(これまで分割して掲載してきた原稿をまとめてみました。青森県保険医協会の新聞用に書いたものですが、実際に掲載されるのはもっと短くなる予定です。)
■ まだ終わりではない 今度こそ終わりにする
私たちはいつまで負け続けるつもりなのか。地震や津波にではなく、自分たちの社会に。
福島原発事故で明らかになった構図は、あの戦争から始まって、原爆被爆者や水俣病、薬害エイズ、タバコ病、原発・核燃問題まで何度も繰り返され、何度も見せられてきた構図そのものでした。
● 3月15日の黒い雨 2011年のチェルノブイリ逃避行
「あれは大本営発表だ。真実は後から明らかになる」
確たる根拠もないまま電話で息子にそう断言して、茨城県南部から避難させたのは3月15日。朝から2号機圧力抑制室で爆発があり、4号機も爆発したようだが情報錯綜。風向きは真っ直ぐに東京に向かっている最悪の状況。まさか自分の子どもがチェルノブイリの時のように放射能から逃げ惑うことになるとは想像すらしてませんでした。前日から避難を呼びかけていたのですが、タイミングを逸してしまった。
結局、その日の最終便で青森に逃れたのですが、高濃度の放射能プルームが到来する中、移動するには一番悪い日になってしまった。結果論としては次の日まで待った方が良かったのですが、原子炉の内部で最悪の事態が進行している可能性が高いことに加えて、1日待てば放射能汚染を隠し通すことができなくなり、東京がパニックになって逃げ出すことが難しくなると予想されたため、マスクをしながらの強行突破を選択したのでした。
この予想の前段については、現場の作業員の方たちの努力もあって水蒸気爆発までは起こさずに済んだものの、3機でメルトダウンが進行し、3月21日の大放出(おそらく再臨界と爆発)と関東への最大の汚染に繋がった経緯から判断して、この日の選択はやむを得ないものと考えています。しかし、一般の方よりも少しは知識があったはずなのに、適切に行動することができなかったという忸怩たる思いは今でも残っています。
不思議だったのは、この予想の後段については大きく外れて東京の街も駅も平静を保ち、計画停電騒ぎばかりが報道されている光景だったことです。
そして「運命の風向き」はこの日の午後から飯舘村、福島市方面へと向かい、夜には黒い雨ではなく白い雪が降って何十年も消し去ることのできない汚染を残しました。
もしそのままの風向きが続いたなら、40万都市のいわきだけでなく、茨城県から東京にかけて現在の福島県と同じような状況になっていたことでしょう。情報のないまま放射能に曝された福島の人たち、特にお母さん方の怒り、悲しみ、自責の念の何分の一かは自分自身の痛みとして感じているつもりです。
この日から、実際には何もすることもできないまま、フクシマから目が離せなくなって5ヶ月が過ぎてしまいました。
(なお、放射能を持つ放射性物質と、放射能という性質そのものは科学的には書き分けられるべきと思いますが、日本語表現として定着しているだけでなく、より本質を表現できるものと考え、ここでは両者を合わせて放射能と表現しています。放射能プルームも学術的には放射性プルームと表現するのが正しいようですが、あえて前者を選びました。)
● 新型インフルエンザと福島原発事故
それにしても、どうして3月15日に東京は大騒ぎにならず、2009年の新型インフルエンザのときには過剰とも言える反応を引き起こしたのか。何ヶ月も考えて続けていたのですが、答えは実に簡単なものでした。
多くの国民が政府やマスコミの言うことを信じてしまったからだと思われます。正確な情報が伝えられなかったために、適切な対策や行動をとることができなかった。
新型インフルエンザは最初の1週間の情報、特に米国の高校における流行と収束状況で、強毒性ではないことは明らかでした。しかし、日本だけが「新型」の法律を適用して過剰な対策を続けたため、医療者には過大な負担を強いて、国民には恐怖心を植え付けました。
