踊る小児科医のblog

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「チェルノブイリ・ハート」 異常が増えたことは間違いないとしても、85%という数字は本当なのか?

2011年08月23日 | 東日本大震災・原発事故
◎ チェルノブイリ・ハート
http://www.gocinema.jp/c-heart/

青森松竹アムゼ 10月15日~
シネマヴィレッジ8・イオン柏 11月4日~
フォーラム八戸 9月24日~
http://www.gocinema.jp/c-heart/theater/theater.html

県内では八戸が一番早く公開されるようです。
あまり気が進まないけど、一度見て確かめてみる必要はありそう。

こちらのブログには動画と抄訳が掲載されています。(動画はまだ見てません)

◎ チェルノブイリ・ハート 碌々(ろくろく)ブログ
http://lokulog.blog43.fc2.com/blog-entry-1328.html

問題の85%というのはゴメリ市の病院での数字。

>シーン10:ゴメリ市民産科病院
>医師によると、健常な赤ちゃんが生まれる率は15~20%。
>免疫系が弱く、生後病気になる子が多い。
>ベラルーシの乳児死亡率はヨーロッパ平均の3倍。

>チェルノブイリから80kmのゴメリは人口70万人。
>危険限度とされるレベルの40倍以上のセシウムで汚染されている。

このレベルはフクシマではどのあたりに相当するか。
ゴメリは一番汚染がひどかった地域と聞いていますが。

◎ チェルノブイリ原発事故 今中哲二
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/Henc.html

地図を見ると1-5Ci/km2の色分け。
ここでいつもわからなくなる。

1 Ci=3.7×10^10Bq=37GBq=370億Bq
1-5 Ci/km2
 =3.7-18.5×10^10 Bq/km2
 =37-185×10^3 Bq/m2
37-185 kBq/m2

◎ フクシマとチェルノブイリの比較(早川由紀夫の火山ブログ)
http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-375.html

この地図で、黄緑 37-185 kBq/m2(0.077-0.38 uSv/h)
移住権利区域の外

ゴメリの状況を福島や関東に単純にあてはめるわけにはいかないと思うが、ちょっと考えさせられる。。

この映画がとられた2002年の時点では、事故から16年で、親は子どもの時に被曝して、その後も汚染環境下で育った世代。
事故直後の被曝の影響が大きかったことは間違いないと思いますが、事故後の環境(外部+内部被曝)の影響がどの程度プラスされているのか。

他の地域はどうなのか、ベラルーシ全体ではどうなのかという疑問もあります。
地域の基幹病院だからハイリスク出産が多いことも想像できますが、実態はわかりません。
異常というのを、どういう所見まで含めているかによって数字は変わってくるかと思います。

いずれにせよ「80-85%が異常」というのは、普通の小児科医にはにわかには信じ難い、想像できない数字です。(普通の小児科医ではなく、福島事故の危険性を例外的に強く訴えている私でさえ=普通の小児科医は福島は大丈夫、外から不安を煽ったりしないで、みんなで支えようという雰囲気みたい)

描かれている事実を疑っているわけではなく、相当シビアな現実であることは間違いないと思うのですが、
もしそうなのであれば、既に映画化されてからかなり経つようですから、統計的なデータ、論文などが出ていれば、世界的に検討され議論されているはずだと思うのですが。
それもわかりません。(調べていないので知らないだけかも)

全頭検査済み「いわて和牛」の個体識別情報を検索をしてみたが… やはりセシウム濃度まではわからない

2011年08月22日 | 東日本大震災・原発事故
岩手県産肉牛が出荷停止になったのは8月1日。
今でもスーパーにはいわて牛がいっぱい売られています。
おそらくその前に出荷されたものでしょう。


和牛なんて滅多に買わないのですが…。
値引きはしてるけど元値はそんなに暴落してるようにも見えない。
(それとも前はもっと高かったのか)

全頭検査済みのシールも。
個体識別番号で検索してみました。

牛の個体識別情報検索サービス
https://www.id.nlbc.go.jp/top.html

個体識別番号 10桁を入力 0243477676



一関市(株)安愚楽牧場千厩牧場
ここは最近倒産したところだ…

と畜 H 23.07.20 紫波郡紫波町 (株)岩手畜産流通センター
やはり7月中に出荷されている

肝腎の原発事故が起きた時期に岩手県のどこにいたのか書いてない。
わざと隠しているわけではないと思うが。

全頭検査済みと言っても、個別にセシウム濃度が検索できるわけでもない。
例によって、1Bq/kgなのか499Bq/kgなのかは不明。
まあ、夫婦2人だけだから構わないが…。

福島原発事故後に考えたこと「まだ終わりではない 今度こそ終わりにする」(原稿まとめ・推敲前・長文)

2011年08月22日 | 東日本大震災・原発事故
(これまで分割して掲載してきた原稿をまとめてみました。青森県保険医協会の新聞用に書いたものですが、実際に掲載されるのはもっと短くなる予定です。)

■ まだ終わりではない 今度こそ終わりにする

 私たちはいつまで負け続けるつもりなのか。地震や津波にではなく、自分たちの社会に。
 福島原発事故で明らかになった構図は、あの戦争から始まって、原爆被爆者や水俣病、薬害エイズ、タバコ病、原発・核燃問題まで何度も繰り返され、何度も見せられてきた構図そのものでした。

● 3月15日の黒い雨 2011年のチェルノブイリ逃避行

「あれは大本営発表だ。真実は後から明らかになる」
 確たる根拠もないまま電話で息子にそう断言して、茨城県南部から避難させたのは3月15日。朝から2号機圧力抑制室で爆発があり、4号機も爆発したようだが情報錯綜。風向きは真っ直ぐに東京に向かっている最悪の状況。まさか自分の子どもがチェルノブイリの時のように放射能から逃げ惑うことになるとは想像すらしてませんでした。前日から避難を呼びかけていたのですが、タイミングを逸してしまった。
 結局、その日の最終便で青森に逃れたのですが、高濃度の放射能プルームが到来する中、移動するには一番悪い日になってしまった。結果論としては次の日まで待った方が良かったのですが、原子炉の内部で最悪の事態が進行している可能性が高いことに加えて、1日待てば放射能汚染を隠し通すことができなくなり、東京がパニックになって逃げ出すことが難しくなると予想されたため、マスクをしながらの強行突破を選択したのでした。
 この予想の前段については、現場の作業員の方たちの努力もあって水蒸気爆発までは起こさずに済んだものの、3機でメルトダウンが進行し、3月21日の大放出(おそらく再臨界と爆発)と関東への最大の汚染に繋がった経緯から判断して、この日の選択はやむを得ないものと考えています。しかし、一般の方よりも少しは知識があったはずなのに、適切に行動することができなかったという忸怩たる思いは今でも残っています。
 不思議だったのは、この予想の後段については大きく外れて東京の街も駅も平静を保ち、計画停電騒ぎばかりが報道されている光景だったことです。
 そして「運命の風向き」はこの日の午後から飯舘村、福島市方面へと向かい、夜には黒い雨ではなく白い雪が降って何十年も消し去ることのできない汚染を残しました。
 もしそのままの風向きが続いたなら、40万都市のいわきだけでなく、茨城県から東京にかけて現在の福島県と同じような状況になっていたことでしょう。情報のないまま放射能に曝された福島の人たち、特にお母さん方の怒り、悲しみ、自責の念の何分の一かは自分自身の痛みとして感じているつもりです。
 この日から、実際には何もすることもできないまま、フクシマから目が離せなくなって5ヶ月が過ぎてしまいました。

