( 十二月 )
武蔵野は青空がよし十二月 細見綾子
竹割つて鵜籠つくろふ十二月 栗田やすし
植木屋の妻の訃知りぬ十二月 沢木欣一
うろ覚えの話。棟方志功と沢木欣一との会話の中で「写生」についての事が有った確か志功は「空気を写生」すると答え、すなわちそれが即物具象だと欣一が頷く
例えば富士を見てそのままの富士を書いただけでは写生にはならない
富士を見て、どう感動したか,自分にしか見えない,感じ得ない空気を、主観を物に
託して表現することが本当の意味での写生になるのではないか・・・・
そこに感動や詩がなければ吟行句=写生句=即物具象の句とはならない。
そんな気がしている。
書物を頼りにこれを書いている訳ではないので、曖昧で不正確であると思うが
写生が苦手だったころころが辿り着いた今のところの灯りです。
結社に在りながら、自分流を通すことは偏屈に思われるかもしれないが、自分に
足りないものを学びに入会しているので、結果に揺れず,進むしかない。
「伊吹嶺」12月号より
冬瓜の餡掛仕立て母遠し 石原筑波