この時の対策は明らかに過剰でしたが、2つの点で正しい行動でした。一つには、政府が法律に基づいた対策をとったこと。二つ目は、状況がわかるまで予防的に対策をとり、その後で緩めるという原則に基づいていたことです。結果的に、世界でも最も低い死亡率に抑えることができ、国民の命は守られました。
そして、今回の福島原発事故では、この2つの点で政府は新型インフルエンザのときと全く正反対の行動をとりました。SPEEDIの情報を知らせなかったこと、基準値を20mSvへ一気に20倍も引き上げたことなどは、法律違反であるだけでなく、まず安全を確保して状況に応じて緩めるという予防原則に反し、国民の命をないがしろにする対策でした。当然、責任者は法に基づいて裁かれるべきです。
福島だけでなく全国の子どもたちは、この国の政府が自分たちの命を最優先にしてくれていないことを実感しています。大人の一人として情けなく申し訳ない気持ちで一杯です。
● 原子力政策の根本的転換が可能になる3つのケース
従来から言われていた3つの可能性として、一番目は知事選や国政選挙、あるいは国民投票などの民主的手段によって政策転換が起こるケース。
しかし、これは過去数十年にわたる国と電力業界による原発・核燃マネーの集中投下によって、特に青森県では根治不可能な癌のように自治体財政や経済・雇用、市民活動など県民生活の隅々にまで依存体質が浸透し、自力で抜け出すことは絶望的な状況にありました。
二番目は経済的効果から撤退を選ぶケース。実際に2004年には経産省官僚、河野太郎氏、飯田哲也氏らによって機運が高まり、特に核燃料サイクル政策は建設費用に加えて今後必要となる膨大な費用が絶対にペイしないことから「戦艦大和の出撃」にたとえられ、誰が考えても撤退を選択するしかあり得ないと期待しました。この時に、実質的に撤退を望んでいた東京電力の勝俣社長(現会長)の有名な「産道に入った赤ん坊は戻せない」という敗戦の弁は、路線の修正が不可能となり福島原発事故へと突き進んでいった現状を予告するものと言えました。
この2004年のチャンスを逃した後は、再処理工場がトラブル続きで操業の見通しが立たない状態に陥っていたため、このまま再処理工場本稼働だけでも阻止できれば良いかという消極的な姿勢になっていたことは否めません。まさか第三のケースがすぐに起こるという現実的な想像力が持てなかった。
その三番目が、原発過酷事故が現実に起こってしまう最悪のケース。これだけは何としても避けたかった。もし起きてしまったら、今回のように取り返しのつかない被曝と汚染が生じ、多くの国民の健康や命だけでなく、生活も土地も奪われてしまう。それがわかっていたのに、しっかりと声を上げて反対することができなかった。「知らないよりも知っていて何もしない方が罪は重い」という自責の念をぬぐい去ることはできません。
もしこの第三の破局的事故が起きてしまえば、議論するまでもなく全面撤退せざるを得ない。その構図は明らかであっても、決してあってはならないケースでした。
そして、それが福島で現実のものとなったいま、何が起こっているか。瀕死の重傷を負ったはずの恐竜が、謝罪も反省もないまま原発・核燃政策を押し通そうとして再び立ち上がり、牙をむき出しにして襲いかかってきているという信じ難い光景です。
この恐竜の息の根を止めるためには、どれだけの犠牲が必要なのか。
● いまは戦時下 「日本は一つ」ではない
「3月11日を境に世界は変わった」と小出裕章先生(京都大学)は言い続けています。
あの日から5ヶ月が過ぎて、これだけの取り返しのつかない事態を経験した日本人、日本社会は、あの敗戦の時のように全ての事実をさらけ出し、必然的に変わらざるを得ないものと誰もが思ったはずです。
実際に、原子力ムラと言われる政官学財+マスコミによる強固な壁の内側で、巨額のマネーに裏打ちされた原子力政策が、民主主義とはかけ離れた世界で押し進められてきた実態が白日の下に曝されました。
しかし現実には、5ヶ月経っても表面的には何も変わっていないだけでなく、むしろ悪い方向に向かっているのではないかと危惧される面もあります。特に福島県内では、家族や友人の間でも放射線の影響について自由にものが言えない雰囲気が強まりつつあると一部で伝えられています。