(なお、放射能を持つ放射性物質と、放射能という性質そのものは科学的には書き分けられるべきと思いますが、日本語表現として定着しているだけでなく、より本質を表現できるものと考え、ここでは両者を合わせて放射能と表現しています。放射能プルームも学術的には放射性プルームと表現するのが正しいようですが、あえて前者を選びました。)

● 新型インフルエンザと福島原発事故

 それにしても、どうして3月15日に東京は大騒ぎにならず、2009年の新型インフルエンザのときには過剰とも言える反応を引き起こしたのか。何ヶ月も考えて続けていたのですが、答えは実に簡単なものでした。
 多くの国民が政府やマスコミの言うことを信じてしまったからだと思われます。正確な情報が伝えられなかったために、適切な対策や行動をとることができなかった。
 新型インフルエンザは最初の1週間の情報、特に米国の高校における流行と収束状況で、強毒性ではないことは明らかでした。しかし、日本だけが「新型」の法律を適用して過剰な対策を続けたため、医療者には過大な負担を強いて、国民には恐怖心を植え付けました。
 この時の対策は明らかに過剰でしたが、2つの点で正しい行動でした。一つには、政府が法律に基づいた対策をとったこと。二つ目は、状況がわかるまで予防的に対策をとり、その後で緩めるという原則に基づいていたことです。結果的に、世界でも最も低い死亡率に抑えることができ、国民の命は守られました。
 そして、今回の福島原発事故では、この2つの点で政府は新型インフルエンザのときと全く正反対の行動をとりました。SPEEDIの情報を知らせなかったこと、基準値を20mSvへ一気に20倍も引き上げたことなどは、法律違反であるだけでなく、まず安全を確保して状況に応じて緩めるという予防原則に反し、国民の命をないがしろにする対策でした。当然、責任者は法に基づいて裁かれるべきです。
 福島だけでなく全国の子どもたちは、この国の政府が自分たちの命を最優先にしてくれていないことを実感しています。大人の一人として情けなく申し訳ない気持ちで一杯です。

● 原子力政策の根本的転換が可能になる3つのケース

 従来から言われていた3つの可能性として、一番目は知事選や国政選挙、あるいは国民投票などの民主的手段によって政策転換が起こるケース。
 しかし、これは過去数十年にわたる国と電力業界による原発・核燃マネーの集中投下によって、特に青森県では根治不可能な癌のように自治体財政や経済・雇用、市民活動など県民生活の隅々にまで依存体質が浸透し、自力で抜け出すことは絶望的な状況にありました。
 二番目は経済的効果から撤退を選ぶケース。実際に2004年には経産省官僚、河野太郎氏、飯田哲也氏らによって機運が高まり、特に核燃料サイクル政策は建設費用に加えて今後必要となる膨大な費用が絶対にペイしないことから「戦艦大和の出撃」にたとえられ、誰が考えても撤退を選択するしかあり得ないと期待しました。この時に、実質的に撤退を望んでいた東京電力の勝俣社長(現会長)の有名な「産道に入った赤ん坊は戻せない」という敗戦の弁は、路線の修正が不可能となり福島原発事故へと突き進んでいった現状を予告するものと言えました。
 この2004年のチャンスを逃した後は、再処理工場がトラブル続きで操業の見通しが立たない状態に陥っていたため、このまま再処理工場本稼働だけでも阻止できれば良いかという消極的な姿勢になっていたことは否めません。まさか第三のケースがすぐに起こるという現実的な想像力が持てなかった。
 その三番目が、原発過酷事故が現実に起こってしまう最悪のケース。これだけは何としても避けたかった。もし起きてしまったら、今回のように取り返しのつかない被曝と汚染が生じ、多くの国民の健康や命だけでなく、生活も土地も奪われてしまう。それがわかっていたのに、しっかりと声を上げて反対することができなかった。「知らないよりも知っていて何もしない方が罪は重い」という自責の念をぬぐい去ることはできません。
 もしこの第三の破局的事故が起きてしまえば、議論するまでもなく全面撤退せざるを得ない。その構図は明らかであっても、決してあってはならないケースでした。
 そして、それが福島で現実のものとなったいま、何が起こっているか。瀕死の重傷を負ったはずの恐竜が、謝罪も反省もないまま原発・核燃政策を押し通そうとして再び立ち上がり、牙をむき出しにして襲いかかってきているという信じ難い光景です。
 この恐竜の息の根を止めるためには、どれだけの犠牲が必要なのか。

● いまは戦時下 「日本は一つ」ではない

 「3月11日を境に世界は変わった」と小出裕章先生(京都大学)は言い続けています。
 あの日から5ヶ月が過ぎて、これだけの取り返しのつかない事態を経験した日本人、日本社会は、あの敗戦の時のように全ての事実をさらけ出し、必然的に変わらざるを得ないものと誰もが思ったはずです。
 実際に、原子力ムラと言われる政官学財+マスコミによる強固な壁の内側で、巨額のマネーに裏打ちされた原子力政策が、民主主義とはかけ離れた世界で押し進められてきた実態が白日の下に曝されました。
 しかし現実には、5ヶ月経っても表面的には何も変わっていないだけでなく、むしろ悪い方向に向かっているのではないかと危惧される面もあります。特に福島県内では、家族や友人の間でも放射線の影響について自由にものが言えない雰囲気が強まりつつあると一部で伝えられています。
 そして、未だに敗戦を認めようとせず、戦艦大和の出撃を図ろうとする勢力は依然として強大であり、全面的な政策転換までにはいくつもの山を越えなければならないでしょう。今が8月16日だと思っていたら、実はまだ8月7日だったというのが現実です。
 日本はいま「内戦状態」(群馬大学・早川由紀夫教授)にあります。決して「日本は一つ」ではありません。その認識があるかないかで二極分化が進みつつあります。
 子どもを放射線被曝から守ろうとする人たちと、健康に影響はないと主張する人たち。放射能汚染を封じ込めようとする人たちと、拡散させようとする人たち。食物の基準値を引き下げようとする人たちと、基準値以下なら安全と出荷する人たち。命と環境を第一に考える人たちと、経済や財政を第一に考える人たち。新たに目覚めた母親や若者と、既得権益を守ろうとする老人。女性的思考と、男性的思考。ネットを活用している人たちと、テレビや新聞などの既存メディアしか見ていない人たち。そして、脱原発を訴える人たちと、原発を維持し再稼働させようとする人たち。
 泊原発の再稼働を北海道知事が認めたように、変化よりも揺り戻しの方が目につき、楽観論よりも悲観論の方に傾いてしまいがちです。しかし、実際には人々の心の中での変革は大きく進んでいるはずなのに、それを現実が受け止めることができていないと解釈するのが正しいように思われます。
 この現実を市民の側からどう作り上げていくか。

