踊る小児科医のblog

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インフルエンザ予防:ワクチン・手洗いが発症リスク低下、マスク・うがいはリスク増加を示唆(新潟大)

2016年03月26日 | こども・小児科
新潟大調査。日本小児科学会雑誌(2016.3)に掲載された論文から
佐渡島の幼稚園・保育園の全園児と小学校の全学童
2009/10と2011/12シーズン

オッズ比[95%信頼区間]2009/10  2011/12
ワクチン接種  0.27[0.23-0.31] 0.77[0.67-0.89]
こまめな手洗い 0.67[0.56-0.81] 0.71[0.59-0.86]
マスク着用   1.41[1.14-1.75] 1.35[1.01-1.80]
うがい     1.24[1.03-1.50] 1.21[1.00-1.45]

こまめな手洗いの実践率は23%、19%
学級閉鎖中に約3割がショッピングセンターや塾や人の集まる場所に外出していた

関奈緒ら:園児,学童におけるインフルエンザ予防行動実践状況とその効果.日本小児科学会誌 2016;120:612-622.

#こういった集団での行動調査で明らかな差が出るものだろうかと思ってパラパラと眺めてみたが、かなり興味深い結果が出ている。
ワクチンと手洗いに有意な発症リスクの低下が観察されたのはいいとして、うがいとマスクでむしろ発症が増える可能性が示唆されている。
うがいやマスクなんて「大した意味はないだろうが、やっても害はないだろうし、個人や場合よって効果があるかもしれない」という程度の考えでしたが、この結果では「うがいやマスクがむしろ逆効果である」可能性も否定できない。。

この点について、考察では、
マスク…発症者の伝播防止対策としての位置づけ。予防的な着用を推奨する根拠は乏しい。
うがい…本結果をもってうがいが発症リスクであるとの結論を導くことは難しい。うがい自体がリスクである可能性のほか、調査方法による因果の逆転、家族内の先行感染が行楽した可能性など…さらなるエビデンスの蓄積が求められる。

こういった研究は一つの調査だけで結論が出るというものではないので、このような書き方は常識的なものだが、うがいとマスクがリスクを増やすとまでは言えなくても、少なくとも予防効果は明らかではないということのエビデンスにはなっている。

#だから、カバのマークがどうなるかという問題じゃないんだって。。

3月15日の林経産相答弁 再処理認可法人は経済的責任のみ 再処理(事業・事故)の責任は事業者

2016年03月16日 | 東日本大震災・原発事故
昨日(3月15日)の報道では大塚代議士のどういう質問に答えられなかったのか、肝腎なところがさっぱりわからなかったので、深夜に参院の動画を見てメモしてみた。疲れて眠くなったので途中で止めている。メモを読み返しても自分でもわからないところがあるが、正確には議事録を参照して下さい。単なる自分のためのメモですので。

再処理の認可法人の法的責任に関する質疑だったようだ。この点については3/6の浅石氏の講演でも事故の責任は事業者にあると話していた。大塚氏の質問は事故責任だけでなく再処理事業の責任も含まれているようだが。

この認可法人の法案は「再処理永年持続法」とでも言えるトンデモ法で、電力会社が破綻しても原発で使用済み燃料が生じた分、再処理費用は強制的に取り立てて、再処理だけは続けるという。。想像するに、全ての電力会社が破綻して原発がゼロになっても、再処理だけは「着実に」続けられるという法律なのかもしれない。この辺りは不明確だし、まだ法案自体提出されていないが。。

