踊る小児科医のblog

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青森山田高校のカンピロバクター食中毒記事「鶏肉の湯通しなどの加熱処理が不十分」湯通し??

2016年11月30日 | こども・小児科
細菌性食中毒でカンピロバクターが検出された(13人中2人だけにせよ)なら「鶏肉」、しかも2日連続で使っているという教科書的な事例ですが、、
鶏肉の加熱で「湯通し」はあり得ないでしょう。不十分というレベルの話ではない。
「湯通し」という単語を記者が何の手がかりもなく書いたとは思えない。まして保健所がそんなこと言う可能性はない。
記事では「同校は調理過程で湯通しなどの加熱処理が不十分だったとみている」とあるので、青森山田高校の側から出た発言。
ということは、鶏肉を湯通しだけで食べたのか?(マサカ)
保健所は何を調査したのか?(もう少し手がかりがわかるはず)

山田高調理科13人が食中毒 2016年11月26日(土)
 青森市の青森山田高校の調理科3年生13人が今月17、18日に行った調理実習の後、腹痛などを訴えていたことが25日、分かった。青森市保健所は実習の料理による集団食中毒と断定した。現在、女子生徒1人が入院しているが、快方に向かっているという。
 同保健所や同校によると、実習を行った3年生31人のうち、男子5人、女子8人が腹痛や下痢、発熱などを発症。保健所が調べたところ、2人の便から食中毒を引き起こす「カンピロバクター・ジェジュニ菌」が検出された。
 2日間の実習では鶏肉を使っており、同校は調理過程で湯通しなどの加熱処理が不十分だったとみている。同科で食中毒が発生したのは初めてで、当面は実習を自粛する。
 25日夜、記者会見を開いた同校の花田惇校長は「このような重大な事態が起きたことをおわびしたい。保健所の指導を受け、より衛生管理を徹底していく」と話した。

「青森市長選の公報」を読んで蚊帳の外から勝手に論じるの巻

2016年11月26日 | 政治・行政
あと1日しかないし、ここに書いたことは誰かに対するメッセージなどではありません。部外者が野次馬根性で書いてるだけと御批判していただいても結構ですが、今回の青森市長選の結果は、青森市の浮き沈みだけでなく、青森県や、県内市町村の今後の方向性を左右していく分岐点になると考えてウォッチングしています。
これまで情報をチェックしたり考えたりしてこなかったので、かなりの難題なのではないかと感じてます。。青森市民が、この状況で選択して、あとで「こんなつもりじゃなかった」ということにならないか。。(←いずれの候補が当選しても)

公報PDF
https://www.city.aomori.aomori.jp/senkyo-kanri/kurashi-guide/senkyo/sityousen_top/documents/senkyokouhou.pdf

全部読み終わって → 渋谷氏の敵は小野寺氏ではなく横山氏だと思うが、陣営も支援者も小野寺氏を追いかけることばかり考えて、現実が見えてないのでは(…違ってれば良いのだが)。
隠れトランプ票と同じではないが、隠れ横山票の存在が勝敗を左右することになるのでは。。
何の根拠もない予想では、小野寺:渋谷:横山は5:4:2または4:3:2。。もちろん、何の根拠もないので外れる可能性はあります。外れる場合にどう外れるのかも予測できません。
結果として、青森市が何らかの形で踏みとどまっていくという観点では渋谷>横山>小野寺だろうと思いますが。。

(追記)予想を渋谷>小野寺≧横山に変更(11/26夜)

渋谷氏
・基本的に鹿内姿勢の継承をうたってるために、踏み込んだ政策や、前市政への批判や相違点が伝わってこない。
・特にアウガについては、最終的に鹿内さんがどう決着をつけようとしたのか曖昧なままで、一番具体策がない。
・「市民が主役」と言いつつ、市民が主役となるプロセスが提示されていない。
・自公が反対した「子供医療費無料化」についても、他候補が(選挙戦術上)批判したり撤回を公約に入れていないので、アピールポイントになっていない。
・市役所建設費について、見直しや圧縮の可能性が述べられていない。(現行予算のままということ)
・一番穏当で現実的で、なおかつ市民へのチャンネルも開かれた市政になるように思うが、鹿内後継というだけで鹿内票がそのまま入るとは思えない。

