東奥日報6月19日夕刊の東奥春秋「医者の一言」が問題になっています(というか問題にしたのは私ですが)。このコラムの記者が言うことに根拠があるのならともかく、文章の趣旨を180度誤読した記者が、「患者の気持ちを考えない未熟な研修医」なるものをでっちあげて、公器である新聞紙上で批判し始めたのですから、元の文章の著者にとっては身に覚えのない冤罪事件と言っても過言ではないでしょう。
(この著者は、むしろ記者が主張しているように患者の気持ちを思いやって、上手く行かないことを内心焦りつつ、、という気持ちを行を空けて表現したものと思われますが、その程度のニュアンスも理解できずに正反対に解釈して、正義の味方にでもなったつもりで筆を振り下ろしたようです。)
しかも、元の文章は一般には公開されていない(新聞社にだけ情報提供の意味で配布されている)会報ですから、この記事を読んだ読者は原文にあたって確かめようがなく、「そんな未熟な研修医には診て欲しくないな」と記者の主張を鵜呑みにして一方的に判断してしまう可能性が高い。
こちらから反論する手段もないし、もし反論して受け入れたとしても訂正される見込みはない。メディアによる文章の暴力というのはこういうことなのだろう。今回は実害はほとんどないと思われるが、その研修医にとっては心穏やかではいられないだろう。
どちらの文章も全文引用はできないのでこれだけ読んでも判断できない人がほとんどだと思いますが、元の文章は編集校正段階でチェックされているし、記事のあとに読み直した人(いずれも同業者)も「問題ない」と口を揃えています。
(この著者は、むしろ記者が主張しているように患者の気持ちを思いやって、上手く行かないことを内心焦りつつ、、という気持ちを行を空けて表現したものと思われますが、その程度のニュアンスも理解できずに正反対に解釈して、正義の味方にでもなったつもりで筆を振り下ろしたようです。)
しかも、元の文章は一般には公開されていない(新聞社にだけ情報提供の意味で配布されている)会報ですから、この記事を読んだ読者は原文にあたって確かめようがなく、「そんな未熟な研修医には診て欲しくないな」と記者の主張を鵜呑みにして一方的に判断してしまう可能性が高い。
こちらから反論する手段もないし、もし反論して受け入れたとしても訂正される見込みはない。メディアによる文章の暴力というのはこういうことなのだろう。今回は実害はほとんどないと思われるが、その研修医にとっては心穏やかではいられないだろう。
どちらの文章も全文引用はできないのでこれだけ読んでも判断できない人がほとんどだと思いますが、元の文章は編集校正段階でチェックされているし、記事のあとに読み直した人(いずれも同業者)も「問題ない」と口を揃えています。