そして、未だに敗戦を認めようとせず、戦艦大和の出撃を図ろうとする勢力は依然として強大であり、全面的な政策転換までにはいくつもの山を越えなければならないでしょう。今が8月16日だと思っていたら、実はまだ8月7日だったというのが現実です。
日本はいま「内戦状態」(群馬大学・早川由紀夫教授)にあります。決して「日本は一つ」ではありません。その認識があるかないかで二極分化が進みつつあります。
子どもを放射線被曝から守ろうとする人たちと、健康に影響はないと主張する人たち。放射能汚染を封じ込めようとする人たちと、拡散させようとする人たち。食物の基準値を引き下げようとする人たちと、基準値以下なら安全と出荷する人たち。命と環境を第一に考える人たちと、経済や財政を第一に考える人たち。新たに目覚めた母親や若者と、既得権益を守ろうとする老人。女性的思考と、男性的思考。ネットを活用している人たちと、テレビや新聞などの既存メディアしか見ていない人たち。そして、脱原発を訴える人たちと、原発を維持し再稼働させようとする人たち。
泊原発の再稼働を北海道知事が認めたように、変化よりも揺り戻しの方が目につき、楽観論よりも悲観論の方に傾いてしまいがちです。しかし、実際には人々の心の中での変革は大きく進んでいるはずなのに、それを現実が受け止めることができていないと解釈するのが正しいように思われます。
この現実を市民の側からどう作り上げていくか。
● 「チェルノブイリほどではない」と言っていた方へ
事故後の早い時期から、放射性物質の総放出量がチェルノブイリの10分の1以上に達するという海外機関の推計値が伝えられ、私たちもレベル5のスリーマイルをはるかに超えることは確実で、チェルノブイリに迫る可能性があると考えて避難を呼びかけたりしていました。その一方で、チェルノブイリとは事故の質も放出量も全く違うから心配ないと主張した人たちが、御用学者だけでなく、医師・歯科医師のコミュニティにも相当数いたことに驚かされました。
6月に八戸市と青森市でも講演された小出先生は、原爆の日に「福島の事故で広島原爆の100発分のセシウム137が大気中にばら撒かれた。汚染水中におそらくそれ以上」と説明しています。4月になってようやくレベル7を宣言した時に、総放出量は初期の数日間で大気中にヨウ素換算で77万テラベクレル、汚染水に72万ベクレルであり、これはチェルノブイリの520万テラベクレルの7分の1程度と推計されました。(テラ=兆)
大気への放出量は4月の時点で毎時1テラベクレル、7月の発表でも、3月のピーク時の毎時2千テラベクレルと比べて200万分の1に減ったとはいえ、毎時10億ベクレル(1日240億ベクレル)もの膨大な放射能が放出され続けています。総放出量がどこまで増えたかは発表されていません。
しかも、事故後に風向きを毎日チェックし続けた概算では、大気中に出た9割は太平洋上に拡散したはずで、残りの1割で福島だけでなく広い範囲の深刻な汚染が引き起こされたのです。もしこれが敦賀や柏崎だったら、名古屋や東京を放棄しなくてはいけない程の被害が生じていたことは想像に難くありません。
福島県内では、土壌中のセシウム濃度がチェルノブイリの移住権利地域に相当するところで、子どもを含む多数の国民が生活していますが、政府がこれ以上避難区域を拡大することは期待できず、むしろ帰住を進める政策に転換しているのが現実です。
群馬大の早川由紀夫教授(火山学)によると、フクシマの汚染は面積でチェルノブイリの半分、人口は2~4倍に相当するということです。
国民の命ではなく原子力業界の延命を優先して、現実を直視せず事故を過小評価し、補償費用が青天井となることを恐れて避難区域を制限してきたこの国の政府は、共産主義ソ連と全く同じか、それ以下であると言っても過言ではありません。
● 山下俊一・福島県立医大副学長がひそかに自説を1/10に訂正 それでも10μSv/hは高すぎる!