横山氏
・「駅前アウガ中心のまちづくりとの決別」や「駅舎44億円負担の撤回」だけでなく、他の政策も一番具体的で、公報・公約としては出来がいい。(その是非はともかくとして)
・上記の「駅前アウガから除雪費用へ」というのは馬鹿らしいほど単純でわかりやすい。(同上)
・独自の視点(墓地建設と県外利用者への開放など)もあり、かなり多くの人の意見を聞いて取り入れたのではないかと想像。
・ただし、これらが全部実現したら、駅前も郊外も一緒に雪の中に沈んでいく可能性大。
・青森市の生き残り戦略や将来像が不明確。主要産業は除雪、ねぶた、県庁(職員の消費)ということにならないだろうか。
・アウガ破綻処理の場合、現存施設(ホールや図書館、その他のスペース)はどうなるかよくわからない。
・コンパクトシティ構想とアウガ破綻の問題は全部一致するのか、それぞれ異なった側面があるのか、どう考えているのかわからない。(この公報を読む限り両者一体という考えと受け止められるが)

穴水氏
・青森市でフルマラソン開催という点だけ評価するが、ハーフですら悪評が絶えないのに(…参加したことはないのですが)、フルを開催できるとは思えない。
・学歴と職歴でどういう方なのか想像しにくいし、まったく知りません。
・最低限、字が潰れない原稿を提出する程度のことはすべき。
・立候補の意味も含めて不明で、医師への不信・嘲笑を増大させた。

小野寺氏
・演説の「キング牧師」で滑っていたが、公報も同様で、写真は2枚もいらない。
・自民党と広告代理店が見栄え良くつくろうとするとこうなる。
・具体的な政策は市役所アウガ移転という点だけ(「一部」とは書いてない)。
・市民はアウガに市の窓口が移転したら、不便になるでしょう。そんな(何人か市民に聞けばわかる)常識的な判断すらできない。(あるいは、わかっていてやろうとしている)
・他の項目は、読むに値しない。自分に投票する人は公報などに関係がなく、公報は害にならない程度でいいというメッセージに思える。
・強調している「リーダーシップ」とは、県知事や国会議員との合意の元で、市長から市民に発せられる号令という意味なのだろうか。
・同様に「夢(I have a dream)」は時代錯誤。。オバマさんを狙った?
・「ぶれず、真っ直ぐ、前へ進む」とどこに行き着くのか、経路と目的地が不明。。レミングスみたいに陸奥湾に真っ直ぐ進んで行くことにならなければ良いのだが。。
・公報・公約などに関わりなく、国と県と市が一体となって進んで行くのがベストと信じている方には疑う余地のない候補なのだろう。(ご本人もそう信じているなら)

福島原発事故後の5年半に青森県保険医協会の新聞に掲載した9回分の原稿を読み直してみた

2016年11月16日 | 東日本大震災・原発事故
2011年の東日本大震災・福島原発事故後の5年半の間に、青森県保険医協会(医師・歯科医師約1300人)の新聞の連載「核燃を考えるリレートーク」に掲載した9回分の原稿を読み直してみた。不幸なことに、震災直後から危惧した事態は現実のものとなってしまった。書いたことが間違いではなかったのが「不幸中の幸い」と言っても、喜こべません。記録としてリストアップしておきます。

1) 2011.9「福島原発事故後に考えたこと「まだ終わりではない 今度こそ終わりにする」」
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/1c19919dd5ce082a459bfbce72cb8453

2) 2012.10「原発ゼロでも核燃サイクル堅持を喜ぶ青森県の悲喜劇 中間貯蔵施設をどうするか 最低→最悪政権の次の選択は」
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/9b36c43a3bd1fb5e47ecda772541182d

3) 2013.7「福島県の甲状腺がん検診結果をどう読むか 発生率1〜2人/10万人はベラルーシと同じ」
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/7098ce074b9500449ee9c5f8dc2bfb52

4) 2013.12「原発推進と秘密保護法は表裏一体 福島県の甲状腺がん検診続報 原発は民主主義の対極にある」
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/5ee5a44b449709fcfe1610397f3ec378

5) 2014.11「脱原発のために「核のゴミ」県内長期保管の議論を」
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/c79c98633ce5b27497cab3ed280df6ad

6) 2015.5「繰り返す「国家の暴走を止められない歴史」戦争、原発、タバコ」
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/3f9212dc4ac96329d2c00c252b9696ae