● 「チェルノブイリほどではない」と言っていた方へ

 事故後の早い時期から、放射性物質の総放出量がチェルノブイリの10分の1以上に達するという海外機関の推計値が伝えられ、私たちもレベル5のスリーマイルをはるかに超えることは確実で、チェルノブイリに迫る可能性があると考えて避難を呼びかけたりしていました。その一方で、チェルノブイリとは事故の質も放出量も全く違うから心配ないと主張した人たちが、御用学者だけでなく、医師・歯科医師のコミュニティにも相当数いたことに驚かされました。
 6月に八戸市と青森市でも講演された小出先生は、原爆の日に「福島の事故で広島原爆の100発分のセシウム137が大気中にばら撒かれた。汚染水中におそらくそれ以上」と説明しています。4月になってようやくレベル7を宣言した時に、総放出量は初期の数日間で大気中にヨウ素換算で77万テラベクレル、汚染水に72万ベクレルであり、これはチェルノブイリの520万テラベクレルの7分の1程度と推計されました。(テラ=兆)
 大気への放出量は4月の時点で毎時1テラベクレル、7月の発表でも、3月のピーク時の毎時2千テラベクレルと比べて200万分の1に減ったとはいえ、毎時10億ベクレル(1日240億ベクレル)もの膨大な放射能が放出され続けています。総放出量がどこまで増えたかは発表されていません。
 しかも、事故後に風向きを毎日チェックし続けた概算では、大気中に出た9割は太平洋上に拡散したはずで、残りの1割で福島だけでなく広い範囲の深刻な汚染が引き起こされたのです。もしこれが敦賀や柏崎だったら、名古屋や東京を放棄しなくてはいけない程の被害が生じていたことは想像に難くありません。
 福島県内では、土壌中のセシウム濃度がチェルノブイリの移住権利地域に相当するところで、子どもを含む多数の国民が生活していますが、政府がこれ以上避難区域を拡大することは期待できず、むしろ帰住を進める政策に転換しているのが現実です。
 群馬大の早川由紀夫教授(火山学)によると、フクシマの汚染は面積でチェルノブイリの半分、人口は2~4倍に相当するということです。
 国民の命ではなく原子力業界の延命を優先して、現実を直視せず事故を過小評価し、補償費用が青天井となることを恐れて避難区域を制限してきたこの国の政府は、共産主義ソ連と全く同じか、それ以下であると言っても過言ではありません。

● 山下俊一・福島県立医大副学長がひそかに自説を1/10に訂正 それでも10μSv/hは高すぎる!

 こんなことが許されても良いものでしょうか。事故直後に福島県民に向かって「毎時100μSvでも子どもが外で遊んでも大丈夫」と強調していた張本人が、福島県のHPでこっそりと毎時10μSvの誤りだったと訂正していたことがわかりました。(毎時10μSv=年間88mSvに相当)
 その言葉を一時的にせよ信じてしまった母親から怨嗟の声が伝わってきています。
 ジャーナリストの広瀬隆氏・明石昇二郎氏が山下教授ら数名を刑事告発しましたが、これもその罪状を裏付ける有力な証拠になるでしょう。
 低線量被曝にどこまでなら安全という線引きはできませんが、これまで得た情報などから、内部被曝を考慮しないで、環境の放射線量が毎時0.3μSvなら広範囲の除染が必要、放射線管理区域に相当する毎時0.6μSvでは除染よりも前に子どもの避難を優先させて欲しいと考えています。
 毎時1μSv以上のところにも子どもが生活している現状を何とかしなくていけないと思うのですが、次の首相が誰になろうと動かすことは困難なのが現実です。せめて自主避難者への補償を制度化すれば、避難者が相当数増えることは間違いありません。
 文部科学省が当初設定した毎時3.8μSvは、ジャーナリストの広河隆一氏によると、チェルノブイリに隣接する死の街プリピャチの現在の放射線量とほぼ同じだということです。
 山下教授が訂正した「100」はもちろん「10」などという線量がどれほど高いものか、私も当初は数字を見て判断することができなかっただけに、お母さん方の怒りと悲しみ、「知っていたら子どもを被曝から守ることができたのに」という自責の念は当然のこととして理解できます。
 福島県立医大だけでなく、この状況を放置し、むしろ支持してきた日本の医学界の責任が問われています。国民の医療、医師を見る目は厳しく、信頼は失墜していると感じているのですが、さほど重大にとらえていない医師・歯科医師が多いように思われ、非常な違和感を覚えています。

● 原爆とフクシマ 青空と希望をいま

 参謀本部は長崎原爆の情報を5時間前に察知していたが空襲警報は発令されず、警報が出ていれば助かったはずの市民が多数犠牲になりました。福島原発事故で政府はSPEEDIの放射能拡散情報を把握していたのに、意図的に発表せず隠蔽し、多数の国民、特に子どもたちが無用の被曝を余儀なくされました。
 私たちは戦後66年もかけて、民主主義という隠れ蓑の下で、あの戦争のときと全く同じ構図を作り上げ、同じ過ちを繰り返してしまったようです。
 震災後に少しでも事故の危険性を伝えようとすると、「不安を煽るな」「風評被害を拡散させている」という非難が飛んできて非国民扱いを受けるという異常な状況に対して、藤波心ちゃんという14歳のアイドルが率直な意見をブログに書き連ねて、多くの人に感動を与えました。
 今度こそ日本が新しい社会に生まれ変わることができるのでしょうか。また同じことを繰り返すのではないかという疑念を振り払うことができません。戦後の焼け野原には何もないけれど青空と希望があったと聞いています。青空や美しい国土が放射能で汚染されてしまったいま、彼女たちの世代に大きな負の遺産だけでなく、少しでも希望を持つことができる社会をつくり引き継いでいく義務が私たち大人には課せられているはずです。

● 白米の基準値は5Bq/kgに引き下げを

 今後は食品からの内部被曝対策が中心になり、長期にわたる対策が必要になってくるものと思われます。特に主食の米と、三陸の海産物について注意が必要と考えられます。
 政府は全ての食品について、暫定基準値500Bq/kgを超えていなければ「安全」と称して市場に出回らせていますが、それでは1Bq/kgなのか499Bq/kgなのか区別がつかず、かえって「風評被害」を拡大させる結果になっています。特に子どもには厳格な基準値が必要です。
 主食の米に500Bq/kgを適用してはいけません。核実験時のセシウム濃度を見ても、ピークの1963年で平均4Bq/kgであり、最大で10Bq/kgは超えていません。大潟村あきたこまち生産者協会は基準値を5Bq/kgにすると発表しています。ウクライナはパン20Bq/kg、ドイツは全ての食品で大人8Bq/kg、子ども4Bq/kgが基準です。
 総合すると、子どもの給食に使う白米は5Bq/kg未満のものに限定すべきです。500Bq/kgを超えなければ混ぜてわからなくなってしまう現在の体制を早急に変えないと、コメ不安が一気に拡大することは間違いありません。