こんなことが許されても良いものでしょうか。事故直後に福島県民に向かって「毎時100μSvでも子どもが外で遊んでも大丈夫」と強調していた張本人が、福島県のHPでこっそりと毎時10μSvの誤りだったと訂正していたことがわかりました。(毎時10μSv=年間88mSvに相当)
その言葉を一時的にせよ信じてしまった母親から怨嗟の声が伝わってきています。
ジャーナリストの広瀬隆氏・明石昇二郎氏が山下教授ら数名を刑事告発しましたが、これもその罪状を裏付ける有力な証拠になるでしょう。
低線量被曝にどこまでなら安全という線引きはできませんが、これまで得た情報などから、内部被曝を考慮しないで、環境の放射線量が毎時0.3μSvなら広範囲の除染が必要、放射線管理区域に相当する毎時0.6μSvでは除染よりも前に子どもの避難を優先させて欲しいと考えています。
毎時1μSv以上のところにも子どもが生活している現状を何とかしなくていけないと思うのですが、次の首相が誰になろうと動かすことは困難なのが現実です。せめて自主避難者への補償を制度化すれば、避難者が相当数増えることは間違いありません。
文部科学省が当初設定した毎時3.8μSvは、ジャーナリストの広河隆一氏によると、チェルノブイリに隣接する死の街プリピャチの現在の放射線量とほぼ同じだということです。
山下教授が訂正した「100」はもちろん「10」などという線量がどれほど高いものか、私も当初は数字を見て判断することができなかっただけに、お母さん方の怒りと悲しみ、「知っていたら子どもを被曝から守ることができたのに」という自責の念は当然のこととして理解できます。
福島県立医大だけでなく、この状況を放置し、むしろ支持してきた日本の医学界の責任が問われています。国民の医療、医師を見る目は厳しく、信頼は失墜していると感じているのですが、さほど重大にとらえていない医師・歯科医師が多いように思われ、非常な違和感を覚えています。
● 原爆とフクシマ 青空と希望をいま
参謀本部は長崎原爆の情報を5時間前に察知していたが空襲警報は発令されず、警報が出ていれば助かったはずの市民が多数犠牲になりました。福島原発事故で政府はSPEEDIの放射能拡散情報を把握していたのに、意図的に発表せず隠蔽し、多数の国民、特に子どもたちが無用の被曝を余儀なくされました。
私たちは戦後66年もかけて、民主主義という隠れ蓑の下で、あの戦争のときと全く同じ構図を作り上げ、同じ過ちを繰り返してしまったようです。
震災後に少しでも事故の危険性を伝えようとすると、「不安を煽るな」「風評被害を拡散させている」という非難が飛んできて非国民扱いを受けるという異常な状況に対して、藤波心ちゃんという14歳のアイドルが率直な意見をブログに書き連ねて、多くの人に感動を与えました。
今度こそ日本が新しい社会に生まれ変わることができるのでしょうか。また同じことを繰り返すのではないかという疑念を振り払うことができません。戦後の焼け野原には何もないけれど青空と希望があったと聞いています。青空や美しい国土が放射能で汚染されてしまったいま、彼女たちの世代に大きな負の遺産だけでなく、少しでも希望を持つことができる社会をつくり引き継いでいく義務が私たち大人には課せられているはずです。
● 白米の基準値は5Bq/kgに引き下げを
今後は食品からの内部被曝対策が中心になり、長期にわたる対策が必要になってくるものと思われます。特に主食の米と、三陸の海産物について注意が必要と考えられます。
政府は全ての食品について、暫定基準値500Bq/kgを超えていなければ「安全」と称して市場に出回らせていますが、それでは1Bq/kgなのか499Bq/kgなのか区別がつかず、かえって「風評被害」を拡大させる結果になっています。特に子どもには厳格な基準値が必要です。
主食の米に500Bq/kgを適用してはいけません。核実験時のセシウム濃度を見ても、ピークの1963年で平均4Bq/kgであり、最大で10Bq/kgは超えていません。大潟村あきたこまち生産者協会は基準値を5Bq/kgにすると発表しています。ウクライナはパン20Bq/kg、ドイツは全ての食品で大人8Bq/kg、子ども4Bq/kgが基準です。
総合すると、子どもの給食に使う白米は5Bq/kg未満のものに限定すべきです。500Bq/kgを超えなければ混ぜてわからなくなってしまう現在の体制を早急に変えないと、コメ不安が一気に拡大することは間違いありません。
● 最低か最悪か 「ポスト管」政局を憂う
ここで政局のゴタゴタについて触れるつもりはありません。医師・歯科医師の間だけでなく、国民一人一人に考え方の違いがあるのも当然のことです。しかし、原発震災という現実を受けて首相が交代するという重大な局面に、有権者である国民が何の影響力も行使できない状況にあることを憂えています。
現状で、次の政権が民主党単独になるか大連立になるかわかりませんが、このまま何も声を上げずにいたら、1)脱原発つぶし・原発延命・東電救済、2)復興増税・消費増税、3)社会保障費削減という路線になる可能性が高いことは、多くの国民が感じ取っているところです。