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林  …責任は事業者にある
大塚 なぜ今の仕組みでは問題なのか
林  自由化でも着実に…
大塚 今の仕組みでは着実かつ効率的でないのはなぜか
林  (答えられない)資金を確保、一部の事業者が破綻しても確保、着実かつ…
大塚 今の仕組みではなぜだめなのか
林  事業者が破綻した場合…
大塚 事業者の破綻を前提? 原子力管理センターに預けている資金は破綻すると再処理には使われない?
林  今の仕組みだとどう使われるかわからない
大塚 大事なところ。もし事業者が破綻した時には再処理以外に使われる可能性がある?
林  電力会社の名義のまま。破綻の際には再処理には使われるとは限らない
大塚 劣後債権という位置付けでいいのか
林  可能性はある ないとは言えない
大塚 劣後債権なんですか
林  確実ではないが可能性はある
大塚 どういう場合か
林  判例はないが、倒産すると名義のある資金は取り立てに使われる…
大塚 確定の段階で、優先債権化することで対応する考えはなかったのか
林  認可法人は解散を法的に制限、国が関与
「(発言)??」(速記停止…音声放送せず)
林  優先的にどうするかは難しいので、先般説明した対応で
大塚 なぜ難しいか 提出を
(理事会で協議)
大塚 もう一度、処理等の責任の所在は
林  責任は事業者、法案で変更はしない
大塚 原子力規正法の対象の法人か
林  ならない
大塚 再処理を行わなければならないとあるが、それでも責任はないのか
林  責任はない
大塚 再度 第9条 機構が…ならない 責任を伴う書き方 なぜないのか
林  拠出金 設立に関するもの 責任は事業者
大塚 「(議員の発言に対して)なるほど」ではなく 9条はどういう意味か 疑問は
林  事業実施を目的 拠出金に応じた管理、支払い責任 事業者は規正法に従う 処分する責任 本法案とは関係ない
大塚 破綻を想定した法案 破綻した時の責任は
林  (答えられない)民間主体の事業 新法人は解散を制限 資金を確保 一部が破綻しても確保される 再処理が着実に実施
大塚 事業者が最終責任 破綻することを想定 どこが責任 9条との関係
林  他の事業者が引き継ぐ場合、再処理の責任を引き継ぐ 現れない場合、管財人が処分の責任を引き継ぐ 資金が確保されていれば再処理は…
大塚 資金確保は今とは違うが、電力会社が破綻した使用済み燃料の処理は誰が責任を持つのか
林  事業者だが、破綻した場合、引き継ぐ事業者、または管財人
大塚 管財人が再処理の責任を負うのか
林  (答えられない)(速記停止…音声放送せず)
林  管財人が対応しなければならない
大塚 9条に基づいて法人が責任を負うのでは
林  (答えられない)(速記停止…音声放送せず)
林  9条は経済的責任 再処理は再処理事業者 安全管理は日本原燃
大塚 9条から経済的責任のみとどうやって読み取るのか
林  (答えられない)(速記停止…音声放送せず)
林  9条は経済的責任のみ
大塚 その旨文書を提出を(委員長 了承 理事会で協議)
林  エネ庁 規制庁の文書を朗読 現業以外の責任 管理や処分とは独立 変化は生じない
大塚 運営に国が必要な関与とは
林  人事、認可など
大塚 再処理の責任は国にはないのか
林  両事業者に責任がある 所在の変更はない
大塚 法人、国は責任を負わないのか
林  全くないということはない 人事 万が一の事故の際の対応
大塚 ゼロではないは一歩前進 金は預かる 人事で関与 (事務方戻れ!)
林  天下りとは決めていない 公平公正
大塚 何人の組織か
林  まだ決まっていない 数十人規模
大塚 特殊法人や独法という選択は
林  その考え方はあるが、解散の制限で事業を効率的におこなうため
大塚 国が責任を負う特殊法人や独法にすべきでは
林  民間主体の事業 民間に蓄積 民間主導の認可法人
(動画の1:28まで)

高木仁三郎氏、中西環境リスク論を批判 『座談会 奪われし未来を取り戻すために』より

2016年03月14日 | 東日本大震災・原発事故
高木仁三郎: 中西さんの環境リスク論をめぐる議論の中では、いくつかの問題がごっちゃになっていると思うんですよ。最初に言っておきますが、定量化できるリスクを定量化して、ものごとを相対化して議論するというリスク論の立場自体は、否定すべきことではないし、ぼくも賛成です。

 しかし、一つの問題は、ある物のリスクとベネフィットを考える場合、それが代替できるかどうかがまず考えられるべきだということです。不可欠な物で代替できないとしたら、改善してリスクを小さくするしかないわけですけど、いくらでも代替品で置きかえられるもの、あるいは使っても使わなくてもいいものについては、なくしてしまっていい。いくらでも置きかえられるのになんで固執するのか、彼女の議論からそういう印象を受ける、というのが一つの問題です。

 それと関連しますが、今求められているのは、もっと大きな産業構造や生活のあり方の転換だと思うんですよ。このままでは地球全体がやばいという感じがみんなの中にあって、未来を取り戻すために二十世紀までに築かれた文明のあり方を変えようという模索がはじまっている。その時には、何がベネフィットかということ自体が変わってくる。既存の価値観でベネフィットを言うと、どうしても保守的な議論になる。

(1999年8月収録、2000年刊『“奪われし未来”を取り戻せ』収載、高木仁三郎著作集9「市民科学者として生きる III」より引用)
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# 3.11が過ぎると原発事故関連の報道も減ってくるが、あらためて高木先生の著作を本棚から取り出してパラパラとめくっていて目に付いた発言を抜き出してみた。(高木氏の著作で勉強したなどと偉そうに書いてきたが、実はごく一部しか読んでいなかった…ちゃんと系統だてて読み直してみたいのだが)

# 中西準子とか環境リスク学などという名前自体、震災後に初めて知り、2011年末に『環境リスク学 不安の海の羅針盤』を図書館で借りて読んでブログに批判論を書いた。2014年の『原発事故と放射線のリスク学』は購入して熟読したが、正面から取り組んで批判するだけの時間も余裕もなくそのままとなっていた(無論、この書における中西氏の考え方と作業と結論に対しては批判的です)。