● 最低か最悪か 「ポスト管」政局を憂う

 ここで政局のゴタゴタについて触れるつもりはありません。医師・歯科医師の間だけでなく、国民一人一人に考え方の違いがあるのも当然のことです。しかし、原発震災という現実を受けて首相が交代するという重大な局面に、有権者である国民が何の影響力も行使できない状況にあることを憂えています。
 現状で、次の政権が民主党単独になるか大連立になるかわかりませんが、このまま何も声を上げずにいたら、1)脱原発つぶし・原発延命・東電救済、2)復興増税・消費増税、3)社会保障費削減という路線になる可能性が高いことは、多くの国民が感じ取っているところです。
 かと言って、民主・自民の二大政党が脱原発を望む国民の受け皿になり得ない状況では、脱原発を争点とした総選挙は望ましくないし、実現する可能性も低いでしょう。
 原発事故直後の最も大切な時期に、情報を隠して伝えず、子どもに不要な被曝を強いた菅首相や枝野官房長官の責任は重く、退陣は当然であり、いずれは司法の場で裁かれるべきと考えています。
 しかし、国民を見捨てた「最低」首相の後釜が、これまで原発・核燃推進路線を暴走させ、福島の人たちの故郷を奪って苦境に陥らせたことへの深刻な反省も謝罪もないまま、原発再稼働へ突き進んでいる自民党や民主党新自由主義者の「最悪」政権になることだけは何としても避けたい。マスコミも「原発大本営報道」への反省もなく、菅おろし政局に加担しているだけで、問題意識が感じられません。
 いま、脱原発を訴える人の一部で菅総理を最後まで支えようという声が上がっていますが、これは首相交代までに脱原発・再生可能エネルギー路線への転換をできるだけ進めておきたいという願いからくるもので、決して管政権を支持したり再選を願うものではありません。
「第三の敗戦」という言葉が使われています。子どもや孫の世代に対して、いま35歳以上の大人は、たとえこれまで原発や核燃サイクル政策に反対してきたからと言って、現在の深刻な状況を招いたことへの責任を免れることはできません。
 毎日の報道を見ていると、希望よりも悲観の方に気持ちが傾いていくことは否めませんが、いま動かなくて一体いつ動くのでしょうか。
 この原稿を書いている時点で、首相退陣の時期や次期首相候補、政権構想、主要政策などの姿は見えてきておりませんが、この夏から秋にかけて、子どもたちが将来に希望を持てる社会に生まれ変わることができるかどうか、私たち一人一人が問われていることは間違いありません。

● 青森県はどうやって生き残るのか

 今後、核燃マネーに大きく依存している青森県の財政、経済、雇用をどうするのか、脱核燃マネー依存のプロセスを県民全体で早急に考え、取り組む必要があるはずです。
 本来であれば無責任に原発・核燃に全てを賭してしまった推進側が考えるべき問題なのですが、県内の原子力施設を全て止めるためには、セットにして提示しないと何も動かないというのが現実です。
 経済・財政の知識は全くありませんが、思いつくままに列記してみました。たたき台として議論の材料にしてみて下さい。
1)10年程度限定で国が激変緩和措置をとる(毎年10%削減)
2)新エネルギー(LNG火力や再生可能エネルギーなど)建設・稼働による雇用
3)一次産業・観光の振興(下北を自然+エネルギーの観光拠点に)
4)新たな産業の誘致や起業、高齢化社会対応産業(介護福祉関連など)
5)原子力施設・使用済み燃料・高レベル廃棄物の安全な管理と核燃料税の確保
6)原発・原子力施設の廃炉解体作業
7)震災復興に伴う土木・建築工事
8)福島や周辺地域の放射能除染作業
9)福島第一原発事故収束作業、放射性廃棄物処理作業
ボツ)高レベル廃棄物の最終処分場に立候補する:下北は断層だらけで適していない。長期の雇用は望めない。原子力半島下北から脱却できない(観光イメージダウン)。原子力依存(経済と県民の心)から脱却できない。

● 県民一人一人が参加できるネットワークづくりを

 ここにいくら政府の批判を書き連ねてみても、診察室に座っているだけでは現実は何も変わりません。
 すでに世論調査では約7割の国民が脱原発を望んでいます。また、程度の差はあれ原子力政策の転換が進むことは必然であり、青森県は大きな痛みを伴う変革に迫られるはずですが、県や知事、県議会任せにしていては良い方向には進むことは期待できません。
 タイムズ誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた南相馬市の桜井市長は、「札束で顔をたたくやり方は人間性を喪失させる」「原発事故は人間の価値観、生き方を問い直す機会だ」と述べ、交付金・補助金頼みの地域振興との決別を呼び掛けています。
 県内でも事故後に新たにこの問題に関心を持った方が多数いるはずで、県民一人一人の声を繋いでいき、現実の動きに変えていくことがいま求められています。一般の県民にとって従来の反核団体には抵抗感があり、潜在的な声の受け皿として、制約のない自由でフラットなネットワークをつくって広く呼びかけていくことが必要です。環境部が中心となって準備を進めているところです。
 また、県内では直接・間接的に原子力関連産業と繋がりのある人だけでなく、旧来の企業や組織の枠組みの中で、誰もが個人で発言して行動していくことは簡単ではありません。その中で、インターネットのフェイスブックという新しいソーシャルメディアを使って、脱原発に限定せずに実名で参加してコミュニケーションできる「ポスト311あおもりフォーラム」というグループをつくってみました。試行的な取り組みであり、どのように活用されるかは参加者次第です。一度アクセスしてみて下さい。
http://www.facebook.com/groups/311aomori/

ポスト311あおもりフォーラム(Facebook)のお誘い 311後の新しい青森は? 原子力施設は? 拡散希望

2011年08月21日 | 東日本大震災・原発事故
「ポスト311あおもりフォーラム」(Facebookグループ)へのお誘い
http://www.facebook.com/groups/311aomori/

試行的な取り組みですが、Facebookに新たなグループをつくってみました。趣旨は下記の紹介文をご覧下さい。ご参加をお待ちしております。私は友達が少ないので皆さんから県内のお友達に更に転送して紹介してもらえると嬉しいです。(チェーンメールではありませんが、青森県内でFBを利用している多くの方にお知らせが届けばと希望します。この文章をそのまま転送してもらって構いません。)

学生さん、主婦、農家、漁師、会社員、公務員など様々な立場の方にご参加いただければと希望します(できれば原子力産業に関わる方にも参加してもらえると嬉しいです)。特定の政治運動を目的としたグループではありませんので、個人での参加に社会的な問題は生じません。

