陶芸の帰りにFINDに立ち寄った。町内会長がおられて、いつものように楽しいお話を伺いながらコーヒーとケーキをいただく。今日の話題の中心は農政とか農業のことだ。毎回お会いするたびに違った話題で盛り上がるので、彼との対話はどこまで自分が多様な話題に対応できるかを試す場でもある。農業に関しては、学生時代にエコロジー研究会に片足を突っ込んでいて、キャンパスの一画を勝手に開墾して造成した畑でいろいろ作物を作っていたので、一通りのことには受け答えができるつもりだ。今日の会話を一言でまとめてしまえば「有機農法」は怪しく、「国産は安心」は幻想、ということになるだろうか。詳細は機会があれば語ることになるかもしれないが、今日は語らない。
会長とはテラス席で会話をしていたので、店の中へは注文をお願いする時と勘定を払う時だけしか入らなかったのだが、勘定を払って店を出た時に店の中から私を追ってくる人がいた。勘定を間違えたのかと思いきや、
「先月ここで焼き物の個展を開いた方ですよね?」
と尋ねられた。わずか1週間足らずの個展で記憶に留めて頂けるとはありがたいことである。こういうことがあると心底嬉しい。その方には陶芸や木工の現況について簡単にお話させて頂いた。個展期間中のブログを読み返していただければわかるように、来場者は決して多くはなかった。しかし、その限られた来場者に気に入っていただいて、思いの外たくさん買っていただくことができた。「嬉しい」という言葉では言い尽くせないほどに嬉しいことである
学校を出て社会人になってからというものは会社という組織の論理のなかで生きることしか経験がなく、単なる個人として果たして認めてもらえるものなのか不安があった。幸いなことにそれが杞憂となった。何かしら自ら投げかけるネタを持っていれば、それを受け止めてくれる人が居るということを確認できたことが、今回の個展の最大の収穫かもしれない。尤も、知らない人から声を掛けられるのは嬉しいことだが、ただ嬉しいだけで終わらせてしまっては瞬間的局地的なアイドルのようで儚い。個展の所期の目的が、新たな関係性を構築するための取っ掛かりを設けることであったことを忘れてはいけない。
何か事を企ててみて、それが箸にも棒にもかからないとうことなら、きっと失望しただろうが、手応えがあればあったで、その先の展開を思い悩むことになる。勝手といえば勝手だが、欲望と時間軸とに際限がないのだから、そういうものだろう。
今日は年明け後初めて陶芸作品が焼きあがった。長石釉を濃淡掛け分けた直径17㎝ほどの皿と、織部釉だけの直径22㎝ほどの皿だ。2月8日付のブログに書いた4番と6番の作品だ。
会長とはテラス席で会話をしていたので、店の中へは注文をお願いする時と勘定を払う時だけしか入らなかったのだが、勘定を払って店を出た時に店の中から私を追ってくる人がいた。勘定を間違えたのかと思いきや、
「先月ここで焼き物の個展を開いた方ですよね?」
と尋ねられた。わずか1週間足らずの個展で記憶に留めて頂けるとはありがたいことである。こういうことがあると心底嬉しい。その方には陶芸や木工の現況について簡単にお話させて頂いた。個展期間中のブログを読み返していただければわかるように、来場者は決して多くはなかった。しかし、その限られた来場者に気に入っていただいて、思いの外たくさん買っていただくことができた。「嬉しい」という言葉では言い尽くせないほどに嬉しいことである
学校を出て社会人になってからというものは会社という組織の論理のなかで生きることしか経験がなく、単なる個人として果たして認めてもらえるものなのか不安があった。幸いなことにそれが杞憂となった。何かしら自ら投げかけるネタを持っていれば、それを受け止めてくれる人が居るということを確認できたことが、今回の個展の最大の収穫かもしれない。尤も、知らない人から声を掛けられるのは嬉しいことだが、ただ嬉しいだけで終わらせてしまっては瞬間的局地的なアイドルのようで儚い。個展の所期の目的が、新たな関係性を構築するための取っ掛かりを設けることであったことを忘れてはいけない。
何か事を企ててみて、それが箸にも棒にもかからないとうことなら、きっと失望しただろうが、手応えがあればあったで、その先の展開を思い悩むことになる。勝手といえば勝手だが、欲望と時間軸とに際限がないのだから、そういうものだろう。
今日は年明け後初めて陶芸作品が焼きあがった。長石釉を濃淡掛け分けた直径17㎝ほどの皿と、織部釉だけの直径22㎝ほどの皿だ。2月8日付のブログに書いた4番と6番の作品だ。