7) 2015.11「福島県の小児甲状腺がん 本格調査で「増加」が明らかに」
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/81abc3d45c9d6868551d433340e0943e

8) 2016.6「新認可法人「再処理機構」は自滅サイクルの始まり」
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/1fde7406616018033675591a714c52b4

9) 2016.11「福島県小児科医会の甲状腺検査見直し要請を憂慮する」
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/80a774093d908a0cbff92b6ac2e55f11

「優性思想」は国家の政策ではなく社会の「空気」で形成されるもの 新出生前診断の商業化はその帰結

2016年11月12日 | こども・小児科
(哲学カフェで言い残したことの、考えのまとまらないメモです。別にまとめるつもりですが…どうなるかわかりません)「優性思想とは国家が政策として行ったとき…」ここに引っかかりを感じて帰りました。

 確かに、ナチスや日本(戦後を含む)など、歴史的にはそうだったのかもしれません。もちろん、個々人が内心どんな差別主義の思想を抱いていても、一人一人追及して罪を暴き立てることはできないし、それこそ思想警察に繋がります。

 ただし、今の時代に国家が優性政策を実行するという事態は(内戦でのジェノサイドは別として)まずありえません。

 むしろ、個々人の思想が集まった社会の「空気」として、今回少し紹介した「新しい出生前診断」で異常が発見されれば中絶するのが当然という無言の圧力(※)が形成されれば、国の政策というあからさまな形を伴わない「優性思想(優性政策)」と考えることができるのではないでしょうか。

 ※→該当疾患の子が生まれたら、親が出生前診断と中絶の機会を逃して、社会への迷惑をかえりみず「自分勝手に」産んだのだから、その費用は親が負担すべきという「空気」。

 実は、その「新しい出生前診断」について、学会で限定した基準を逸脱した商業ベースの検査をネット上で提供する会社(医師)がいま問題になっています。(メディアはどこも取り上げていないので知られていませんが)

 学会の基準というのは何ら強制力を伴わないものですので、このような事態は最初から予見されたものでした。(だから、私はこの検査が「一線を越えた」ものだと当初から考えていました)

「優性思想は全否定されるべきものなのか」という観点で考えてみます。重い遺伝病について、絨毛検査や受精卵診断なども限定的に行われており、「新しい出生前診断」で検出できる3つの染色体異常(21トリソミー=ダウン症候群、18トリソミー、13トリソミー)との間で一線を引くことは困難です。

 私のかつての感覚では「18」と「13」はやむを得ないが、「21」は抵抗感があるというものでしたが、「18」や「13」でも数年という長期生存例があることを見聞きすると、このような検査の実用化が親と子にとって福音と言えるのか、過去、現在、未来のいずれが幸せなのかわからなくなります。

 学会では臨床研究として基準を満たした施設と対象者に限って実施しているという名目になっていますが、実際には発見された94%(3年間で400人弱)が中絶しているという結果が明らかになっています。

 一人一人の親の選択の結果が総体として94%という数字になっただけだと言うこともできます。その判断の積み重ねが「結果的に」ダウン症候群や他の2つの染色体異常を減らすことにつながるのであれば、否定することは何もないと。

 親が幸福追求権を行使すれば、結果として社会への「迷惑」も減るし、誰にとってもハッピーである。別の事例で、私は「当事者の論理」という言葉を使ったことがありますが、これもその言葉が当てはまるのかもしれません。

 ここで「誰にとってもハッピー」とか「当事者の論理」などという乱暴な言葉で書きましたが、お気付きの通り、「胎児」という「当事者」の論理が抜け落ちています。憲法は胎児の幸福追求権まで保証してくれません。中絶されてしまえば、幸福を追求しようがないのですから。

 親の幸福追求権とは、「異常を持った赤ちゃんが生まれない方が(親にとっても子にとっても)幸せである」という判断だと言い換えることも可能かもしれません。その、一人一人の親の判断の総体が94%という数字である。決して、中絶した親を非難しているのではありません。

「優性思想は全否定されるべきものなのか」という問い対する決まった解答は得られそうにありません。商業ベースの検査会社が問題視されるのは、一つには偽陽性の存在を知らずに羊水検査をせず中絶する可能性、もう一つはここに書いたような逡巡を何ら経ずに判断される可能性が高いこと。

(「優性思想を全否定する」ことから始めると現実を無視することになると思いますが、やはりまとまりませんでした)