久芳康朗(八戸市) Kuba Yasuro

(以下はグループの紹介です)
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 3.11後の青森について、特に県内の原子力施設の今後や、エネルギー・環境問題、子どもを放射能汚染から守ること、新しい青森県のあり方、青森県民の生き方などについて、自治体や議会、メディアなどに任せきりにせず、一人一人の県民の立場から、自由に情報や意見を交換していきませんか。
 従来の団体や職業的立場などにとらわれずに、脱原発を求める方だけでなく、これまで安全を条件に容認されていた方、今回初めて関心を持たれた方など、どなたでもご参加いただけます。
 Facebookのプロフィールで実名、居住地等を管理人が判断できる程度に公開されている方ならすぐに承認いたします。青森県民に限定せず、青森県出身者やゆかりのある方など、どなたでも歓迎いたしますので、ご参加をお待ちしております。
 現在、公開グループに設定していますので、参加者と投稿内容は公開されます。非公開を望む方が多い場合は検討しますのでご意見をいただければ幸いです。
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<ここからは個人的なつぶやきです。>
 私自身は脱原発・核燃サイクルの早期中止を望んでいます。また、このグループも、私の所属する医療団体(青森県保険医協会環境部)の中で、従来の団体に属さないで事故後に脱原発を願う県民の受け皿となることを検討していく中から提起されたものですが、このグループでは少し目的が変わっています。
 現実問題として、エネルギー問題や産業・雇用問題、県庁や県議会などを含めた社会全体の大きな枠組みの中で考えないと、これまでの反対運動の繰り返しで何も進まない可能性が高い。また、これまで推進派や中間的立場だった方も、福島の事故後に今後のあり方について様々なお考えがあろうかと思います。
 一般の市民と県内の各界で活躍されている方とが、同じプラットフォームで、フラットな関係で語り合える場ができて、もし可能ならその中で一つの流れが自然に生まれて、現実の動きに繋がっていければいいなと願って、「脱原発に限定しない」自由なフォーラムをつくってみようと考えました。(上記団体としてではなく私個人での呼びかけです)
 どのように活用していただくかは参加される皆さん次第です。
 「食料自給率100%(達成済み)と原発抜きのエネルギー自給率100%」が達成できれば、豊かな自然と安全な食資源に恵まれた青森県は、県民が最も幸せに暮らせる県になれるはずです。
 よろしくお願いします。この部分まで転送していただいて構いません。

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県民一人一人が参加できるネットワークづくりを

2011年08月21日 | 東日本大震災・原発事故
 ここにいくら政府の批判を書き連ねてみても、診察室に座っているだけでは現実は何も変わりません。

 すでに世論調査では約7割の国民が脱原発を望んでいます。また、程度の差はあれ原子力政策の転換が進むことは必然であり、青森県は大きな痛みを伴う変革に迫られるはずですが、県や知事、県議会任せにしていては良い方向には進むことは期待できません。

 タイムズ誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた南相馬市の桜井市長は、「札束で顔をたたくやり方は人間性を喪失させる」「原発事故は人間の価値観、生き方を問い直す機会だ」と述べ、交付金・補助金頼みの地域振興との決別を呼び掛けています。

 県内でも事故後に新たにこの問題に関心を持った方が多数いるはずで、県民一人一人の声を繋いでいき、現実の動きに変えていくことがいま求められています。一般の県民にとって従来の反核団体には抵抗感があり、潜在的な声の受け皿として、制約のない自由でフラットなネットワークをつくって広く呼びかけていくことが必要です。環境部が中心となって準備を進めているところです。

 また、県内では直接・間接的に原子力関連産業と繋がりのある人だけでなく、旧来の企業や組織の枠組みの中で、誰もが個人で発言して行動していくことは簡単ではありません。その中で、インターネットのフェイスブックという新しいソーシャルメディアを使って、脱原発に限定せずに実名で参加してコミュニケーションできる「ポスト311あおもりフォーラム」というグループをつくってみました。試行的な取り組みであり、どのように活用されるかは参加者次第です。一度アクセスしてみて下さい。
http://www.facebook.com/groups/311aomori/

青森県はどうやって生き残るのか

2011年08月21日 | 東日本大震災・原発事故
 今後、核燃マネーに大きく依存している青森県の財政、経済、雇用をどうするのか、脱核燃マネー依存のプロセスを県民全体で早急に考え、取り組む必要があるはずです。

 本来であれば無責任に原発・核燃に全てを賭してしまった推進側が考えるべき問題なのですが、県内の原子力施設を全て止めるためには、セットにして提示しないと何も動かないというのが現実です。

 経済・財政の知識は全くありませんが、思いつくままに列記してみました。たたき台として議論の材料にしてみて下さい。

1)10年程度限定で国が激変緩和措置をとる(毎年10%削減)
2)新エネルギー(LNG火力や再生可能エネルギーなど)建設・稼働による雇用
3)一次産業・観光の振興(下北を自然+エネルギーの観光拠点に)
4)新たな産業の誘致や起業、高齢化社会対応産業(介護福祉関連など)
5)原子力施設・使用済み燃料・高レベル廃棄物の安全な管理と核燃料税の確保
6)原発・原子力施設の廃炉解体作業
7)震災復興に伴う土木・建築工事
8)福島や周辺地域の放射能除染作業
9)福島第一原発事故収束作業、放射性廃棄物処理作業

ボツ)高レベル廃棄物の最終処分場に立候補する:下北は断層だらけで適していない。長期の雇用は望めない。原子力半島下北から脱却できない(観光イメージダウン)。原子力依存(経済と県民の心)から脱却できない。

白米の基準値(放射性セシウム)は子どもで5Bq/kgに引き下げを 500未満の米を混ぜればコメ危機に!

2011年08月21日 | 東日本大震災・原発事故
 今後は食品からの内部被曝対策が中心になり、長期にわたる対策が必要になってくるものと思われます。特に主食の米と、三陸の海産物について注意が必要と考えられます。

 政府は全ての食品について、暫定基準値500Bq/kgを超えていなければ「安全」と称して市場に出回らせていますが、それでは1Bq/kgなのか499Bq/kgなのか区別がつかず、かえって「風評被害」を拡大させる結果になっています。特に子どもには厳格な基準値が必要です。

 主食の米に500Bq/kgを適用してはいけません。核実験時のセシウム濃度を見ても、ピークの1963年で平均4Bq/kgであり、最大で10Bq/kgは超えていません。大潟村あきたこまち生産者協会は基準値を5Bq/kgにすると発表しています。ウクライナはパン20Bq/kg、ドイツは全ての食品で大人8Bq/kg、子ども4Bq/kgが基準です。

 総合すると、子どもの給食に使う白米は5Bq/kg未満のものに限定すべきです。500Bq/kgを超えなければ混ぜてわからなくなってしまう現在の体制を早急に変えないと、コメ不安が一気に拡大することは間違いありません。