# ここで引用した高木氏ら3人の座談会では、タイトルで示されているように、ダイオキシンなどの化学物質が議論の主な対象となっているが、同書の『巨大事故をどうするか』の中では、「ペロウの評価」を紹介しながら、巨大事故の危険性という観点から、原発を含めてどのような技術システムの選択をするかという問題を取り上げている。

# ペロウの評価については後日もう少し説明する予定だが、最初に引用した高木氏の発言や、この「ペロウの評価」という考え方が、原発推進派や一般の方、メディア、ネトウヨなどの議論ですっぽりと抜け落ちている。この対談のあった1999年から17年経っても、議論のレベルは一歩も進んでいないというのが実感である。
(原発事故で誰も死んでないとか、自動車や飛行機の事故の方が問題だとか、こんにゃくゼリーより餅の方が危険だとかいう、二次元三次元の問題を、恣意的に一次元<単純な数の比較>に落とし込んで来る暴論=詭弁)

# この考え方は、私が他の問題(医療事故やワクチンなども含む)でも全く同じように考えていたことであり、今更ながら高木先生がきっちり述べていてくれたことを確認できたわけだが、逆に、私の考え方なるものが高木氏の強い影響で構築されてきたものだから当然と言えるのかもしれない。

# 高木氏の発言でもう一つ重要なのは、三段目の「価値観の転換によって何がベネフィットかも変わってくる」という部分だと思う。日本のエスタブリッシュメントは、チェルノブイリでも、東海村JCO臨界事故でも、中越沖地震の原発事故でも価値観の転換を起こすことができず、破局的な福島原発事故を起こすに至った。

# いくら何でもこれで過去の「考え方・生き方」の過ちを認め、社会のあり方が変わらざるを得ないだろうと考えたのだが(おそらく多くの国民も同じように感じたはず)、5年経ってわかったことは、その過ちを認めないために、更に既存の価値観のまま「最後まで」突っ走ろうとしているということだと思う。

# ここでいう価値観の転換について見解の違いはあろうかと思うが、単に原発推進か反対かという議論ではなく、例えば、毎年GDPが増加して経済成長が続きエネルギー消費も増加する社会を続けることが幸福につながるという価値観から、経済成長は止まっても生活の質や余暇の時間が向上し、自然・環境・文化などが保たれ、社会の公正さを感じることができ、老後の不安の少ない社会を目指すという価値観への転換だとすると、おそらくほとんどの国民はすでに当然のことと受け止めるはず。

現代事故の10の特徴 高木仁三郎『巨大事故の時代』(1989)より

2016年03月11日 | 東日本大震災・原発事故
現代事故の10の特徴
1) 事故はまぎれもなく現代的な事故である
2) 事故は同時にすぐれて古典的である
3) 事故には複合的な因子-とくに機会と人間の両面のミスが関与する
4) 事故は予告されていた
5) 事故は解明し尽くされない
6) 運転者は事故に十分備えていない
7) 住民は事故にまったく備えがない
8) 事故の巨大さは軍事技術に根をもつ
9) 被害が目に見えない
10) 事故の完全な後始末はできない
    高木仁三郎『巨大事故の時代』(1989)より

チェルノブイリ、スペースシャトル・チャレンジャー事故の後に1987年から1989年にかけて書かれた著作だが、福島原発事故がこの10の特徴のほぼ全てに当てはまることに、あらためて驚かされる。(いや、驚かない。それは「予告されていた」のだから…)

東日本大震災五周年追悼式の中継、黙祷が終わり、天皇陛下の御言葉。
原発事故、放射能汚染のため多くの人が避難生活を余儀なくされた。
いまなお帰還できない人のことを思うと心がいたむ。
多数のボランティア、160の国・地域、国際機関、在日米軍に謝意。
被災地、避難先で多くの人が今日もなお苦難の生活を続けている。
高齢化していく被災者、人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないか。
一人ひとりが取り残されることなく、普通の生活を取り戻すことができるよう、寄り添っていくことが大切。
次の世代に引き継ぎ、より安全な国土が気づかれていることを希望する。
一日も早く安らかな日々が戻ることを祈り、御霊への追悼の言葉とします。(要約)

原発が許されない6つの理由:伊方原発訴訟/『小出裕章 最後の講演』川野氏の講演より

2016年03月11日 | 東日本大震災・原発事故
東日本大震災・福島原発事故から5年の節目で、高浜原発差し止め仮処分(3/9)や東電のメルトダウン隠し、冷却装置停止の新証言、津波予測の新たな証拠、日本原燃全面広告の虚偽などが重なっていますが、43年前(1973年)の伊方原発訴訟における「6つの理由」を引用して今晩はお終いにします。

