郵便物の受け取りがあって、雨のなかを実家経由で蕨郵便局まで出かけてきた。旧中仙道に面した巣鴨の住処を出て、JR板橋駅までその旧道を歩く。埼京線で戸田公園駅まで行き、やはり中山道に面した実家に寄って、たまっていた郵便物を受け取り、そのなかにある不在票を手に、やはり旧中仙道に面した蕨郵便局まで歩く。
実家がある地域は、私たちが引っ越してきた頃は工業地域で、かなり最近まで大きな工場が残っていた。最後に撤収したのがミツカン酢の工場で、その跡地はマンションになった。託児施設付ということで、分譲の際にはたいへんな人気だったのだそうだ。実家のあるマンションも工場跡地に建っている。工場が立地する以前は水田地帯だ。今は暗渠になったり埋め立てられたりしてわからなくなっているが、注意して眺めると、かつては用水路だったと思しき細く真直ぐな道がある。地名も「戸田」というくらいだから、土地の歴史はなんとなくわかる。今でもこのあたりの土地持ちらしき屋敷が点在していて、同じ苗字の表札がかかっていたりする。
市境を過ぎ、国道17号が本道と旧道に分岐すると、旧道沿道には年季の入った家並が現れる。以前、このブログにも蕨の風景を書いたことがあるが、蕨駅西口から駅を背にまっすぐ西へ向かう商店街は、さすがにかなり寂れてしまっているが、今でも機能している雰囲気がある。郵便局で郵便を受け取った後、その商店街を駅へ向かって歩く。呉服屋が何軒もあるのが面白い。和服を着る習慣のある人がどれほどいるのか知らないが、呉服屋という商売は、来店客を待つのではなく、既存客やその紹介の客のところを回って商売を取るものだろう。理屈から言えば店舗は不要かもしれないが、店舗があることで信用というものの足しにはなるはずだ。これほど呉服屋がある商店街というものが、その土地のどのような事情を象徴しているのか、調べてみると面白いかもしれない。学生の頃、蕨の呉服屋の子の家庭教師をしたことがある。私がそのお宅にお邪魔するのではなく、彼に来てもらって教えていた。当時、蕨郵便局の近くにボーリング場があって、たまにそこで一緒に遊んだりもしたものだ。今頃どうしているのだろうか。
商店街のなかの少し大きな構えの米屋の店先に七輪が並んでいた。「炭コンロ」と黒のマジックで書かれた手書きの札がついている。2,300円とも書いてある。勿論、炭やそれらを扱う道具類も並んでいる。震災の後になって並べたのではなく、以前からずっとこうして並んでいるような佇まいだ。飲食店で炭火焼の店があるが、炭で焼いたものは美味しく感じる。それが単に気分の問題なのか、炭が燃焼するときに発する何物かの効用で本当に旨味が増すのか、というようなことは知らない。七輪を買ったとして、それをどこで使うか、と考えた。やはりベランダということになるのだろうが、今の住処のベランダには樹脂がコーティングしてあるので、そのまま置くと厄介なことが起こるだろう。何かを敷いてその上で、ということになるのだろうが、その何かがすぐには思い浮かばなかった。思い浮かんだら、七輪を手に入れて、魚とか野菜を焼いてみようかと思う。
蕨駅から京浜東北線で東京へ出る。銀行に用があったので、それを済ませ、遅めの昼食をオアゾの小松庵でいただく。蕎麦について特別こだわりがあるわけではないのだが、ここの蕎麦は美味しいと思っていて、それほど頻繁に足を運ぶわけではないけれど、機会をみつけてはこうしてお邪魔する。この店の本店は駒込にあって、時として行列ができることもあるのだが、私は本店よりもこの丸の内店のほうが美味しいと思っている。
出勤までは時間が中途半端に余っていたので、職場のあるビルの入居企業用のラウンジで実家から持ち帰ってきた郵便物を開封したり、ラウンジに備え付けてある雑誌を読んだりして時間をつぶした。郵便物のなかに、2週間前のスクーリングで提出したレポートが講評と共に返送されてきたものがあった。概ね良好な評価で、「すばらしいレポートでした」と書かれていた。その前の週のスクーリングで厳しい評価をいただいた後だったので、やれやれと思う。そう思ったら眠くなった。