八戸市議会議員への要請 給食の放射能汚染対策:米・魚・牛乳・きのこ 脱核燃マネー依存の青森を

2011年08月18日 | 東日本大震災・原発事故
2011年8月19日 八戸市議会議員各位

食品の放射能汚染、特に給食の安全について十分な対策をお願いします

本日は議員の皆様にご出席いただき直接お話しできる機会にも関わらず、残念ながら都合により欠席させていただきます。代わりに書面で要請させていただく非礼をお許し下さい。今回はタバコ問題ではなく、現在喫緊の課題である子どもを放射能汚染から守ることについて要望させていただき、ご意見をいただければと希望いたします。

7月の時点で、東京電力は環境中に放射性物質を毎時10億ベクレル、1日あたり240億ベクレルも放出していることを公表しました。これはピーク時の3月15日の毎時2000兆ベクレルから200万分の1に減少したとは言え、未だに事故が収束したわけではなく深刻な放出が続いていることを示すものです。

1)八戸市内の放射線量は、市内各地で計測してもほぼ0.04-0.06μSv/h程度となっており、事故前との比較はできませんが関東などと比べても低いレベルにあるようです(機種:DoseRAE2)。今後のためにも、全小中学校の校庭、側溝、花壇、通学路等の放射線量の測定を行って公表し、定期的にチェックして確認するようにして下さい。

2)今後は食品からの内部被曝対策が中心になり、長期にわたる対策が必要になってくるものと思われます。特に主食の米と、八戸の水産物について注意が必要と考えられます。

暫定基準値500Bq/kgは高過ぎます。政府は500Bq/kgを超えていなければ「安全」と称して市場に出回らせていますが、それでは1Bq/kgなのか499Bq/kgなのか区別がつかず、かえって“風評被害”を拡大させる結果になっています。特に子どもには厳格な基準値が必要です。(別紙資料1:諸外国の基準値を参照)

● 給食の食材について、産地、できれば生産者、放射性物質測定値のチェックを、全ての食材について定期的に行い公表するようにして下さい。今のところほぼ安全と考えられる青森県産を中心にするようにして下さい。南東北・北関東の食材は上記の理由から、基準値以下であっても子どもの給食には不安が大きいため、測定結果の詳細が示されない現状ではできるだけ避けるようにして下さい。

● 米 主食の米に暫定基準値500Bq/kgを適用してはいけません。別紙資料2に核実験時のセシウム濃度の推移が示されていますが、ピークの1963年で平均4Bq/kgであり、10Bq/kgは超えていません。大潟村あきたこまち生産者協会は基準値を5Bq/kgにすると発表しています。ウクライナはパン20Bq/kg、ドイツは全ての食品で大人8Bq/kg、子ども4Bq/kgが基準です。総合すると、子どもの給食に使う白米は5Bq/kg未満のものに限定すべきと考えます。青森県産米は5Bq/kg未満と予想されますが必ず確認して下さい。

● 魚 八戸漁港水揚げのサバ、イワシで7月から連続して10-20Bq/kg程度の放射性セシウムが検出されています(イカは複数回の検査で検出されず)。検査の回数や魚の種類が少な過ぎます。子どもの給食だけでなく、八戸市民の食の安全、八戸の水産業のためにも、できるだけ多くの水産物(海藻なども含む)で頻回に測定し、継続的に公表するようにして下さい。

● 牛乳 ほとんどのメーカーは測定値を公表していません。牛乳はブレンドしてつくられるので、原乳の中に比較的放射性物質の濃度の高いものがあっても、混ぜて薄められて基準以下になっている可能性があります。給食は青森県産の牛乳に限定して、測定値を定期的に公表するようにして下さい。

● きのこ 産直や市場などで直売されているキノコ類は、ほとんど検査がなされていないものと思われます。また、今後シーズンになって市民が直接とってきて食べる場合も同様です。県内や岩手県などの適当な場所でサンプリング調査をするようにして下さい。

3)青森県には下北半島に原子力施設が集中立地していて、建設中・計画中の施設も多数ありますが、福島原発事故を受けて、原子力政策が従来通りに進むことはあり得ません。

 六ヶ所、東通、大間の3施設は耐震性が450ガルしかなく、活断層についても危険性を指摘された活断層が「問題ない」と判断されていますが、同様に審査した福島や柏崎で活断層の変動による地震が起きており、再審査と耐震性強化がなければ再稼働や工事再開は認められません。福島では500ガル程度で津波の前に施設に損壊があったと吉田所長が答えています。柏崎では2007年の新潟県中越沖地震で2058ガルが記録がされています。

 核燃料サイクル施設(再処理工場や周辺施設)については、程度の差はあれ「脱原発」が進むことが確実となったいま、核燃料サイクル政策自体が中止となることはほぼ確実です。特に危険性の高い再処理工場は、早期の閉鎖と長期間の厳重な管理が必要です。

 今後、核燃マネーに大きく依存している青森県の財政、経済、雇用をどうするのか、脱核燃マネー依存のプロセスを県民全体で早急に考え、取り組む必要があるはずです。

 具体的には、LNG火力や再生可能エネルギーなどの代替エネルギー産業、原子力施設・廃棄物の維持管理、震災復興関連、福島の原発事故処理作業、放射能除染作業や処理作業、一次産業や観光業、新たな産業の誘致や起業、短期的な国による激変緩和措置などがあり得るかと思います。八戸市でも3.11後の市民の暮らし、生き方、考え方の転換が必要と考えられ、具体的な取り組みが求められます。

 Facebookで3.11後の青森について新たなディスカッションの場をつくってみたいと計画中ですので、是非ご参加下さい。

twitter @odorusyounikai
ポスト311あおもりフォーラム http://www.facebook.com/groups/311aomori/

原爆とフクシマ 青空と希望をいま

2011年08月18日 | 東日本大震災・原発事故
 参謀本部は長崎原爆の情報を5時間前に察知していたが空襲警報は発令されず、警報が出ていれば助かったはずの市民が多数犠牲になりました。福島原発事故で政府はSPEEDIの放射能拡散情報を把握していたのに、意図的に発表せず隠蔽し、多数の国民、特に子どもたちが無用の被曝を余儀なくされました。

 私たちは戦後66年もかけて、民主主義という隠れ蓑の下で、あの戦争のときと全く同じ構図を作り上げ、同じ過ちを繰り返してしまったようです。

 震災後に少しでも事故の危険性を伝えようとすると、「不安を煽るな」「風評被害を拡散させている」という非難が飛んできて非国民扱いを受けるという異常な状況に対して、藤波心ちゃんという14歳のアイドルが率直な意見をブログに書き連ねて、多くの人に感動を与えました。

 今度こそ日本が新しい社会に生まれ変わることができるのか、また同じことを繰り返してしまうのではないかという疑念を振り払うことができません。戦後の焼け野原には何もないけれど青空と希望があったと聞いています。青空や美しい国土が放射能で汚染されてしまったいま、彼女たちの世代に大きな負の遺産だけでなく、少しでも希望を持つことができる社会を作って引き継いでいく義務が私たち大人には課せられているはずです。

