( 谷空木・紅空木 )
月山の山ひだ深き春彼岸 有馬朗人
義仲寺の水のにごれる彼岸かな 深見けん二
四ッ手網すみずみ乾く彼岸かな 吉田鴻司
今日は彼岸の中日,俳句の世界では単に彼岸と言えば春の彼岸をさし
秋分の日をはさんだ彼岸を秋彼岸と詠みわけています。
東京は生憎の雨の朝となりました。
今日の写真は谷空木(うつぎ)、去年写したものです。
先日、いつものように植物園への散歩の途中での話。
家から植物園への散歩道には区が畝ごとに区民に貸している畑があります。
道端におじいさん、畑には顔見知りだろうか中年のご婦人二人が葱の収穫を
している。
おじいさん「菜の花がきれいだね。葱も立派だ。」
婦人A 「おはよう。葱持ってく?」
おじいさん 「ありがとう。一人だから少しでいい。ところで卯の花はなんだっけ?」
婦人B 「卯の花?」
おじいさん 「そう、菜の花はあれだろ。♪卯の花の匂う垣根に~♪っていうだろ」
婦人B 「卯の花はオカラの事でしょ?」
婦人A 「じゃあ、オカラが匂う垣根?あははは」
という可笑しくて、声を出して笑いだしそうになりました。
俳句をするまでは卯の花がどんなものかも興味がありませんでしたが?
皆さんはご存知でしたか?
卯の花はこの空木のことですよ。茎が中空なので空木といいます。
写真は紅空木ですが真っ白な空木はほのかに良い匂いがします。
公園や家の垣に多く植えられています。空木が咲いたら思い出してください。
くれぐれも俳句を詠むものはオカラなんて答えないで下さいね。
( クロッカス )
子が植ゑて水やり過ぎのクロッカス 稲畑汀子
庭つきの家にあこがれクロッカス 西牧トキ子
日が射してもうクロッカス咲く時分 高野素十
忘れゐし地より湧く花クロッカス 手島靖一
「秀」ついて
杉の秀,嶽の秀、波の秀、岳の秀、はご存知の言葉だと思います
俳句では「秀」は「ほ」と読みますが、広辞苑によれば、「秀」は
①すぐれている、ひいでていること、またすぐれた人「秀句,秀才、優秀」
②植物の穂
となっています。先日の句会の折、「梅の秀」と詠み、不評をかったことは
書きましたが、私自身全くはじめての試みで正直その斡旋には自信が
有りませんでしたが、どうも納得がいかずに先生にメールで教えを請いました。
お忙しい中すぐに返信を頂き、その内容もさることながら大いに感激しました。
私の質問はこうです。
杉、岳、巌,波、枯木、などなど秀をつけての例句は見ますが、桜や梅には
有りません。どこまで使うことが出来るのでしょうか?
先生の返信には
お尋ねの「どこまで…」ということは難しいのですが、文学(俳句も含めて)は言葉
にとってイメージ(思想)を伝達するのですから、「梅の秀」がどれだけ読み手に鮮
明なイメージを与えられるかということでしょうね。
したがって「波の秀」も「巌の秀」もそれぞれ尖ったところがイメージ出来ます。
ところが「梅の秀」はそうしたイメージが曖昧です。
つまり私の解釈「秀」は優れたとして詠んでおり、優れたというのは大いに曖昧な
個人の感覚でしかなかったのですね。
「秀」を「穂」→「尖った」ものという発展から読者に形としてのイメージを直感
として与えるものだったのです。
このような私の失敗をここをご覧になっている方々に披露して何かの
参考にして頂きたいと思いました。
結社「伊吹嶺」に入り、1年2ヶ月。何度か疑問点を先生に教えていただきました
結社に入ることは本意ではなかったのですが、俳句を詠む事に迷いというものが無く
なりました。
結社の方々は「主宰」と呼んでいますが、私はいつも「先生」と呼んでいます。
( 雉莚・きじむしろ )
草の芽ははや八十種の情あり 山口青邨
草の芽にかゞみて母も素足なる 白澤よし子
急がねばならぬ草の芽ひしめけり 籏こと
「関東の桜の開花予報」
気象庁が今日桜(染井吉野)の開花予報を先日発表の24日から
21日に変更しましたね。ここのあたりの暖かさが開花を早めそうで
入学式には桜が残っているのかと余計な心配しています。
ちなみに関西での予報は25日、これなら桜の下の入学写真が
撮れるはずです。
さてさて、28日の吟行句会。花の名所飛鳥山。
どうなりますやら・・・・
私は都電で向かいますが,都電を詠みこんだ秀句もあります。
同行の皆さま事前の検索を
( 春蘭 )
春蘭や雨をふくみてうすみどり 杉田久女
春蘭の風をいとひてひらきけり 安住敦
掘りきたる春蘭花をそむきあひ 星野立子
「霾」難しい字ですね。つちふる・黄砂のことです。
今日の出勤は6時、黄色い太陽が上がっていました。
打ち合わせなど等フルタイムに忙しい日の朝から俳句を考えている
私は一体何なんでしょう?
