<短評>誤解を恐れずに言えば、青森で起きている悲喜劇は「福島にすらなれなかった」ことによるのではないか。青森の人は「事故が福島で良かった。福島で起きたから青森ではもう起きないだろう」と思っている。福島の人もかつては「チェルノブイリで良かった。福島では起きない」と思っていたし、チェルノブイリの人も「スリーマイルで良かった…」(01/22)
『この国はどこで間違えたのか 沖縄と福島から見えた日本』
http://www.tokuma.jp/book/tokumabooks/3053306e56fd306f3053959390553048305f306e304b
どこで間違えたのかと言うからには「間違えた」ことは自明との前提だが、現在のこの国の中枢(政官財学メディア)は「間違えていない」との認識で「成長戦略・原発再稼働・強い日本」という過去の幻想を追い求め続けている。
本書で言及されている一つのポイントは1972年(沖縄返還・日中国交)~1973年(オイルショック・ベトナム戦争終結)。1973年には名護市から「逆格差論」が提案された。
沖縄返還からの40年間は、団塊の世代(1945-50年生)が働きだして現役引退するまでとぴったり重なる。1972年:27~22歳 → 2012年:67~62歳。(蛇足だが、1972年には私は小学校4年生)
無論、福島第一原発1号機が運転開始し(1971年)、3機がメルトダウンを起こして4機が爆発する(2011年)までの40年間ともぴったり重なる。名護市の「逆格差論」は無視され、高度経済成長の終焉とバブル崩壊のあとも成長神話を追い求め続け、フクシマのカタストロフィから何も学ばずに「強い日本の復活」という過去の幻想を今また掲げる安倍政権。
司馬遼太郎は、日露戦争・ポーツマス条約を不服とする日比谷焼討事件(1905年9月5日)が、その後の十五年戦争(1931年満州事変~1945年太平洋戦争)へ突き進んでいく転機だったと何度も述べている。ここで民衆を煽って国家を滅ぼす道へ導いたのはメディア。
戦後も考え方や体質はほとんど変わらないまま、表面だけ民主主義に付け替えて経済成長、バブル崩壊、東日本震災・福島原発事故へと突き進んでしまった。日比谷焼討事件から今までずっと続くのは、本当の事を言わず、伝えず、隠したまま先送りしようとする体質。
『この国はどこで間違えたのか 沖縄と福島から見えた日本』
http://www.tokuma.jp/book/tokumabooks/3053306e56fd306f3053959390553048305f306e304b
どこで間違えたのかと言うからには「間違えた」ことは自明との前提だが、現在のこの国の中枢(政官財学メディア)は「間違えていない」との認識で「成長戦略・原発再稼働・強い日本」という過去の幻想を追い求め続けている。
本書で言及されている一つのポイントは1972年(沖縄返還・日中国交)~1973年(オイルショック・ベトナム戦争終結)。1973年には名護市から「逆格差論」が提案された。
沖縄返還からの40年間は、団塊の世代(1945-50年生)が働きだして現役引退するまでとぴったり重なる。1972年:27~22歳 → 2012年:67~62歳。(蛇足だが、1972年には私は小学校4年生)
無論、福島第一原発1号機が運転開始し(1971年)、3機がメルトダウンを起こして4機が爆発する(2011年)までの40年間ともぴったり重なる。名護市の「逆格差論」は無視され、高度経済成長の終焉とバブル崩壊のあとも成長神話を追い求め続け、フクシマのカタストロフィから何も学ばずに「強い日本の復活」という過去の幻想を今また掲げる安倍政権。
司馬遼太郎は、日露戦争・ポーツマス条約を不服とする日比谷焼討事件(1905年9月5日)が、その後の十五年戦争(1931年満州事変~1945年太平洋戦争)へ突き進んでいく転機だったと何度も述べている。ここで民衆を煽って国家を滅ぼす道へ導いたのはメディア。
戦後も考え方や体質はほとんど変わらないまま、表面だけ民主主義に付け替えて経済成長、バブル崩壊、東日本震災・福島原発事故へと突き進んでしまった。日比谷焼討事件から今までずっと続くのは、本当の事を言わず、伝えず、隠したまま先送りしようとする体質。