「喫煙は個人の趣味・嗜好の問題ではなく,積極的に禁煙治療を行うべき疾患である」-。欧米では以前から普及していた禁煙ガイドライン(表)が,ついにわが国にも登場した。「喫煙病は全身性疾患」として専門の異なる9学会が合同で作成したのが特徴だ。疾患・対象別に具体的な禁煙治療指針を盛り込んだ点も欧米版と異なる。禁煙推進の社会的意義については一般向けメディアに譲るとして,ここでは医療関係者への同ガイドラインの影響に着目したい。合同研究班班長である岐阜大学大学院再生医科学循環・呼吸病態学の藤原久義教授に聞いた。 (某紙記事より引用)
診療科・対象別の治療指針盛り込む
ガイドライン作成に参加したのは日本口腔衛生学会,日本口腔外科学会,日本公衆衛生学会,日本呼吸器学会,日本産科婦人科学会,日本循環器学会,日本小児科学会,日本心臓病学会,日本肺癌学会(50音順)。
日本循環器学会の声かけで2003年 3 月から準備を開始。数回の研究会で意見を調整して,最終的に 9 学会の総意としてガイドラインを完成させた。前半は,エビデンスに基づく禁煙の意義や保健医療従事者が果たすべき役割などの総説。後半は各論として,疾患や対象別に推奨される禁煙治療の実際を解説した。禁煙の歴史や世界の動向,院内全面禁煙の実施例などもカバーしており,好煙家には耳の痛い,嫌煙家には膝を打つ内容になっている。
日本たばこ産業(株)(JT)の調査や同ガイドラインによると,わが国の喫煙率は成人男性47%,同女性13%。男性においては1966年の84%をピークにゆっくりながらも禁煙トレンドが拡大している。女性では高年齢層は減少,20~30歳代は増加傾向。深刻なのが低年齢層で,中学 1 年生の男子22%,女子16%に喫煙経験があるとされる。
日本の医師の喫煙率は海外の数倍
さて,喫煙による健康害から一般市民を守る立場にある保健医療従事者だが,喫煙率は一般に比べ低い。日本医師会の2004年調査では,医師の喫煙率は男性21.5%,女性5.4%で,2001年調査より減った。ただ,海外の医師喫煙率と比べるとまだお寒い数字だ(図)。
また,看護職の喫煙率は依然高い。日本看護協会の2001年調査によると,保健師では8.2%と低かったものの,助産師18.6%,看護師25.1%,准看護師33.6%(いずれも女性のみ)。しかもアンケートでは,「保健医療従事者であっても勤務時間外の喫煙は自由」などとする回答が「保健医療従事者として喫煙は好ましくない」とする回答を上回っており,喫煙による健康害への意識が低いことを裏づける結果となっている。
医療機関は敷地内禁煙の方向
一方,病院,診療所における禁煙推進はここ数年急速に拡大している。
日本循環器学会の調査によると,一般的な病院における全館禁煙の割合は,2002年度の 5 %に対し,2003年度は34%と急激に増えた。病院評価の(財)日本医療機能評価機構が,最新の病院認定評価基準(ver.5.0)に「全館禁煙」,「敷地内全面禁煙をより高く評価」という基準を取り入れたことも影響していると見られる。
今回の禁煙ガイドラインも,医療関係者の禁煙について 1 節を割いて,保健医療従事者の断煙の必要性を強調,「病院の売店でたばこを売らない」など,具体的な禁煙環境整備の方策を示した。「全面禁煙にすると入院患者が喫煙のために無断外出しかねない」,「精神科や薬物依存の病棟は例外」といった喫煙スペースを容認する意見に対しては,米国メイヨー・クリニックなどの例を引き,医療機関が「全面禁煙できない理由」を却下している。
喫煙を「疾患」とした意義
同ガイドラインは,公表前から新聞・テレビにも大きく紹介された。喫煙を「ニコチン依存性」と「喫煙による関連疾患」が合併する「喫煙病」と定義し,喫煙者を「治療すべき患者」と位置付けて,積極治療を促したためだ。
タイミングもよかった。厚生労働省は10月に発表した医療制度構造改革試案に,生活習慣病対策充実によって中長期的な医療費の伸びを抑制する方針を盛り込んだばかり。本体部分のマイナスが指示されている来年度の診療報酬改定にあっても,「禁煙治療」への新規加算は確保される見通しだ。
ただ,「喫煙病」という定義には,「結構な数の批判メールが来た」(藤原教授)という。
合同研究班が喫煙を疾患と位置付けたのは,たばこには本人がやめようと思ってもやめられない依存性があることによっている。「ニコチン依存には,アルコール中毒のように人格破壊を来したり,他人に暴力を振るったりということはない。だが知らないうちに身体をむしばみ,癌や動脈硬化を引き起こしている。しかも依存性が強く,1 回自分の意志で禁煙しても成功するのは 5 ~10%程度なのだから,積極的な治療で禁煙を支援する必要がある」と同教授。
