生前に診察していない医師が特定の病名(思春期うつ)と断定して報告書に記載するなどあり得ない事態。
医師法の無診察診療違反に相当するのではないか。
前の2回とは、八戸北高[摂食障害=今回と同じF会A医師]、東北町上北中[軽度発達障害:報道では明記されていないが=H大K医師]。
その二つのケースで、いずれも遺族からクレームがつき再調査となっている教訓から何も学んでいないと言わざるを得ない。
(個別の情報も報告書の詳細も把握していないので、各社の報道を元に判断していることをお断りしておきます)
<青森中2自殺>遺族、追加調査要望へ(河北新報)
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201704/20170412_23021.html
まず第一に、これは以前にも書きましたが、いじめと自殺との因果関係について、「自殺の因果関係は特定できない」(別の報道では「解明できない」)と説明した(とされている)こと。
因果関係は「あり」と「なし」しかない。
この場合、「なし」はあり得ないので、結論は「あり」だけ。
その程度を、1%〜100%の間のどこにあるかなどという定量的評価はできない(わからない)のだから、その程度を問うこと自体、最初から無意味。
(イタコに訊くしかない)
次に、最大の問題、「思春期うつ」
こんな馬鹿げた表現(診断)が出てくるとは想像もしてなかった。
いじめなり何なりの外因があって自殺したとしたら、その過程において「うつ」または抑うつ症状があったのは当然のことで、それを自殺の要因として考えるのは本末転倒も甚だしい。
この点については、遺族側の弁護士も説明している通り。
百歩譲って、いじめが起こる前に「思春期うつ」(別のケースでは摂食障害や軽度発達障害)があったと仮定しても、それをいじめと並列的に考えるのは構図上の誤り。(単純に考えて、その段階では本人はちゃんと生きていたのだから)
人の心というのは誰にもわからないのに、亡くなった子どもの心の中における割合を並列的に(横軸棒グラフのように)推測して、これとこれの割合はどうかなどと考えることは、最初から論理の立て方がおかしいと言わざるを得ない。
本人の側の要因と外的要因をあえて一緒に考えるとすれば、重層的な構図を想定すべきと思う。
これをダムの決壊<自殺>にたとえてみると、元々溜まっていた水量、最後に降った雨量、ダムの高さや脆弱性などの複数の要因があり、最後に降った雨<いじめ>が大した量ではなかったから、ダムの側<本人>の要因とどちらが大きかったかわからないと考えるのはナンセンスで、全ての要因は一人一人の子どもによって全く違う。
そもそも、いじめと本人の側の要因を別々に考えるのは無意味で、いじめというのは本人の側にも何らかの要因<別に病的ではなくても、周囲と付和雷同しないような性格など>があると起きやすくなるものなので、それがあるから、いじめた側に酌量の余地があるとは言えない。
だから、標準的な尺度(八戸北高報告書における青森県トンデモ独自基準)で、個別のケースを判断することなど最初からできない。
審議会がなすべきことは、
・いじめに相当する事実があったことの解明
・それに対する学校側の対応の問題
を事実として列記することだけ。
「いじめ」があって「自殺」があったなら、それは「いじめ自殺」。
その段階であれこれ考える意味がわからない。
子どもが一人死んだという重さをどう考えているのか。
何度も同じような事態が繰り返されるのは、行政や教委・学校側の免責を図ろうとしていると捉えられても、言い逃れできないのではないか。
委員の精神科医だけの問題ではもちろんない。
「専門家」である精神科医の見解を、「専門外」である会長や他の委員が覆したとしたら、それはそれで問題になるかもしれないが、全体の議論を取りまとめた会長に責が無いとは言えないだろう。。
(青森市の委員構成は同一医療機関から医師と臨床心理士が入っている<5人中2人>ことに問題がありそうだが)