霾天(ばいてん)霾ぐもり(よなぐもり)霾れり(つちふれり)
俳句を詠むより難しい。辞書を引かずには書けません。
兄の忌の今年も黄砂降る日かな ころころ
( 木瓜 )
脱ぐ仮面なし花木瓜のねむきいろ 柴田白葉女
口ごたへすまじと思ふ木瓜の花 星野立子
「初鶯と初蝶」
今日もいつも通りの優雅な午前(景気が良い時には有り得ない時間)
体が少しでも鈍らないようにと歩くことにしている
最近は植物園へ行っても鳥を観察することも有って,この楽しさも
俳句のお陰でしょう。
そうそう今日は初物尽くしで,鶯は地鳴きではなくホーホケキョと
何度も間近に挨拶をしてくれた。姿かたちは目白よりやや大きく
美しいとは言えないが、それでも近くを歩く人々の足を止めるほどに。
竹林の近くの梅の木にコゲラが来て,何度も木を叩き虫を出そうと
している。 多くの鳥の声に混じって木を叩くココココッと言う音で
すぐ寄って姿を確認する。他の野鳥に比べて警戒心は薄いようだ。
それとも木を強打しすぎて脳震盪気味なのだろうか?などど私の
頭にも春が来ている。
満開の西洋実桜には目白が十数羽きて花を覗き込むように躍って
いる。先日も梅の満開時期にそのような光景を見たが、花の蜜を
目当てのよう見える。
この光景を句となそうと「梅の秀に」として詠んだら,句会では却下
された。 残念。
ほかに柄長、尾長、赤腹、雉鳩,四十雀、椋鳥、を見ることが出来た
初蝶にも出会った。黄蝶が初蝶なんて幸せの予感(余寒ではなく)
( 富貴草・ふっきそう )
山水の寺を貫き富貴草 大木あまり
「縁は必然」
Kさんとの出会いはIT句会から、その句会の閉会まぎわからメ―ルでの
お付き合いとなる。
Kさんの句の特徴は二物衝突の輝きが他の句とは違って際立っていた
一物仕立ての句はまだ窮屈さが見え、本来の力が発揮できていなかった
ように感じ取れた。
この二物の配合は相当の感性がないと輝かない、季語に対して知識の
裏づけを感じさせるものは失敗となる。Kさんの句はきっと少女の頃から
のものだろう。迷いが無い。全て成功の作品とは言えないが、私も
かなわない。結社入会2年で同人となったが、その一直線な熱意と詩情に
主宰も納得されていることだろう。
IT句会のオフ会となってもKさんは九州、ころころは東京と会うことも
無いままになっていたが、所属結社の東京柴又吟行に上京されると
聞き、会の終了後にお会いできることになった。
浅草雷門に夜八時に待ち合わせ。
しらふで立っていれば春とはいえ寒い。
時刻丁度にTさんとお二人でいらっしゃった。
Tさんともお会いしたかったので嬉しかった。
想像した通りの人、華奢でもオーラがありコケティッシュな博多美人。
4時間ほどの楽しい時間も浮かれたようにしゃべった自分が恥ずかしい。
談話の中で「縁は不思議ですね」と言ったら「縁は不思議じゃない」と
返される。普通に使って何とも感じなかった縁は不思議というフレーズも
Kさんから言われて見ると「必然」かもと思い返される。
今日無事に帰られたようすで安心しました。
私は俳句を始めて長い時間が経って上達は自慢にもならず、ただ多くの
出会い、「必然」が何よりの宝。作品も出会いも一期一会と思い
その瞬間瞬間を大事にしたい。
Kさんありがとう。
( 片栗・かたかご )
万葉の恋は紫かたかご咲く 吉田銀葉
足のべて休む片栗の花あれば 細見綾子
片栗の一つの花の花盛り 高野素十
恩師田中先生から手紙の返信が有った。
心配していた通り、手術で順天堂病院へ入院されていた。
田中先生から俳句の手ほどきを受けてから、ころころの俳句の道は
山坂ばかり、私の自宅の一室を消炭庵と名づけ,私と亡き兄(俳号野仏)
の為によく通って下さった。
今思えば誉めることは有っても、けなす事はなかった。
手紙の中で、最近は磯貝碧蹄館とも句座をもっていらっしゃるようだった
現在は月2回の句会での指導とその他の句会で計4回の句会に参加
されている。一日も早くの平癒を祈るばかりです。
( 土筆・つくづくし・つくしんぼ )
午後からの打ち合わせまで、優雅な時間(散歩)です
わだ庭区立赤塚植物園に確かな春を見つけてきました。
小学生の低学年の40人ほどの声と目白の細鳴きと竹やぶの風のさやぎと。
楽しみだった片栗の花が咲き出しました。斑のある片栗の葉に目をつけて
株の有りどころを承知していたので真っ先にその斜面へ行きすぐシャッター
毎年の事ながら、この植物園では片栗と二輪草が春の目印のように,その後は
いっせいに春の草花が開花し始めます。
風の来ない小さな日溜りにはつぼ菫もさいています。
まゝ事の飯もおさいも土筆かな 星野立子
土筆の向うに土筆より低い煙突 永六輔
土筆野や子取ろの唄はすたれしか 菅原鬨也
( 大寒桜 )
句会の後の楽しみが、俳句談義。
絶好調と思って持ち込んだ句も木っ端微塵となると、そうは浮かれてられないが、
とは言え。切り替えの早いのもころころの長所と勝手に思い込んでいる。
最近では連衆の実力も相当なもので小手先でちょいとはいかなくなった。
それは本当に嬉しいことですがね。
選句をした秀作をご披露できないのが残念です。
客観であり詩情豊かなもの。推敲で詩もリズムも耳ざわりも上がったもの。
発見や驚きがきちんと表現されているもの。
何だか嬉しい句会後感です。
寒桜交はり淡くして長し 古賀まり子
まさに連衆とのかかわりのような今日の一句でした。