既に3.11当日になりましたが、あの日のお昼過ぎまで、私たちは今とは全く違う世界に生きていたかのように錯覚するかもしれない(あの時に戻れるものなら戻りたいと)。しかし、この文章を読み返してみると、フクシマ以前も、以後も、全く同じ論理で同じことが続けられている世界に生きているということが理解できるはず。

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『小出裕章 最後の講演』より
川野眞治「伊方原発訴訟の頃」
1973年8月 伊方原発訴訟 原告の主張
1 潜在的危険性があまりに大きく、重大(過酷)事故は人びとの健康と環境に取り返しのつかない被害をもたらす
2 被曝労働という命を削るような労働:労働そのものの中に差別的な構造を内包
3 平常時でも一定の放射能を環境中に放出し、環境汚染と健康被害の可能性
4 放射性廃棄物の処分の見通しが立っていない
5 核燃料サイクルの要、プルトニウムは毒性があまりにも強く、利用は核兵器拡散をもたらす
6 原子力推進のため、情報の統制が進み、社会そのものの表現の自由が失われる:原子力帝国(ロベルト・ユンク)
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(補足)
1は不幸にして福島で現実のものとなった。健康被害がないと言い張る人達の根拠は現時点では何もない。

2の「差別の構造」は、ウラン採掘から最終処分まで、運転中の被曝労働だけでなく、廃炉作業(通常時、大事故後)、原発や核燃施設の立地地域に対する構造的差別まで含まれている。この点について福島や青森の関係者は「ナイーブ過ぎた」のではないか。小出氏が震災後に出した『騙されたあなたにも責任がある』という著書があるが(未読)、このタイトルが全てであろう。清水氏が福島県内で「東電の責任が4割、国が3割、県や市町村が2割、住民が1割」と言うと反発を受けたようだが、当然、その差別的構造を内包した形での「金目」での立地/受け入れだったはずで、その反発には同情する余地はあっても同意する気持ちにはなれません。

3については、再処理工場では原発とは比べ物にならないほどの放射性物質を大気と海中に放出するものであり、これが本来の議論の第一であるべき。

4は今後も解決不能の問題と考えている。少なくとも日本の現政府やその延長線上の政治状況では、熟議民主主義自体が成り立たないし、国民の合意が得られる見込みは限りなくゼロに近い。解決の責任は政府・推進側にあるが、最初から答えの存在しない問題(だから原発を推進してはいけなかったというのが結論)。

5については日本のプルトニウム大量保有は世界の核問題不安定化の最大要因となっている。パグウォッシュ会議でも再処理そのものを止める方向に転換している。

6については現在の状況をそのまま指し示したものと言えるだろう。核プルトニウム社会は極端な管理社会・秘密社会となると高木先生も警告していたが、それが現実のものとなりつつある。

[デーリー東北全面広告]勝間和代「原発停止で年間3兆円流出」の嘘 2014年に藻谷浩介氏が論破済み

2016年03月08日 | 東日本大震災・原発事故
2016年3月6日にデーリー東北に掲載された日本原燃・電事連の全面広告(画像は後日アップ予定)については、話の最初から最後まで嘘・まやかし・詭弁のオンパレード(←いつものこと)と言って良い内容ですが、とりあえず最初の論点である「原発停止で年間3兆円流出」について、これは「嘘も百回言えば真実となる」の典型的な例と言えます。
(それで「県民の信頼を得て安心につながるよう事業を進めて」などと書かれても、信用できるわけがないでしょう。)

すでに「古典的な嘘」であることが明らかとなっている事実を、企業広告とはいえ公共の場である新聞紙面に堂々と載せる企業倫理が問われます。

話は簡単で、3兆円はアベノミクス円安誘導政策による損失であるということです。詳しくは下記の記事を御覧ください。

日本総研・藻谷浩介氏 「安倍政権は経済的な“反日”の極み」
2014年9月29日
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/153666/2

「燃料代3兆3000億円の増加も円安が原因で、原発停止が理由ではありません。原発は野田政権当時から全部止まっていたのですから。日本の石油や天然ガスの輸入量は国民や企業の省エネ努力のおかげで、原発事故前の2010年も、安倍内閣の昨年も、2億5000万キロリットルと横ばいのままなのです」

「自分で円安にして日本を大赤字にしておいて「原発再稼働」というのは、相手を転ばせてケガさせておいて「さあ、クスリを買え」というような話です」

これはしかし、藻谷氏に指摘してもらわなくても、私のような経済の素人でも、エネルギー問題が大変な時にわざわざ円安に誘導するなんて馬鹿じゃないかと内心思っていたし、おそらく多くの国民も同じように感じていたはずです。

(この続きがあるかどうかわかりません、面倒なので…)