禁煙ガイドラインは喫煙者を糾弾するものではない。むしろ,医療関係者が果たすべき役割を明確にし,意識の変革を求めるものだ。
同教授は「医師にとって,病気を持った患者という存在はなおしてあげなければならない対象。患者が『喫煙は個人の嗜好の問題』,『余計なお世話』と抵抗しても,ひるむことなく治療に臨むことができる。その変化を促すのがこのガイドラインだ」と力を込める。医学界の変化によってわが国における禁煙推進の動きは大きく加速した。禁煙ガイドラインは,国民の健康推進を担う医療従事者の行動指針と言える。
疾患・対象別,禁煙治療の進め方
ガイドライン各論で示された疾患・対象別の治療指針の要点をまとめる。
循環器疾患:ニコチン代替療法も許容
禁煙治療は,これまで禁煙に関心のなかった人が,急性心筋梗塞や脳卒中を起こして,ある日突然禁煙を迫られる点で他の疾患への介入と異なる。もともと禁煙意思のなかった患者では,病状の回復で安静度が解除されると再喫煙の可能性が高くなる。このため慢性安定期に的確で継続的な禁煙治療が行われているかどうかが重要になる。
治療では,カルテに一目でわかる喫煙状況の記載,外来でのフォローアップ,禁煙外来などが有効だ。わが国では急性期循環器疾患患者へのニコチン代替療法の使用は禁忌とされるが,パッチやガムによる血中ニコチン濃度はたばこより低く,米国では発症 2 週間以内の心筋梗塞や不整脈にも使用が認められている。急性期心筋梗塞,脳卒中,重篤な不整脈,不安定狭心症以外の循環器疾患に対しては慎重に使用して禁煙することが望ましい。
呼吸器疾患:高齢者にはガムよりパッチ
禁煙は,たばこを徐々に減らすよりも,突然すっぱりとやめるほうが成功率は高い。禁煙指導では,たばこは依存性薬物と患者に理解させ,たばこを中止したときのニコチン離脱症状への対処法を教えるとよい。
治療では,行動療法として呼気中CO濃度の測定,「肺年齢」の計算,フローボリューム曲線のパターン変化の提示などが,禁煙の動機付けだけでなく禁煙継続の自信になる。胸部X線撮影やCT検査の画像所見も患者のやる気の維持に有効だ。呼吸器疾患には高齢者が多いため,ニコチン代替療法にはガムよりパッチのほうが使いやすい。慢性閉塞性肺疾患(COPD)などに罹患しているのに喫煙している患者には,初めからニコチン代替療法を勧める。
女性・妊産婦:正確な情報提供だけでも動機付けに
妊娠したら禁煙しようと考える女性は多いが,喫煙が不妊や流産,死産,胎児奇形の発生に影響しているという情報は一般に知られていない。若年女性の場合にはこれらの情報の周知だけでも十分な禁煙の動機となりうる。妊婦の場合は,喫煙していてもしていないと答えるケースが少なくないため,正確な状況把握が必要になる。妊娠中のニコチン代替療法による禁煙治療はわが国では禁忌とされているが,たばこにはニコチン以外にも有害物質が多種類含まれていることから,喫煙回避のためのニコチン代替療法は考慮される価値がある。出産後の再喫煙防止に出産前後の指導も必要だ。
小児・青少年:若年ほど依存しやすい
小児の身体は成人に比べてたばこ中の発癌物質や有害物質から受けるダメージが大きい。喫煙開始年齢が低いほど心筋梗塞や癌などで若年死する率が著しく上昇する。ニコチン依存にもなりやすく,中学生前後の年齢では数週間から数か月の喫煙で禁煙が難しくなることがわかっている。学校での喫煙を見つけて叱責や謹慎処分とするだけでは禁煙指導としては不十分で,積極的な治療を行う必要があるが,この世代では本人に禁煙意思がないことがほとんどなため,禁煙に関心を持たせることが最大の課題となる。ニコチン代替療法では,親や学校も含めたサポートが望まれる。
歯科・口腔外科疾患:強力な指導介入を
喫煙による障害-(1)色素沈着や口臭などの審美的障害(2)唾液の性状や歯石,味覚異常(3)粘膜異常(4)抜歯後の治癒不全やインプラントの予後不良など治療への影響(5)歯周病や歯の喪失(6)口唇・口蓋裂といった児への影響-の説明は,禁煙への強力な動機付けになる。歯周病患者では,予後改善や歯周病による全身性疾患予防にも禁煙が必要なことを説明,強い禁煙指導を行う。
術前・外科疾患:手術直前は禁煙指導の好機