3月15日の黒い雨 2011年のチェルノブイリ逃避行

2011年08月18日 | 東日本大震災・原発事故
「あれは大本営発表だ。真実は後から明らかになる」

 確たる根拠もないまま電話で息子にそう断言し、茨城県南部から避難させたのは3月15日。朝方に圧力抑制室で爆発があり、風向きは東京に真っ直ぐ向かっている最悪の状況。まさか自分の子どもがチェルノブイリの時のように放射能から逃げ惑うことになるとは想像すらしてませんでした。前日から避難を呼びかけていたのですが、タイミングを逸してしまった。

 結局、その日の最終便で青森に逃れたのですが、高濃度の放射能プルームが到来する中、移動するには一番悪い日になってしまった。結果的には次の日まで待った方が良かったのですが、原子炉の内部で最悪の事態が進行している可能性が高いことに加えて、1日待てば放射能汚染を隠し通すことができなくなり、東京がパニックになって逃げ出すことが難しくなると予想されたため、マスクをしながらの強行突破を選択したのでした。

 この予想の前段については、現場の作業員の方たちの努力もあって水蒸気爆発は起こさずにすんだものの、3機でメルトダウンが進行し、3月21日の大放出(おそらく再臨界と爆発)と関東への最大の汚染へと繋がりました。この日の脱出はやむを得ない選択だったと考えていますが、ある程度の知識があったのに適切に行動することができなかったという気持ちは今でも残っています。

 ただし、予想の後段は大きく外れ、東京の駅も街も平静を保ち、計画停電騒ぎばかりが報道されている光景でした。

 そして、この日の午後から風向きが変わり、放射能プルームは飯舘村、福島市方面へと向かい、夜には黒い雨でなく白い雪が降り積もり、何十年も消し去ることのできない汚染を残しました。

 もしそのままの風向きが続いたなら、40万都市のいわきだけでなく、茨城県から東京にかけて現在の福島県と同じ状況になっていたことでしょう。情報のないまま放射能に曝された福島の人たち、特にお母さん方の怒り、悲しみ、自責の念の何分の一かは自分自身の痛みとして感じることができます。

 この日以来、実際には何もすることもできないまま、福島から目を離すことができなくなりました。

(なお、放射能を持つ放射性物質と、放射能という性質そのものは、科学的には書き分けられるべきと思いますが、日本語表現として定着しているだけでなく、より本質を表現できるものと考え、ここでは両者を合わせて放射能と表現しています。放射能プルームも学術的には放射性プルームと表現するのが正しいようですが、あえて前者を選びました。)

原子力政策の根本的転換が可能になる3つのケース 民主的手段 経済的効果 破局的事故

2011年08月18日 | 東日本大震災・原発事故
 従来から言われていた3つの可能性として、一番目は知事選や国政選挙、あるいは国民投票などの民主的手段によって政策転換が起こるケース。しかし、これは過去数十年にわたる国と電力業界による原発・核燃マネーの集中投下によって、特に青森県では根治不可能な癌のように、自治体財政や経済・雇用、あるいは市民活動など県民生活の隅々にまで依存体質が浸透し、自力で抜け出すことは絶望的な状況にありました。

 二番目は経済的効果から撤退を選ぶケース。実際に2004年には経産省官僚、河野太郎氏、飯田哲也氏らによって機運が高まり、特に核燃料サイクル政策は建設費用に加えて今後必要となる膨大な費用が絶対にペイしないことから「戦艦大和の出撃」にたとえられ、誰が考えても撤退を選択するしかあり得ないと期待しました。この時に、実質的に撤退を望んでいた東京電力の勝俣社長(現会長)の有名な「産道に入った赤ん坊は戻せない」という敗戦の弁は、路線の修正が不可能となり福島原発事故へと突き進んでいった現状を予告するものと言えました。

 この2004年のチャンスを逃した後は、再処理工場がトラブル続きで操業の見通しが立たない状態に陥っていたため、このまま再処理工場本稼働だけでも阻止できれば良いかという消極的な姿勢になっていたことは否めません。まさか第三のケースがすぐに起こるという現実的な想像力が持てなかった。

 その三番目が、原発過酷事故が現実に起こってしまう最悪のケース。これだけは何としても避けたかった。もし起きてしまったら、今回のように取り返しのつかない被曝と汚染が生じ、多くの国民の健康や命だけでなく、生活も土地も奪われてしまう。それがわかっていたのに、しっかりと声を上げて反対することができなかった。「知らないよりも知っていて何もしない方が罪は重い」という自責の念をぬぐい去ることはできません。

 もしこの第三の破局的事故が起きてしまえば、議論するまでもなく全面撤退せざるを得ない。その構図は明らかであっても、失うものが多すぎる決してあってはならないケースでした。

 そして、それが福島で現実のものとなってしまったいま、何が起こっているか。瀕死の重傷を負ったはずの恐竜が、謝罪も反省もないまま原発・核燃政策を押し通そうとして再び立ち上がり、牙をむき出しにして襲いかかってきているという信じ難い光景です。

 この恐竜の息の根を止めるためには、どれだけの犠牲が必要なのか。

いまは戦時下 「日本は一つ」ではない

2011年08月17日 | 東日本大震災・原発事故
 「3月11日を境に世界は変わった」と小出裕章先生(京都大学)は言い続けています。

 あの日から5ヶ月が過ぎて、これだけの取り返しのつかない事態を経験した日本人、日本社会は、あの敗戦の時のように全ての事実をさらけ出し、必然的に変わらざるを得ないものと誰もが思ったはずです。

 実際に、原子力ムラと言われる政官学財+マスコミによる強固な壁の内側で、巨額のマネーに裏打ちされた原子力政策が、民主主義とはかけ離れた世界で押し進められてきた実態が白日の下に曝されました。

 しかし現実には、5ヶ月経っても表面的には何も変わっていないだけでなく、むしろ悪い方向に向かっているのではないかと危惧される面もあります。特に福島県内では、家族や友人の間でも放射線の影響について自由にものが言えない雰囲気が強まりつつあると一部で伝えられています。

 そして、未だに敗戦を認めようとせず、戦艦大和(再処理工場・もんじゅ)の出撃を図ろうとする勢力は依然として強大であり、全面的な政策転換までにはいくつもの山を越えなければならないでしょう。8月16日だと思っていたら、実はまだ8月7日だったというのが現実です。

 日本はいま「内戦状態」(群馬大学・早川由紀夫教授)にあります。決して「日本は一つ」ではありません。その認識があるかないかで二極分化が進みつつあります。

 子どもを放射線被曝から守ろうとする人たちと、健康に影響はないと主張する人たち。放射能汚染を封じ込めようとする人たちと、拡散させようとする人たち。食物の基準値を引き下げようとする人たちと、基準値以下なら安全と出荷する人たち。命と環境を第一に考える人たちと、経済や財政を第一に考える人たち。新たに目覚めた母親や若者と、既得権益を守ろうとする老人。女性的思考と、男性的思考。ネットを活用している人たちと、テレビや新聞などの既存メディアしか見ていない人たち。そして、脱原発を訴える人たちと、原発を維持し再稼働させようとする人たち。

 泊原発の再稼働を北海道知事が認めたように、変化よりも揺り戻しの方が目につき、楽観論よりも悲観論の方に傾いてしまいがちです。しかし、実際には人々の心の中での変革は大きく進んでいるのに、それを現実が受け止めることができていないと解釈するのが正しいように思われます。

 この現実を市民の側からどう作り上げていくか。

山下俊一・福島県立医大副学長がひそかに自説を1/10に訂正 それでも10μSv/hは高すぎる!

