丹の散りし紫浄土かな 勝又一透
昨日のブログで少し紹介した、角川「俳句」八月号の特集は
「多作多捨で自句を鍛える」です。言葉としては俳句をする人ならば一度は
聞いたことがあると思いますが、なぜそれが必要なのかを理解するうえで
分かり易く書かれていると思います。中でも未来図の新海あぐりさんの
「作る技術=捨てる技術」はとても面白く読みました。
その他の記述で「多読多憶」という言葉があります。俳句の上達に
近道はなく多作多捨をして励むこと。多捨においては自選で推敲できるもの
また捨てるものを選り分ける力をつけるために大いに句集を読み、諳んじられるように修練するとが望ましいとあります。俳句の楽しみ方には人それぞれが有っても
一向に構わないとは思いますが、結社で学ぶなら主宰と一対一に向き合い、
例え一句欄でも四句欄でも一喜一憂せず、主宰に自句を見せて、教えを請う事に
喜びを感じるべきだと個人的には思っています。
ころころは長い時間俳句をしてきて、作句の力はまだ四合目、頂上も見えません
それでも「多作多捨多読」までは人一倍やってきています。
俳句の本当の喜びは良い作品が詠めた時に他ならない。それ以外の喜びは
後に残らない軽いものです。
☆☆☆ 今日は暦の上の立秋です ☆☆☆
立秋の雨はや一過朝鏡 中村汀女
立秋の声を聞かずに行きたまふ 細見綾子
今日よりは秋の薊として咲けり 青柳志解樹
バスクより来たる神父や今日の秋 水野真由美