実家がある地域は、私たちが引っ越してきた頃は工業地域で、かなり最近まで大きな工場が残っていた。最後に撤収したのがミツカン酢の工場で、その跡地はマンションになった。託児施設付ということで、分譲の際にはたいへんな人気だったのだそうだ。実家のあるマンションも工場跡地に建っている。工場が立地する以前は水田地帯だ。今は暗渠になったり埋め立てられたりしてわからなくなっているが、注意して眺めると、かつては用水路だったと思しき細く真直ぐな道がある。地名も「戸田」というくらいだから、土地の歴史はなんとなくわかる。今でもこのあたりの土地持ちらしき屋敷が点在していて、同じ苗字の表札がかかっていたりする。
市境を過ぎ、国道17号が本道と旧道に分岐すると、旧道沿道には年季の入った家並が現れる。以前、このブログにも蕨の風景を書いたことがあるが、蕨駅西口から駅を背にまっすぐ西へ向かう商店街は、さすがにかなり寂れてしまっているが、今でも機能している雰囲気がある。郵便局で郵便を受け取った後、その商店街を駅へ向かって歩く。呉服屋が何軒もあるのが面白い。和服を着る習慣のある人がどれほどいるのか知らないが、呉服屋という商売は、来店客を待つのではなく、既存客やその紹介の客のところを回って商売を取るものだろう。理屈から言えば店舗は不要かもしれないが、店舗があることで信用というものの足しにはなるはずだ。これほど呉服屋がある商店街というものが、その土地のどのような事情を象徴しているのか、調べてみると面白いかもしれない。学生の頃、蕨の呉服屋の子の家庭教師をしたことがある。私がそのお宅にお邪魔するのではなく、彼に来てもらって教えていた。当時、蕨郵便局の近くにボーリング場があって、たまにそこで一緒に遊んだりもしたものだ。今頃どうしているのだろうか。
商店街のなかの少し大きな構えの米屋の店先に七輪が並んでいた。「炭コンロ」と黒のマジックで書かれた手書きの札がついている。2,300円とも書いてある。勿論、炭やそれらを扱う道具類も並んでいる。震災の後になって並べたのではなく、以前からずっとこうして並んでいるような佇まいだ。飲食店で炭火焼の店があるが、炭で焼いたものは美味しく感じる。それが単に気分の問題なのか、炭が燃焼するときに発する何物かの効用で本当に旨味が増すのか、というようなことは知らない。七輪を買ったとして、それをどこで使うか、と考えた。やはりベランダということになるのだろうが、今の住処のベランダには樹脂がコーティングしてあるので、そのまま置くと厄介なことが起こるだろう。何かを敷いてその上で、ということになるのだろうが、その何かがすぐには思い浮かばなかった。思い浮かんだら、七輪を手に入れて、魚とか野菜を焼いてみようかと思う。
蕨駅から京浜東北線で東京へ出る。銀行に用があったので、それを済ませ、遅めの昼食をオアゾの小松庵でいただく。蕎麦について特別こだわりがあるわけではないのだが、ここの蕎麦は美味しいと思っていて、それほど頻繁に足を運ぶわけではないけれど、機会をみつけてはこうしてお邪魔する。この店の本店は駒込にあって、時として行列ができることもあるのだが、私は本店よりもこの丸の内店のほうが美味しいと思っている。
出勤までは時間が中途半端に余っていたので、職場のあるビルの入居企業用のラウンジで実家から持ち帰ってきた郵便物を開封したり、ラウンジに備え付けてある雑誌を読んだりして時間をつぶした。郵便物のなかに、2週間前のスクーリングで提出したレポートが講評と共に返送されてきたものがあった。概ね良好な評価で、「すばらしいレポートでした」と書かれていた。その前の週のスクーリングで厳しい評価をいただいた後だったので、やれやれと思う。そう思ったら眠くなった。