海外では,喫煙者の術中合併症発生率は相対リスクで1.8倍,術後合併症(呼吸器)も 2 ~ 4 倍に上がること,その一方で術前の禁煙によって術後合併症が大きく減少することなどが報告されている。手術というイベントを控えた患者は,禁煙に対する動機が非常に高く,簡単な禁煙指導・治療で効果を上げられる可能性が高い。
診療科・対象別の治療指針盛り込む
ガイドライン作成に参加したのは日本口腔衛生学会,日本口腔外科学会,日本公衆衛生学会,日本呼吸器学会,日本産科婦人科学会,日本循環器学会,日本小児科学会,日本心臓病学会,日本肺癌学会(50音順)。
日本循環器学会の声かけで2003年 3 月から準備を開始。数回の研究会で意見を調整して,最終的に 9 学会の総意としてガイドラインを完成させた。前半は,エビデンスに基づく禁煙の意義や保健医療従事者が果たすべき役割などの総説。後半は各論として,疾患や対象別に推奨される禁煙治療の実際を解説した。禁煙の歴史や世界の動向,院内全面禁煙の実施例などもカバーしており,好煙家には耳の痛い,嫌煙家には膝を打つ内容になっている。
日本たばこ産業(株)(JT)の調査や同ガイドラインによると,わが国の喫煙率は成人男性47%,同女性13%。男性においては1966年の84%をピークにゆっくりながらも禁煙トレンドが拡大している。女性では高年齢層は減少,20~30歳代は増加傾向。深刻なのが低年齢層で,中学 1 年生の男子22%,女子16%に喫煙経験があるとされる。
日本の医師の喫煙率は海外の数倍
さて,喫煙による健康害から一般市民を守る立場にある保健医療従事者だが,喫煙率は一般に比べ低い。日本医師会の2004年調査では,医師の喫煙率は男性21.5%,女性5.4%で,2001年調査より減った。ただ,海外の医師喫煙率と比べるとまだお寒い数字だ(図)。
また,看護職の喫煙率は依然高い。日本看護協会の2001年調査によると,保健師では8.2%と低かったものの,助産師18.6%,看護師25.1%,准看護師33.6%(いずれも女性のみ)。しかもアンケートでは,「保健医療従事者であっても勤務時間外の喫煙は自由」などとする回答が「保健医療従事者として喫煙は好ましくない」とする回答を上回っており,喫煙による健康害への意識が低いことを裏づける結果となっている。
医療機関は敷地内禁煙の方向
一方,病院,診療所における禁煙推進はここ数年急速に拡大している。
日本循環器学会の調査によると,一般的な病院における全館禁煙の割合は,2002年度の 5 %に対し,2003年度は34%と急激に増えた。病院評価の(財)日本医療機能評価機構が,最新の病院認定評価基準(ver.5.0)に「全館禁煙」,「敷地内全面禁煙をより高く評価」という基準を取り入れたことも影響していると見られる。
今回の禁煙ガイドラインも,医療関係者の禁煙について 1 節を割いて,保健医療従事者の断煙の必要性を強調,「病院の売店でたばこを売らない」など,具体的な禁煙環境整備の方策を示した。「全面禁煙にすると入院患者が喫煙のために無断外出しかねない」,「精神科や薬物依存の病棟は例外」といった喫煙スペースを容認する意見に対しては,米国メイヨー・クリニックなどの例を引き,医療機関が「全面禁煙できない理由」を却下している。
喫煙を「疾患」とした意義
同ガイドラインは,公表前から新聞・テレビにも大きく紹介された。喫煙を「ニコチン依存性」と「喫煙による関連疾患」が合併する「喫煙病」と定義し,喫煙者を「治療すべき患者」と位置付けて,積極治療を促したためだ。
タイミングもよかった。厚生労働省は10月に発表した医療制度構造改革試案に,生活習慣病対策充実によって中長期的な医療費の伸びを抑制する方針を盛り込んだばかり。本体部分のマイナスが指示されている来年度の診療報酬改定にあっても,「禁煙治療」への新規加算は確保される見通しだ。
ただ,「喫煙病」という定義には,「結構な数の批判メールが来た」(藤原教授)という。
合同研究班が喫煙を疾患と位置付けたのは,たばこには本人がやめようと思ってもやめられない依存性があることによっている。「ニコチン依存には,アルコール中毒のように人格破壊を来したり,他人に暴力を振るったりということはない。だが知らないうちに身体をむしばみ,癌や動脈硬化を引き起こしている。しかも依存性が強く,1 回自分の意志で禁煙しても成功するのは 5 ~10%程度なのだから,積極的な治療で禁煙を支援する必要がある」と同教授。