子どもの事故防止の原則は2つ→予測が難しいときに命を守るには(神宮外苑焼死事件をうけて)

2016年11月08日 | こども・小児科
今回の「神宮外苑 幼児焼死事件」は、悲惨すぎて言葉になりません。これまで伝えられた情報によると、出展者側で火災防止についての知識も想像力も、考慮された形跡もなく、二重三重のチェック体制もなく、観客の警告も無視するなど(※)、ほとんど論外と言える状況のようです。

「責任はすべて大学にある」神宮外苑の火災受け学長
2016年11月7日14時21分
http://www.asahi.com/articles/ASJC7339PJC7UTIL009.html

※ 特にこの証言の内容は過失ではなく「未必の故意」であることを証明しています

出展者(学生)や大学の責任は免れませんが、どんな罪に問われようとも子どもの命は還ってきません。
今回のケースに限定するのではなく、一般化してどうすれば守れるのか考えてみます。

子どもの事故というのは、1)繰り返されてきた状況で同じ事故が起きている、2)新しいモノや状況が生まれると新しい事故が発生する、という二つのことがわかっています。

2)については難しいので後回しにします。今回の例は特殊ですがここに入るかと思います。

1)については原則が二つあります。
①事故の原因を除去して可能性をゼロにする
②なくせない場合は、頻度を減らしたり重症化を防ぐ

「○○に気をつけましょう」では事故はなくなりません。

①の例としては、
・タバコ誤飲 →「タバコや灰皿を子どもの届かない高さに置く」は間違った指導例。家庭や訪問先(祖父母宅など)にタバコが全くない状況であれば、タバコ誤飲はゼロになる。
・歩行器やクーファンからの落下事故 →必要のない育児用品であり、買わない、使わない、人にあげないこと。
・大型自動回転ドアに挟まれた事故 →センサーの不備を改善するのではなく、もしセンサーが正常に作動しなければ(改善しても可能性はゼロではない)子どもが死ぬような装置は使用しない。

②の例として、
・自動車事故はゼロにはできないが、チャイルドシート(かつては法制化されていなかった!!)/衝突防止装置などの技術革新/歩道・交差点等の改善/取締りの強化/キャンペーン・啓発活動などにより、まだ許容できない範囲ではあるが、死者は確実に減少している。

①②を混同した例として、①コンニャクゼリーと②餅の窒息死を同一視した議論がある。(これがわからない人が多いというのも事実)
タバコとアルコールも同様。

風呂での溺水防止のために、②鍵をかけるというのは不可(事故はたまたまやらなかった時に起きる)で、①最後の人が必ずお湯を抜くというのが正しい対策。

原発事故についてもあてはまるが、最後に書きます。

2)の、リスクが不明(程度が様々)だったり予測困難な場合はどうすれば守れるか。

一言では言えないが、一般的な知識、経験(子どもの頃からの直接的、間接的、具体的々な体験から得た常識的判断力)、想像力、危険察知能力などを常に働かせるようにする。

東日本大震災を経験した私たちは、「いま大地震が来たらどうするか」というアンテナは辛うじて張れるようにはなったはずですが、未体験の状況(実際にはそういう事態が大半のはず)で、後悔しないように動けるか、自信を持って断言することはできません。

ただし、車の運転で一番大事なのは「他人の運転を信用しないこと」。これは自動車学校でも免許更新の講習でも一度も言われたことがないが、長年運転してきて誰もが実感しているはず。子どもの事故防止にも、同じことが言えると思う。

もう一つのキーワードは「東京」にあると考えますが、まとまっていないし、ここでは詳しく書けません。。

原発事故については、多重防御という考え自体が②(事故はゼロではない)を前提とした話だったはずが、いつのまにか①と同じ「絶対安全」にすり替わっていた。②なのに「絶対安全」ということは「絶対にない」ということはわかりきっていたのですが、①と受け止めて「絶対安全」だと思っていた人が相当数いたということ自体が、大きな驚きでした。

無論、①の可能性をゼロにする方法は、原発の稼働をゼロにする以外にはありません。②の対策で、いくらヨウ素剤を配布されたり、避難の船や避難先の体育館を確保されたからといって、これで安心、いつでも再稼働して下さいと主張する首長や議員らは、一旦事故が起きたときには福島のように故郷を捨てなければいけないという事態を許容したと言っているに等しいのです。