かと言って、民主・自民の二大政党が脱原発を望む国民の受け皿になり得ない状況では、脱原発を争点とした総選挙は望ましくないし、実現する可能性も低いでしょう。
原発事故直後の最も大切な時期に、情報を隠して伝えず、子どもに不要な被曝を強いた菅首相や枝野官房長官の責任は重く、退陣は当然であり、いずれは司法の場で裁かれるべきと考えています。
しかし、国民を見捨てた「最低」首相の後釜が、これまで原発・核燃推進路線を暴走させ、福島の人たちの故郷を奪って苦境に陥らせたことへの深刻な反省も謝罪もないまま、原発再稼働へ突き進んでいる自民党や民主党新自由主義者の「最悪」政権になることだけは何としても避けたい。マスコミも「原発大本営報道」への反省もなく、菅おろし政局に加担しているだけで、問題意識が感じられません。
いま、脱原発を訴える人の一部で菅総理を最後まで支えようという声が上がっていますが、これは首相交代までに脱原発・再生可能エネルギー路線への転換をできるだけ進めておきたいという願いからくるもので、決して管政権を支持したり再選を願うものではありません。
「第三の敗戦」という言葉が使われています。子どもや孫の世代に対して、いま35歳以上の大人は、たとえこれまで原発や核燃サイクル政策に反対してきたからと言って、現在の深刻な状況を招いたことへの責任を免れることはできません。
毎日の報道を見ていると、希望よりも悲観の方に気持ちが傾いていくことは否めませんが、いま動かなくて一体いつ動くのでしょうか。
この原稿を書いている時点で、首相退陣の時期や次期首相候補、政権構想、主要政策などの姿は見えてきておりませんが、この夏から秋にかけて、子どもたちが将来に希望を持てる社会に生まれ変わることができるかどうか、私たち一人一人が問われていることは間違いありません。
● 青森県はどうやって生き残るのか
今後、核燃マネーに大きく依存している青森県の財政、経済、雇用をどうするのか、脱核燃マネー依存のプロセスを県民全体で早急に考え、取り組む必要があるはずです。
本来であれば無責任に原発・核燃に全てを賭してしまった推進側が考えるべき問題なのですが、県内の原子力施設を全て止めるためには、セットにして提示しないと何も動かないというのが現実です。
経済・財政の知識は全くありませんが、思いつくままに列記してみました。たたき台として議論の材料にしてみて下さい。
1)10年程度限定で国が激変緩和措置をとる(毎年10%削減)
2)新エネルギー(LNG火力や再生可能エネルギーなど)建設・稼働による雇用
3)一次産業・観光の振興(下北を自然+エネルギーの観光拠点に)
4)新たな産業の誘致や起業、高齢化社会対応産業(介護福祉関連など)
5)原子力施設・使用済み燃料・高レベル廃棄物の安全な管理と核燃料税の確保
6)原発・原子力施設の廃炉解体作業
7)震災復興に伴う土木・建築工事
8)福島や周辺地域の放射能除染作業
9)福島第一原発事故収束作業、放射性廃棄物処理作業
ボツ)高レベル廃棄物の最終処分場に立候補する:下北は断層だらけで適していない。長期の雇用は望めない。原子力半島下北から脱却できない(観光イメージダウン)。原子力依存(経済と県民の心)から脱却できない。
● 県民一人一人が参加できるネットワークづくりを
ここにいくら政府の批判を書き連ねてみても、診察室に座っているだけでは現実は何も変わりません。
すでに世論調査では約7割の国民が脱原発を望んでいます。また、程度の差はあれ原子力政策の転換が進むことは必然であり、青森県は大きな痛みを伴う変革に迫られるはずですが、県や知事、県議会任せにしていては良い方向には進むことは期待できません。
タイムズ誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた南相馬市の桜井市長は、「札束で顔をたたくやり方は人間性を喪失させる」「原発事故は人間の価値観、生き方を問い直す機会だ」と述べ、交付金・補助金頼みの地域振興との決別を呼び掛けています。
県内でも事故後に新たにこの問題に関心を持った方が多数いるはずで、県民一人一人の声を繋いでいき、現実の動きに変えていくことがいま求められています。一般の県民にとって従来の反核団体には抵抗感があり、潜在的な声の受け皿として、制約のない自由でフラットなネットワークをつくって広く呼びかけていくことが必要です。環境部が中心となって準備を進めているところです。
また、県内では直接・間接的に原子力関連産業と繋がりのある人だけでなく、旧来の企業や組織の枠組みの中で、誰もが個人で発言して行動していくことは簡単ではありません。その中で、インターネットのフェイスブックという新しいソーシャルメディアを使って、脱原発に限定せずに実名で参加してコミュニケーションできる「ポスト311あおもりフォーラム」というグループをつくってみました。試行的な取り組みであり、どのように活用されるかは参加者次第です。一度アクセスしてみて下さい。
http://www.facebook.com/groups/311aomori/