2011年08月17日 | 東日本大震災・原発事故
 こんなことが許されても良いものでしょうか。事故直後に福島県民に向かって「毎時100μSvでも子どもが外で遊んでも大丈夫」と強調していた張本人が、福島県のHPでこっそりと毎時10μSvの誤りだったと訂正していたことがわかりました。(毎時10μSv=年間88mSvに相当)

 その言葉を一時的にせよ信じてしまった母親から怨嗟の声が伝わってきています。

 ジャーナリストの広瀬隆氏・明石昇二郎氏が山下教授ら数名を刑事告発しましたが、これもその罪状を裏付ける有力な証拠になるでしょう。

 低線量被曝にどこまでなら安全という線引きはできませんが、これまで得た情報などから、内部被曝を考慮しないで、環境の放射線量が毎時0.3μSvなら広範囲の除染が必要、放射線管理区域に相当する毎時0.6μSvでは除染よりも前に子どもの避難を優先させて欲しいと考えています。

 毎時1μSv以上のところにも子どもが生活している現状を何とかしなくていけないと思うのですが、次の首相が誰になろうと動かすことは困難なのが現実です。せめて自主避難者への補償を制度化すれば、避難者が相当数増えることは間違いありません。

 文部科学省が設定した毎時3.8μSvは、ジャーナリスト・広河隆一氏によると、チェルノブイリに隣接する死の街プリピャチの現在の放射線量とほぼ同じだとのことです。

 山下教授が訂正した「100」はもちろん「10」などという線量がどれほど高いものか、私も当初は数字を見て判断することができなかっただけに、お母さん方の怒りと悲しみ、「知っていたら子どもを被曝から守ることができたのに」という自責の念は当然のこととして理解できます。

 福島県立医大だけでなく、この状況を放置し、むしろ支持してきた日本の医学界の責任が問われています。国民の医療、医師を見る目は厳しく、信頼は失墜していると感じているのですが、さほど重大にとらえていない医師・歯科医師が多いように思われ、非常な違和感を覚えています。

福島県放射線健康リスク管理アドバイザーによる講演会
http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=23695
訂正:質疑応答の「100マイクロシーベルト/hを超さなければ健康に影響を及ぼさない」旨の発言は、「10マイクロシーベルト/hを超さなければ」の誤りであり、訂正し、お詫びを申し上げます。ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありません。

中村隆市ブログ 「風の便り」
山下教授が発言を訂正「100マイクロSVは、10マイクロSVの誤り」
http://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-5769

「チェルノブイリほどではない」と言っていた方へ 面積は半分、人口は2~4倍

2011年08月17日 | 東日本大震災・原発事故
 事故後の早い時期から、放射性物質の総放出量がチェルノブイリの10分の1以上に達するという海外機関の推計値が伝えられ、私たちもレベル5のスリーマイルをはるかに超えることは確実でチェルノブイリに迫る可能性があると考えて避難を呼びかけたりしていました。その一方で、チェルノブイリとは事故の質も放出量も全く違うから心配ないと主張した人たちが、御用学者だけでなく、医師・歯科医師のコミュニティにも相当数いたことに驚かされました。

 6月に八戸市と青森市でも講演された小出先生は、原爆の日に「福島の事故で広島原爆の100発分のセシウム137が大気中にばら撒かれた。汚染水中におそらくそれ以上」と説明しています。4月になってようやくレベル7を宣言した時に、総放出量は初期の数日間で大気中にヨウ素換算で77万テラベクレル、汚染水に72万ベクレルであり、これはチェルノブイリの520万テラベクレルの7分の1程度と推計されました。(テラ=兆)

 大気への放出量は4月の時点で毎時1テラベクレル、7月の発表でも、3月のピーク時の毎時2千テラベクレルから200万分の1に減ったとはいえ、毎時10億ベクレル(1日240億ベクレル)もの膨大な放射能が放出され続けています。総放出量がどこまで増えたかは発表されていません。

 しかも、事故後に風向きを毎日チェックし続けた概算では、大気中の9割は太平洋上に拡散したはずで、残りの1割で福島だけでなく広い範囲の深刻な汚染が引き起こされたのです。もしこれが敦賀や柏崎だったら、名古屋や東京を放棄しなくてはいけない程の被害が生じていたことは想像に難くありません。

 福島県内では、土壌中のセシウム濃度がチェルノブイリの移住権利地域に相当するところで、子どもを含む多数の国民が生活していますが、政府がこれ以上避難区域を拡大することは期待できず、むしろ帰住を進める政策に転換しているのが現実です。

 群馬大の早川由紀夫教授(火山学)によると、フクシマの汚染は面積でチェルノブイリの半分、人口は2~4倍に相当するということです。

 国民の命ではなく原子力業界の延命を優先して、現実を直視せず事故を過小評価し、補償費用が青天井となることを恐れて避難区域を制限してきたこの国の政府は、共産主義ソ連と全く同じか、それ以下であると言っても過言ではありません。

新型インフルエンザと福島原発事故 政府は全く正反対の行動をとった

2011年08月17日 | 東日本大震災・原発事故
 それにしても、どうして3月15日に東京は大騒ぎにならず、2009年の新型インフルエンザのときには過剰とも言える反応を引き起こしたのか。何ヶ月も考えて続けていたのですが、答えは実に簡単なものでした。

 多くの国民が政府やマスコミの言うことを信じてしまったからです。正確な情報が伝えられなかったために、的確な対策や行動をとることができなかった。

 新型インフルエンザは最初の1週間の情報、特にアメリカの高校における流行と収束状況で、強毒性ではないことは明らかでした。しかし、日本だけが「新型」の法律を適用して過剰な対策を続け、医療者には過大な負担を強いて、国民には恐怖心を植え付けました。この時の対策は明らかに過剰でしたが、2つの点で正しい行動でした。一つは、政府が法律に基づいた対策をとったこと。二つ目は、状況がわかるまで予防的に対策をとり、その後で緩めるという原則に基づいていたことです。結果的に、世界でも最も死亡率が低く抑えられ、国民の命は守られました。

 そして、今回の福島原発事故では、この2つの点で政府は新型インフルエンザのときと全く正反対の行動をとりました。SPEEDIの情報を知らせなかったこと、基準値を20mSvへ一気に20倍も引き上げたことなど、法律違反であるだけでなく、まず安全を確保して状況に応じて緩めるという予防原則に反し、国民の命をないがしろにする対策でした。当然、責任者は法に基づいて裁かれるべきです。

 福島だけでなく全国の子どもたちは、この国が自分たちの命を最優先にしてくれていないことを実感しています。大人の一人として情けなく申し訳ない気持ちで一杯です。