禁煙ガイドラインは喫煙者を糾弾するものではない。むしろ,医療関係者が果たすべき役割を明確にし,意識の変革を求めるものだ。
同教授は「医師にとって,病気を持った患者という存在はなおしてあげなければならない対象。患者が『喫煙は個人の嗜好の問題』,『余計なお世話』と抵抗しても,ひるむことなく治療に臨むことができる。その変化を促すのがこのガイドラインだ」と力を込める。医学界の変化によってわが国における禁煙推進の動きは大きく加速した。禁煙ガイドラインは,国民の健康推進を担う医療従事者の行動指針と言える。
疾患・対象別,禁煙治療の進め方
ガイドライン各論で示された疾患・対象別の治療指針の要点をまとめる。
循環器疾患:ニコチン代替療法も許容
禁煙治療は,これまで禁煙に関心のなかった人が,急性心筋梗塞や脳卒中を起こして,ある日突然禁煙を迫られる点で他の疾患への介入と異なる。もともと禁煙意思のなかった患者では,病状の回復で安静度が解除されると再喫煙の可能性が高くなる。このため慢性安定期に的確で継続的な禁煙治療が行われているかどうかが重要になる。
治療では,カルテに一目でわかる喫煙状況の記載,外来でのフォローアップ,禁煙外来などが有効だ。わが国では急性期循環器疾患患者へのニコチン代替療法の使用は禁忌とされるが,パッチやガムによる血中ニコチン濃度はたばこより低く,米国では発症 2 週間以内の心筋梗塞や不整脈にも使用が認められている。急性期心筋梗塞,脳卒中,重篤な不整脈,不安定狭心症以外の循環器疾患に対しては慎重に使用して禁煙することが望ましい。
呼吸器疾患:高齢者にはガムよりパッチ
禁煙は,たばこを徐々に減らすよりも,突然すっぱりとやめるほうが成功率は高い。禁煙指導では,たばこは依存性薬物と患者に理解させ,たばこを中止したときのニコチン離脱症状への対処法を教えるとよい。
治療では,行動療法として呼気中CO濃度の測定,「肺年齢」の計算,フローボリューム曲線のパターン変化の提示などが,禁煙の動機付けだけでなく禁煙継続の自信になる。胸部X線撮影やCT検査の画像所見も患者のやる気の維持に有効だ。呼吸器疾患には高齢者が多いため,ニコチン代替療法にはガムよりパッチのほうが使いやすい。慢性閉塞性肺疾患(COPD)などに罹患しているのに喫煙している患者には,初めからニコチン代替療法を勧める。
女性・妊産婦:正確な情報提供だけでも動機付けに
妊娠したら禁煙しようと考える女性は多いが,喫煙が不妊や流産,死産,胎児奇形の発生に影響しているという情報は一般に知られていない。若年女性の場合にはこれらの情報の周知だけでも十分な禁煙の動機となりうる。妊婦の場合は,喫煙していてもしていないと答えるケースが少なくないため,正確な状況把握が必要になる。妊娠中のニコチン代替療法による禁煙治療はわが国では禁忌とされているが,たばこにはニコチン以外にも有害物質が多種類含まれていることから,喫煙回避のためのニコチン代替療法は考慮される価値がある。出産後の再喫煙防止に出産前後の指導も必要だ。
小児・青少年:若年ほど依存しやすい
小児の身体は成人に比べてたばこ中の発癌物質や有害物質から受けるダメージが大きい。喫煙開始年齢が低いほど心筋梗塞や癌などで若年死する率が著しく上昇する。ニコチン依存にもなりやすく,中学生前後の年齢では数週間から数か月の喫煙で禁煙が難しくなることがわかっている。学校での喫煙を見つけて叱責や謹慎処分とするだけでは禁煙指導としては不十分で,積極的な治療を行う必要があるが,この世代では本人に禁煙意思がないことがほとんどなため,禁煙に関心を持たせることが最大の課題となる。ニコチン代替療法では,親や学校も含めたサポートが望まれる。
歯科・口腔外科疾患:強力な指導介入を
喫煙による障害-(1)色素沈着や口臭などの審美的障害(2)唾液の性状や歯石,味覚異常(3)粘膜異常(4)抜歯後の治癒不全やインプラントの予後不良など治療への影響(5)歯周病や歯の喪失(6)口唇・口蓋裂といった児への影響-の説明は,禁煙への強力な動機付けになる。歯周病患者では,予後改善や歯周病による全身性疾患予防にも禁煙が必要なことを説明,強い禁煙指導を行う。
術前・外科疾患:手術直前は禁煙指導の好機
海外では,喫煙者の術中合併症発生率は相対リスクで1.8倍,術後合併症(呼吸器)も 2 ~ 4 倍に上がること,その一方で術前の禁煙によって術後合併症が大きく減少することなどが報告されている。手術というイベントを控えた患者は,禁煙に対する動機が非常に高く,簡単な禁煙指導・治療で効果を上げられる可能性が高い。